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醜い奴ら  作者: 川崎真人
34/35

愛 おしまい

 アクセスありがとうございます。

 今回もお付き合いください。

 「お客さん。何か嫌なことでもあったんスか?」

 「……そう見えるか? そのとおり、俺は今おまえと遭遇するという不幸に見舞われているところだ」

 廊下を歩いて遭遇したのは、文化祭の時の占い師だった。『占いの神様』なるものを信仰する、一種異様な雰囲気をかもし出すダウナーな少女である。

 文化祭の日程の半分を欠席し、翌週の火曜日になって登校して来た弘を待っていたのはいつもどおりの退屈な授業であった。生命の危機に晒され、様々な人間を相手にし、それらを全て乗り越え、しかし弘は日常生活で活用できるような成長を何一つしていない。英語の授業は呪文の詠唱にしか聴こえないし、XやらYやらの乱舞する数学はルーン文字の解析行為にしか感じられなかった。

 「と言うか。良く俺の顔を覚えていたもんだよな、おまえも」

 弘は天然でそのようなことをのたまわった。冷静に考えれば、弘の顔を一秒でも目にしておいて、数日で忘れろというのは無理なことだと分かる。

 「そりゃ忘れませんよ。あなたはわたしのお客さんッスからね」

 あくびをしつつ、占い師はそのようなことを言う。

 ローブを被らない少女はふんわりとした長髪を背中に垂らして、口に棒つきキャンディを銜えて揺らしていた。さっさと家に帰ってオカルトサイトでも巡っていたいとでも言いたげなだるそうな瞳に、ポケットから覗く酷く数の多い携帯電話のストラップ。今時の女子中学生という形容が程好く当てはまる。

 「誰か親しい知り合いが大きなけがをしたみたいですねぇ。そういう時って、お客さんにとってはチャンスなんスよ。殊更、人から略奪する類の行為は成功しやすいんス」

 「……あっそう」

 聞き流しつつ、弘は靴箱に向かって小走りに進む。占い師はそれを追うこともせず、何かに引き攣られるような歩き方を続け、そしてだらだらと

 「そう言えば。さっき別のお客さんにあったんス。確かサカキハラさんとかでしたねぇ」

 「……何だって?」

 思わず、弘は振り向いて占い師を見た。

 「ええ。全身生傷だらけで、誰かにしこたま殴られたって感じでしたねぇ」

 上の空の声。弘は立ち止まり、占い師に尋ねる。

 「……あいつのこと、占ったんだな。おまえ」

 「お知り合いですか?」

 どうでも良さそうに言う占い師。

 「まあ。知り合いと言えば知り合いだな」

 弘は呟いて。

 「何を訊いて来た?」

 「企業秘密と言えばそうなんスけどぉ。まあお客さんならいっか」

 占い師は含み笑いをする。何かをあざけるような、おもしろがるような、無責任な愉快さを追いかける人間独自の表情だった。

 「恋のソーダンでした。はい」

 弘は噴出した。

 まさかそう来るか、と。

 「『占い師さんに御伺いしたいのは、ぼくの精神を巣食う大きなこの存在。これを手早く排除することが有益かどうか、ということです』おもしろい訊き方をしてくれました。……メンドくさかったなぁマジで」

 心底うんざりした風に、占い師は言った。

 「……それがどう、恋の相談になるんだ?」

 「人間の精神に何かが宿るって言うことは、絶対にないんスよ」

 立って話すのにも疲れて来たのだろう。占い師は壁にもたれかかり、安息そうな顔をして目をつぶる。そのまま眠りこけてしまいそうな彼女の肩を、弘は強く揺すってやる。

 「……良いッスか? 人の心を変えるのは、直接的にはその人だけなんス」

 ずるずると、廊下に尻を落とす占い師。

 「分かりますか? 何らかの力によって心が歪められることは、ありえない。心を本質から変えるのは、自分の心だけッス。心は自ら変わる。何かを感じて、自分勝手に変わるだけ。変らないと心が決めれば絶対に変わらない」

