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ある夏の日

またせたな

「コレ自分が体験した話なんですけど…」


「自分、見ての通り眼鏡かけてるんですけど、これ小学生の頃からなんですよ」

 そういいながら当時大学生だった彼は私に、かけている眼鏡を取って、手で示して見せた。

「小学四年生の時でした。

その頃は夏休みで、親も働きに出てたんで…僕、外でよく遊んでたんですよね。

 じいちゃんばあちゃんは家にいたんですけど、

畑とか色々あって。

 大体は自分が遊んでるところに、あとからじいちゃんが来て、

一緒に遊んでくれることが多かったですかね。

遊ぶって言っても、網持ってただ虫とか魚とか適当に捕まえて、

 それをじいちゃんに見せたら逃がして終わり、みたいなもので」

 カブトムシとか、珍しいのは逃がさなかったんですけど、

と軽く笑いながら話を進めていく。

「じいちゃん、生き物にあんまり詳しくなくて、見せれば何でも喜んでくれたんですよね」

 一息つきつつ、机の上に二つ置かれた氷と麦茶の入ったコップ、その一方に手を伸ばす。

 こくりと軽く喉をならしてから、

気持ち三分の一くらい、中身の減ったソレを置くと

改めて、適当な身振り手振りをしつつ話を再開し始めた。

「んで、ある日のことなんですけど、畑近くにある沢で網を振ってたら、見たことない変なものが取れたんですよ。

 て言っても、採ったものなんて大体詳しく見ないで

水槽に全部突っ込んでて、偶々目についただけなんですけど。

 それで気がついたら水槽に入ってた、

黒っぽい、金魚みたいな、ゆらゆらした生き物が。

けど目も口も無くて、というかよく見えなかったんですよね」

 語気を次第に下げながらそう語る彼だが、

浮かべる表情も、語り口に違わず実に曖昧なものだった。

「なんかぼやけてる、っていうか、

水に溶けてるような感じなんですけど。

 けど、確かに動いてるんです。

 それを見て、最初自分は新種に違いないって、めちゃくちゃ興奮したんですよ」

 外でセミが鳴く音と、身振り手振りが連動して

少しの興奮が伝わってくる。

「掴もうとしたんですけど、

指の間からすり抜けるように逃げる、

そんな不思議な生き物で。

 それでじいちゃんが来るまでに、ソイツを一匹だけ別の水槽に入れて、見せるのを楽しみにしてたんです」

 語気が落ち、少し落ち着いたのか、コップに手を伸ばす。

「じいちゃんはいつも昼前になると、僕がどこに行ってても迎えに来るんです。

 まぁ、小学生の行動範囲なんて知れたもので、

いるところも、いつも決まってましたから、

不思議なことでもなんでもないんですけど。

 それで、その日も変わらず、

昼頃にいつもの道から、じいちゃんが歩いて来たんです」

 不意に声音が少し上がる。

「けどなんか不思議で、

声も雰囲気もじいちゃんなんですけど、何かぼやけてるんです。

 網片手に手を振ったら、振り返してはくれたんで

まぁ間違いなく、じいちゃんなんですけど」

 勤めて慎重そうな顔をしつつ、話をする彼と目を合わせる。

「目にゴミでも入ったかなって思って、メガネ外して

腕で目を擦って」

 実際に外して二の腕で目元を擦りながら、

話を進めていく。

「それでそっちを向くと、じいちゃんがよく見えたんです。

 今から考えると、裸眼の視力で見ているから、全体的にぼやけてただけなんでしょうけど」

 不意に眉を潜めると、

彼は少しだけおもろそうに口角を上げた。

「そんな中でじいちゃんだけ、見え方が変わらなかったんです」

 一つ、間を置いてから目が離れる。

「まぁ、相手がじいちゃんだったんで。

 その時は特に何か思うわけでもなく、ただ早く今日の成果を見せたいという思いでいっぱいでした。

 黒い奴はとっておきだったんで、最後に回して

たも網って、目の粗い虫取り網みたいなヤツでとった小魚とか、カエルとかを見せてたんです」

 普通の顔に戻った彼は、普通のトーンで話を進めていく。

「そしたらじいちゃん、真剣な声で、意味合いとしてはこんな事をいうんです」

一呼吸。

「もっと面白いのがいるだろ、って」

 彼と目が合う。

同時にカランと、コップの中で溶けた氷が動いた。

「一瞬何のことか分からなかったんですけど、すぐにあの黒いヤツのことだって気づいて。

 やっぱりあれはすごいものなんだって思いながら、自信満々で、水の入ったあの水槽を見せたんです。

