愛 四
アクセスありがとうごさいまず。川崎です。
投稿ペースが安定しません。三日に一回は投稿したいと思いつつ、文章を書いている途中で突然創作ダンスを始めたり壁を相手にレスリングを始めたりホームセンターに行って工具のコーナーを歩き回って木の杭を九十円で購入したり、変なことをして時間を無駄に使っているのがいけないと分かっているのですが。申し訳割りません。
このシリーズはもう完結が見えてきていますし、そこまでは休まずに駆け抜けて行けたらなと考えています。
この前書き、ひょっとしたら邪魔なんだと思わないでもありません。どうしても書きたい時以外は自重します。
それでは、本編お付き合いください。
携帯電話をじっと眺める。この道具はまるで魔法の小箱だ。例えどのような状況であろうとも、これを操作してさえいれば良い解決方法が見付かるような気がしてならない。
だいたいどうして自分はこんなものを持ち歩いているのだろう。いつ鳴り出すか分からず、一度鳴り始めれば多大な労力を自らに振りまくこの機械。万が一、通話の相手が殺人鬼や詐欺師や悪魔である可能性を考慮すれば、時限爆弾をポケットに入れているのと大差がないような気がしてしまう。はたして自分は自殺志願だったかな、そんなことは確か無かったと思うが、いいやどうだろう分からない。
西条未明はそんなことを考えながら、一年一組の教室の前で時間を潰していた。
研究会から本を持ってくるのを忘れてしまった。未明はそのことを後悔している。無数の文字が形成する情報の海、それが規則正しく並ぶことで紡がれる虚構の世界。ありとあらゆることを忘却してその中にダイブする快感は、何事にも代えがたいものがある。殊にミステリは素晴らしい、あんな現実離れした小説は他に無いだろう。
「暇ね」
高山が呟くようにそう口にした。未明は深く同意する。まったくだ。
「どうしてこうも人が多いのかしら。あんな良く分からないゲームなのに」
柏が嘆くように言う。良く分からないゲーム、と言えばそうなのだろう。だが完全に理解してしまったゲームはふつうはおもしろくないものであり、おもしろいゲームとは可能性の残されたゲームのことだ。
「体育館で実演したのが良かったんだろうね」
肩を竦め、両手を晒し、未明は思ったままを口にした。自分の表情が胡散臭いものになっているのを、未明は感じる。
「何と無く高度なゲームのように思えてしまう。そして一見様に限り無料と言うのがニクいところだ。まったく榊原は心得ている。こんな良く分からないゲームを金払ってまで試すのは、それこそ腐れ名探偵くらいなもんさ」
高山が笑い、柏は嫌悪感を顕にした。眠っていた根本から無料券をちょろまかしたのは未明である。どうしてわざわざそんなことをしたのかと言えば、それは友情ゆえの悪戯というのが正しい。男の友情とはお互いに貶め合い、あげつらい合い、結果として、精神的に切磋琢磨することを言う。少なくとも未明はそう思っていた。
……この考え方は、確か本田学のものだったかな?
