愛 十
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今回もお付き合いください。
百目木の部屋に入って最初に未明が凝視したのは、大量のガラスがぶちまけられた床でも幾何学模様に傷の刻まれた壁でも七対に分解されたマネキンドールでもなく、ベッドの隣に無造作に寝かされた風間劾の姿だった。
「このでぶ、おまえんとこの部長だそうだな。動堂さんに頼んで借りて来たんだが、糞の役にも立ちやしない」
言いつつ、百目木は電話機をデジタルスピーカーフォンに設定する。
「おい。喋って良いぞ名探偵」
「……何でも良い。俺を解放してくれる人間はそこにはいるのか?」
何か硬質なものを破壊する音のような、酷く鈍痛な声調は確かに根本のものだった。
「ご心配なく」
百目木は榊原の方をちらと見る。
「先輩! 根本先輩」
この世でもっともいとおしいものに駆け寄るような、榊原はそんな仕草で受話器に突っ込んだ。散らばったガラスを薄い靴で踏みつけることも辞さないその行動は、未明にも演技臭くは感じられなかった。
「どうしてこんなところに?」
「さあな。そしてその質問は、俺がおまえにしたいくらいなもんさ」
「百目木さんに呼ばれて来たんです」
榊原は言い訳するようにそう口にする。それすらも計算なのだろう、未明はそのように感じた。この男の行動は可能な限り疑うべきである。
「……先輩。今はホテルにいるんですよね」
「そうだな。……なあ。とにかくそんなことより、まずは渚の声を聞かせてくれないか?」
「まだそんなことを言っているのかい?」
未明は嘲るように肩を竦める。
「おまえが何をどう思っていようと、勘違いしていようと、死人は死人。現実は何も変わりやしないんだ。少しは冷静になって、論理的に考えると良い。おまえにはそれが欠けている」
けらけら、文字を吐き出すように笑って
「嘘を付くのは良い。自分を騙すのも時には必要だろうね。けど、偽っている自分を認識できなくちゃ、根本。おまえはただ堕ちるだけだ」
「ありがとう」
根本は頷くようにそう言った。未明は面食らう。
「おまえも少しはマシになったらしい。今の台詞、どこかのバカが友達のことを思いやっているような具合だったぜ」
「気でも狂ったか」
未明は本気でそう言った。佐藤一郎と百目木が顔をあわせて笑う。
「なあ根本。おまえのいる十三階で起こっていることは聞かせてもらった。……大宮さんのことは、気の毒としか言えない。それに、ぼくは更科さんのことも憎からず思っていたんだ。とても残念な事件だ、すぐに終わらせるべき事件だ。ぼくはそうなるように努力するし、それを自分自身よりも優先したいとさえ思う。……だが、神代さんは部屋に入れてやってくれ。あの人が人を殺すなんて、そんなことは有り得ない」
神代信一郎。未明にとっては年齢を超越した数少ない娑婆の友人だった。彼がいっそ歪なほどの優しさを持っていることを未明は知っているし、根本に彼を匿うだけの精神の大きさを持っていることも、理解している。
「ああ。それなら、とっくにやったさ」
根本はシニカルな風にそう言った。佐藤一郎が意外そうに笑う。
「なあ西条。論理ってなんだと思う?」
「人を納得させる呪文かい?」
いつだったか。霧崎次郎の奴とそんな会話をやったことがある。言葉をこね回すだけのその不毛なやりとりは、未明に良質な暇潰しを提供したはずだ。しかし、あの時は霧崎から受けた質問が、根本の方からやって来るとは思わなかった。
「違うな。論理なんて、1足す1が2っていう意味でしかない」
「……何かの本で読んだね。というか、ぼくがおまえに進めた小説の台詞じゃないか」
「まあな。……ところで、論理的に行動する、論理的にものを考えると言うと、それはどういうことを言うと思う?」
「機械の頭を思い浮かべろよ。決して間違いのしない、完璧な頭脳を想像しろよ」
「機械に間違いが無いだって? バカなことを言うな」
根本は吐き出すように笑って
「機械というものは、それぞれのプログラムに従って思考している。そのプログラムを作り上げるのは、所詮は人間だ。人の作った機械が完璧な訳が無い。人間が完璧な訳がないのだからな」
