第106話 4400名
4400余名。これは航空機等による特攻での死者の総数である。これに戦艦大和の海上特攻(約3000人)を加えると7400名にもなる。日本軍の総兵力から見れば、ほんの氷山の一角かも知れないが、この犠牲者の数は決して少ないものではない事は確かである。特攻は陸軍も行っていた為に犠牲者はもっと多くなるという見方もあった。単純計算で一人一機の特攻機が与えられたとする。(そんな事は無かったのだが)すると4400機もの航空機が特攻により散化した事になる。日本には旧式の物を含めても航空機生産、保有に余裕があった訳では決してない。にも関わらずこれだけ多くの機体で特攻を行っていたのは、特攻による戦果と言うよりも特攻をする事で戦う意思はまだあるぞと言う事を米軍に示すと共に、自分達のプライドの様なものがあった事は確かである。特攻の生みの親の大西瀧治朗海軍中将も特攻は結果ではなく、プロセスが大切で日本軍は負けを認めるその時まで命の限り戦う。米軍に戦意を見せるパフォーマンスでもあると語っていた。そもそも、作戦立案の段階でこれだけ多くの死者を出す事は想定していなかったのである。




