第28話 『天守無き軍議』
寺院の堂内には、重たい空気が満ちていた。
治療中の負傷者たちのうめき声が、静かに響く。香の匂いと、血と薬草の匂いが混じり合っている。
天井から差し込む朝の光が、横たわる桃藤の顔を青白く照らしている。再び意識を失い眠っている桃藤。かすかな呼吸だけが、まだ生きている証のように続いていた。
その傍らに、武尊が座す。
周囲には、キビ、ゴウキ、眞栄田、そして絆岳康乃。
対するように、松山久雲と、その背後に控える堀川少彦、坂上田麻呂。
他にも、生き残った武士や合いの子族たち、何人かの大和勢が壁際に静かに並んでいた。
沈黙を破ったのは、松山であった。
「——始めるぞ」
その一言で、場の空気がわずかに揺れる。
「議題は一つ。鬼ノ島へ、いつ攻め入るかだ」
誰もが、それを待っていた。
松山はゆっくりと周囲を見渡す。
「まず現状だ。吉備津は壊滅。主だった将はほぼ失われた。兵の数も半減どころではあるまい」
淡々とした言葉だったが、その一つ一つが、確かな現実として突き刺さる。
「対して、大和の本隊はまだ到着していない。今ここにある戦力だけで海を渡れば——」
わずかに間を置く。
「全滅する可能性が高い」
「……」
沈黙の中、口火を切ったのは眞栄田だった。
「正直悔しいがー、大和勢が来るのを待って、万全の状態で攻めた方がいい」
キビが顔を上げた。
「黒鬼も傷を癒して万全の状態になるぞ?」
絆岳も声を上げる。
「確かに、あの傷を負った黒鬼の状態なら、早いうちが…」
言い切る前に、ゴウキが口を挟んだ。
「今度は奴らの自陣になる事を忘れるな。今回のようには進まない」
意見が割れる。
その中心で、武尊は黙っていた。
拳を膝の上で握りしめたまま、ただ、床を見つめている。
やがて松山が視線を向ける。
「……おぬしはどうだ、武尊」
問われ、ゆっくりと顔を上げた。
「黒鬼は深い傷を負った……だが……」
武尊はあの砂浜で味わった黒鬼の力を忘れはしなかった。
あの状態で、他の鬼の手を引き裂き、巴の腕まで……。
黒鬼は弱っているとはいえ、今いる数では叶わないと感じていた。
「……大和の主力が揃い次第、すぐに行くのはどうか」
キビがわずかに息を呑む。
眞栄田も、目を細めた。
武尊は続ける。
「このままでは勝てない。それは分かっている。だが時間をかけすぎれば、奴らは立て直す」
視線が松山に向く。
「だから——揃い次第……」
松山はしばし黙し、やがて小さく頷いた。
その時だった。
「——甘いな」
静かな、しかし明確な嘲りが差し込んだ。
堀川少彦だった。
場の空気が、一瞬で変わる。
「その程度の判断だから、こうなったのではないか?」
誰も動かない。
だが、全員の視線が堀川へと向けられる。
彼は淡々と喋り続けた。
「吉備津が弱いから、この惨状になった。それだけの話だろう」
「……なに?」
武尊の声が低く沈む。
「もう一度言ってみろ」
眞栄田も、すでに腰に手をかけていた。
堀川は鼻で笑う。
「聞こえなかったか?感情で戦をするな、と言っている」
その言葉に、武尊の目が鋭く光る。
「鬼と戦っていない者が何をいう」
空気が張り詰める。
だが堀川は一歩も引かない。
「合いの子族と組んだ挙げ句に城が焼き崩れ、仲間を何人も失った。
そんな者たちが鬼ヶ島などに行って何ができる?大和勢に任せたらいい。戦とは結果だ。負けた者が何を語る」
「負けてはおらぬ!!」
武尊が立ち上がる。
同時に、堀川の横にいた坂上と武尊の横にいた眞栄田も前へ出た。
武尊と堀川の距離が一気に詰まる。
武尊の手が堀川の胸倉を掴み睨みつける。
堀川は挑発するような余裕の笑みで武尊をみつめる。
武尊の手が刀にかかった——その瞬間。
「——静まれ」
ゴウキの巨体が割って入り、二人を引き離した。
それでも二人は睨みあったまま、殺気が場を満たす。
「敵は鬼だ。人ではない」
ゴウキの言葉を受け、武尊はゆっくりと息を吐き、拳を解いた。
「続けるぞ——」
松山の言葉に再び全員が注目する。
