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醜い奴ら  作者: 川崎真人
28/35

愛 五

 アクセスありがとうございます。

 それではお付き合いください。

 「どういうことなんだろうなぁ。どうしてボクらは、そんなところに呼び出されなくちゃいけないのかなぁ」

 如月は間の抜けた声で言った。

 「そこってつい最近つぶれているでしょう? まだそんな寂れた感じにはなっていないはずだけれど。一体全体、こんなところで何をすれば良いんだか?」

 「知らねぇよ」

 弘は肩を竦めた。

 転送された地図に載っていたのはホテルの跡地。廃墟とまで言ってしまえば大げさだが、随分と寂しいところであることが予想される。端的に言って、すごぶる怪しいのだ。

 「どういうことかなぁ?」

 言いながら、如月は運転を続ける。助手席に座るのは弘だ。

 二人に送られたメールはまったく同一の内容であり、大宮港は如月の関係者でもあるらしかった。どういう関係であるのかと弘が聞けば、言いたくないと答える如月。

 「そういうおまえは、どうしてあいつを知っているんだよ?」

 ごまかす風でもなく、如月は憂通そうに言った。弘はそれとまったく同じ表情で

 「港って男のことは知らん。たが、大宮って姓に覚えがあってな」

 「渚ちゃんのことか?」

 如月は偉く真剣に

 「その子の為に、ボクに付いて来るほどなんだろう? 随分と仲が良いってことだが」

 「そうだ」

 「へぇ。じゃあクラスメイトなのかな。そうすっと、オウムガイの関係者?」

 ……良く知っているじゃねぇか。

 大宮が話したのだろうか。口止めしておいたはずなのだ。しかし、大宮でも兄には何でも話してしまうと言うことも考えられる。

 「……悪い。探りをかけるような形になってしまったね」

 如月は申し訳なさそうに笑った。

 「オウムガイというのはまぁ、ちょっと植物に詳しい家柄の人なんだけれど。どんな苗字だったかな、おまえと良く似ていたはずだけれど。おまえのクラスにいたはずだよ。……って、二人いるせがれの片方が別姓になったんだったな」

 ああ。いたさ。

 最強で最悪な男だった、俺にとって。

 「渚ちゃんは良い子だよね。芸術を理解している。……まぁ、ちょっと人間嫌いが行き過ぎているのが、癖と言えば癖か」

 如月は派手にハンドルを切る。

 「ボクはね、根本。人間にこそ至高の芸術を感じるんだよ、そいつの肉体も性質も経験も状態も哲学も含めて、全てに」

 「ふうん」

 「連れないなぁ」

 如月はけらけら笑った。

 「ねぇ根本。おまえはさ。興味が無いのかい?」

 「何にだ」

 「人間だよ」

 如月は言う。

 「ほら、あそこで信号待ちをしている小学生。それから前を行く茶髪の女性。この車を作った人でも、売った人でも、本来の所有者でも良い」

 「だから何にだ」

 「誰かの人生にだよ」

 如月は弘を向いて、自分の好みを自慢するように

 「ねぇ根本。君は興味が無いのか? こんなに素晴らしい芸術は無いと思うんだよ、芸術に対する感受性こそが、その感受性を作り出した経験こそが、その経験を生み出した性質こそがが、最高の芸術だと、ボクは思うんだ」

 うっとりするような声色だった。

 「小説はおもしろい。絵画に胸を打たれることもある。音楽を聴いている時間ほど愉快なことはなかなか見付からないね。けれど、それらの本質は、真髄は、それらを作り出した人間にこそある。人間の、仕草、行為、発言、思考。それをじっくり観察し、惚れ込みたいと、おまえは思わないのか?」

