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私があの家を離れた12歳の時点で一度も経験したことはなかったが、我が家では冠婚葬祭についてなにやらこまごまと取り決めがされており、そういった行事の際には代々の記録に従い前例に忠実にのっとって行うこととなっていた。
後からいろいろな人に言われたことで私が自分で調べたわけではないが、地方の名家では花嫁行列の長さや喪の服し方に独特の定めがあるのは珍しくはないのだとか。
ただ、それでも他の地方ではあまり例を見ない風習だと言われたものがある。
我が家では、親戚がなくなると、かなり遠い血の繋がりしかなくても、遺骨は近所にあるお寺に納められることに代々なっていた。その遺骨は身内の人間たちが骨壷から一すくいずつすくって「世話役」と呼ばれる人間にわたし、冥福を祈るのだ。そして不思議なことに、その世話役とは寺の人間ではなくわが家の人間、それもできる限り当代の家長に血の近い人間がやることとなっていた。
その人間は寺に完全に居を移し、家の人間と顔を合わせるのは年に数回の決まった行事のときだけとなる。それ以外では決して顔を合わせてはならず、声を掛け合うこともしてはいけない。そして世話役が死んだ時は、彼らは我が家の墓とはまた別の墓に埋葬されるのだ。
今の世話役は父の長男であり私の兄である人物が行っている。彼は私が5歳のときにその役に就いた。
彼はその当時まだ義務教育にあたる年齢だったはずだが、当時の私にはとても大人に感じられていた。
私の記憶も定かではないが、穏やかな人で、私が何かちょっかいをかけてもいつも苦笑で済ませてしまうような人だった。年が離れていたからか、母親が違うからか、それほど接する機会が多かったというわけではないけれど私はあの人が好きだった。いつも微笑んでいるようなあの人が好きだった。
彼の前の世話役は父の祖母にあたる人であり、前の家長の実の母親にあたる人が行っていた。彼女が役についたのは父が生まれる前のことだったと聞いたことがあるので数十年間世話役をこなしていたのだろう。
その数十年の間、彼女は我が家の墓を守り、一人また一人と身内の人間が死ぬたびにその墓の中に新たな遺骨を納めてきたという。
兄にあたる人に世話役がうつってからはまだ一度も葬式が行われたことはないが、彼は今も一人であの墓の世話をしているのだろう。そして誰かが死んだとき、残された人間は彼に骨を渡すのだ。
私が死んだとき、彼に私の遺骨を渡してほしくない。だから私を土に埋めてくれないだろうか。できれば世話役たちの墓に入れてほしい。皆が彼らの世話になっているから、これ以上彼らに負担を背負わせたくはないと思うのだ。




