第5話「友情」
「お前いい加減にしろよ! ふざけてんのか⁉」
栂野の声がいよいよ怒声と形容すべきものに切り替わる。
そう言いながら俺の体操服を引っ張る力は、細マッチョのバスケ部員とは思えぬほど強力だった。
「離せよ、服伸びんだろうが!」
体操服が伸びるのは実際嫌だった。
だから俺の方もこいつに負けじと胸倉を引っ張りながら顔を近付けた。
そうして互いに睨み合う体勢は、果たして何秒程続いていたのだろうか。
互いに手の力を緩めず、視線も逸らさない。二人だけの緊迫した時間は、武道の達人同士の立ち合いの如く、時間が止まっているかのような錯覚さえした。
「おい、兼嘉落ち着けって! どうしたんだよ!」
均衡はあっさりと破れた。栂野の友人の一人が俺達のもとに駆け寄り、栂野を制止した。公衆の面前で互いに怒鳴り合った以上、周囲に気付かれるのも当然。
なれば、第三者の介入で取り押さえられるのも必然だった。
栂野の人望は絶大だ。何やら怒っている栂野と、怒鳴られていた薄気味悪い俺。状況からして、俺が何かやらかして栂野に叱られていたと見るのが自然な流れだ。
だが当事者の栂野は、続々と制止に加わってきた友人達には何も語らない。
それ故彼等も猜疑心剥き出しで睨みこそすれ、詰め寄ってくることは無かった。
平静を取り戻して取り巻きが去ると、栂野は再び歩み寄って来た。
何だまだ絡んでくんのか?
そう疑っていると徐にポケットからスマホを取り出し始めた。
「悪い、とりあえずライン交換してくんない?」
「はぁ?」
こいつは一体何を言い出すのか? 日頃嫌なことなんて何一つ無い幸せ過ぎる人生を送っているもんだから、込み上げる負の感情への免疫が無くて頭がおかしくなったのか?
だが俺を見据える目は、至って冷静かつ真剣なものだった。
「……ああ、悪いがラインはやってない。キャリアメールも無いが、Gメールで良ければ」
実際には一応『友達』七人(うち六人は広告、一人は母親)のラインのアカウントも持ってはいた。だが、ぼっちならラインをやっていなくてもおかしくないという事情を盾に、やり過ごした。いんすたぐらむ? 何それおいしいの?
「じゃあそれでいいよ。さっきは悪かった。またメール送らせてもらうよ」
そう言うと、先程までとは一変し、少なくとも敵意のようなものは一切感じられない、どこか吹っ切れたような顔で去って行った。
「あれ? やっぱり俺、お前と仲悪くね? 何で一緒に仲良く部活やってんだよ」
「お前なぁ! あの翌日に僕の奢りでロイヤルハウス行ったのを忘れたのか⁉」
「あれ? そうだっけ?」
「そうだよ! 皆の前で公然と揉めるのも心配かけるから、メールとか電話でって僕が提案してんのに、お前ときたら『メールのやり取りを悪用する気だろ』とか『電話番号を聞き出して詐欺業者に横流しする気だろ』とか意地になって取り合わなくて! だったら人の目があるところなら文句無いよなって僕が譲歩したのに、お前はそれすら断って『お前のために飯代と俺の時間を浪費する義理は無い。お前の奢りなら考えてやってもいい。店は焼肉がいいな。百歩譲って高級ファミレスも可』とか抜かしやがって! マジでこいつ何なんだって思ったよ!」
「仕方ねえだろ、その辺は。こっちはぼっち、相手は学年トップクラスの人望厚き英雄。お前自身にその気が無くても、お前の取り巻きの中にはクズみたいな狐が必ず一匹くらいは混ざってるだろうと考えるのが期待値的に妥当。故に俺は自衛のために合理的提案をしたまでだぞ?」
「僕の友達にそんな奴はいないはずだよ!」
「いない『はず』だろ? ほら、お前自身ですら無意識に疑ってるわけだ。そうだ、それが正しい。というか、この部を始めて五か月になる今なら、お前自身理解してんだろ? お前のお友達連中が俺に向ける視線でな? そりゃあ、お前のお友達共は、友情を尊び互いに助け合う、素晴らしい仲間達だろうよ。だが、それはあくまで友達同士に限った話。つまり、友達どころか人間として認めてない、Gへの接し方は全くの別問題なんだよ。そして奴等がGにかける情など無い。連中はGに対してならいくらでも非情になれるし、良心の呵責も罪悪感も適用外なんだよ!」
一気にまくしたてる。言葉のキャッチボール? そんなものは犬にでも食わせておけ。相手に口を挟む間を与えず、オラオラオラオラオラオラオラと一方的に考えを叩き込む。これこそ、我々会話に不慣れなコミュ障流の会話のドッジボールだ。
「ふっ……ははは! 相変わらずお前は最高だよ」
だが、俺のそんな喧嘩を売るような言葉を受けても、平然と笑うのがこの栂野という男だった。
「うん、やっぱりお前と友達になって良かったと思うよ。クラスの皆は明るくて楽しいいい奴等だけど、お前みたいな最低の糞野郎は一人もいない」
快活に笑うこいつの顔には、言葉とは裏腹に一遍の陰りも見られない。そして俺もそんな言葉を聞いて全く不快にならない。
そりゃそうだろう。こいつは現実を歪曲させず、俺という糞野郎のありのままを直視して所感を述べている。全てが真であるからこそ、その空間には澱みが無く、俺もこいつも気持ちがいいのだ。