 「なんか、そんな風に言われると怪しい人みたいだがな」

 弘は少し笑って

 「まぁ確かに。誰かについて知るのは楽しいし、おもしろい。芸術というのは言いすぎだけれどな」

 「そうだねぇ」

 当たり前の返事を、当たり前に受け取ったように、如月は流暢に返事をして

 「それでさ。色々な人間を愛でていると、変わった人間に会いたくなる。……所有したくなる。そうだろう?」

 弘は答えるのに困った。そして

 「だから、芸能人とかは強烈なキャラの持ち主が良いんだろう?」

 と、月並みなことを言った。

 「だね。けれど、あれは偽物がほとんどだ。そうでなくたって、本当の異常者のほとんどはテレビになんて出られないだろうし、出たとしても視聴者がその全てを知れる訳じゃない」

 「それはそうだ」

 「そこのところ、ボクは物凄く恵まれているんだ」

 如月は自慢するように

 「ボクの妹は最高だよ」

 胸を張った。

 「おまえより酷い変人なのか?」

 「当たり前だろう、ボクはこれでも、なるべくふつうに振舞っているんだ」

 漫画喫茶の駐車場に停めてあった高級車をピッキングして、むちゃくちゃに乗り回す高校生の輩が何を言い出すのだろう。

 「大丈夫、こいつはちゃんと返すから」

 人の心を読んだらしい如月は、弁解するように言った。罪悪感はあるのだろう。

 「それで。この道で合っていると思うか?」

 「大丈夫だろう。ほら、見えて来た」

 弘は真っ白い建物を指差す。

 「あれだ」

 「ようし」

 