 「ふうん。どっちでも同じことだろう?」

 弘は表情を歪めた。醜悪な顔が余計に酷くなる。

 「さあね。それはそうかもしれない。しかしお客さん、今わたしが言ったことを踏まえて、恋愛感情というものを考えてみてくださいよ」

 「はん」

 弘は小ばかにしたように

 「知るか」

 「恋というのは、ようするに執着ッスね。自分にとって必要なものに焦がれる気持ち。……人の心は何の侵入も許さない、自分から招くこともできない。ただできるのは、脳味噌に指示をだすことだけ。心の中に芽生える何者かを手にしようとする気持ちが、恋っスね」

 「……へぇ」

 「サカキハラさんは、自分の心の変化に怯えていた。変化の原因を導き出し、それを排除したいと考えていた。つまり彼は、恋をしたくなかったんです」

 占い師は、にっと笑って

 「だからわたしは、さかきはらさんにその恋を手に入れるよう、そう言ってあげたんスよ」

 「……へん」

 弘は唾を吐きそうになった。恋だのなんだの、この変人野郎が。またくっさいことを語ってくれやがって。

 むずがゆい、覚えがあるだけに。

 弘は占い師を見据え、そして言う。

 「おまえの所為かよ、つまり」

 言うしかなかった。それが理屈に合わないことでも、そのように愚痴が飛び出すのも無理の無いことだった。

 「サカキハラさんは人身掌握に長けた人間ッスよねぇ。口も達者で、意思と行動力がありました。ああいう人が心からエネルギッシュになったら、それはもう大変なことになる」

 「……だろうな」

 「わたしはね。今は占い師ごっこなんかやっているけれど、実際は教室の隅っこで雑誌読んでるような人間で。だからああいうのには憧れるところがあるんスよ。何と言うか、自分の情欲だけで、とんでもない行動を起こしてしまう、そういう勝手な強さがあって」

 「それには同感だ」

 弘は神妙に頷いてから

 「自分自身への愛情が深いんだろう。だから、あいつはおまえの言う『心の変化』と言う奴が恐ろしかったんだ」

 「……なるほどね」

 占い師は立ち上がり、唇をつり上げて笑った。

 「じゃあさ。そのサカキバラ君の恋の相手は、一体誰だったの?」

 弘は考えた。まず最初にこみ上げてきたのは嫌悪感で、首を振るって次に思いついたのはある種の嘲り、最後に辿り着いたのは、寂寥感と言うか、デジャヴというか。そういうものだった。