「……それは良い」
未明はため息をつく。
「今のは絶対におまえの台詞じゃないぞ。まさか本当に頭がおかしくなっているんじゃないだろうな?」
「そのとおりだ」
根本は自信げに断言した。
「俺はおかしい」
「電話を切って良いかい? 大丈夫、おまえは下の階で死にそうにしていたら、すぐに助けに行くから」
「まあ聞け」
そういう友人に、未明は小さく溜息をついて、それから背後を見やる。榊原は何やら考え込むように俯いているし、百目木と佐藤一郎は楽しそうに笑うばかりだ。
「俺がおかしくなったのは、渚と会ったその時だったんだろう」
「……何を言い出す?」
「恋の病とか言う言葉があるだろう? こんな見てくれの俺だって、一人前にそいつにかかっちまった。俺と言う人間のプログラムは渚のウイルスに犯されて、そして狂った」
自分の吐き出す一句毎がいとおしくて仕方がないとでも言うように、根本は坦々と言葉を紡いで行く。
「他のことはどうでも良い。ただひらすらに、あいつのことを愛し、信じて、尽くすことだけを考えるようになった。俺にとってはそれが、一番論理的なものの考え方なんだ」
「そうかい」
未明は納得したように
「つまりだ。やはりおまえは、恋人の死を受け入れられないと、受け入れないと、そういうことだ」
それも良いだろう。
などと、未明は珍しくあまり論理的でないものの考えをした。
「それは分かった。だがそれにしてもおまえは余裕が過ぎる。悟りを開いたとでも? そんな状況でも、恋人の死体を見付けようとも、それでもずっと大宮さんの生存を信じるのかい? それは確かに、おまえは頭がおかしくなったと、そういうことなんだろうね」
「この場合。正しいのは俺なんだ」
根本の言葉に、未明は思わず閉口する。ただの一言。だがそれには、この世界を根本から捻じ曲げてしまうような、そんな力強さが確かに宿っている。人間の感情と言うものにあまりに疎い未明でさえ、それは理解できた。
「いいか。暗闇の中、渚一人だけがいなくなり、代わりにどろどろの血溜まり、五十キロは在りそうな肉片と血液が散乱している」
その時、根本は愚か者に真実を伝える名探偵。歓喜に満ちた、人を愛する者であった。
「だからって、渚が殺されたとは限らない」
「腕があった」
佐藤一郎が不愉快そうに口を挟む。
「渚の腕が血溜まりに沈んでいた。これはどう考えても、おまえの恋人の死を表している」
「おまえだって」
根本はおかしさをこらえながら
「自分の足を切り落として、自分の母親の肉片の中に転がしたじゃないか。大宮港」
そう言った。
「声で分かるよ。分からない訳が無い」
「そりゃそうだ。確かに、俺は自分の母親の死体を使って、おまえらをさんざん騙した大宮港だよ」
くっくと、車椅子の少年は笑う。
「いつ気付いた?」
「最初からだ」
恥じるような、懐かしむような響き。
「おまえの母親の死体は、体重百二十キロはありそうな大女だったってな。それを解体すれば、おまえら兄妹の分のばらばら死体くらい、偽造できるって思ったんだ。あの時、部屋から聞こえて死体を解体するような音をどうやって作ったのかは知らん。どうでも良いことだ」
「そりゃあ流石だね」
大宮港はそう言って、どこか誇るような視線を榊原に向ける。
榊原はそこで、小さく肩を竦めた。
「先輩。すごく良い推理です」
珍しく陳腐な台詞を吐き出し
「ただ頭が良いだけではいけないでしょう。類まれな精神力、諦めない気持ち。そして、ひたすらに恋人の生存の確率を捨てない、いっそ倒錯したくらいに強い我意」
卑屈な調子で、床に視線を落とし
「先輩の愛です」
「先輩なんて、他人行儀に言ってくれるな」
根本は皮肉っぽく言った。
「なあ唯人。兄ちゃんとは仲良かったのか? ごめんな、ずっと心に引っ掛かっていたんだ。ずっと話そうと思って言えなかった。電話なんかですまん。零人を殺したのは俺だよ」
「分からない訳ないでしょう。ぼくが、あの糞兄貴の死に様を調べないとでも?」
榊原はうんざりしたように
「それより。ぼくは弘さんがどうしてぼくとあいつの血縁に気付いたのか、それが不思議でたまりませんね。あんな全部の感情曝け出したうすらバカと、ぼくがどう似ているって言うんです? 血の繋がりも半分だし、似ていない兄弟だと頻繁に言われたもんですよ」