 二十階建てくらいだろうか。

 随分と立派なリゾートホテルである。さすが都会は違うなぁ、と運転初心者の如月と三時間過ごした車内の緊張を思い出しながら、弘は独白した。

 「さあ、中に入ろう」

 そういう如月に、弘は首を傾げる。

 「入れねぇだろう。この前で待っていろ、って意味じゃないか? いつまでかは知らんが」

 家族が心配するまでに用事は済ませてもらいたい弘である。一晩も帰らなければ、兄貴と妹が自分を探しにあちこち冒険してしまうのだ。

 「いいや、港はあれで紳士だからな。ちゃんと屋根のあるところに入れてくれるはずだ」

 「ふうん」

 こんなところに理由も言わずに呼び出しておいて、紳士と言うのは無理がある。

 「それで。じゃあどうやって入れってんだよ」

 「入り口があるだろう、そこ」

 丈夫そうなガラスの自動ドアの向こう、豪奢なソファの並ぶロビーが見える。明かりがなく、暗いが、不潔な印象はなかった。

 「開く訳ねぇだろ?」

 「開かない訳が無い、何をしても良いんだから」

 如月はそう言って、乗って来た車を一瞥する。そして首を振って

 「そぉりゃ!」

 自動ドアに思いきり突っ込んだ。体当たりをした如月は綺麗に弾かれて、痛かったのかその場にうずくまる。

 「……思ったより、丈夫だな」

 酷くなさけない声色。

 「……あれが盗難車じゃなけりゃあ。あれで突っ込むところなんだけれど」

 弘は苦笑した。

 「まあ任せろよ」

 自動ドアに手を当てる。そして、力尽くで思い切り引っ張った。腕の筋肉が軋みそうになったが、抉じ開けた。

 「たのもしいね」

 如月は笑う。根本は堂々と、正面からホテルへ侵入した。

 「それで。ここの十一階に行けば良い訳なんだよな」

 如月はまずはエレベーターに向かって行く。機能している訳が無いと弘は思う。そしてそれはそのとおり。

 「動きやがらない。うひー、面倒くさいなぁ」

 言いながら、階段を見やる。弘がそれに続く形となった。

 如月が渋い顔をしたのも分かる。こいつはあまり体力がある方ではないらしく、八階まで来たところで既に息をあげていた。

 「おいおい根本。階段を一段飛ばしで先々進むなんて、女の子に嫌われる癖だよ」

 「大宮の奴なら、俺のペースなんて意に返さず自分なりに歩くさ。……まあ。俺もあいつが隣にいたら、せいぜいゆっくり時間を使うがな」

 正直、この非常識な男と隣り合って階段を登る時間なんて進んで味わいたくない。

 「酷いなぁ。……まぁ、ボクも妹が隣にいたら、ちょっと意地悪して足早に進むかもしれないけれど」

 言いつつ、大きく息を吐いてから如月は距離を一気に詰めて来た。弘も歩みを再会する。

 どうやらこの建物は二十三階建てということらしい。途中、遊戯室や奇数階のレストランも覗いてみたが、流石に荘厳だった。

 「ところでその妹ってのは大丈夫なのかよ?」

 「どうして?」

 「おまえが待ってると思って、あの漫画喫茶に帰ってくるんだろう。おまえがいなくて心配しないか? 不安にならないか?」

 「利発な子だからね、自分でちゃんと判断できる」

 如月は自慢げにそう言って

 「それに。しょうがボクのことを心配するなんて、そんなことはあるはずないよ」

 寂しそうに続けた。

 「可愛がっているんだけれどなぁ。本気で嫌われているんだ、というより、どうでも良いと思われているんだ」

 「俺の妹だって、俺のことを好きとも嫌いとも言わないぞ」

 「あいつはボクのこと、好きだって言ってくれる。あいつも心ではそう思っているんだろう。けれど、あいつは本当に好きなもののことを、好きだなんて口にしないし思わない」

 喋るだけの余裕はあるらしい、と、ひいひい言っている如月に弘はそれだけを思った。

 十一階。如月は偉く長い廊下を見詰める。何故か証明は生きているらしく、廊下は暖かい光に包まれていた。そこで如月は何かに気付いたように「おや」

 「おうい港。まったく何の用だってんだ」

 楽しげに走り出す。先には男女の影が一つずつ。

 如月に続き、彼らのところまで辿り着く。少しずつ大きくなって行く影は、見間違える訳も無い。

 「渚!」

 「弘君、どうしたの?」

 どうしたの? とは何事だ。

 「どうしてこんなところで?」

 「そこの男……おまえの兄貴に呼び出された」

 おにいさん……大宮港は訝しげに

 「なんのことかな。俺はただ、そこの痩せたクラスメイトにメールでここに来いと言われただけだが。ここで起こっていることの意味なんて知らん」

 「はぁ?」

 如月は目を見開く。

 「君がボクを呼んだんじゃないか」

 「ふうん。そうね、なるほど」

 港は納得したように拍手を打って、妹を見やる。

 「おまえはここの醜男に誘われたんだよな」

 「そうね」

 渚は首を二回立てに振り

 「そして、弘君は兄貴に呼び出された」

 偉く理解の早い兄妹である。如月は小さく笑って「とどのつまり」やはりおかしそうに

 「おまえは、自分達がボクらを呼び出したのでないと主張する訳だ」

 「おまえもな」

 「そうさなぁ」

 弘は思考する。答えはすぐに出た。

 簡単なこと、自分たちは何者かに担がれている。

 「弘君と亮さんは兄さんに呼び出されて、あたしは弘君に呼び出された」

 「俺を忘れている。おまえはたまにそうだ」

 港は肩を竦めた。腕の長い男である。

 「俺はそこの痩せ男だ。たっく、俺はエログロナンセンスはいただけない人間だぜ」

 「どういうこと?」

 如月が首を傾げる。

 「ああ、いや。説明するのも面倒臭いな」

 港は俯きがちに

 「……どっちにしろ、目にすることにはなるんだろうし。おまえは大丈夫だと思うがな」

 肩を竦めて

 「そこの中学生。おまえ、自分を正気な人間だと思うんなら、付いてこない方が良い」

 港は如月に手招きした。弘は渚を一瞥する。再会を喜ぶような顔をするでもなく、僅かに緊張に入り混じった表情で

 「如月さんと一緒に見といた方が、弘君には良いと思うよ」

 「どういうこった?」

 「シタイ」

 それは、呪文か何かのように響いた。

 「あるから」

 ホテルの一番奥の部屋。多分1101号質だろう。扉を開けた如月は両手を思い切り後ろにやって、昔のコメディアンが言うように「ひゃあぁ」と白々しく驚いた声を出した。

 「密室殺人事件じゃないか!」

 「密室じゃない」

 港は冷静にそう評価する。

 「その部屋だけは、ずっと開いていた」

 「どれ」

 なんだ、死体か。弘はその程度の心境で、部屋に向かって行く。正直、それの何が恐ろしいのか良く分からない。さぞ酷い殺し方をされているのだろうが、おもしろくって良いじゃねぇか、くらいには強がってみる。