……あの野郎、ぼくに一方的なライバル意識を持っていたんだよ。それでしょっちゅう突っかかって来た。まあおもしろかったかな。
電話でもかけてみるか、と未明は考え、そして思い出す。そうかあいつ死んだんだっけ。すっかり忘れていた。
忘れてしまうのが、西条未明という男である。
彼がさんざんバカにしながら携帯電話を所有しているのは、なんだかんだ人恋しがりであるからだ。でもなければ、誰が進んでミステリ研究会などというふざけた部活動に参加するだろう。番号やアドレスを入力するたびに、未明はその相手を自分の所有物にしたかのような快感を味わうことができた。好きに電話をかけられることは嬉しいが、いつ電話がかかって来るかもしれないと思うとわずらわしい。未明は根本的に自己中心的だった。
その割には、他人に影響されやすいところもある。もっとも、すぐに忘れて元の軽薄極まる人格が支配的になるのだけれど。
面倒見が良いのもその為だ。他人を理解するのが上手く、しかし他人に飲まれてしまうことが少ない。そして、屈折した支配欲が、人の世話をしたいという思いに変わる。
「どうぞ、入ってください」
榊原が未明達ミステリ研究会の三人を教室に招待した。三人は三人とも、なんだかんだこの『じゃんけんゲーム』を気に入っている。未明は怠惰から、高山は諦観から、柏は臆病から現実が嫌いであり、くだらないゲームに頭を使っているような時間を好んでいた。
未明はスタッフからカードを受け取る。チョキだった。じゃんけんの三種の中では未明が一番好きな手である。じゃんけんの時以外にまともな使い道がないところが良い。
そこで、未明はふと思いついて、携帯電話の電話帳機能からある番号を呼び出した。迷惑だろうか、とはもちろん考えたし、くだらない思い付きであると知っている。だがしかし未明はくだらないことが嫌いでなく、番号の持ち主は自分に都合の悪い着信には出ない。
「もしもし。こちらは風間劾。そちらの詳細と用件を教えてください」
いつもの文句。未明は頬をゆがめようとして、既に歪んでいることに気付いた。なんでだろう、ぼくの顔はいつもこんな風だ。
「ぼくです、西条ですよ、部長」
未明は嬉しげな発声をする。端から見れば、その声は嬉しげであるだけで、嬉しさを感じている人間のものではないような声だった。しかし未明は実際とても嬉しい、敬愛する先輩が電話に出てくれて。
「君か。研究会について話すことはないはずだから、何かおもしろいゲームでも見つけて、それで僕にかけてきたというところだろうかな?」
「そうです。おもしろいんです」
未明はじゃんけんゲームのルールを十秒少しで説明した。
「なるほどね」
風間は一度も質問することなく内容を理解して、興味深そうな声を出す。
「ならば僕は、君の目や耳を借りて電話越しにそのゲームに参加すれば良い訳だ」
「楽しそうでしょう?」
「そうだね。今さっき友人を帰したところだから、ちょうど退屈していたんだよ。テレビゲームなんて、正直あまりおもしろくない。快感ではあるのだけれどね」
未明は教室中を見回した。高山は早くも一年生の男子を相手に交渉を始めていたし、柏は気付かれぬように一人の三年生の女を付けて、その行動からカードを推理しようとしている。スタッフの声にどう反応するかを見るのだろう。そのやり方では、いささか非効率な気がしてならない。
「このゲームのもっとも無難な戦い方は、可能な限り多くのカードを把握しつつ、自分から勝負には出ないことだろうね」
風間は言った。
「目立ちやすい戦術は、一気に勝負を付ける自信がなければできるまい」
「何か思いつきました?」
「発想力が貧困なものでね。林檎の絵も上手く描けないし、原稿用紙一枚分の文章さえ埋まらない。僕にできるのは、情報を整理することだけだ」
「また謙遜して」
「君は行動したまえ。そうしたら、誰がどのカードを持っているか当ててやるから。……もっとも、君は他人の表情やらを観察するのは不向きだろうが」
まったくそのとおりだった。今までのゲームでは、未明は全て奇策を弄して戦っている。いい加減なことを喋くって、それにどう応じるかで他人のカードを判断していたのだ。目立たぬようにカードを探るなんて、自分にはできそうもない。