「俺はな。おまえの書いた小説を一日に五回、読み返したことがある」
「はあ」
「そして、思った。こいつには、適わなくても良い。こいつには、適いっこないと」
「……へぇ。それがどうかしましたか?」
榊原は唇をつり上げる。不適で、悪役のようなその笑みは、今までの榊原では考えられないものだった。
「おまえの兄貴と最後に会った時と、同じ想いだったな」
くっくと、根本は笑った。
「おまえは自分の思ったことは全部やっちまう。そうだろう?」
「……我慢ができないのは、短所ですよ。兄貴はそこを勘違いして、挙句人殺しなんかやっちまって、最後はどこかの醜男に殺された。哀れな男です、ええ。本当に」
榊原は溜息をつく。
「しかし。確かに、ぼくも兄には適う気がしませんでしたね。何もかも、彼がやりました。ぼくがやろうとしたことは、全て兄がやっていました。そういう男でした。だから、その兄を殺した弘さんを、ぼくは試してやろうと。そう思ったんです。そして、もしあなたが兄を殺した男にふさわしくなければ」
榊原は、躊躇するそぶりもなく
「なかったことにしてしまおうと」
そう締めくくった。
「零人と、唯人ですか。まあ確かに、ぼくと兄貴の相違点に気付いてしまえば、一度疑い始めてしまえば、この名前がその疑問を促進する。そして何らかの手段で調べるはずだ。あなたにはその器量があった」
「そう言われると、照れるね」
「まさかですよ。得意の褒め殺しで、殺人鬼を捕まえることを約束させた。そしてその日の内にホッチキスに接触してしまっている。……浪野何模、凄腕の殺し屋なんですよ。愛に生きるロマンチスト、一度の仕事で偶数人数の死体しか出さない生粋の変態殺人狂に遭遇して、火傷で済んで帰って来るなんて。第二試験が必要だと、感じたんです」
「ふうん」
根本は人を計るように笑った。
「それで。こんなホテルを俺に宛がったって訳かい?」
「苦労しました。ええ、それはもう苦労しましたとも。くっだらないゲームを考案して、それをメインに普光院光姫に企画を捻じ込んで。適当に言い包めたらキャストの準備。……動堂私立中学、あそこは本当に良いところだ。あの空間に蠢く混沌の扱い方だけは、ぼくは兄貴よりも巧みだったはずですよ。兄は五賢帝のことさえ知らなかったのですからね。あえて知ろうとしなかったのかもしれませんが」
「根本に言っても分からんよ」
未明が口を挟む。
「大宮さんの死体はフェイク。その兄も然り、ここにおられる。最初の死体の見付かった部屋が閉鎖されたのは、死体の消失を見せない為。部屋から部屋に死体を移すのは、ビニール袋にでも詰め込んで暗闇で作業したんだろう。……流石根本だね」
ちらと、未明は劾の方を見る。
「俺が読んだ。根本とどっちが早く答えを出すか、興味があった」
百目木は悪魔的に笑んだ。
「全部知っていたからな。……全部知って、見ていたからな。傍観者としては、おもしろおかしいことはもっと面白おかしくなって欲しいものだ。しかし劾の野郎、港の死体が見付かったことを告げたら、すぐに気分を悪くして薬飲んで倒れやがった。まったくこいつは頭の良いバカだな。何でもかんでも頭の中に詰め込んで計算するだけで、あんまりでかすぎる式を頭の中にいれたらすぐにパンクしちまう。機械みたいに完璧な脳味噌の持ち主って言ったらこいつだね。機械のように頼りないものは他に無い。全部言いなりなんだからな」
「やっぱりおまえは最悪だよ」
港が言った。
何をいまさら。百目木はそう言いたげな顔をした。
「……それは良い。済んだことです。しかし唯人、いいや港さん。……あなたの妹は、本当に生きているのですか?」
友を憂えるような、未明はそんな口調で言った。
「ああ。生きてるよ」
港はうんざりと
「俺だって妹を殺したくは無い。一つ屋根の下で、あのばばあと暮らした仲だからな。……俺は、あのババアを殺してくれる奴がいるのなら、片足を支払うくらいで後悔はない。全ては闇から闇へ、だからな」
「そういうことらしいぜ。西条」
根本は自慢げにそう言った。