 「自分自身だろう?」

 質問の答えとしては不適切でも、占い師は曖昧に頷くことをした。


 「よっす弘。おかえりか」

 テレビゲームに興じながら、大学生の兄が弘を迎えた。数日間失踪して帰って来た息子に、何一つ報告を求めなかった家族である。

 無論と言うか、弘は彼らに何を伝えたと言う訳ではなかった。それはもう、酷く口止めをされていたので。

 「最近随分と勇ましくなったもんだよな、ええ? 兄ちゃんと話すことも少なくなったし、おまえの反抗期は小学六年生のあたりで終わったもんだと思ってたぜ」

 「……知らねぇよ。なんだ、構って欲しいのか」

 「そりゃあもちろん」

 兄貴は白い歯を見せて笑い

 「可愛い弟だ。なあ」

 「そうだね。可愛いひろにーだね」

 椅子を使って、積み木を弘の頭のあたりまで積み上げつつ妹が言った。兄妹の言い方に、弘はバカにされているものを感じ、むっとする。

 「恋でもしたんでしょう? ひろにーに限って失敗はしないだろうけれどね」

 「それは兄ちゃんも思うぜ」

 いっそ壁のようになったその積み木の山を迂回し、弘は自分の部屋に飛び込んだ。「おうい、弘。家族団欒としゃれこまないのかい? 楽しいぜぃ」兄貴の声。

 「これから出掛けるんだよ」

 「デート?」

 妹が何気なく言った。

 「どうせ病院か警察か彼女のお家のどれかだよ」

 火を吐くドラゴンに仲間を次々と殺されながら、愉快そうに兄貴が言う。

 妙に鋭い兄貴だった。

 「どれかってと?」

 「警察かな。こないだは病院だったみたいだし」

 「どうして知っている!」

 感情的に、弘はそう怒鳴った。兄貴は「まあまあ」それを受け流して

 「なんでもねーさー。俺くらいの良い兄になると、弟や妹が普段何をしているのか定期的に調査させるもんだぜ?」

 「誰に?」

 興味もなさそうに、妹。

 「探偵だよ、タンテー。腕の良いのが大学に居てさ」

 「そりゃあ愉快だね。今度紹介してよ。男の人?」

 「んにゃ、女。平塚亜麻衣ひらつかあまいっていうまあ美人だよ。だらしない女で、それが可愛げだな」

 だらしないと言う点でおまえを上回る奴を俺は知らん。弘は思った。

「探偵家よかぁ推理家かね?」

 俺は気にしないがね、と兄貴は呟き、最後は弟に向けて

 「いいかぁ弘。探偵行為っていうのはな、即ち世界を広げることなんだ。時には、誰かが意図的に封じている場所を開拓してしまう必要もある。……だからな。自分の考えを得意げに人に話すような、それだけの為に探偵するような、そんなのにはなるな。そいつにとって、必要なことだけを、教えてやるんだ」

 「ああ。心得ている」

 弘は胸を張って答えた。

 「そのとおりだな。実に」

 「分かっているなら良し。若い内は間違いも犯せ、そうでなくっちゃ何もかもつまらんからな」

 にっと笑い、弟に親指を突きつける。スティックから手を離しているその数秒で、味方が三人くらい死んでしまった。


 「やーやー弘君。やーやーやー」

 神代信一郎の家の前を通り過ぎる時、家主が弘に大いに手を振った。あんな目にあった後だというのに、随分と気さくな調子である。

 「よう人形師。元気そうで」

 弘はどこか嬉しそうに言った。そりゃそうだ、彼はあの地獄のようなホテルで共に戦った戦友である。堅苦しい言葉遣いなど無用なのだ。もとより、弘に目上の人間に丁寧な言葉を使用するような教養も性格もないのであるが。

 「まあね。この間はどうも、君のお陰で助かったよ。あのままじゃあ、多分最後から二番目の被害者になっていたところだからね」

 「そりゃそうだ」

 弘は物騒にも頷いた。

 「しかし弘君。僕は気になっているんだが、どうして電話に向かって真相を話すことで、僕達は救い出されたんだ? 納得行かないよ」

 「つまり、だ。あれは探偵ゲーム、真相が分かれば企画者としても満足って訳だ」

 「探偵ゲーム……ね」

 神代は納得行かない風に黙り込む。そりゃそうだ。

 人間が死にまくるような小説が好きな連中がいるのだから、人間が死にまくる情景を現実に出現させて楽しむ輩だっているのが道理。自分はつまり、そういう奴らの見世物にされて、そして探偵役を演じきったと、おそらくはそういうことなのだろう。

 「しかし弘君。僕が思うに、あれは他の誰よりも、弘君の為にあったことなんじゃないかなぁ?」

 「……と、言うと」

 「何だかね。全体的に、君に対する愛情を感じたのさ。企画から、内容から、演出からね」

 言いつつ、神代は人差し指を顎に持って行く。

 「電話の声。君に言ったよね。『最後の一人になってください。それができるなら、あなたはこれから、何にも支配されずに生きていくことができるでしょう』あれはつまり、おそらくは君一人に限り、他の全員が殺されることで、君が助かるってことのはずだ。そして声は、君にそれを望んでいた」

 「そうだな」

 弘は息を吐いた。

 あの電話の声は、榊原だったのだろうか。そればかりは聞き出すのを忘れている。自分は結局、何と相撲していたのだろうか。

 「あの台詞って、ひょっとしたら録音だったのかな?」

 神代に言われ、弘ははっとした。

 「……だとしたら、誰のものでも良いってことになる」

 大宮港でも。

 如月亮でも、この、神代信一郎でも。

 「まあ、僕が思うにさ。……君の言うとおりなら、あれは所詮は天の声っていうことさ。誰が吹き込んだものであっても、関係ない。あの文章は、ご都合主義の神様のものだったんだよ」