 それは強がりでしかなかったが、弘には十分である。

 1101号室の内部を覗き込む。

 真っ赤だった。

 なんでもない、ただのばらばら死体である。いくつかに切断した後で、上から叩きのめしたのだろう。おびただしい肉がちらかり、その中に、男とも女とも付かない頭が一つ、浮いていた。

 「俺らの母親だ」

 港は冷徹に言った。

 「まぁ。恨まれるクチには困らないさ」

 どうでも良い。

 だから助けてくれ。

 弘は心から、そう思った。

 死体の材料も、状態も、作成者も、この際ではどうでも良い。

 ただ、弘が驚いたのは、その1101号室の、血塗られたそのベッド。気の抜けた顔で座っているその少女。

 更科深冬。

 弘にとって、最大のトラウマである。


 「ああ。犯人は現場に帰って来るっていうだろう。だから、見張っててもらった」

 港が言う。渚と更科が、面倒臭そうに首を縦に振った。

 「こいつは本当、俺の妹に従順なんだ。便利っちゃあ便利だし、不気味っちゃあ不気味だわな」

 ……不気味。などと言われても更科は動じない。本当にこいつは訳が分からない。弘が知る中でも筋金入りの異常者なのだ。

 「死体に意思が無いのは、そりゃあ死んでるからだ」

 如月は、何か上質な芸術品を愛でるように

 「この子は本当に素晴らしい。利己を人に委ねた少女、渚ちゃんが入れ込むのも分かる」

 渚はこの世で一番つまらないものを見るように、兄貴とその友人を一瞥する。

 「イメージは植物かな、絶世の美少女。……ふふふ、まぁ流石に家の妹には適わない……適わない、が」

 如月は嘗め回すような目で更科を見る。更科は不愉快そうにするでもなく、ただ虚ろな瞳でじっくりと観察している。

 「こんなのばっかりだなぁ」

 如月は肩を竦めた。すると、更科はつまらなさそうに視線を弘の方にやる。

 「根本弘」

 依然とは少し、発音が違った。少し前まではまるで外来語でも口にするように人の名前を呼んでいたものだったが。

 「大宮さんを、お願いします」

 手を差し出した。

 「私には、できないこともありますから」

 「……お、おう」

 何がなんだか分からないが、大宮を頼むと言われて断れる弘ではない。その、骨を感じる小さな白い手を握り返す。自然、その力は強くなりすぎた。

 更科は全力で握り帰して来た。

 弘は困惑しつつも、それでも自分のするべきことは何と無く分かっていたので、更科に応じて全力を返す。

 握力勝負みたいな形になった。

 更科の顔にあからさまな苦悶が生じる。それを見せないように顔を顰めているのが余計にいじましい。随分と可愛らしい顔になっているその美少女に、しかし弘は手を抜く訳にはいかなかった。

 如月も、港も、渚も何も言わない。おもしろいものを見る、下品な大人の表情だ。

 更科は二分ぐらい耐えた。自慢だが弘の握力は九十近い。林檎をぐしゅりとできる力で、歯を食いしばる少女の手を握りつぶしているという状況に、弘も二分はかなり頑張った方であり、つまりなかなか良い試合だった。

 「限界です」

 右手を潰されるのは不都合だと考えたのだろう。更科は極めて悔しそうにそう言った。弘は満足気に手を離す。どうだ、大したもんだろ!