「まいったや。まったく」
未明は肩を竦め、小さく笑んだ。
「それじゃあ。これから渚さんと一緒にそちらへ。こんなつまらないゲーム、さっさと代役を用意するとしましょう」
最早、榊原の表情からは何も読み取ることができなくなっていた。誰かのように単純には変わらないのかもしれないし、時間によって単純に終わってしまうような気もする。
榊原唯人。
ただの、わがままな子供だったのだ。その単純なわがままを、一切我慢せず歪に暴れさせただけ。だがそれも仕方が無い。彼はまだ中学一年生の十二歳に過ぎないのだから。
「皆さん」
部屋を出る時、榊原は未明を振り向いて
「とても楽しかったです」
幼く弾んだ、何かの童話の登場人物のような声色で、そう言い残した。
港と百目木が、声を合わせて笑った。根本が受話器に唾を吐きかけ、通話を切った。
自分なんて関係ないと思っていた。
何を口にしても戯言になると思っていたし、何をやっても愚行になると思っていた。だから本当にやりたいことは何もできなかったし、そういう自分を間違っていないと、間違っているのは人間の方だと感じていた。
それでも、ある種のコンプレックスは常に未明を付きまとう。同類だと思っていた、如何に淀んだ思考をしても、如何に倒錯した行為に徹しても、対極的には何もできていなかった霧崎に裏切られてからは、その劣等感はより強く未明を苦しめた。
全ての事情が嘘だと思っていたし、そう思うのは自分が嘘付きだからとも理解していた。それはどちらも同じ意味でしかなかったが、未明が間違っていたのは、彼は自分で思っているよりもよっぽど正直な人格をしていたということである。
嘘を突き通すことを知らなかったから。
だから未明は、嘘の笑顔を浮かべたことも、嘘の涙を浮かべたことも無い。周りを警戒するように、薄い微笑を貼り付け続けて、ただ感情をミキサーにかけて言葉で薄めて、何も変わらぬように徹しながら人と接していた。
「ミメイ」
五十棲共がのろりと出現し、手招きする。
「お客さんだよ」
未明は黙ってそれに従った。連れて行かれたのは、このホテルにおける自分の部屋。冷蔵庫の中を漁ったことを除いて、最初の時と何ら変化の無いワンルーム。
だらだらと、溶けるようにして、八坂詩織がベッドに鎮座していた。
「西条。ひさしぶりね」
未明は閉口するしかなかった。
「やっと安心できたわ。……これからちょっとしたゲームに参加させられるらしいけれど」
「その右腕はどうしたのかい?」
垂れ下がってベッドに落ちた布きれを指差し、未明は呆然と訊いた。
「どうやって着ているんだよ? その服」
「……あなたは少なくとも、勘が鈍くはなかったはずだけれどね」
八坂はわずかに頬をつり上げる。
「切り落とされたのよ。……分かるでしょう?」
「君も、例の役者の一人だったのか」
「被害者Cの役割よ。……わたしの死体は、更科深冬のものを偽造したようね」
「……手の込んだことだ」
未明は眉間に皺をよせ、感情的に顔の筋肉を歪める。歪な笑いが仕上がった。
「『刑事』役の神代さんをごまかす為だけに、腕を切り落とさせた。八坂さんがそれを拒めないのを知って、血も涙も無い」
「まあ。迷惑ではあるけれど。でもわたしは満足よ」
八坂は未明をじっと見据え
「ひさしぶりに、あなたの顔が人間に見せたから」
「そりゃどうも」
未明は肩を竦める。
結局、自分はどこかでひねくれているのだと思う。今までがまっすぐ過ぎたのか。
「これからゲームかい? 榊原に代わって」
「そうね。そのとおり、まあせっかくなのだし勝ってやるわよ。わたしだって、本気で考えたら結構賢い方よ。西条、こうなったらあなたに負けてられないわね」
「やれやれ。前向きなことだ」
心底呆れる。腕を落とされておいて、憎しみにも悲しみにも惑わずに、現状を見据えて心を弾ませる。
八坂詩織とは、似たもの同士だったのだ。こじらせたのが自分で、上手く付き合ったのが彼女。
彼女が自分に感じたのが同属嫌悪で、自分はその逆だった。そう考えれば、合点が行く。
「けれどね。これは結局は騙しあいのゲーム。君に部がある訳がないんじゃないのかい? 君のアドバンテージはそのポーカーフェイスだけだ」