 「つまりは。榊原か」

 「そうなるのかな」

 神代は薄く笑った。

 「彼はすごい男の子だった。多分、僕なんかとは対極にいる人間なんだろうね」

 「それはそのとおりだ」

 弘は言った。

 「あんたは大人だ。何でも耐えられるし、するべくように、正しいことをやる。とてつもなく心が大きいんだ、それは考えることを食ってしまう。だから西条は、あんたのことを尊敬していたんだろう」

 「それは良く分からないな」

 神代は苦笑する。

 「最近。君たちの言動は少しばかり、不可思議になってきているねぇ」

 「芸術について語るあんたよりマシさ」

 「あはは。それは否めないな」

 言って、神代はアスファルトに塗装された道を見詰める。遠藤宵子の家が見えた。

 「じゃあ。弘君。君はきっと、愛しの恋人のところに向かっているのだろう? 邪魔をして悪かったね。……何でも良いから、君と話がしたくてね」

 「俺もだよ」

 このタイミングじゃなくても良かったけれどな。弘はそんなことも思う。


 「きゃーきゃー弘君きゃー! 何何してたの休んでる間! あたし気になるすごい気になるだから教えて早く!」

 駅前である。風早桜子が弘の背中に強烈なタックルをお見舞いした。夢ばかり見る内向的な人間なのかと思っていたら、随分と良い脚力を持っていた。

 「……何でもねぇ」

 端的に答えるも、風早は容赦なく弘の体に組み付いた。

 「そんな訳ないでしょー。根本君ってサボりとか絶対しないもん。だから何か特別な理由があるの、隠そうとしているってことはそれだけすごい理由なの! そうと決めたの不可分なの!」

 ……うるさい女だ。そんな風に思わずには居られない。

 「おい妄想癖。俺が四六時中殺人鬼に襲われていると思うなよ」

 「少なくとも、今日まではそうだったでしょー!」

 そうだった。

 それに間違いは、一つとして無いのだった。まさに風早の言うとおりだった。

 「そんなことはない」

 嘘だった。

 しかもこれからは、ある意味では殺人鬼に会いに行くところだという、そんな状況である。

 「あたしが信じたことはだいたい当たるんだよ! この間だって、絶対そうなると思って外を歩いていたら殺人鬼に襲われたんだよ」

 「……十回振って十回一が出たサイコロが、絶対に如何様だとは限らんぜ。こういうときはもっときちんとしたところを調べるのが良いさ。常識とか、そういうものを調べるべきだ」

 常識的に考えて、一中学生の弘がホテルに閉じ込められたりしない。

 などと、弘が言ってしまえばとんでもない戯言である。考えるのも恥ずかしい限りだ。

 それはきっと、神様もそうだろう。

 「円垣内会長言ってたよ。根本君と、大宮さんと、西条君と、榊原君が同時に学校に来なくなった。これは何かがあるって」

 その生徒会長。その布陣にどんな意味を見出した。

 「ねーねー何があったのねー? 西条君とは一緒に出掛けてたんでしょう? やっぱり仲良しだからー」

 「……仲良しね」

 ミステリ研究会には顔を出さずに来てしまった。申し訳ないと思うと同時に、仕方がないという気持ちもある。ただまあ、これだけ色んな輩に絡まれて時間を取られているのだから、同じような気もするが。

 「どうして根本君は、研究会に入ったの?」

 「何でだったろうな?」

 名探偵になりたかったとか、そんな単語を使った気がする。

 「何か。大きな願いがあったんだよ」

 「願い?