 更科は、口元の右端を少しだけ、目の方へ持ち上げた。

 それは、ちょっとしたニヒルな笑みだったのかも知れない。

 「お願いします」

 そして、改めて頭を下げる。

 ひょっとしたら、こいつとは似たもの同士なのかもしれないと、弘はそんなことを思った。


 「それで。俺らのするべきことは何だと思う?」

 と、バカみたいな質問を、随分と畏まった声で港は言った。

 「ここを出るべきだと思う」

 如月が今度はバカみたいな顔をして返答する。

 「妹以外全員のメールアドレスを知っている野郎なんだぜ、俺らを呼び出したのは。せめてそいつに会ってからじゃないと帰れねぇよ」

 「兄貴は随分とナンセンス。何にせよ抵抗だけは続けなくっちゃどうしようもないわ。死体と良い、ホテルの裏口が開いていたことと言い、アドレスのことと良い、確かに怪しい相手ではあるけれど。それにしたってここで待っていることは無い」

 兄の言葉に、渚がすぐに反論する。……どうも港は妹のことを妹としか呼ばないらしい。

 「私は。とりあえずホテルから出て、或いはどこかに身を隠し、それからさっきのメールを大宮さん達の関係者全員に発信するのが良いと思います」

 更科が妙な意見を出す。大宮が冷静に

 「どういうこと?」

 と訊いた。

 「呼び出された人間があまりにあまりです。大宮港ときさらぎりょうが繋がっているのを知っている人なんて、それこそ二人のクラスメイトくらいしかいないでしょう?」

 「ボクらは共通の事件に巻き込まれたことはないしなぁ」

 如月が笑いながら港に言った。

 「おまえはすぐにボクに責任を押し付けるから」

 「へん。俺がどうしておまえと仲良くしているか知ってるか? 何もかもおまえの所為ってことにすりゃ、みんな信じるからさ。その苗字は派手すぎる」

 「あはは。そりゃぁ素晴らしい友情だね。でもそこの根本なんかは、ボクの親父のことも何も知らないみたいだよ」

 「社会の教科書に乗っていたはずだぜ? そりゃぁ勉強に不熱心な野郎だ。……しかしお嬢ちゃん、この痩せ男の子とは、少しは調べてる奴もいるんじゃないのか? 人間関係も含めて」

 「それにしても大宮港の付属物としても、きさらぎりょうの付属物としても、お互いは不適すぎると思います」

 更科は坦々と

 「ただの友人です。お互いにもっとふさわしいのがいると思いませんか?」

 「一番呼ばれたのが痩せ男、その付属物が醜男、その付属物に妹、その付属物で痩せ男と話が通じないではない俺、てのは?」

 「それだと大宮さんを呼び出した理由が分からない。どう考えても、中心となっているのは大宮港ですよぅ。きさらぎりょうをこんなところに呼び出す意味なんて、そんなの恨み晴らすくらいしかありません」

 「そこの醜男が中心って説は?」

 港はおもしろがるように言った。

 「それか。妹を呼んでおけば、更科が来ると踏んだ奴がいるとかさ」

 「どちらも考えにくいです」

 「じゃあ誰か一人を除いてみんな死体ってのは?」

 クローズト・サークル。連続殺人。そして誰もいなくなった。

 そんな単語を思い浮かべた弘は、もう随分研究会の連中に毒されているようだ。

 望んだこととは言え、人死に対する考え方が、こうも歪んでしまうものだとは。

 「……なあ。バカなことを言うが。このホテル、もうそろそろ出入り不能になっているんじゃあないのか?」

 港と如月と更科の三人が顔を見合わせた。

 「そうだと思うよ。普通に考えて」

 脱出を主張し手いた渚が、当たり前のことのようにそう言った。

 「でも。一応出られるかどうか試さなきゃ」


 渚と弘、如月と港と言う二班に別れて行動することになった。腕力を均等にした組み合わせで、更科が考案したものである。

 弘の班はホテル内部の探索、更級の班は出入り口の確認だ。そもそも二手に分かれて行動することはないように弘には思えるのだが、更科は譲らなかった。罠があるなら入り口付近だと考え、バカ二人をそこに向かわせ、大宮の安全は弘に任せたのかも知れない。