「そうね。確かにわたしは人を騙すのは苦手。でもね、あなたほどじゃあないわ」
「そうだね」
未明はそのように答えた。
「そうなのかもしれない」
「ねぇ。勝負しない?」
試すように、計るように、八坂はそう投げかける。
「ゲームが始まったらまっすぐに、二人でじゃんけんしましょう」
まるで論理的ではないその言い分に、未明はこれと言った考えも無く
「それも良いね」
そのように答えたのだった。
「結局。奴は何がしたかったんだ?」
呆然と、信じられないものを見るようなものを見る目で自らの一万点カードを見詰めつつ、光姫は未明に問うた。
「榊原のこと?」
「それ以外に何がある? とどのつまり、こんな誰も望まない酔狂染みたカードゲームを提案、企画したのは榊原は、それによって何を得したんだって。俺はそれが気になるんだ」
「さあね」
未明は肩を竦める。
「分からないよ。分かるはずが無いし、分かるようじゃ芸がないと思う。ただね、ぼくはこう考えている。ぼくは彼のことを心のどこかで憎からず思っている。認めなくないが、あんな人間の我意と倒錯というものを体現した男の存在を、無視できる訳が無いのだから。……だから、ぼくは彼の心の有様を想像する。この主体性しかない脳味噌でね」
「……はん。そりゃあご苦労なことで」
光姫は両手を開いた。
「奇特なもんだねぇ。年を食うとこれだからいけねぇ。気味の悪いものは気味が悪い、どうしてそう思わないのかね? 自分でも訳の分かってねぇところで、誰かの真似をして妙な理屈を捏ね回して、そして不毛な行いを繰り返す。まったく、俺はずっとおさなガキでいたいもんだ」
「君だって。小学生にしちゃ、ちょっと熟しすぎてるくらいなもんさ。……それにしてもだよ」
未明は光姫に微笑む。
「榊原のやったことは、すなわち君のそのおめでたい服装と同じようなものさ」
「はん? これは好きでやってんだよ。あいつは関係ねぇ」
「榊原も、好きでやったのさ。好きだから、好きなように、好きなだけやった。我慢せずに、遠慮せずに。ある意味では、とてつもなく整合性の取れているぜ? ……自分自身のとある思想に整合性を与える為に、整合性の取れた行為をしたんだ」
「……整合性。その単語、やたらめっさ良く聞かされている気がするよ」
「分かるようになる。君にだって、いつかは訪れるんだからね」
「なんのことだ?」
未明はたっぷりと溜めてから、手品師のような気分で言った。
「思春期さ」
「ねぇミメイ」
「なんだ、トモ」
「楽しそうだったね。あの子はミメイにとって、仇の一人かもしれないよ。何せ、ミメイが大事にしていた指輪を奪っていたのは、直接的にはあの子なんだし」
「運が悪かったのさ」
未明は諦観したように
「それか。意思が弱かった。何かの漫画で読んだことがあるよ。……じゃんけんっていうのは、ただの運の勝負じゃない。相手を打ち負かしてやるっていう、より強い意志の宿った方が勝つものだってね」
肩を竦める。
「ぼくはあまり、惰性に活き過ぎているからね。負けん気なんてどこか遠く、さ」
「へぇ」
共はいたずらっ子のような、早熟な表情を上向きに未明を見詰める。
「未明は負けず嫌いだと思っていたよ」
「そうかな?」
「最近は、そうだね。ミステリ研究会っていうところに入ってから、ミメイは何だか土以外の色を知ったみたいだよ。ずっと下を向いて過ごしていたのが、本を読むようになって、勉強するようになって、わたしと話すようになって」
そう言えば。
ぼくが饒舌に振舞うようになったのは、学校に上がってしばらくしてからだ。そう、風間先輩に出会って、向こうの言っていることを適当に聞き流して、挙句研究会を作ることになって。
『なあ西条君。君は人間は何の為に生きているんだと思う?』
そう。先輩の饒舌はここから始まったのだ。
『僕はね、西条君。良く友人とこのテーマについて話すんだが、僕の主張は一貫してこれ、「楽しむこと」さ。素晴らしいと思わないかい? 人間はただひたすら、自らの欲望を満たし、悦楽を味わう為に生きている。勿論、これは決して醜いことではない。無欲に徹することを美徳とするのは、どこか宗教家が勝手にすれば良いことだ。……これは少し差別的かな?』