 「ああ。魔人が現れて、三つの願いを叶えてやるって言われたら、そういうくらいに大きい願いさ」

 「ふうん」

 風早は考え込むように

 「あたしだったら、こう願うな。まずは『最大多数の最大幸福』もう一つは『あたしがずっとあたしなこと』三つ目は魔人に『消えてください』」

 「そうか」

 弘は、この奇天烈な女がぞんがい悪いものには思えなくなって来た。

 「根本君は、何て願う?」

 「そうだな。まずは、俺が願いたいことを教えてくれって言うかな?」

 「そんなの、『おまえは、自分が何を願いたがっているのか教えてくれと願いたがっている』って返されるよ」

 「……まあ。それは言えているかもな」

 「根本君のことだからぁ。そうだね……ああそうだ」

 風早は拍手を打つ。

 「あなたってぇ、何かで一番になるのが好きなんだよね」

 「……ああ。そうだな」

 そうだ。自分は人を見下して居たかったのだ。そして、それは多分、今も変らない。

 だから名探偵なのだ。

 人よりも多くの知恵と知識を所有して、他人をあげつらう名探偵。

 思っていたより、良いものではなかったけれど。

 「会長は何でも知ってるよー! 世の中にはいろんな人が居るからね。奇妙奇天烈奇妙奇天烈摩訶不思議非現実言っている人はね、自分のほうが異常なのを知らないんだ。その人が言っている非現実っていうのは、その人を以外のほとんどの人にとって当たり前だかんね」

 「……そうかもな」

 それはそうと言うしかない、のかもしれない。

 色んな人間がいた。まるで漫画の世界だった。

 名探偵だって、実際その片鱗くらいは掴んだものだと思っている。この、愚鈍な醜い自分が。それらしいことは、味わえた気がする。

 そして、その非現実的な単語の意味を知った。

だから弘は、この先何があっても、それを受け入れられる気がする。

 それもまた、一つの成長だと思えば、大きな名誉である。

 「じゃあさ。俺より酷い顔面の奴も、探せばいるのかな?」

 弘は訊いた。

 「それはないでしょう」

 風早は答えた。

 それは正答のようだったし、弘にもそのようにしか思えないのだから、降参である。

 弘は両手を晒す。風早がその真似をした。


  「よっすブサメン野郎。どうしておどれがたったの一人で汽車に乗ってんだい? デートの約束?」

 「……どうしておまえらに遭遇する?」

 霧崎次郎と、それから柏落葉だった。仲良く肩を並べて座席に腰掛ける二人の傍、一応は知り合いと言うことで、仕方なく弘は隣に座った。

 「放課後の汽車でしょう? 別におかしなことじゃないわ」

 柏は人をバカにした声で言った。からりとした、雑誌に載せても所在のなさそうなその格好は、彼女がそれなりの女子であって着こなしていると言えよう。こいつはファッションとか気にしない女だと思っていたのだが、心境の変化だろうか。

