第115話 航空機への想い
越川三平と羽根嘉三の両名だけでなく、日本人は太平洋(大東亜)戦争を期に、航空機への確かな想いと手応えを手にしていた。敗戦は本当にショッキングな出来事かもしれないが、まがりなりにも工業力においても、欧米と渡り合えたと言う事は日本人の自信にも繋がっていた。そして日本の工業力は、見事にその花を咲かせ世界第二位のいわゆる東洋の奇跡を実現させる原動力になるのである。戦後日本は米国にとって都合の良い国家に変えられてしまうが、決して日本と言う国家の土台が零になりリセットされた訳ではない。戦前・戦中に培われた技術やノウハウと言うものが、花開いたのは戦後の事であったし、結局日本人は自分の力と財産で立ち直るしか方法は無かったのである。航空機業界も国産初のジャンボジェット機YS-11や国産ジェット戦闘機F-86Fの生産に始まり、自前でそれなりのものを作れる技術力を維持していくのであった。1954年には防衛庁の本格運用に伴い陸海空各自衛隊も運用される事になった。敗戦から10年も経たない頃であった。