『楽しむなんて。生きる為には、憂鬱が付きまとうでしょう? そんな余裕はありませんよ』
そう。僕は最初、こんな風に口を利いたのだ。
『そうだなぁ。でもだからこそ、人間は人生を最大限楽しむ為に努力するんだよ』
『努力?』
『ああ。友達を作ったり、お金を稼いだり、魅力的な異性を追い回したりね。その中で、エンターテイメントというのがもっとも手軽で便利で優秀だな。映画、音楽、小説。素晴らしいものはいくらでもある。君は何が好きかい?』
『推理小説なんかは、たまに読みますよ』
『それは良い。最高に悪趣味してる。ようし、それじゃあ僕と君で、推理小説を扱う部活を作ろうじゃないか。さし当たって、部長たる僕はなるべく名探偵として振舞わなくちゃいけないな』
『はあ……』
思い出すだけでも笑えてくる。確かあの出会いは、時計の針の音が気になる理科室に行きたくなくて、そこいらをぶらぶら歩いていた時。先輩が校庭で煙草なんかやっていた時だ。
『いいかい? 西条君。僕は自分では何も考えられないんだ。だから仲間を求めている。僕よりも地位が低く、しかし僕に命令し、上手く扱う能力を有しているような、そんな仲間をね。さし当たって、君は条件を満たしているのだよ』
『はあ……』
『これは勝手な都合だね。……もちろんお礼はするよ。何でも良い、願いを三つ叶えてやる、というのはどうだい? 言ってみな』
何と答えたんだっただろうか。
「なあトモ」
「何?」
「ぼくは昔、魔人に三つの願い事を問われて何か返答した覚えがある。……さあ、何と答えたんだったかな?」
「知らないよ」
共は憮然とした表情で
「わたしに訊けば何でも分かると思ってない? 情けないよ、小学生に頼りすぎだよ。それからわたしのことなんだと思ってんの? 相変わらずミメイは人を人とも思わないけれど、わたしに対しては特にそうなんじゃない?」
「そうかもね。……そうか。知らないか」
未明は質問に答え、逡巡するように
「じゃあ、ぼくは何と答えると思う?」
「……そこは自分で分かろうよ」
不機嫌そうに、共は口をペリカンのようにする。
「そうだね。ぼくなら、まずは過去のぼくが魔人に何を頼んだのか思い出させてもらうかな」
「……ミメイ頭悪い」
「君と比べたらみんなそうなるよ。……それで?」
「多分。これだけは言うだろうね。魔人に向かって気持ち良さそうに『おまえ死ね』」
「なるほど。そんな気がしてきた」
未明は肩を竦める。
「ところで。君なら何を願う?」
「そうだね。……魔人のことを含めて、わたしの記憶を全部消してもらうかな。もちろんこれは最後にするべきだろうけれど。それから世界平和。もう一つは、その時のわたしの気分によりそうだな」
「記憶を消すというのは、ぼくのことも含めてかい?」
「分かんない気分によると思う」
共は照れたように笑う。
「そりゃそうだ。愛情なんてのは、その時々のめぐり合わせによって違うからね。こうしている一瞬一瞬、世界中の愛は増えたり消えたり飛び交って。それで良い、それが良い。その時の気分を大事にしなくちゃ。……ある意味では、それこそが整合性の正体なのかもね。思うまま、感じるまま、自己暗示を絶対にしないこと」
榊原唯人。
あいつと関わるのはもう二度と絶対にごめんだが、頻繁に思い出すくらいのことはしてやろう。
「それじゃあ共。ちょっと行って来る」
「どこへ?」
「魔人のところへさ」
未明は肩を竦める。
「今の気分と、ぼくがかつて何を願ったのかを訊いて来る。ついでに……多分あの人ならすぐに分かるだろう……根本が言いそうな三つの願いを、推理してもらうことにするよ」
そして多分、整合性を失った風間は自分に人生相談を持ち掛けてくるだろう。異常に超然としたあの人物が、自らを縋って来る様を想像する。得意げに説教をしてやる自分の姿を想像する。
それは、ある意味で名探偵が助手に事件の解説をする図に似ていた。そんな気がした。
読了ありがとうございます。
次で完結させるつもりです。半年近く書き続けた小説への感慨を書き綴りたいところですが、それはまたいつかに回したいと思います。
完結までもう少し、私にお付き合いください。