 「どうだい? 洒落ているだろう?」

 弘の思考を読んだのか、霧崎が立ち上がって自らの格好を示した。妙な対抗意識らしいが、上下とも真っ黒なその服装に何を求めているのだろう。

 「……値は張りそうだな」

 「あわせて一万七千円だ」

 自慢げに言った。

 「……そういう問題じゃ、ないんだけれどね。まあ本人が良いなら良いでしょ」

 「なんだと? おまえもそのおめでたいのはどうかと思うぜぃ? それじゃあまるっきりリア充だ」

 「リア充って何よ?」

 弘にも分からなかった。

 「まあともあれ。俺達はこれから県立の図書館に出掛ける訳だが。おまえはどこ行くんだ? こっちの方向だと、町に出掛けるところか? おまえだとスポーツショップとか?」

 「いいや。病院だ」

 「顔の整形でもすんの?」

 柏が減らず口を叩く。「ぎゃはは!」見事な呼吸で霧崎が笑った。

 「……できるならしたいところだがさ」

 シニカルに笑う弘。両手を晒してみせる。

 「おまえの顔を剥いで、俺の顔に貼り付けてやっても良いぜ。ハンサム野郎」

 「一億で譲るぜ。ブサメン」

 霧崎はぎゃははと笑う。弘としては、冗句を言ったつもりでもないのではあるが。

 これだけ色々巻き込まれたのだ、今度は自分が猟奇殺人と言うのも、一つの流れかもしれない。

 何て、そんなことを考える訳がない。それは、結局は何も手に入らないに違いないのだから。この霧崎を見ていれば分かる。

 「渚を見舞うんだよ。腕に大怪我してな」

 「へぇ。そりゃあ気の毒な。……大怪我ね、大怪我」

 ぶつぶつ言って

 「なあ根本。おまえに一つ訊きたいことがある」

 「何だ?」

 弘は意図的に貫禄を漂わせ、言った。

 「いやさ。俺が訊きたいのは……。男女間の友情が成立するかどうかという、そういう話だ」

 柏がぎょっとする。……まったくこいつは紳士とは程遠い、苦労するぜと思いながら、弘は溜息を隠して

 「今は、おまえが思うとおりだ。その意味はおまえで考えられるだろう」

 「……そっかぁ」

 霧崎は、今度は静かに笑った。

 「良かったよ。分かった。後悔しないようにする」

 柏が頭上でクエスチョンマークを弄んでいるのが見えた。

 目当ての駅に着く。弘は二人に手を振って、汽車から落りる。

 わりと良いタイミングだ。


 「やあボクだよ」

 「そうか。それじゃあな」

 病院の前で出会った如月亮にいい加減に手を振り、弘は恋人のところへ向かおうとする。当たり前のように追って来た如月は、何の気なしと言う風に弘の肩を抱いた。

 振り返る。

 如月と、その背後には酷く生気のない少女が立ち尽くしていた。シルクでできたぼろ雑巾というか、血反吐をぶちまけた人形と言うか。弘はそのような比喩を思い付いた。

 ……どこかで見たことがあるような。

 ……あれは、ずっと昔のニュース番組だったような気がする。

 「どうしたんだ? おまえも病院かい」

 「そんなところだな」

 「あの殺人鬼?」

 にやにやと、計るような視線を如月は弘に送る。この男だけは、同じ地獄に出くわした輩の中でも打ち解けない。

 あのような展開は、彼にとって人生観を変えるようなものではなかったのだろう。

 何か、あまりに硬質で、冷たいものが如月の根底にはあって、彼の中で生じたことごとくの感情はそれによって歪められてしまっているのだ。人格が統一されていないような、ちぐはぐな不気味さの正体を、弘はそのように感じていた。

 「……殺人鬼、ね」

 「そうそう。彼女は殺人鬼だ。少なくとも、役割の上ではそうだっただろう。なあ名探偵?」

 皮肉っぽく、如月は言った。

 「あの子はどうして、あんな役割を引き受けたのだろうか」

 「知らないよ」

 知らないし、触れないことにしている。

 あれは彼女が勝手にやったことで、自分は盲目的にそれを肯定する。そういうことにしたのだ。自分たちはそのような人間なのだから。

 「ボクはね。おまえの推理を訊いた時、全ての実行犯は大宮港だと思った。キャラクター性から考えて、きっとそうだ。そうなんだろうと思った。けれど、港は上に居て、渚ちゃんはずっと片腕を失ったままボクらのフロアに潜んでいた」

 含み笑いをする如月に、弘は掴みかかろうとする。睨みつけ、腕を伸ばしたその時だった。

 如月の背後の少女が、病院の前の植木を蹴り倒す。けたたましい音が響いて、弘の視線はそちらに流れてしまった。

 「ああ。これはボクの妹だよ」

 弘はつい、彼女に見入ってしまう。

 「喋らないだろう? まあそれくらいで良い、それくらいが良いんだけれどさ」

 愛しそうに、如月は妹の頭を撫でる。少女はさも鬱陶しそうにそれを受ける。だがしかし、彼女に抵抗の意思といった物は微塵も無く、されるがままになっているという風だった。それはまるで、猫と巧みな飼い主と言った、そんな雰囲気を放っている。

 「しょうと言うんだ。まあよろしくしてやってくれよ」

 「……そうか」

 弘は頷くしかなかった。

 「ところでさ。根本、おまえは結局、どう思っているんだ? 自分の恋人のやったことと。その感情。どう向き合う?」

 飄々と、如月は話題を生し帰した。

 「まさか、今更逃避行を進むことは許されないぜ。あの子が大切ならな」

 「……俺はただ、彼女の幸せを考えるだけだよ」

 随分こっ恥ずかしいことを、堂々と言えたものだと思う。

 「彼女みたいのが、不幸になるのは一番いけないさ。だから、俺は彼女の強さを、努力を全て肯定する」

 「零点の愛だ」

 如月は満面の笑みで言った。

 「だがおまえは、試験を受けることから一生逃げないだろうね。……なあ、おまえのその面は、そういうことなんじゃないのかい? 醜い顔晒して、笑われて、睨み返す。そしておまえは、自分より醜い人間をずっと探すんだ。」