 弘達が最初に気付いたのは、1101を除いた全ての部屋がオートロックで管理されているということだ。

 1101には更科が居座り、殺し屋がそこにやって来るのを待っている。なんやかし一番危険な役目を負っているのが彼女だ。

 だいたい、あの血みどろ臭い部屋に長時間いられるのは、このメンバーの中でも更科か如月くらいなものだろう。更科は使命感と精神力で死体への恐怖など克服できるようだし、如月は人間の死体をなんとも思っていない。

 上下の階を調べる為に階段を進んだ。ゆっくりと、警戒を解かず。渚より常に一歩前を行った。後ろから見守る人間がいて欲しいところだったが、仕方がない、どうにか背後の気配を読み取りながら行動するしかないだろう。

 「閉鎖されてる」

 渚がぽつりと言った。

 「下からの空気の流れが無い。すぐ下あたりの階、防犯シャッターが下りてるわね。階段と遮断されているわ」

 「なんてこったい」

 弘は呆けたように言った。渚が語った事実にも、それを感じ取ったという渚の皮膚感覚にも、そんな感想を持たずにはいられない。

 「視覚なんて誰でも警戒するからね、物理的な裏のかきあいはそれ以外の感覚で決まるもの。兄貴や島村さんと良くそんな遊びをしたものだからね」

 随分とたくましい恋人は、十階の様子を確かめる為だろう。階段を一人で降って行く。弘はそれを追いかけた。まるきり道化の役割、更科にはなさけない限りである。

 「やっぱり。……誰がいつの間に」

 「これより下の階も、だよな」

 「そうなるね」

 渚は綺麗に笑った。

 「多分、上の階も。屋上から地上に助けを求めるとか、できないように」

 それは確かにその通りで、十六階より上の階層の廊下には、階段の踊り場から弘達を遮断するシャッターが下りていた。

 「閉じ込められた」

 恋人は偉く冷静だった。

 「いよいよ警察を呼ぼうかしら。日本の法律は知らないし知りたくも無いけれど、これくらいなら犯人は懲役刑くらいにはなるんじゃないかしら?」

 「まったくだ」

 弘は肩を竦める。

 「これは犯罪だぜ」

 「まぁ。メールアドレスを盗んだ時点で、それはそうなんだけれど。物理的かそうでないかで随分とイメージが違ってくるものね」

 それは渚ならではの発想だと思う。彼女は概念的なものにすごぶる弱い。

 「別の階段が使えるかもしれない」

 弘の台詞は、随分と非現実的に聞こえただろう。だが渚はそれをあざ笑うことも無く「そうね」と頷いて

 「試してみるしかないわ。それに。ひょっとしたら、これくらいのシャッターならどうにか破壊できるかもしれない」

 エレベーターの脇、および東側にある階段を使用しても、弘達が地上に帰ることはできそうにない。無機質な、真白いその壁が偉く冷徹な敵に感じられる。

 「見てよ」

 渚が興味深そうに

 「これって、弾痕?」

 細長い指先に見えるのは、何か小さなものが減り込んだような壁のへこみ。それが十ほど重なりあっている。この分厚い壁を銃器で破壊しようと試みた痕跡だと、すぐに分かる。

 弘は神妙に頷いた。

 今の自分がどんな状況にいるのか、弘は改めて思い知ることができた。

 「更科がいた部屋」

 弘は提案する。

 「あの窓から、助けを求めれば良い」

 「そうね。とりあえず、あそこに帰るのには賛成よ。兄貴も如月さんも、今頃深冬ちゃんで遊んでいるところでしょう」

 弘は考えた。どうして自分たちに許されているのが十一階から十五階だけなのだろう。そりゃあ、この状況を作り出した犯人が弘達に何か仕掛けてくるにしても、このホテル全体を舞台にしてしまうのはあまりに大きすぎる。

 それにしても。随分と腹の立つ話だ。

 自分は、恋人の生殺与奪を握られている状況にあるのだ。……人をホテルに呼びだして監禁するような奴なのだ。こんな潰れたホテル、爆破してしまうくらいのことはするかもしれない。或いは放って置かれて飢え死にというのもあるだろう。気持ち悪い。ぐわんぐわんとした不愉快な音波が弘の頭を支配する。

