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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第五章

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影法師の暇乞い 4

 ガーディナーからエマの家の場所を聞き出したあとククラを借りると伝え、俺たちはエマの家へと急いだ。彼女はとある富豪の邸の部屋を間借りしているようだった。〈メイト〉であるはずのエマが、そんなすごいところに理由もなく住めるとは到底思えない。

 広大な土地を馬車で走り、邸を訪ねた。使用人に案内されるまま応接間へと入ると、ひとのよさそうな邸の主人が挨拶に来た。笑顔が張りついているようにも見えるが、いまはひとの本質を勘繰っている場合ではない。

 邸の主人が大袈裟に歓迎の意を伝えたあと、俺たちの用件をようやく訊いてきた。この家に世話になっているはずのエマに会わせてもらいたいと言うと、彼女は邸の一室ではなく離れに住んでいるので使用人に案内させると請け合った。なんでも一ヶ月ほど前に、離れのほうに住まわせてほしいとエマから頼まれたのだという。理由を訊ねると、病気の妹の面倒を看るためだったようで、その妹らしき人物は十日ほど前に離れを出て行った。その折にエマが改めて感謝を伝えに来て、しかし邸内の部屋に居を戻すのも大変だと思った主人はそのまま離れを使うように勧め、いまに至る。話を聞く分には邸の主人は余程寛大な性分らしい。

 使用人に案内され、離れへと向かった。庭を通っていると向こうに馬を引く馬丁や庭師の姿が見えた。もとは使用人用の部屋だったというその離れは、ひとりで暮らすには充分すぎる広さだと石造りの外観からもわかった。使用人は案内が終わると邸のほうへと引き返していった。緊張した面持ちのククラを背に、俺は玄関の扉を叩いた。反応はない。取っ手を捻って押すと扉が開いた。驚きのまま勢いよく開ける。

 こぢんまりとした部屋には、ベッドがふたつと、棚と机と椅子と、物の少なさに寂しさを感じさせた。綺麗に片づけられている様子に、部屋の主の気質が透けて見える。俺は驚き足りなかったらしい。壁にかけられた小さな肖像画に度肝を抜かれた。昨日ミネルバで見たツカサの、彼女の姿が描かれていたのだ。

「留守でしょうか」

 ククラの問いかけに我に返り、すぐに首を捻った。

「いくら邸の離れで、近くを通るのは使用人だけでも、鍵くらいはかけていくはずじゃないか?」

「確かにそうですね」

 ほかの部屋も見て回ったが、エマの姿はなかった。最初の部屋に戻ると、クローゼットを見ていたククラが言った。

「コートが一着ないようです。彼女はいつも白っぽいコートを着ているのですが……」

 やはり出かけている。もしかしたらもう戻って来ないかもしれない。俺は離れを出て急いで来た道を戻ると、先程見かけた馬丁と庭師が道の途中で話し合っていた。何やら様子がおかしい。

「何かあったんですか?」

「いやぁ、それがですね」

 馬丁の男は眉をひそめ、離れに住んでいる女が先程馬を貸してくれと言い、半ば強引に乗って行ってしまったと言った。

 やられた。エマは俺たちが来たことをどこかで見ていたのだ。そして鍵をしてなかったことから、慌てて離れから出て行った。ほかに何か言っていなかったかと訊ねると、忘れ物を職場に取りに行くと言っていたらしい。怪しいと思ったがとにかくあとを追うべきだ。

 この地区の担当警備隊を呼んで離れと邸を見張るようククラに指示を出し、俺は急いで最本部へと戻った。この移動だけでもかなりの時間を使っている。馬車に乗っている時は何もできないのが歯痒い。気が急いて考えもまとまらない。

 最本部の建物に着き、俺は外から総務課の別館へと走った。側面に行って別館の玄関に入り、使用人の驚きもよそに総務課の部屋の扉を乱暴に押し開ける。見渡すがエマの姿はない。執務室にいた三人の男の目が一斉に向いた。

「エマが来なかったか」

 俺の鬼気迫る様子に圧された男たちは素直に首を横に振り、口々に「来ていない」と言った。

 彼女は総務課に来ていない。

 だが俺がエマよりも先にここへ着いたとは思えない。

 だとしたら何が考えられるか。

 何か問題が起こってこちらに来られなくなった。

 もしくは俺が馬丁たちに声をかけることも見越して、嘘の情報を伝えた。

 そうだとすれば本当は別の場所に向かっている。

 ではその場所とは。

 ひとつしかないではないか。

 俺は自身の執務室に向かった。一刻も早く彼女を追い駆けなければならない。しかし彼女がこの先どんな行動をするのか、行った先で何をするのかまったく予想がつかなかった。玄関ホールまで行くと使用人が手紙を渡してきた。余程でない限り放っておこうと思ったが、差出人が大叔父セルペンスだった。セルペンスには今朝、祖父のアクイラに宛てた手紙を送っていた。大叔父経由でないとエルフの森まで届かないからだ。しかし昼を過ぎてしばらくしたとはいえ、当日中にその返事が来るとは思えない。行き違ったのだ。