 そしたらじいちゃん、なんだか口だけが笑ったような顔で。

 『きみいかんや』って」

 言って、結露した水でべとべとのコップを

彼は気にすることなく手に取る。

「んで、言ったと思ったら、水槽を僕の手からひったくって、

中に手を突っ込んで、食べちゃったんです、その黒いの」

 手を擦り合わせつつ、ついた水を払う。

「僕、色々とショックで、何するんだ、って怒ったんです。

 怒りながら、じいちゃんに掴みかかって」

 反応としておかしいですよね、と声では笑いながら彼は、少し残念そうな顔をして話を進めていく。

「けど掴めなかったんです。

 掴もうとすると、服がまるで風か柳の葉みたいに

スルスルって手から逃げるみたいで」

 手をヒラヒラと舞わせる彼の声は、少し固い。

「そこで漸く思ったんです、こいつはじいちゃんじゃないって。

さっきの黒い奴みたいだ、って」

 コップに手を伸ばす。

「そしたら途端に怖くなったんですかね、

そのじいちゃんを放って家に逃げだしました。

 足音はしなかったんで、

多分追いかけてきてはなかったはずです」

 気にせず話を続けていた彼が、一度話を止めて、柔らかい声音で改めて話し始める。

「結構走って逃げて、さっきじいちゃんが手を振り返してくれてた辺りで心の余裕が出来たんでしょうね。

 ちょっとした違和感に気づいたんです。やけに視界全体がぼやけてるんですよ。

 そこで、あ、しまった」

 ひときわ大きく手振りをして、止めた。

「さっきのところに、メガネ忘れた」

 たった今忘れ物に気づいたような顔で、話を止める彼。

蝉の声はちょうど止んでいる。

「さっきメガネ外したとき、

そのまま近場の石垣に置いちゃってたんです。

右手に網も持ってたんで。

 それでパッと考えたんですよ。

さっきのとこに取りに戻ろうかって、一瞬」

 軽く後ろを向くような素振りをして見せる彼は、

「それで一回だけ、じいちゃんの方振り返ったら」

 努めて無表情になる。

「じいちゃん、滅茶苦茶ハッキリ見えたんですよね」

 その表情からは、何も上手く読み取れなかった。

「遠くに立っては、いるんです。

けど、じいちゃんが立ってるところ付近だと、他のものは、

もうほとんど色くらいしか区別できるものがなくて、

混ざった絵の具みたいに、ぼやけて見えるだけなのに」

 指で波打つような動きをして、困ったような顔を彼は浮かべる。

「ソイツは、その混ざった中に

新しくチューブから出したばかりの絵の具みたくハッキリと、

でも周囲に溶け込もうとしてるような、

そんな感覚なんです。

 そんな感覚で、見えるんです」

 気づくと手に取っていた、コップの中身を飲み干す。

「あれは何なんだろう?

怖さよりも、そういった好奇心の方が強く沸きました。

 まぁ流石に、そこに戻る度胸はなかったんですけど」

 すこし、眉をハの字に曲げつつそう笑う彼には、

本当に恐怖心は無さそうだった。

「とりあえず、そのまま走って家に帰って、

しばらく待ってたら、玄関からちょっと慌てた顔でじいちゃんが家に入ってきました。

 僕が、川沿いのいつもの場所に全部物ほったらかして

いなくなってるものだから、

川に入って流されたんじゃないか、って。

 石垣にメガネも置いてあるから、これはいよいよって」

 何かを思い出したように、彼の少し顔が緩む。

「言いながら、そのメガネを手に持ってて、

僕は心底安心したのを覚えてます」

 言いながら彼もコップを手に取り、残りを飲み干した。

「それで、そんな風に焦る声を聞いて、あぁやっぱり

アレはじいちゃんじゃなかったんだって安心しましたね」

 そういいつつ、笑う彼の目は、

どこか少しだけ真面目な雰囲気を漂わせていた。



「そういうものは鏡越しだと見えるとか、

メガネを通すと見えるだとか何だとか、よく言いますけど。

きっとそれは『見える』じゃなくて、

『判別できる』って意味なんだろう、って僕は思いますね」

 帰り際、鞄を手にしつつ、そんなことを呟く彼は

恐らくまた近い内に、何か小話を手土産に持ってくるだろう。

「因みになんですけど、じいちゃんが沢についた時

 笑いかけてくる顔に、笑顔を返す。

「」

 彼が開けたドアの外から、五月蝿いセミの声が響いてきた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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