トカゲを引き連れて進んでみる
いよいよ王都への進行が始まった。
夕刻。降り続いていた雨が一時的に止み、西日が作るオレンジの明かりが雲を染めていく。村の鍛冶場から上がる煙が風に吹かれて流れていた。
カーマインが集まった耳無したちを二つに分けて固める。
武器を手にした人たちの瞳はたぎる戦意に爛々と光を放っている。この中の誰かが誰かを傷つけ、そして誰かが誰かに傷つけられるのか。そう思うと怖気が走った。
カーマインに止まる気はない。集まった耳無したちも止まる気はないのだ。
二分された集まりにカーマインが手をかざす。その手に何かの力が集中していくように光が渦となって纏わりつく。
「始まりだ」
寄り集まった光の渦はまず左陣にいる彼らの頭上を覆い、その場から消失させた。
続けて第二波が右陣を覆う。
見つめる間にカーマインの手に宿った光は再び大きさを増していく。
カーマインのすることを眺めるしかない私の手に触れるものがあった。リューゴ君の手だった。自分の意志なんてないように見える彼の表情に反して、触れられる手はしっかりと私を鼓舞しているように感じられた。
カーマインがそんな私たちの様子を横目で見て、ふんと鼻を鳴らす。――だから悪役面をするのはやめて。眉間の皺が取れなくなったらどうするんだ。小娘が戦闘の指揮を取るってなんか間抜け……。
とはいえ、カーマインが宿った私の身体はこの戦いにおいての最元凶なわけで――、そう思うと何とも情けない気持ちになった。――やりようがなかったからって、簡単に騙されて身体を奪われてるんじゃないよ、私……。otzというネットスラングが頭をよぎった。
「待っているだけではつまらなかろう。お前も行ってこい」
右陣を消失させると、カーマインは唐突に私の方に小規模の光の渦を放った。――えっ、ちょっと聞いてないって。
てっきりカーマインと一緒に行動するものとばかり思っていた私の前方の景色が歪む。
――カーマイン、待っ……。
最後まで言い切ることなく、私の周りの空間が歪む。
次の瞬間には、私は見たこともない景色の中で耳無したちの鬨の声を聞いていた――。
※ ※ ※
ここはおそらく王都――、になるのだろうか。
周りにはレンガ造りのいかにも居住区といった建物が並び建っている。
静かな街の中で武器を手にした耳無したちは、怒声とも歓声とも付かない声を発していた。
このまま王宮へと進んでいくのだろうか。でも彼らがただ大人しく王宮まで進んでいくはずがない。きっと街の人たちと戦闘になるはずだ。
おろおろとするしかない私は、不安からぐっとリューゴ君と繋いだ手に力を込めた。
――リューゴ君……?
無表情のまま、リューゴ君が陣の先頭へと向かう。何かに気付いた様子で、さっきよりも表情を固くしているように見えた。
手を引かれるままに付いて行くと、やがて人の波の切れ間に出る。
彼らは向かい合っていた。
思い思いのまばらな装備を身につけた耳無したちの群と、統一された騎士服を身に纏った毛のある者たちの群。
「やあ、リューゴ。いくら相手がかの有名な邪神だとしても、簡単に意識を乗っ取られるなんて、騎士としてちょっと情けないんじゃないかな」
出会ったときと同じく柔和な笑みを浮かべるのは、イヌ耳お兄さんのムシャロさんだった。あのときと違うのは、鞘に収められていない抜刀した剣と明確な戦意だ。
ムシャロさんの戦意に刺激されたのか、リューゴ君が私の手を離して剣を取る。
――戦っちゃダメだよ!
