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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第四章

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迷子のぬくもり 1

 灰色のロングコートを着たククラは、馬車に乗り込んだ当初から黙り込んだ。相手が話をする気がないとわかっている以上、俺ができることは何もない。夜遅くまで仕事をしていたおかげもあって、眠気が目の奥で待機していた。馬車の格式は上のほうなのでそれほど揺れず、苦も無く眠れるはずだった。腕を組んで目蓋を閉じてから三十分後、ようやく意識が遠のいていったのだが完全なる眠りに沈むことはなく、すこしの休息にもならなかった。

 馬車は湖の上の橋を通り、やがてミネルバの町へと入った。それからしばらく走って町外れに行き、目的の場所から歩いて十分ほどのところで止まった。俺は目蓋を開き、背中を伸ばす。向かいに座るククラは様子が変わっておらず、俺は精巧な彫刻を見ている気分になった。

 馬車を降りて、目的地の邸に続く道を確認する。いい天気だが、日差しが寂しく感じられた。昼間であっても息がすこし白くなる。

「ここを歩いて行けば着くぞ」

 振り返ってククラを見るが、ククラは馬車から降りたその場所から一歩も動いていなかった。馬車はとうに町のほうへと戻り、影が小さくなっている。

 ククラが口を押えて屈み込んだ。

「おい、だいじょうぶか」

 吐いてはいないがつらそうにしている。

「すみません……ちょっと……気持ち悪くて……」

 まさか馬車に乗って気持ち悪くなったのだろうか。確かに噂でそのような症状が出ると聞いたことがある。酔いと呼ばれているが、二日酔いみたいなものだろうか。詳しく訊いてみると、彼女は頭が気持ち悪いと言った。セルペンスも同じような症状を訴えていたことを思い出す。酔うというのはそんなにつらいことなのだろうか。

「立てるか? 十分くらいで着くから」

 ククラは苦しそうにしながらも頷き立ち上がると、俺のあとをゆっくりとついて歩いた。どうしようかと散々迷ったが、半ば強引にククラを背負うと足早に道を進んだ。このほうが三倍は速かった。二、三日前の俺だったら、まさか彼女を背負うことになるとは考えもしなかっただろうし、義理もないと思っていただろう。それがいまは情けすら覚えている。舗装されていない地面を歩くたび、乾いた土が足音を際立させていた。

 黒の大きな門扉の前に着き、肩で押して開けようかと思っていると、庭掃除をしていた少女がこちらに気づいて駆けてきた。少女が近づくにつれ、長い髪は水色で、耳の後ろに白い角が生えているのがはっきりと確認できる。彼女はコーラルといい、ノアが面倒を見ている訳ありの少女だった。紺色のケープを羽織り、草色の長いスカートを履いている。

「どうしたの?」

 少女は驚きながら、俺の背に負ぶわれているククラを見ていた。ククラはつらいのか先程から何も言わない。

「悪い。ここ、開けてくれるか」

 コーラルは門扉を開け、俺たちを導くように家の前まで先立って歩いた。それから玄関の扉を開けると家主を呼びに入っていった。程なくして家主である紅い髪の男ノアが、白のシャツに焦げ茶のチョッキ、警備隊の黒のズボンという姿で現れた。見回りには行っていなかったようだ。運がいい。

「どうしたんだ」

 ノアは心配するように俺の背のククラを見る。

「応接間のソファー、貸してもらえるか。気分が悪いみたいだから休ませたい」

「ベッドのほうがいいんじゃないか?」

「二階まで上がるのがつらい」

「そのくらい頑張るべきだと思うけど」

 ノアは呆れながら家に入り、俺はそれに続いた。赤い壁の廊下をすこし行くと右手に応接間があり、扉がないので手を使う必要もない。中に入って暖炉の近くに並ぶ青い三人掛けソファーにククラを横たえると、彼女はかけていた眼鏡をなんとかローテーブルに置き、弱々しく、すみません、とつぶやいた。ノアが毛布を持ってきて彼女にかける。