「大和勢の到着は恐らく三日後、そこでー、第一陣として今行ける者達で鬼ノ島へ向かう手もある」
「一陣…?」
武尊が思わず聞き返した。
それは、この場にいる誰もが抱いた疑問だった。
「それは戦さではなく、あくまでも視察だ。奴らの砦の構造、黒鬼の所在、残りの鬼の数と状態——それらを把握していれば、こちらにも有利に戦える可能性はあるのでは…。だがもちろん、これはただの斥候ではなく戦闘を伴う強行偵察になる可能性は高い。そうならない為に、向かうのなるべく少数の方が好ましい」
ゴウキがそれに反応する。
「危険だが——合理的な一手になるかもしれない」
「鬼ノ島にいた我らですら、砦の内部までは踏み入れたことがない。確かにここからは情報戦が必要になってくる」
キビも慎重な攻め方に方向修正したようにみえた。
力で押すだけではない、“次の段階”へ進んだことをそれぞれが感じ始めていた。
少しの静寂の後、
松山がゆっくりと口を開く。
「……では、その第一陣、誰が行く」
さらに沈黙が続いた。しかしそれは覚悟の沈黙であった。
「行きます」
最初に声を出たのは武尊だった。
迷いはなかった。
「戦場を知っている者が行かなければ意味がない」
拳を握る。
「それに——黒鬼の気配を、俺は一度感じている」
「俺も行く。当然だ」と、それに続いたのはゴウキだった。
腕を組んだまま、キビが静かに続く。
「私もだ。鬼ノ島の地形は頭に入っている。案内役は必要だろう」
その時、少し遅れて声が上がった。
「ならば俺も参る」
一同の視線が向いた先にいたのは眞栄田だった。落ち着いた佇まいの中に、研ぎ澄まされた刃のような気配を宿している。
「抜け駆けばかりしやがって、俺にも黒鬼と戦わせろ」
さらにその隣から、静かに一歩踏み出した女性がいた。
「絆岳康乃も、お供いたします。巴殿には及びませんが…、弓兵として力添え致します」
「俺は見ていたぞ、あんたの弓の腕を。天下一品だ」
そう言ったのは眞栄田だった。絆岳と共に城下町に残り、鬼の集団と戦かった。幾度も絆岳の弓に救われた。その恩と絆岳の確かな腕は忘れる事はなかった。
絆岳は戸惑いながらもどこか嬉しそうであった。
「大和からは俺が行く」
注目が一点に集まる。
その声は堀川であった。
「これは大和と吉備津の共闘だ。大和の人間も行くべきだ」
「もちろんだ」
そう答えるゴウキ。
だが、武尊は同じような年頃の堀川の鼻につく態度に、その表情はどこか複雑であった。
松山が視線だけで見回す。
「ではーー先ずはその連中で…」
「お、俺も……!」
声を上げたのは隼人だった。拳を握りしめ、必死に前へ出ようとしている。
「俺も行かせてください!戦えるようになりたいんです!足手まといには――」
だが、その言葉は途中で止まった。
自分でも分かっていたのだ。
これから向かう場所が、どれほどの“死地”であるかを。
唇を噛み、視線を落とす隼人。
その肩に、そっと手が置かれた。
武尊だった。
「……気持ちは、十分伝わっている」
隼人が顔を上げる。
武尊はまっすぐに彼を見た。
「お前が今戦おうとしていること、それ自体が力だ。隼人は後の二軍で万全な大和勢達と来てくれ。今日よりも更に強くなって」
その言葉に、隼人の目が揺れた。
武尊はわずかに微笑んだ。
「ありがとう」
短い一言だったが、それ以上の言葉は必要なかった。
隼人はゆっくりと拳を解き、深く頷いた。
「……はい!」
その返事には、先ほどとは違う強さがあった。
松山が一同を見渡す。
「では決まりだ。第一軍は――武尊、ゴウキ、キビ、眞栄田、絆岳、そして堀川」
その名が、静かに重く響く。
「目的はあくまで偵察。第二陣へ情報を与えるため。 決戦ではなく、生きることが最優先だ。無理はするな」
「それが一番難しいんだがな」と、ゴウキが笑みをこぼしながら言う。
キビは何も言わず、ただ外――海の方角へ視線を向けていた。
武尊もまた、同じ方向を見る。
(……待っていろ)
黒鬼。
そして、あの戦いの続き。
まだ終わっていない。
第一陣は、静かに動き出そうとしていた。