「しょうがないな。まぁ、それなりに良い方法があるよ」
心なしか、胸を張るような声だった。自分には発想力が無いと言っていたが、それを自ら覆してみせる意気込みだろう。
「君はチョキだろ、だったら、グーが勝負できない時に戦えば良い」
「グーが最初にいなくなるのを祈ることしかできないなんて、それじゃあ運任せも良いところでしょう」
未明は首を捻った。すると風間は人をバカにした声で
「いいかい。君は今から、チョキ同士があいこで消えたとそこで絶叫するんだ」
「へ?」
「無論二回連続でね。そしたら君は、人数が減っていないことに気付かず勝負に出たパーを捕まえれば良い。チョキの奴が騒ぎ出す前に、迅速にな」
「……それは違反でしょう、どう考えても」
風間は鼻を鳴らして
「君はバカかい?」
とそう言った。
「君が教えてくれたルールの中に、そんなルールはあったかな? カードを公開することと、スタッフと協力すること以外に問題は何もなかったはずだよ」
未明は苦笑する。確かに、自分はそう言った。
「スタッフに直接聞けば、カードの残数が正確に分かるようになっている。どうして、勝負のたびに黒板へ新たな情報を書き込むようにしなかったのか? それは、今僕が言ったような戦法を成立させるためさ。これは立派なデザイナーズ・タクティスなんだと、僕は思うね」
未明はゲームのルールを説明したつもりになる為に風間に説明したのであって、それを受けた風間がどんな風に考えるのかに無頓着だった。すぐにルールの穴について思考する風間に、未明は素直な感服を覚える。同じ捻くれ者として、これくらいの屁理屈は口にできるようになりたいものだ。
「チョキ二人、退席です」
スタッフの一人がそう大声で言った。生徒二人が教室から離れ、廊下を歩くのが見える。良く見ればそれは、柏と高山だった。
「これは都合が良いね」
風間が冷静に言う。未明は頷いて、それからなるべく声色を変えて、姿を隠しながら
「チョキ二人、退席です」
そう叫んだ。
対戦相手の八坂詩織にグーを出された。
「じゃんけんなんてただの運でしょ? 偉く間抜けな面で気持ち悪いくらい嬉しそうに勝負を受けたと思ったら、そんな納得いかないみたいな顔をして。まるで頭がおかしいみたいね」
この遠慮なくものを言う背の高い女がもしパーならば、場からチョキがなくなれば嬉々と勝負に出るだろうと未明は思っていた。ところが八坂のカードはグーであり、彼女はただ『運』だけを胸に、場の残りのカードも知らないまま未明に勝負を仕掛けて来やがったのだ。
「まったく。スタッフにカードを渡す時、八坂君はカードを見ていたかい? それともスタッフを見ていたかい? もしくは何も見ていなかった?」
「……スタッフを見ていました。無表情な目で、ぼうっと」
「だったら少しは警戒しろ。勝負の前にカードをちらりとも意識しない人間なんて一番厄介な種類だろう。相手は後輩だ、強く言えば勝負なんて反故にできる」
「……先に指示してくださいよ」
未明は酷くなさけないことを言った。そりゃあ、最も強く意識する異性に負かされて、最も敬愛する先輩の期待に応えられなかったのだから当たり前だ。八坂詩織が関わっている状況では、未明はいつものように飄々としていられなくなる。
「君なら、それくらい気が付くと思ったまでだ。……どうも君は、八坂君が相手だと間が抜けているよね」
苦虫を噛み締めるように風間が言う。未明は溜息をついて
「そりゃあね。ぼくは人間らしからぬ人間が苦手なんです」
「君が言うかね? 八坂君ほどの人間の鏡は、ぼくは如月くらいしか知らないよ」
風間は呆れたように口にする。
「まぁ。八坂詩織みたいな人物を気持ち悪く思うのは、至極まっとうな感覚だろうね。君は彼女を憎からず思っているみたいだが、それでもたまに妙な違和感を覚えることがあるんじゃないかな」
「……」
未明は黙り込む。腐れかかった縁で結ばれた思い人の記憶を掘り起こし、そしてまた溜息をつく。
「さっきから。こっちを見ては溜息をついているけれど」
八坂がその切れ長の目を未明に向けて