言ったけどリューゴ君は止まらない。
抜刀した剣を持ち戦闘の態勢を取る。
見つめあう二人の周りでは、すでに剣戟が鳴り始めていた。
「リューゴ……、お前を巻き込むつもりはなかったんだけどな。火トカゲのお前が巻き込まれることもまた運命だったのかな……。おいで。その弱い精神を鍛えなおしてあげるよ」
両刃の鋭く尖った剣がリューゴ君に向けられる。当然のことながら、ムシャロさんに私に姿は見えていないようだ。
「巻き込まれたお前を傷つけることはなるべくしたくないけれど、これも国のためだ。精々死なせないように頑張るか」
ムシャロさんの言葉はまるでこのことが起こることを想定していたかのように聞こえた。
彼の背後にあるものを思う。
邪神となってしまったドラゴン――。それを生み出した王宮――。騎士という彼の立場――。
あの日、王宮から私を連れ出したムシャロさん。彼は私の味方ではないようだけど、またカーマインの味方でもないようだと感じた。
リューゴ君も同じく剣を構える。ムシャロさんと違うのは、もう片方の手に短い剣を握っているところだ。
「知っているかい? ずっとずっと昔にもお前のように両手剣を使いこなした戦士がいたそうだよ」
それはリューゴと同じ火トカゲだったんだってさ。
言ってムシャロさんが地面を蹴る。ほぼ同時にリューゴ君が地面を蹴れば、二人はそこから激しい打ち合いを始めたのだった。
私の動体視力では追いつかないほどの回数を打ち合う二人。時折離れては接近をしての繰り返しの中で、押されているのはムシャロさんの方だった。
相手に対する情を封じられたリューゴ君の方が、遠慮がない分ひとつひとつの剣が重い。対するムシャロさんは若干の手加減が加わってしまっているのだろう。リューゴ君を追い詰める彼の一撃は深追いをする前にわずかに引かれる。
このまま続けば、どちらかが倒れてしまうだろう。
たぶん、リューゴ君が勝ってしまう。
――そんなこといけない。
感情を封じられたリューゴ君では、ムシャロさんに手加減などできないだろう。その剣が彼の首を落とすところまでが想像されて、私は震えた。
――やっぱり戦っちゃダメだよ!!
次に二人が距離を取ったとき、私は足を動かした。
リューゴ君の足が地面から離れる。ムシャロさんも反応して同じ動きを取る。
――ダメ! お願い、リューゴ君。止まって。
ムシャロさんの前に両手を広げて静止をかける。
私の姿にリューゴ君が驚愕に目を見開いた。
彼の剣筋は私を通り越してムシャロさんの首の辺りを狙っていた。その剣が私の首に触れようとして――。
精神体の今なら剣が私を傷つけることはないだろう。そんな推測はあった。けど、もしかしたらリューゴ君が構える剣なら死んじゃうかもしれないということも考えてはいたのだ。
どちらにしても、とにかくリューゴ君を止めなければという思いで私は動いていた。
少しでも言葉を交わした人に誰かを傷つけてほしくなかったのだ。
リアルに浮かんでしまう最悪の想像は、きっとカーマインの記憶を覗き見てしまったからだ。あの血に塗れた光景をもう一度目にする気にはなれなかった。
決着は、リューゴ君の剣が私の首を刈り取る前についた。
リューゴ君が私の存在に一瞬気を緩めてしまい、ムシャロさんがその隙を突いたのだ。
ムシャロさんは振り上げた剣の刃を下ろすのではなく、柄の部分を使ってリューゴ君の後ろ首を殴りつけた。思いっきり殴りつけたようで、リューゴ君がその勢いのまま地面に派手に転がる。
――うぎゃぁ、痛そうっ。
すごく痛そうに見えたけど、昏倒するまでではなかったようで、数秒も経たないうちにリューゴ君は頭を振りながら起き上がる。地面を見つめ、そして周囲の様子を目に入れる彼の瞳は、久しぶりに王宮で出会ったときと同じ自分の意志を保つ光を放っていた。
「目が覚めたかい」
「あぁ……、はい。おかげですっきりしました」
ふらつく体に手を差し伸べるムシャロさんが、どこかほっとした様子を見せる。
「状況の確認を」
「カーマインが封印を解き目覚めました。耳無したちを率いて王宮へ攻め入るつもりのようです。その際、乙女を奪われました。すみません。俺が不甲斐ないばかりに……」
謝罪するリューゴ君が見つめるのはムシャロさんではなく私の顔だ。
――謝る必要なんかないよ。
私はぶんぶんと首を振った。
カーマインに身体を乗っ取られてからずっと、リューゴ君は私のそばにいて守ってくれていた。
不安なときは何度も手を握って励ましてくれた。