「ああ、思い出した。そんでロイハでパフェ食いながら、お前が唐突に俺を万歳し始めたんだったな」
「そうだよ。お前みたいに、とことん自我を貫ける頭がおかしい奴は見たこと無いってね。僕は幸運にも多くの友達に恵まれた。僕は皆が思ってるようなスーパーマンじゃないけど、それでも皆は僕なんかのことを高く評価してくれてる。でも、いやだからこそか? 皆からの評価無くしては立っていられないし、皆に失望されるのが怖くて、皆の目が気になって仕方無い」
「そりゃ、お前とは生きてきた人生が違うからな。しかしあんときは俺も驚いたわ。ロイハに繰り出すときは、面倒なことになったもんだと頭抱えてたが、まさかお前と仲良くなって帰ることになるとは思わなんだ。お前は完全に相容れない人種だと思ってたんだが、俺とはまた違ったタイプの変な奴だったという」
「いや、今にして思えば本当に良かったよ。あのときのことが無かったらこうして三人で部活やることもできなかった」
感慨深げに語る栂野を見てると、何となくこちらまで気恥ずかしくなってくる。
「そういや、お前は何でこの学校選んだんだっけ? お前は仰木と違って金にも困ってないだろ?」
男二人、閉ざされた空間で薔薇の香りを漂わせるのも憚られたので、適当に話題を逸らした。
「え? そんなの決まってるだろ? 流瑠香と同じ高校に通うためだよ」
「お、おう……」
開いた口が塞がらない。いや、確かにもしやとは思っていたが、そうも不変の真理の如く断言されるとは。
「本当は中学のときからそうしたかったんだけどね? 母さんがせっかくエスカレーターで中等部に上がれるんだからそうしろってうるさくて。当時は同居できてたし」
「逆に高校はよく許可したな、マッマ。確か中学卒業頃は仰木が気に入らなくて割とヒスってたって話じゃなかったか?」
「そりゃきっちり対策はし尽くしたさ。まずわざわざ内進を蹴るための口実、それも母さんが納得できるものと言えば、さらにレベルが高い高校に行きたいから以外には無かった。だから必死で勉強して、魁聖も十分狙えるレベルまで押し上げた」
「で、いざ本試を迎えたら、無気力受験で魁聖もその他もわざと落ちる。ここしか受からなかったお前はやむを得ずここに進学したと?」
「ご名答」
「それだけのためによくやるわ。端から落ちる気で魁聖合格レベルまで持ってくって、尋常じゃねえだろ?」
「そっちはそうでも無かったよ。なんせ母さんが塾に一流家庭教師に送り迎えにと、全力で応援してくれたからね。それよりむしろ母さんに片学の願書にサインさせるのが大変だった。僕としては授業料免除を根拠にどうせ滑り止めなんだから適当でいいじゃんって誤魔化すつもりだったけど、そう甘くはなかった。母さん土壇場で僕の狙いに勘付いたんだよ。それで断固として片学の願書だけは書いてくれなかった」
「じゃあどうやって?」
「女友達に事情話して代筆してもらったよ。ああもちろん、歴とした犯罪行為だ。だからこれはかなりのギャンブルだった。経緯はどうあれ、三月末の時点で僕はここしか受かってない、つまり僕を高校生にするには、ここに通わせるしか選択肢が無い。そういう状況まで母さんを追い込んで、強引に承諾させる。要は自分の高校生活懸けた脅迫だった訳だからね」
「そんで、母親とのチキンレースを制した結果、お前は今ここにいると?」
「そういうこと。ま、三年後には絶対に塔大に現役合格すること、なんて制約付きだったけどね」
「かくしてお前は、ヒステリーマッマに喧嘩を売り、偏差値が十は優に下がる胡散臭い自称進学校に自ら堕落したと? あいつと一緒の高校に通う、ただそれだけのために? うん、お前もやっぱり頭おかしいわ」
「僕にとっては流瑠香が、いや流瑠香と一緒に幸せでいることこそが至高の生きがいってだけだよ。そして世界で最も尊いものは、愛と平和。この僕の中のルールと世界のルールの二つは絶対に譲れないね」
「結構な偽善者っぷりだこって。だがその二つのルール同士が矛盾したら、お前はどうするつもりだよ。そうだな、例えば――俺が仰木を寝取るとか?」
「つまりお前は俺に喧嘩を売ると? そのときはそうだな――何としても現状維持に努めるよ。流瑠香は僕にとって唯一女神だけど、女神が初めて僕以外に友と認めた君もまた、大事な存在だから。絶対に失いたくない」
ふと顔を上げると、栂野はただならぬ表情を浮かべていた。瞳孔は開き、唇は震え、視線を落とせば握りしめた拳が震えていた。
「じょ、冗談だよ。俺、現象界の女には興味無いから」
何をそこまで興奮するのかよく分からなかったが、我が友を無駄に不快にしたい訳でもなかったので、そう事実を告げた。
「やったぜ。いや……それはそれで怒るべき所なのか……? でも女の子全てならセーフ?」
その後もひとしきり取るに足らない四方山話を続けると、気付けば部活終了時刻の二十分前になっていた。
流石に部活としてどうなんだと考え、申し訳程度に二人でネット記事を見ながら議論した。
まあそれも十分部活として微妙なんだが、それを言ってはこの部の存在意義から否定することになるので考えないことにする。