「もしかして、何か勝算があった?」
「そうだよ。ゴールド折り紙付、史上最強の助っ人さ」
「あらそう。もう少し言葉の勉強をした方が良いわね」
八坂は無表情のまま
「どんな助っ人か知らないけれど。肝心な勝負で、あなたが人の助けをきちんと享受できる訳がないじゃない」
「別に、肝心な勝負って訳じゃないだろう」
「じゃあどうしてそんなげんなりしてるの?」
未明はにひひ、とした笑いをどうにか取り繕い
「悔しそうにしてみせるのは敗者の義務さ、例えそれがなんでもない勝負でもね」
心にもないことを言って取り繕い、それにとって付けたような負け惜しみを口にする。八坂はいつもの、無垢にも見える無表情のまま
「気持ち悪いからその笑いはやめてちょうだい」
八坂は端的にそう言って
「わたしはいつも全力で勝負しているわ。なのに、なんでもない勝負なんてことを言い切ってしまう人に、負ける訳が無いじゃない」
「じゃんけんは運って言ったじゃないか」
「運は成り行きでしょう? 然るべきものを、然るべきところへ」
微かに、口元に微笑を浮かべた。
憂いと、嘲りと、誇りと。すずめの涙ほどに、自分への愛情が含まれているのを感じて、未明は随分と感傷的になる。
「あなたは負けてよかったのよ。その助っ人と言う人も。終わってしまえばみんな同じ」
「不愉快だ」
風間は電話越しにそう言った。
「おい、西条君。その女を黙らせろ。殺してしまっても良い。いや駄目だ、それは非合理的だ。僕がするべきことは、君にさせるべきことは、可能な限り早くその女から離れることだ」
虫の腹を裂いて引っ張り出した臓物のように、どろどろとした文句を風間は口にする。
「確かに、僕達はその女に負けた。それは確かだ。その女の言っていることも、おおむね正しいと認めざるを得ないかもしれない。なぜなら、結果として僕は不愉快な気分になってしまっているし、君はすっかり骨を抜かれてしまっている。その女は不愉快だ、君に聞いていた数倍も」
「部長」
「なんだ」
「あなたらしくありません。せめて、八坂さんが不愉快である理由を論理的に説明してください」
「バカを言え」
風間は唾を吐くように
「論理なんて100割る2が50であるという意味でしかない。そこの女は差し詰め1だろう、説明したところで理解される訳がない。0なら一人知っているが、あれはただの人畜無害だ」
忌々しさを隠さずに、言い放つ。
「西条君。僕はその女に負けて、酷く悔しい。だが強者は相対的に強者なのだ、じっくり戦えば良かろう」
「そうですね」
未明は貼り付けた笑みを浮かべて、言った。
「八坂さんは、次はどうする?」
「あなたが参加するのなら、やめておくわ」
八坂は淡々と言った。
結果だけ言えば、八勝一敗一引き分けだった。
「さすがの部長ですね。もうそろそろ一通りの戦略は試したんじゃないですか?」
「だろうね。……しかし随分とみっともなく熱くなってしまった。すまないね、付き合わせてしまって。この埋め合わせはいつかしよう」
「いえいえいいですよ。部長だって、少しは負けて悔しがったり、それで意地になったりして、ちゃんと文化祭を楽しめなくっちゃいけません。ゲームばっかしてちゃ、心が貧しくなりますよ」
未明は随分と白々しいことを言ったが、しかし本心からの台詞であった。基本的に何かの本の引用でしか話さないような男である、心からの言葉ほどチープで使い古された文句になる。
「それは悪かったね。……確かに、僕はかれこれ、誰かに出し抜かれるという経験をしたことがなかったから。今日は随分とおもしろかったかも知れないな」
「これから研究会に来ますか? 新入部員も一緒にバカをやりましょうよ」
「さあ。どうだろう」
風間は溜息がちに
「知っているだろう? 僕は目標や意味が実感しにくい行動をするのが、とてつもなく苦手なんだ。今は良い、君達に会いたいと思っている。だが部屋を出て、靴を履いて、学校に向かっている途中に全てが嫌にならないとも限らない。僕は、自分自身が全てを否定し尽くしてしまうことが怖くてたまらない。否定したもの全てがこの手を滑り落ちていくことが、あまりにも恐ろしくてならないんだ」