「キッチンのほうで話そう」

 ノアの提案に頷く。赤の廊下に戻って白の回廊へと入ると、回廊の真ん中には以前と変わらず木の板が置かれていた。この板の下に俺が開けた穴があった。

「これ、君がやったんだってね」

 ノアはじろりと俺を睨むと、右手側にあるキッチンの扉を開けた。白い壁の広いキッチンには食事をする四人用のテーブルが置かれている。コーラルは庭掃除に戻ったのか姿はなかった。席に着いた俺に、ノアが紅茶の用意をしながら訊ねる。

「それで? 彼女は誰なんだ?」

「部下だよ。総務課の新人のククラ・ドリー」

「君が誰かと一緒にここへ来るなんて、珍しいこともあるんだね」

「まあ、そうだな。彼女に頼まれたんだよ。ここに来たいって。おまえと知り合いなのかと思った」

「さっき会ったのが初めてだよ。総務課のひとに知り合いはいない」

「でも変なんだ。ククラはここの手書きの地図を持ってた。誰かに頼まれたはずなんだ」

「地図?」

「そう。小さい紙に書いてあった。すこし下手くそだったが」

 俺は、昨日ククラが休暇の申請に来た時の様子を話した。

「サジタリスさんとは関係ないのか? 同じ総務課だったのなら、彼女に会いに来たかもしれない」

 ノアの意見に俺は一瞬有り得なくもないと思ったが、すぐにそれを否定した。

「ククラはサジタリスが抜けた穴を埋めるために総務課に来たんだ。ふたりは会ってすらない」

「それなら、ククラさんとうちの隊の誰かが知り合いってことなんじゃないか?」

「それなー……」

 ふと考えてはみたが、サジタリスを除けば候補はアサギとリートのふたりになる。アサギは黒髪の青年で、ふつうに話はできるがいつも無表情である。一昨日に会ったリートもここの隊に所属していた。このふたりのうちだと、アレリアの警備隊に所属していたリートのほうに可能性があったが、ククラの性格上どうしても接点があったとは思えない。ククラよりもエマのほうが、同じムティラフの隊に所属していた者同士、リートと接点がありそうだった。

「ここで考えるより、本人に訊いたほうが早いと思うけどね」

 ノアはテーブルに次々と食器を並べ、最後に紅茶の入ったカップを置くと、俺の斜め向かいに座った。美味しそうなスコーンが置かれている。

「手紙、読んだんだろう?」

 ノアの問いに頷き、紅茶に口をつけた。桃のいい香りがする。

「読んだよ。預けてた木箱が盗まれたんだって?」

 ノアは重々しく頷いた。

「一週間前のことだ。夜、私がいない時に入られた」

「ほかに何か盗まれたか?」

「いや特には。金目のものは手つかずだった」

 やはり狙いはあの木箱だったということだ。

「あまり慌てないな。あの木箱には何が入っていたんだ? 大事なものだったんじゃないのか?」

「もちろん大事だったさ。何せあれは、獲物をおびき出すエサだからな」

「エサ?」

「おまえには悪いけど、あれはある権利書の偽物なんだ」

「偽物、って、なんでそんなものを……」

「言ったろ。獲物をおびき出すエサだって」

 ちなみに偽物なので、木箱の錠も実はこの家の鍵で開けられるようにしていた。ノアはそのことには気づかなかったようだ。

「じゃあ、そんなことのためにこの家が荒らされたっていうのか」

 ノアは憤懣として、俺を非難がましく見た。納得がいかないのだ。

「だから悪いって言っただろ。コーラルはだいじょうぶだったのか?」

「かなり怯えていた。私が帰って来た時、部屋にいなくて、捜したら別の部屋のクローゼットに隠れてた。犯人にあれほど怒りが湧くとは思わなかった」

 ノアは不機嫌に口を曲げていた。それほど彼女を大事に思っているのだろう。と、相談することがあったことを思い出す。

「そうだ、彼女のことで話すことがあったんだ」

 俺がそう言うと、ノアはさらに不機嫌になった。

「私もあるよ。言いたいことが、たくさんね」

 ノアはいつになく怒っていた。

第七地区警備隊本部モデル:Yelford Manor

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