――言葉はなくても、頑張れって言ってもらえていた気がしたから、まだ諦めたくないって思えたんだよ。
ありがとう、とリューゴ君の手を取る。握手するみたいに握って大きく動かすと、「そこに何かいるの」とムシャロさんが目をすがめて尋ねてきた。
精神体となった乙女がここにいるとリューゴ君が言うと、ムシャロさんはすごく驚いた顔をして、続けて手を顔に当てて項垂れた。
「乙女を奪われたって、そっちの意味で? ……うわぁ、最悪」
――ご、ごめんなさいっ。
思わず謝ってしまうくらいには悲壮な声をムシャロさんが出してくれるもので、おろおろとうろたえてしまう。
状況を整理するように少しの間何かをぶつぶつと呟いていたムシャロさんは、今度は私たちに向けて言葉を放った。
「カーマインはこれからどう動くと思う?」
――えぇっと……
無い頭を振り絞って、私はムシャロさんの問いかけについて考えてみた。
カーマインは用意周到に耳無したちを先導して戦いの準備をさせた。そして今まさに彼らは王都に転移してきて、王宮まで攻めていこうとしている。
耳無したちの先頭をきるわけでもなく、姿を見せないカーマイン。彼は今どこにいるのだろうか。
彼の怒りはどこにあるか。考えてまず思い浮かぶのは、あの首を狩られた獅子王のことだ。でもあの時点において獅子王はすでに亡くなっている。それでも収まらない怒りがどこへ向かったのか、私は知っている。
カーマインはどこまでも止まる気はないのだ。だって、彼らの系譜がまだ生き残っている。獅子の系統だけではない。この国で生きるすべての獣人たちへカーマインの怒りは向かっているのだから。
耳無したちが直に王宮へ攻め入るのでなく王都へ移動させられたのは、そのためでもあるのだろう。混乱を呼び、すべてをなぎ払うことがカーマインの目的のはずだ。
民衆を集めた耳無したちに攻撃させたカーマインは次にどうするか――。
「おそらく王宮へ向かっているでしょうね」
私の代わりに答えたのはリューゴ君だ。
間違いなく彼ならそうするだろう。王都を攻めさせるだけで彼が満足するはずがない。単身、王宮に乗り込んでもおかしくはないのだ。
ムシャロさんはリューゴ君に同意するように頷いた。
「しかも現在、王宮にはヴェイグ様がいる。鉢合わせればどうなるか……」
ムシャロさんの発した言葉に私は顔を蒼褪めさせた。
――そうだった。今、王宮にはヴェイグがいるんじゃん……。
ここでようやくムシャロさんの言った「最悪」という言葉の意味を理解する。
王宮の一角に閉じ込められたヴェイグ。でも王宮がカーマインに攻められれば否応なく外に出てくることになるだろう。
――私の顔をしたカーマインとヴェイグがご対面……。最悪だ。
私の身体を乗っ取ったカーマインを見たヴェイグが何を感じるかなんて、火を見るよりも明らかなことじゃないか。
「怒り狂ったヴェイグ様がその矛先をカーマインだけに向けてくれるといいね……」
ムシャロさんが乾いた笑いを零した。
――と、とと、止めなきゃ! リュ、リューゴ君まずいよ、やばいよ、最悪だよっ!!
妖怪大戦争ならぬドラゴン大戦争なんてことになったら、その規模は国を超えて世界規模の戦いになるんじゃないだろうか。特に愛着のないこの世界だけど、それだけはまずいと私の心が告げる。
「そうですね。止めなければ」
服にしがみ付く私の手を取り、リューゴ君が同意する。
私たちが会話をしているうちにも王都は混乱の様相を呈してきた。鳴る剣戟に交じり合う耳無したちと騎士たち。
開けていた前方は戦いの中に先の景色を埋もれさせていた。
「俺が道を切り開く。リューゴ、そこに乙女はいるね?」
「はい、ここに確かに」
「なら連れて行くんだ。ヴェイグ様を止められるのはその方だけだ」
「はい。あの、できるなら……」
リューゴ君が言い淀みつつムシャロさんに視線を送る。
「ここにいる獣人たちはなるべく傷つけないでやってください。彼らはカーマインに心を操られている」
「あー、ははっ。そういうことかい。それは骨が折れそうだ。まぁ、仕方ないか。善処するよ」
「ありがとうございます」
こくりと頷くリューゴ君にムシャロさんが頷きを返す。
目で語り合う二人は自分の職務を全うする真っ直ぐさを持つ騎士の顔をしていた。
「行きましょう」
リューゴ君がムシャロさんを振り返ることはない。
それはリューゴ君が先輩騎士であるムシャロさんを信じているからだ。彼が信じるなら、私も後のことはムシャロさんに任せて行こう。
土埃の舞い上がる中を、私はリューゴ君に手を引かれて進み始めた――。