未明は耳に当てた携帯電話を強く意識しながら、ひさしぶりに風間のことを思った。
「……八坂さんを連れて、そっちに行きましょうか? 何かで勝負をして、さっきの鬱憤を晴らせば良いんです」
「そんな程度の溜飲を下げたところで、何も意味は無いさ」
風間は憂鬱そうに
「そんな程度の感傷、上から注射針を重ねてしまえばすぐに消える。……快楽に勝るものは無い、僕はそれが気に食わない。だがしかし、気に食わないという理由は、それを求めることを否定できないのさ」
未明は右手に持った携帯電話が自分の手のひらを突き抜けて行くような妄想をした。
八坂詩織のことを一瞬だけ、思う。
そして、学校に来なかった腐れ名探偵のことを、頭に思い浮かべた。
「僕はどこにいるんだろう?」
風間は寂しそうに
「どんなことをしても、どんなに心を躍らせても、どんなに満たされた気分になっても、注射針を抜いたその瞬間には全てどうでも良くなってしまっている。気がついた頃には、まるでついさっき母の胎内から外に出てきたばかりのような、圧倒的な虚無感が支配するだけ」
どうしたというのだろう。
偉く弱気な部長である。
「僕はね。ずっと、人は幸せになる為に生まれて来るのだと思っていた」
風間は縋り付くように。傲慢な賢者の仮面を捨てて
「だからどんなことでもやった。そして今、僕は他の誰より、豊富な快楽の中で暮らしている。けれどね、僕に必要なのは僕の幸せだけであって、僕自身は不要なんじゃないかと、だから僕は知らず知らず、僕をどこかに捨ててしまっているのではないかと、そんな青臭い感傷を弄ぶことがあるんだよ」
酷くなさけない声で、言った。
「君にだから言うよ。……僕は死んでも良いんじゃないかな? 砂糖を舐り続けるだけの人生を続ける意味は、どこにもないんじゃないかな?」
「何を言っているんです」
未明は精一杯言葉を選んだ。そして、酷く白々しい声で
「部長がいないと、殺人事件が起こった時に頼れる人がいないじゃないですか」
「そうか」
風間は嬉しそうに
「それなら。僕が死ぬ時は、誰かの為に尽くすことにしよう」
未明は理解した。
八坂詩織の言葉の意味を。
「それじゃ本末転倒ですよ」
自分の結論を手に入れる前に、未明は
「とりあえず部長のすることは、無償で人を救うことです」
そうしていれば多分、本田学も遠藤宵子も、死なずに済んだ。
風間劾は賢すぎるあまり、機械のように生きることを望んだ。それは同時に、豚のような生を肯定することでもある。
うまい餌さえ食らえれば、仲間が死のうがのうのうとしていられる。
風間はそんな人間だ。
それでこそ、整合性が取れると、正義なのだと、風間はそう思ったのだ。
人間の愚を情欲に見出した。
「それも、バカらしい、と言うんですか?」
未明は肩を竦めて言った。
「そうだね」
数秒の静寂の中で、風間はまた気紛れを起こしたらしい。ゲーム機の電源が入る音が、未明の耳に届けられる。
「良く良く考えれば、そうだね。どう考えても僕の言ったことはおかしい。非論理的だ。すまなかったね」
「いえいえ。またセンチメンタルになったら、ぼくに電話をかけてください」
「そうならないように気をつけるよ。……しかし八坂君と勝負をするというのはおもしろいかもしれないな。覚えていたらまた今度勧めてくれ、今から日本兵を千人殺さなければいけないんだ」
「分かりました」
電話が切られる。
「やれやれ」
未明は肩を竦めた。
諦観と、敬意と、驚愕と、これっぽっちの愛情と
たっぷりの嘲笑を込めて、肩を竦めた。
『ディテクティブズ・カタルシスというのも確かに魅力的だよ。あくまでも正義の立場で他者の事情を蹂躙し他者の立場を蹂躙し他者の人格を蹂躙する、そして周囲からは英雄のように崇め奉られる……本当に楽しそうではあるけれどね。世の中にはもっと心地の良いものが他にあるんじゃないかい? それと比べれば探偵ごっこなんて子供の遊びさ』
『人間が何の為に生きているのかと言えば、それは幸福になる為に決まっているだろう。食事も睡眠もセックスも恋愛も暴力も人に親切にすることも他者否定も自己肯定も全てその為にある。だけれど人が幸せになる為の、一番手っ取り早い方法はこれさ。クスリ』
