恵比寿面
「俺、面って苦手なんですよ」
壁に掛けられた額縁を眺めながら、
ボソリとそんなことを呟く。
「いや、結構昔からあるようなお宅には大体
掛かってるじゃないですか。仏間とか応接間に」
少し焦ったような顔で早口になる後輩の彼は、
休憩室の流し台に立って、使い終えたコップを洗っている。
自分はそういう場所にお邪魔した経験がないのだが、
そういうものなのだろうか。
「こう、話の最中にちょっと目を逸らしたりとかした時に
アレのある方向いちゃうと何かこう、
…あるじゃないスか?」
ない、と言うと、そうですか、と声のトーンが落ちる。
「まぁとにかく、俺がそうなったのにもちゃんと
理由があるんです」
洗い終えた手を布巾で拭う姿は、
どことなく実家の母親じみており、
しかし覗く横顔は別の人間で、
雑に言って、御馳走様の一言につきるものだった。
「俺、祖父母の顔知らないんです。物心つくような歳に
なった頃にはもういなかったんで。
あ、重い話じゃないです。だから特にそういう人たちに
あんまり思い入れが無いって話なだけ」
そっぽを向いたままの形で、話を続けていく。
「で、その考え方が当然っちゃ当然なんですけど、
両親にも通ずる話でして、いや別に
両親も祖父母の顔を知らないって訳じゃないんでしょう
けど、まぁ結構薄情だったりするんです」
本人も、気付かないうちに眉を潜めていたことに少し
ハッとなり、顔を直す。
「俺が高一の時だったから、もう10年は前になるんですか。
住んでた実家はなんせ古い家で、
結構ガタもきてたもんだから改築することになりまして、
その日は一階の一室、かつて祖父母の部屋だった物置部屋の整理をしてたんです。
中には階段箪笥とか市松人形とか、
そういったいかにもなアンティークものが天井に届く程。
で、その中にそれはあったんです」
静かに、拭き終えた食器類を籠に逆さに重ねていく。
「一枚の板に張り付けられた、
どちらも笑ったような表情をした二枚揃いの…
薄目のあいた恵比寿面なんですけど」
静かな食器の音だけが、厭に部屋に響いて聞こえてくる。
「多分、祖父母夫婦のものだったんだと思います。
両親は自分達の物じゃないって言ってましたから。
あとほら、二って言う数字に何か感じません?」
立てた二本指を、蟹のハサミのように緩やかに
動かしている当人の顔は、至って真面目そうなものだった。
「とにかくそんなもの、サッと処分するのも気が引けるし、
かといって嵩張るし、んーまぁ、手間が掛かるもんっす。
時間もないし、どうしようかって話で、
結構難儀してたんですよ。
それが職場か何かで相談したんだったかな。
ネットで売ってしまおうって話を、
父親の方が始めたんです」
手を滑らせたのか食器が擦れて、
カタリと大きめの音が鳴る。
「さっき言った階段箪笥みたいな、
需要のありそうなやつは実際早く売れたんです。
しかもそれなりの値段。
けど人形とか骨董的な価値しかない物は、買い手が
中々つかなくて、恵比寿面もその例に漏れず
中々売れなかったんです。
そんな時、ネットにあげてた面の写真に対して、一人
反応を返す人がいたんです」
最後の食器を重ね終え、布巾を横に掛ける。
「目もとが本物みたい、実際に見せてもらえないですか」
と、恥ずかしげもなくするキメ顔は何処か誇らしかった。
「でも親父、面倒くさがって断ったらしいんです。
それでも暫くは、同じ人から似たような旨の内容が投げられてたんですけど、無視してたらそれも
三回ほどでなくなって、
それ以降は誰も反応もしませんでした」
椅子を引く彼の、つぐ言葉の声のトーンが少し下がる。
「結局のところ、この面が最後まで売れませんでした」
座ると同時に合わせてきた目が逸れる。
「で、うちの父親、出品取り消して、
直接古物としてどっかに売ろうとしたんです。
で、取り消す時にさっきのコメントがちょっと気になったらしく、自分の撮った面の写真を見直してみたら…」
言いつつ、おもむろにスマホを操作して暫く、
机の上に乗せて画面を差し出す。
「この写真です」
そこには畳の上に置かれた板と、
そこに張り付けられているのだろう恵比寿の面があった。
よく見てください、と画面を指で拡大し、
面の顔が大きくなっていく。
見直すと、薄目の隙間から覗く目と