 俺はその場で手紙を開封した。挨拶にはじまり、エルフの森の侵入者に対して詳しく話しそびれたので、自分宛に送られたアクイラの手紙を同封しておくと書かれていた。この前セルペンスが送られてきて驚いたと言っていた手紙だろう。

 一回り小さなその封筒に、端の切り揃えられていない紙が一枚入っていた。不器用に四つ折りにされたそれを広げると、挨拶もなく、改行もなく、下手すると文章の切れ目もない不揃いの文字が、紙の上でのた打ち回っていた。三年ぶりに見る祖父の文字に強烈な懐かしさを覚えた。祖父は手紙どころか文字を書くのも苦手で、数える程度しか返事がなく、目に映る努力の結晶に感動すらした。俺に伝えるためにここまでしてくれたのだ。

 話が前後したり、文字の配列がおかしかったり、誤字脱字も多かったが、なんとか解読してみると、エルフの森に侵入した者が魔族の女であることがわかった。その魔族は侵入こそしたが、森に迷い、結局はエルフの里に着けずに帰って行ったという。

 それから百五十年ほど前にも一度、魔族が森に侵入してきたという。狙いはエルフの作る霊薬で、その時は盗まれてしまった。それ以降、森に迷いの術を施して他種族が立ち入らないようにしたようだ。この迷いの術を唯一回避できるのが、俺がノアに預けた木箱の中身の権利書、その本物の効果だった。そのまじないの施された権利書は、エルフの森の所有権利書で、それを持っていれば術に惑わされることなくエルフの里に辿り着ける。その権利書は代々、森の守人である俺の家、クロイツェル家が所有、保管していた。領主ミドエは何故かその権利書を狙っていて、十五年前に例の男を使って俺の家を燃やした。しかし彼らにとっては残念なことだが、その権利書はいま祖父の手に渡っていた。

 恐らくこのことも関係している。

 この、森に侵入した魔族が、すべての事柄のそばに必ずいる。

 この魔族はいったい誰だ。何が目的なのだろう。

 手紙を握りしめて立っていたら、また使用人が声をかけてきた。来客だという。俺はその来客を玄関ホールから直に見た。その人物が慌てながら玄関から中に入ってくる。

「ガーランド! 大変なことがわかったんだ」

 ライラはマフラーも取らずに俺に走り寄り、その場で話し込みそうになったので急いで執務室まで連れて行った。扉を閉めるとすぐに彼女は言った。

「先に確認させてほしい。エマって〈メイト〉なんだよね?」

「なんでいまそんなこと……」

「いいから!」

「そうだ。というか、てっきり知っているかと思ってたんだが」

「やっぱりそうか……」

 そう言うとライラは顔を歪ませるほど歯噛みした。

「召喚術のこと、母が絡んでいたんだ。思えば彼女は最初から〈メイト〉に詳しかった。あなたと話したことが気になって、今朝母の家を訪ねたんだ。そうしたら〈メイト〉のことは言うまでもなく、召喚術に関する書物や研究メモがあった。これで何も関わっていなかったら、それこそ変だ。どうしていままで気づかなかったんだろう」

「その母親、いったい何者なんだ?」

「君には言ってなかったけど、魔族なんだ」

「なんだと?」

「公にはしたくなかったから話さなかったんだ。でももうそんなことは言ってられない。彼女は何かをしようとしている。そうじゃなきゃおかしいんだ。面倒を見ていたエマを売るようなことを言うなんて、何かあるに違いない」

「エマを売る?」

「彼女は気づいていたんだよ。あたしが君にそのことを話すってわかっていたから、ランプのことを話したんだ。例え本当にエマが例のランプを持っていたとしても、彼女の疑いを臭わせるなんて、何か企んでいるに違いない」

「エマに疑いを向けさせるために、おまえにそのことを話したって言うのか?」

「そうだよ」

 ライラは真剣に俺を見た。

「彼女は本気になれば、なんでもする。あたしですら切り捨てるだろう。そうしなかったのは、役に立ってたか、邪魔にならなかったかのどちらかだ。それほど彼女、シャノン・マートフは恐ろしい女なんだ。彼女があの日、領主邸にいたのは、必ず理由がある。それからこれは関係があるかわからないけど、あたしがアレリアの金持ちの邸に潜入したのは覚えてる?」