『いらないよなにも。善悪も美醜も哲学も芸術も友情も愛情も欲情さえ。働かない幸せ者がいるなら自分がそうなりたいと思うのが道理じゃないか? 天国にいけるなら自殺するのが論理的だろう? 他人も自分も、邪魔なだけなんだ』
『わずらわしいんだよ。結局、君は僕が妬ましいだけじゃないのかい?』
……あなたの言っていることは、全て正しいのに
……あなたと言う人間は、本当に破綻しているんだ。
軋む、軋む。そしてもうすぐ決壊しようとしている。あなたは一つ忘れている。あなたはしょせんは、ただの一人の人間でしかないということだ。
「なぁ、霧崎」
家に帰り、布団に潜り込んだ未明は、頭をからっぽに呟いた。
「おまえはどうして、人を殺さなかったんだい?」
分からない。
「おまえはどうして、ぼくを殺さなかったんだい?」
どうしてあんな野郎が、あんなのうのうと
自分の幸せをまるで疑っていないような、酷く充実した顔をしていられるのだろう。
「それじゃあまりにも、部長が哀れだ」
根本が哀れだ。
あいつはいつまで、どうでも良いヒロイズムにしがみ付いていられるのだろう。
「ミメイ!」
部屋の扉をノックする音。
「なんだよ」
五十棲共だった。未明は煩わしく思いつつ、機知の中で三番目の天才を、淡々と部屋に招き入れる。
「こんにちは」
「お邪魔します、先輩」
浪野何模と、そしてその背後に榊原唯人が恐縮したように佇んでいた。未明は、五十棲共の方を向いて
「どういうことだ?」
苦虫を噛み潰したように、そう口にした。
「この人達が、ミメイを訪ねてきたんだよ」
「へぇ。じゃあさ。そこの殺人鬼はともかく、後ろの好少年に対して何も思わなかった訳だ」
「ふえ?」
十二歳の五十棲は、呆けたように
「この人は、ただの紳士だよ。すごく、良い人」
「……だろうね」
未明は榊原を睨みつける。榊原は不安で不可解そうな顔をしながら、少しも目を逸らそうとしない。
未明が怒りを表情に表すことなど、めったにない。
榊原は綺麗に笑って
「ぼくが考案して、先輩が気に入ってくれたじゃんけんゲーム。あれのもっとすごいのがあるんですよ」
懐いてくる子供のような、兄に対して自己主張する弟のように、榊原は主張する。
「普光院の所有物で、素晴らしい設備のホテルがあります。選りすぐりの十二人のプレイヤーがそこでぼくのゲームをプレイしてくれるって言う企画で、是非先輩に参加していただきたいのです」
この期に及んで、こんなところまでやって来ておいて。
どうしてそんな、柔らかい微笑を浮かべていられるのだろう。
貼り付けたような白々しい笑みでも。
見下すような、ぞくぞくと楽しそうな笑みでもない。
ただ、笑顔を浮かべることが愉快でたまらず、それが故に破顔するような、そんな最悪の類の表情。
「榊原」
「先輩とぼくの仲でしょう」
榊原は愉快そうに笑った。
「名前で呼んで下さい、未明さん」
「……なぁ唯人。ぼくが、そんなふざけたところに向かうと思っているのかい?」
「そんなこと言わないでくださいよ」
心から残念がるような声色。
「お願いします。来てください」
心から申し訳なさそうに、榊原は頭を下げる。そして最後に
「浪野さんが隣にいます」
そんなことを、搾り出すような声で言った。
未明は肩を竦める。
「では浪野さん。あなたはどうしてここにいるんです?」
「私の行動の全ては、ある目的にのみ捧げられます」
浪野はちらりと、榊原を一瞥し
「皆が手を繋いで歩き、転び、朽ち果てるようにしたいのです」
言って、ホッチキスの埋め込まれた唇を舐めた。
未明は唾を吐きそうに
「……どうしてあなたは、この間から人を殺し続けているんです?」
眉を顰め、心底不快そうに
「連続殺人犯、ホッチキスに訊きます」
「個人的にその名称はこの場にそぐわないと思いますが」
浪野は淡々と
「人が一人で死ぬのは寂しすぎる。そうは思いませんか?」
未明は思った。頼むから、おまえ達この部屋から出て行ってぼくを一人にしてくれ。
読了ありがとうございます。
やっと序章が終わりました。これから盛り上げていきますよ、がんばります。
これからもお付き合いください。