 「そうかもな」

 「でもな。たまには今みたいに、あの子のところに帰るんだぜ。たまには、二人で世界を嘲り笑っていれば良い。どんなに過酷な逃避行だって、女の子と二人なら怖くない。そこに愛があれば、だけれどな」

 そこまで言って、背後の少女が如月の服の裾を引いた。「おっと」如月は嬉しそうに笑って、弘に挨拶もせずにその場を去って行く。

 「……被害者で、傍観者で、そして殺人者。物語の主人公がおまえだったんだ、大宮渚は他の全ての役割を演じるくらいが、ちょうど良かったんだろう」

 捨て台詞と言うか、言い忘れのようなものだった。


 「それで。こんなに遅れた訳ね」

 「そうだな。世界に二人だけと言う訳ではないらしい」

 随分と恥ずかしいことを言って、弘はベッドの脇のパイプ椅子を開いて腰掛けた。

 片腕だけが機械に食われたみたいになっている恋人を見詰めつつ、弘は情けのない気持ちになる。自分と言うものがありながら、どうしてこんな展開が生まれてしまったのだろう。

 否、自分と言うものがあったから、こんな展開が生まれてしまったのだ。

 そう考えるべきだろう。

 「ねぇ弘君」

 「なんだ?」

 渚は窓の方を向く。青い空の底に見えるのは、くすんだ緑色をした山々だ。蟻のような人間を見下ろすそれは、渚のことなど気にしていないようである。

 「あなたは、世界が美しいと思いますか?」

 「さあな」

 弘は答える。

 「おまえが言うなら綺麗なんだろう? 俺はそれで良いぜ」

 「そ。まあ、そんなもんか」

 渚はくすくすと笑って

 「ずっとそこにいてよね」

 「ああ」

 弘は答える。

 「おまえが言うなら、俺はそうするよ」

 渚を見ていると、弘の心の中で、とても美しいものが沸いて来る。

 彼女にとっても、そうなのだろう。

 それが本当に大切なのであれば、確かにそれはずっと、心の中にあってくれる。

 例えば渚が、弘が消え去ってしまおうとも。そんなことは関係なく、形を変えて、或いはずっと同じように、同じままに。

 「ねぇ弘君」

 渚が口を開く。

 「なんだ?」

 「わたし。世界は綺麗だと思うよ。だって、わたしがこうして感じているもの」

 「そうか」

 弘は言った。

 「それは良かった」

 「ごめんね」

 渚は言った。

 「今更になって、ごめんね。本当に、ごめんね」

 「良いさ」

 弘は笑う。

 それはぞんがい、綺麗な顔をしていたかもしれない。

 世界で唯一、弘だけが、そう思った。

 読了本当にありがとうございます。

 川崎が人生の充実と言うものを自分自身に発見したのは、間違いなく皆さんのおかげです。生活の全てに張りが出て、希望のようなものも沸いて来ました。

 創作というのは最高に楽しいことです。自分の好きなように歪めてしまえる世界、しかしその中で、私は今一つ神になりかねていたような気がします。だからこそ、こんなぐっちゃぐちゃの見苦しい投稿ペースとクオリティになってしまったのでしょう。

 どうしようもならない現実への祈りと叫び、それが物語が存在する最も原始的で大きな理由なのかもしれない。しかし私は、私の現実の醜い人格がそのまま反映されたこの作品を、とても誇らしく感じています。それは今までお付き合いされた皆さんのお陰としか言いようがありません。

 本当にありがとうございます。

 

 最近の川崎は友人とのサークル活動、色々なサイトへの投稿などで、みなさんからいただいたエネルギーを発散させていただいています。それはもう楽しい毎日です。もちろん『なろう』の活動も可能な限りコンスタンスに(筆者が一番苦手とするところですが)続けて生きたいと思います。近作もここで完結といたしますが、補強編やら番外編やらを投稿すればまだ楽しめるんじゃないかとたくらんでいます。

 真に恐縮ながら、これからもお付き合いくださると幸いです。

 

 改めて。読了ありがとうございました。

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