名もなき男の死 5
死んだメイドの名は、ファニー・ブラダ。三十七歳。体格はやや太め。古参のメイドで、明るいがすこしだらしのない性格だったようだ。手癖も悪く、メイド内で失せ物があった時は十中八九ブラダが犯人であったという。
メイドたちの話を聞きつつ、俺は不可解でならなかった。ブラダに外傷は見当たらなかったのだ。しかしあの顔を見て自殺だと思う者は皆無だろう。
何故メイドを殺す必要があったのか。しかも警備隊がいる邸の中で堂々とだ。
死体は冷たかった。今朝方書斎に入った使用人がほかならぬブラダであり、彼女はあの窓を開け、そのあとに殺されたことになる。
もし本当に書斎の呪いというものがあるのなら、呪いがブラダを殺したのか。しかし俺は体調不良にもならず、死んでもいない。この差は何が原因なのだろう。色々なことが頭の中で浮かび、思考をこんがらがそうとする。こんな時サジタリスがいたら助言のひとつでも言ってくれたことだろう。あるいはその鋭い観察眼で気のついたことを話してくれたかもしれない。これがある種族の超常的な力によるものだと誰かが言ってくれたら、喜んでそのまま受け入れるのだが、土地柄のせいでその可能性は低く思われた。
思わず溜め息が漏れた。こういう時、自分がもうひとりいてくれたらと思わずにはいられない。しかし同じ思考に偏る危険もあるので、結局のところ一番いいのは第三者の目だ。だがこの邸で唯一の、その第三者の目に足りうる人材かどうかのキミシアには、惨状を見せるわけにはいかず、あのあとすぐ自室で控えるように伝えていた。今回の被害者は先の男と違って顔見知りであり、衝撃も大きいと思われた。
これでは当分の間、領主邸から警備隊を撤収させることができないだろう。その説明をした時ミドエは留守だったが、代わりにミドエ夫人が取り合った。夫人は典型的な高飛車で高慢な性格をしていたが、この時ばかりは警備隊の常駐を有り難がっていた。
俺が警備隊の最本部に帰り着いた時、日も落ちて空の一部が茜色をしていた。近くの山の稜線が際立ち、山々の存在感を深めていた。見つめていると目が痛くなるので、ほどほどにして中に入る。使用人にローブはおろかジャケットを預けてもいいくらいに屋内は暖かく、快適さに体の余計な力が抜けていくようだった。
「旦那様、お客様が応接間でお待ちでございます」
使用人の言葉に頷く。玄関ホールから応接間に続くガラス扉の向こうに、その来客の姿を見ることができた。
この邸には応接間がふたつあり、紅の壁が映える応接間と、その右隣に白い壁の品のある応接間がある。来客の応対をする時は、白よりは狭い、紅の応接間で行っていた。落ち着いた紅色なので、目が痛むこともあまりない。俺の執務室は白い応接間のさらに右隣にあった。
ガラス扉を開けると、一人掛けの肘掛け椅子に座っていた、ひげで強面の男が首だけを向けてきた。アレリアの第二地区警備隊隊長、ムティラフ・ルブレサックだ。
「大変だったそうだな。また死んだそうじゃないか」
大きな体を窮屈そうにして座っていたムティラフは、厳しい顔で話しかけてきた。
「メイドのひとりが死んだよ。色々と調べてきたが、立て続けに事件が起こると頭が混乱しそうだ」
俺は大袈裟に首を振って向かいの肘掛け椅子に座った。
「それで、今日は?」
俺が話を促すと、ムティラフは思い出したように言った。
「報告というほどのことじゃないんだ。この前の誘拐事件のことでな。いや、参ったよ。あいつもよく粘る。肝心なことは話さないんだからな。だが、証拠や証言がようやく揃ったから、あいつを問い詰められそうだ」
ミネルバとアレリアで起きていた誘拐事件。その首謀者であるウェイデン家の女主人はすでに逮捕されていたのだが、俺が知りたかった肝心のことに関しては口を割っていなかった。ウェイデン邸はアレリアの第二地区にあったので、ムティラフが尋問担当になっていた。
「本当にわかればいいんだけどな」
「まあ、任せておけ。なんとかバジリスクの卵の入手経路を吐かせる」
バジリスクの卵は食べた者を半永久的に昏睡状態させることのできる代物で、バジリスク自体がかなり特殊な魔物だった。その魔物を唯一飼いならすことができるのがサテュロスで、卵はほとんど出回ることがない。それほど特殊なものが出てきたとなれば、きな臭さを感じるのも当然だった。
ガラス扉がノックされ、俺とムティラフが目を向けると、向こうにエマが立っていた。
「失礼します。こちらにいたんですね。ムティラフ隊長、お疲れさまです」
「ああ。元気そうだな」