 十一階に帰り着く。死体以外に何もないこんなフロアでも、何故だか安心できる居場所のように思えてしまう弘である。

 「ロビーに出られない」

 1101号室の前にて。港は間抜けた声で言った。ことの深刻さを理解せず、ただおもしろがるように。

 「それは困りましたねぇ」

 更科が首を傾げた。憎悪を振りまくような意思が瞳に宿り、顎に引っ掛けられタ指先が落ち着かず揺れる。「うぅんん?」可愛らしい唸り声。こちらは普段のつかみ所の無さが消えている。

 「まぁまぁ。前向きに考えようじゃないか。ねぇ渚ちゃん、閉じ込められ、このままだと飢えて死ねるような状況にだって、良いところは少しくらいあるだろう?」

 「そうですね」

 渚は最高の笑みを最低の筋力で顔に浮かべる。西条の白々しい作り笑いなど、比べ物にならない恐怖と違和感が如月に向けられる。

 「飢えて死んだ如月さんを持ち帰れば、良い肥料になるでしょう。……或いはあなたの体に苔でも飼って見たいです」

 人間を淘汰し、力強く生える苔。

 人間嫌いが行き着いた渚にして見れば、それは最高に芸術的な光景だろう。

 「……悪いが。ボクには家で腹をすかせている可愛い妹がいるんでね。肥やしになる訳にはいかないなぁ」

 如月は、どうしてか嬉しそうな顔をした。

 「放っておけば何日でも食事をサボるからね、あの子は。面倒だと言ってさ」

 妹の話をすると、随分と感情豊かに振舞う男である。両手を振り回す彼に、弘は自分自身の兄貴を見出した。

 ……長男と言うのはだいたいこんな感じなのだろうか?

 何故だか、碇本の顔まで連想してしまう。と言うか、あらゆる苦手な人間を如月に当てはめたのだろう。と言って、如月には奴らに感じるような、胸に染み込んでくるような心地悪さはないのだが。

 「とにかくだ。それぞれ生活がある。一刻も早くここを出なければならない。その為に、まずは……」

 そう前振りして、弘は1101号室の窓からSOSを発することを提案しようとする。だがそこで

 「と言うか。携帯電話を使えば良い話なのよね」

 渚は今度こそおかしそうな笑いを浮かべた。

 「あなたの頭も、随分と研究会ってのに侵されているんじゃない? ミステリ小説の世界だったら、こういう場合で携帯電話は反則技だから」

 弘は肩を竦めた。西条の真似事である。

 四人に見据えられながら、弘は携帯電話に単純な操作を施す。三つのスイッチを押すだけだ、1、1、0。

 随分と長いコール音。速くしろ、緊急事態じゃないか! 消費税くらいは俺も払ってるんだぜ? 

 「もしもし」

 ようやく届いたその声は、人間が極限まで機械の声を真似たような、その逆のような、神か悪魔を連想させるような不思議な声色だった

「根本弘様ですよね」

 「……警察のはずだろ? おまえは」

 「あなたからかけていただけると、信じておりました」

 声の主は満足そうにそれだけ言った。弘は眉を顰め、怒鳴る。

 「誰だおまえは! この状況を説明できる輩か?」

 「最後の一人になってください。それができるなら、あなたはこれから、何にも支配されずに生きていくことができるでしょう」

 声の主はそう言った。弘のことなど、まるで意識せず。

 はたしてそれはただの戯言だったのかもしれないし、人間の言葉であったのかどうかも弘には分からない。

 電話が一方的に切られると同時に、弘の視界が暗黒に閉じた。

 鈍い音。

 「いいっ?」

 間抜けた悲鳴が弘の耳に届く。如月の声だ。

 「港! ボクを後ろから抱け! 暗いのは駄目なんだ!」

 そこで港が抗議の声をあげる。更科はゆらゆらと弘にぶつかって、それから大宮さんを連呼しつつ両手を振った。

 ガツン。ガツン。

 キリキリキリキリ。

 くぐもった、歪な音が暗闇に響く。

 続いて行く轟音。ごりごりと虐げる音が重なった。

 「なんてこった!」

 如月が叫んだ。

 「これじゃあまるであの時と同じだ! ボクはまた妙な事件に巻き込まれなくちゃいけないのか?」

 叩き潰す音。練り潰す音。磨り潰す音。そして

 「……! ! かかかかかかっ!」

 最後の最後、金属の爆ぜるような哄笑が、嫌にはっきりと聞き取れた。

 「そこの者!」

 更科が吼える!