視線があったような気がして、写真から目を切る。
そして一瞬の思考の後、改めて背筋に冷や水が流れた。
「目元が本物みたいって…
いや薄目の中に、モノホンの眼が見えてるやーん」
って話でした、と軽く言葉を続けていく。
「これ加工したの?」
「加工はしてない筈っす。
親父がスマホからそのまま送ってきたもののはず」
言いながら写真の詳細データを開く。そこには確かに、
10年近く前の日付と時間に、撮られたこと示す文言と、
カメラの機能っぽいあれこれが表記されていた。
何処か釈然としない気分になりながら、スマホを返す。
怖いという割には、まったく本人が怖がって
いなさそうなのにも、納得がいかない気がした。
「え、いや怖い話はこれで」
目が合うと、そう逡巡ぐ彼は黙って少し考えた後に、
改めて、といった風に口を開く。
「…まぁ、終わりって言うとちょっと違います、ね」
ボソリボソリと呟きながら、組んでいた指を組み直す。
そして、飄々と話をしていた先程と、
うって変わってあまり気乗りのしていない顔で話し始めた。
「ここからは正直思い違いなだけで、
あんまし信憑性のない話になるんですけど…」
八の字になっていた眉が、少しずつ消えてゆく。
「さっきの話より前、改築するかどうかの話も、
まだなかった頃です。
自分兄弟いなくて、けど遊び相手が欲しかったんですよ」
柔らかさと共に、何処か焦点が合わないような。
まるで自分ではない誰かの事を語るような口調と雰囲気が、
そこにはあった。
「親は、物は買ってくれるけど、それきりで。
親は親で自分の好きなことだけやってる感じです。
今考えると酷い親ですよね」
口調は柔らかくとも、目元は変わらない。
「けど、正月とかの時期になると遊びに来る同年代の親戚が
何人かいたんです。それこそ夏休みなんかは、
子どもはこっちに寝泊まりするくらいに。
親父が買ってくれた物の中には、人数が揃わないと
出来ないゲームとかもあったから、それでみんなと
よく遊んでました」
スゥ、と一呼吸。
一層、表情は暗くなる。
「で、その遊び相手になってくれる親戚の中で、
決まって一番最後に帰る親戚がいたんです。
どっちもゲームはめちゃくちゃ下手くそなんですけど、
とにかく良く笑うヤツらで。
よくどっちかが最下位になって笑ってました」
口元すら笑わずにそう言う彼が次の言葉を
吐き出すのには、しばらく時間がかかった。
「その兄妹によく似てるんですよ、
さっきの面の笑ってる顔に」
こちらを見ることなく、そう呟く。
「名前は覚えてないです。母親に聞こうにも
それが分からないんで、親戚筋を辿ることも出来ないし。
まぁ当然かもしれないですけど、
遊んでた誰々って聞いても
そんな人いたかどうか、覚えてないって言われました」
あぁ、でも、と、不意に思い出したかのように
こちらに目を向ける。
「ただ不思議なことに、遊んでた親戚のやつらも
全員まったく、俺と同じ感じなんです。
名前だけ覚えてないって」
何処か言い訳じみた言葉を投げて、少し俯く。
「面は、どっかに売ってしまったらしいです。
気味が悪いってんで、出品取り下げて早々に」
やけにあっさりと事の顛末を話す彼は、未だに
写ったままになっていたスマホの写真に目を落とす。
「当時の自分は学校の方に気が向いてて、
あんまり片付けとか家の事とか、
殆ど手伝わなかったんで、結局は全部今更なんですけど」
唐突に声のトーンが上がったと思ったら、語り口の速さが徐々に戻り始め、最終的にいつもの軽い口調に戻っていた。
そのことに少し、化かされた後のような思いを抱く。
「それに、単に思い違い、掛け違いで、普通にその親戚も
何処かに存在してるかもしれないんですけどね」
そう続ける彼の顔には、笑顔が戻っていた。
「けどまぁ、そういうこともあって俺、面が苦手なんっす」
そう言いつつ明後日の方に目をやり、
瞬間彼は目を見開く。見ると時計の示す時刻は、
午後の休憩時間をとうに過ぎたものだった。
慌てて椅子をしまい、休憩室を後にする後ろで彼が、
部屋のドアと共に軽い声で話を締める。
「次会うとき般若面になってたりしたら、それはそれで逆に面白いんですけどね」
やはり彼は何処か、怖いという感覚が
人とズレているようだった。
ありがとうございました。




