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我が家が、代々の家長の行いによって近辺から一目置かれていたのは確かである。そして、そのおかげで、ただ父の血を引いているというだけの私でさえ、同年代の中では特別扱いをされていたと言える。
小学校(通っている子供はすべてこのあたりの子供で、教師もこのあたりの出身者)時代は、私は宿題を忘れようが授業中によそ見をしようが教師から注意を受けたことはなかったし(同じことをしていた他の子供はきちんと怒られていた)、授業中や放課後に発言した内容について真っ向から否定をされたことがなかった(もちろん、算数の時間に明らかに間違った答えを言ってみたときは教師も誤りを正してくれた。けれど、そういったもの以外では、教師たちは何とか私の答えを「正しい答え」であるようにしようとしていた)。何か学校行事があってクラスとして活動しなくてはならないとき、クラスメイト達は私にまずお伺いを立ててきた(けれど決して私に肉体作業的なことはさせなかった)。
もしあの時の私を無関係な第三者が見たら、私をあの学校の単なる一生徒とは決して判断しないだろう。
そういった生活は小学校の6年間ずっと続いていた。おそらく中学校でも同じようになっていただろう。
ただし、あそこで私は中学校に進学しなかった。
小学校6年のとき両親が別居することとなり、母は私を連れて実家に帰ったからである。
母の両親はあのあたりの出身でありあの家の遠縁にあたる人物であった。仕事の都合でずいぶん前に隣県に居を移しており、そこで母は生まれ育った。
母が父と出会ったのは両親に連れられてこのあたりを訪れた時だという。母の家は生活の本拠は隣県にあったものの、本籍は移していなかったし実家や墓はそのままだったことから、親戚の集まりがあるような時はたびたび幼い母を連れてきていたのだと言っていた。その時に顔を合わせるようになったのだと。
父は母と結婚する前にも一度結婚しており、息子もひとり生まれていた(私には10歳違いの兄にあたる人だ)。初めの妻とは死別したとも聞いた。その後詳しい経緯は知らないが父は母と再婚し、母は生まれ育った土地に両親を残してこの家に嫁いできた。そして私が生まれ、私が12になった年に別居した。