ムティラフは姪に対するように柔らかく笑った。エマが前に勤めていた隊がムティラフの隊だったので、ふたりは旧知の間柄だった。
「今日の領主邸の報告が上がってきたので持ってきました」
エマは報告書を差し出し、案外早いなと思いつつ礼を言って受け取った。俺が現場を調べている時に同行していた隊員たちが並行してまとめていたのだろう。ざっと目を通してみるが、読んだ限り俺の持っている情報とあまり変わらない。が、三つほど新しい情報があった。
被害者ブラダの衣服のポケットから指輪が見つかったという。どうやらそれは彼女の物ではないらしく、ほかのメイドの物でもなかったようだ。いったい誰の指輪なのだろうか。手癖の悪い被害者のこと、誰かから盗ってしまったのだろうか。
もうひとつは、例の男に刺さっていたナイフが領主ミドエの物で、書斎の机の引き出しに入っていた物だった。そこに入っていることを知っているなら、誰でも使えたことになる。
最後に、男とブラダの胸のあたりに紫色の斑点が浮かんでいたこと。この斑点は毒によってできた可能性があると書かれていた。
読み終わって顔を上げるとエマは脇に立ったままで、特に何かするわけでもなくそわそわしていた。
「どうした?」
「いえ、あの、まさかまた事件が起こるなんて思いもしなかったので……」
事件のことが気になっただけか。気になったといえば俺も気になったことがあった。
「その頬、どうした?」
室内の明かりでははっきりと見えないが、彼女の片方の頬がすこし赤くなっていた。エマは急に眉を吊り上げて握り拳を作った。
「ネイハムさんですよ! 酷いんです。わたし、うっかり椅子で寝てしまったんですけど、その時頬を思いっ切りつねったんです。自分だって机に突っ伏して寝てたくせに」
どうやら上の階で仮眠を取らなかったようだ。
「さぞかしいい顔してたんだろうな、ネイハム」
「悪い顔です! 起こしてやったんだから感謝しろって、にやにや笑いながら言ったんですよ」
エマはその時の痛みを思い出したのか、何度も頬をさする。ムティラフが声を出して笑った。ネイハムの起こし方はあれだが、起こしたことで未然に防いだことがあるのだろうなと思った。
「それだけ認められてるってことだ。総務課に馴染んでいるようだな」
「隊長もやめてください。こっちは困ってるんです」
エマが怒っても迫力はなく、俺は肩をすくめ、ムティラフは楽しそうに笑った。
俺はふと考え、この場での第三者の目にエマとムティラフを採用することにした。エマを空いている椅子に座らせて話を仕切り直し、メイドの事件と、書斎で死んでいた男の事件の様子を詳細に伝え、ふたりに意見を求めた。
「メイドのほうは外傷がないのが気になるな。そうなると、毒か?」
ムティラフが唸った。俺は頷く。
「報告書にもその可能性があると書かれていた。男のほうもだ。問題はどこからどのようにして毒が入ったかだ」
「あの、男が毒殺されたとして、どうしてナイフが刺さっていたのでしょうか? 何か理由があるんでしょうか?」
エマは首を傾げる。
「確かにそれも不可解だ。なんのためにそんなことをしたのか。それに絨毯の上のランプも不可解だ」
あの状況を見るに、複数回刺されたにもかかわらず出血量が少ないことを考えれば、刺殺の可能性は低い。だがナイフは刺さっていた。刺さったままであることも気になる。
「絨毯の上でランプを点ける奴は、自分の家を薪にしたい奴だけだ」
ムティラフが呆れたように言った。
「そういう奴がいたら是非会いたいね。さっきも言ったが、ランプは一度倒れている。すぐに立てたのか、あるいは火が消えていたおかげでボヤにもならずに済んだ。焦げ跡もなかったからな。それなら、誰があそこに置いたんだ?」
そもそも置いたのかもわからない。筋の通るように考えるなら、ランプを持っていた時に倒れ、その場にランプを倒してしまい、そのあと立てた。という感じだろうか。
「死んだ男じゃないのか?」
ムティラフの問いに俺は首を振った。
「可能性はないわけじゃないが、ランプは男から離れたところにあった。エマはどう思う?」
俺の問いに、エマは眉間にしわを寄せて視線を足元に向ける。
「ランプが男のものかはわかりませんが、えっと、絨毯の上にあったのは、誰かが、何か探し物をしていた……とか?」
探し物か。一応隅々まで見たが、落ちていたり壊れていたりするものは何もなかった。それともすでに回収したあとだったのだろうか。そうだったとしても、絨毯の上にランプを置いたままにはしないだろう。家を薪にする趣味を持つ者がいるなら話は別だが。