 「私の大事なものに何かしたか? だとしたら、私はおまえをずっと覚えている! 首だけになってもかみ殺してやる、肉片の一欠けらになっても、その喉に飛び込んでおまえを殺してやる!」

恫喝する声色。

 「絶対に許さない」

 「バーカ」

 最後にそれが聞こえて。

 そして明かりが灯った。

 「……た、助かった」

 まぶしく飛び込んでくるホテルの風景。泣きそうに、如月は言う。見れば、弘達の地点より十数メートルほど離れたところで蹲っていた。

 「何やってんだ」

 おかしそうに港がいう。

 その隣。更科が頭を抱え、沈痛な面持ちで奥歯を噛み締めていた。

 「更科?」

 弘は更科に駆け寄った。頭が裂けて、どろどろと赤い血が髪の毛にまとわりついていた。

 「何があった! 大丈夫なのか?」

 「どうでも良いです」

 鬱陶しそうな声色。

 「大宮さんがいません」

 何もかもを憎悪に染めるように、そう呟いた。

 「本当だね。妹が消えてる。そこの痩せ男みたく、混乱してそこいらを走り回ったのか?」

 大宮に限ってそんなことはない。こういう時、彼女ならなるべく体を小さくしてやり過ごすことを選ぶだろう。それが無駄なら、多分誰か近くの人間にしがみ付いて時間を稼ぐだろうか。

ひょっとしたら、大宮はそれをしたのかもしれない。

 そして、大宮を守ろうとした更科が襲撃者に殴られ、頭から出血した。

 「さっきのは、多分暴力の音だよねぇ」

 如月が白々しく言った。

 「怖いなぁ、渚ちゃんが心配だなぁ」

 バカにしたような声色。更科はそれを意に介した様子も無く。

 「根本弘」

 「……なんだ」

 「あなたに責任はないことを、今のうちに。……そして覚悟してください」

 1101室のドアノブを握る。更科は、その美しい目で弘をじっと見詰めていた。

 弘は頷かない。

 ただ、そのこと如くの負の感情を煮詰めたような、世界で一番醜い顔で、凛と構えているだけだった。

 「それも良いでしょう」

 更科は言って。

 今度は1102号室の扉を開く。

 香ばしく、塩辛く、鉄臭くかぐわしい香りが弘の鼻腔を擽った。

 赤と茶色。

 それは、人間の一番醜い姿だった。壊され、混ぜられ、晒された死体。赤く黒くぐちゃぐちゃのごちゃごちゃの、ミキサーにかけられたような凄まじい血肉。

 その中に、一つ。美しい白さが浮かんでいた。

 「大宮さん、ああ大宮さん」

 陶酔するように、更科は言って

 「これも愛ですよね。……これが一番良かったんです」

 最高の幸せを噛み締めるように、最高の微笑みを浮かべて

 「私のすることは、もちろん分かっていましたよね」

 迷わずに、その切断された真白い手をそっと持ち上げ、口の中に入れた。

 表情が痙攣し、喉がうめき、その両手は首にかかる。

 咳くような声。それを押し込めるように全身にくわえられる力。

 「素晴らしい」

 如月は言った。

 「そんな大きなもの、飲み込んだら死んでしまうじゃないか」

 賞賛するように手を叩く。

 全身がびくびくと振るえ、脊椎反射に抗い、更科がその手を喉に押し込んで窒息し、果てるまで。

 弘は何もせず、ただじっとそれを見据えていた。

 読了ありがとうございます。

 これからもお付き合いください。


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