「ああ、覚えてる」

「誘拐された少女がバジリスクの卵っていう特殊なものを与えられたって聞いたけど、それをサテュロスから買いつけたのも彼女なんだよ。彼女はあの事件とも間接的に絡んでいたんだ」

 これほど事件に関わっているのだとしたら、失踪していたツカサは、そのシャノンのところにいたのではないか。しかしそれではエマの家の肖像画や邸の者たちの話と食い違ってしまう。なんのためにツカサを攫ったのかもわからない。だがこれまでに失踪した〈メイト〉がシャノンに攫われた可能性は高いだろう。召喚術を使って〈メイト〉を呼んでいるのもシャノンかもしれなかった。

 にわかに浮上してきたシャノンのすべてが疑わしい。召喚術が一方通行である以上、シャノンはツカサを、〈メイト〉を帰す気などなかったはずだ。もしかしたらアサギにも接触していたかもしれない。そうだ、こんなところで話している場合じゃない。一番接点を持っているエマを追い駆けなければ。

 扉がノックされた。今度はなんだと思いながら返事をすると、またしても使用人が来客を伝えてきた。こんな時にいったい誰だと舌打ちをし、ライラに執務室にいるよう言ってから紅の応接間に向かった。ガラス扉を開けるとまたしてもムティラフが窮屈そうに椅子に座っていた。

「……間が悪かったか?」

 俺の様子に尋常でないものを感じたのか、ムティラフは遠慮がちに言った。俺は苛立ちを抑えつつ、彼の用件を訊いた。

「例の金持ち女が卵をどこから手に入れたのかわかった。マートフという魔族から受け取ったそうだ」

「それならもう知ってるよ」

 息をついて、膝から崩れ落ちそうになるのをなんとか耐える。混乱している時に、既出の情報をもう一度聞かされるのは拷問だ。

「なんだ、一足遅かったのか。折角急いで来たんだがな。女は、マートフとは随分前からつながりがあったようだ。それに二、三ヶ月前、領主の娘が誘拐されただろう。金持ち女が黒幕だったんだ。女は領主の娘を誘拐して、他種排斥論を下げるよう交渉しようと考えていたらしい」

 ムティラフは髪を撫でつけていたが、俺が椅子にも座らずに項垂れたのを見て、心配そうに言った。

「おいおい、だいじょうぶか? 確かに立て続けに事件が起こって、挙句領主まで死んじまったからな。頭が痛くなるのもわかる」

「……領主が死んだ?」

 まさかの言葉に、俺は穴が開くほどムティラフを見た。

「聞いてないのか? 昨晩、焼死体で発見されたと聞いたぞ。誰かが報告しに来たはずだが」

「今朝はここにいなかったんだ」

「じゃあ、報告書くらいは置いてったんじゃないか?」

 最本部に帰って来てからはククラたちを執務室に呼び出し、そのあとすぐにエマの家に行ったので書類に目を通している時間がいなかった。彼の言う通り、きっと机の上にそれは置いてあるはずだ。迂闊だった。

 領主邸に確認に行かねばならない。間の悪いことはこんなにも重なるものなのか。結局は私情を後回しにし、俺は領主邸へと向かった。領主は邸の二階の応接間で、焼死体で発見された。一部の焼け焦げた壁や絨毯が火の激しさを物語っていた。しかし報告書にもあった通り、領主の死の原因は室内の火事ではなかった。室内は燃えていない場所が多いことから、どこかから引火したというよりは直接体が燃えたようだった。死体の様子も、ほとんど丸焦げになり、領主とわかるものは体形くらいだった。形があるだけマシかもしれない。

 目撃していた使用人が言うには、客人と話していた領主が急に燃え出したらしく、丸焦げの死体は領主本人で間違いないようだ。客人の女は混乱に乗じて姿を消していた。女はこの間の晩餐会にも出席し、途中で帰っていたことがわかった。黒髪に赤い眼の、口元に紅を引いた美貌の女だったという。例の男が殺されて俺が客人の取り調べをした時、魔族らしき人物、もっというと黒髪赤眼の人物を見た記憶がなかったことを考えると、俺が領主邸に来る前に帰ったということになる。

 この女がシャノンだ。

 彼女は本気になったのだ。そして今回のことを始末にかかっている。

 俺は近場で待機させていたライラと合流し、これからミネルバに行かねばならないことを伝えた。ライラは自分もついていくと言った。エマに事情を聞きたいと。俺たちは急いで手配した馬に乗り、湖を迂回してミネルバへと向かった。

 空が茜色に暮れていく。

 何も起こっていないことを、切に願った。

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