しかし俺だけが考えられる別の可能性があった。ライラがそのランプを置いたのかもしれない。あるいは倒したか、立てたかもしれない。こればかりは本人に訊かねばわからない。
「ふたりが毒で殺されたと考えると、毒はいったいどこから入ったんだ?」
出血具合からナイフが刺されたのが死後だとすると、死後に刺したナイフに毒を塗っていたとしても意味がない。単純に考えると、可能性が高いのは口から入る場合だ。
「毒はその、机に置かれていたワインに入っていたんだろう。それ以外に考えられない。ナイフのほうは、犯人を捕まえて何故刺したのか問いただしたいところだな」
ムティラフはお手上げだというように首を振った。
「根本的な話ですが、その男がいったい誰なのかも気になります。何故領主様の邸にいたのでしょうか。司令官の言う通り、領主様の知り合いだったとして、二階ならまだしも三階にいたんですから、結構いい扱いをされていたのだと思うんですが」
領主の邸は家庭内の序列がそのまま部屋の階の位置となっており、領主とその夫人の寝室は当然三階で、二階に子供たちの部屋があった。しかしキミシアの話では、夫人は寝室を二階に移したようだった。夫人が自身の寝室を使わなくなった、あるいは使えなくなった理由があるのだ。
三人して難しい顔をしていると、またしても誰かがガラス扉をノックした。俺たちが顔を向ける前に扉が開き、後ろに手を回した偉そうな態度の男が入ってくる。エマが慌てて立ち上がった。
「戻らないと思って来てみれば、こちらで仲良く懇談会ですか? ロラン嬢。課長が呼んでいますよ」
灰色の髪に細面の男は面白くなさそうに目だけを動かして彼女を見、それから俺を見た。
「申し訳ありませんっ」
エマは顔を真っ赤にして必死に謝った。
「別にいいのですよ。私は何も交流を責めているわけではありません。ただあなたは、どうにも司令官殿に気に入られたいようですね。それならこの邸の、二階の寝台に腰かけて、司令官殿を待っていればいいのではありませんか? 止めはしませんよ」
エマはぐっとこらえ、一礼すると応接間を出て行った。エマに対して最大の侮辱を与えた男は、彼女の背中を見送ると口の端だけを満足そうに上げた。この男はエマに対して、ふたりも男がいる前で尻軽女と罵り、ついでに俺のことも侮辱したのだ。
男の名はスミス。冷静そうにしてかなりの傲慢な態度に初対面から嫌悪を抱いたので、名字しか覚えていない。本当は名字すら忘れたいところだが、この男を『それ』と呼ぶには『それ』という言葉に失礼な気がしたので、いまのところ忘れないように心がけている。
俺は立ち上がることなく男を見上げ、不自然なほど口の端を上げた。
「やあ、スミス。キミの後輩への指導方法はユニークだな」
「そのようなつもりはございません。私はただ、なすべきことをしたまでですので。それに司令官殿はお忙しい身。あなたの貴重な時間を私の後輩が奪うのは、望ましくありません」
スミスは何かと俺を目の敵にしており、今回はそれのとばっちりでエマに要らぬ苦痛を与えてしまった。若くして地方司令官になった俺に対する嫉妬が原因で、総務課の中では一番に俺を嫌悪していた。
スミスは一礼すると、ナメクジのように静かに応接間を出て行った。
「おまえ、よくここで働けてるな。まるで、あれだ。蜘蛛みたいな奴だな」
ムティラフがぽつりと漏らした。俺と同じように悪い印象を彼に持ったようだ。
「この借りは、いずれ返すさ」
ガラス扉を睨んだあとひとつ息を吐き、ムティラフとすこし話をしてから別れた。座ったまま物思いに沈んでいると、昨晩調子の悪かったククラのことを思い出した。今日は見かけていないが、休んだのだろうか。エマに聞いておけばよかった。エマはいま頃、悔しくて泣いているかもしれない。立ち直りの早い娘だが、周りを気にしすぎるところもある。
ひとの感情というものは本当に面倒なものだ。感情を意識して律することができる者はそれほど多くはないだろう。ひとの大多数は感情のままに、しかもそれとは気がつかずに行動をしてしまう。気づいていても止められなかったり、一見冷静に見えても、スミスのように平気で侮蔑の言葉を撒き散らしたりする輩もいる。
俺は眼鏡を取って視界を不鮮明にし、これ以上情報が入ってこないようにした。
ああ、疲れた。
ミネルバに行きたい。
二ヶ月近く前に姿を消してしまった、彼女に会いたい。
何も話すことはないけれど、無性に、触れたかった。
最本部モデル:Waddesdon Manor




