大義に踊る騎士 2
下見をしていたおかげで、ガタガタと揺れる馬車の窓から見える景色に改めて驚くことはなかった。口元を扇子で隠しながらじっくりと眺める。車内に自分以外誰も乗っていないのは、後ろに続くもうひとつの馬車にふたりほど乗っているからだった。そのふたりとふたつの馬車の御者のふたりが警備隊員だ。ただ招待状は三通ほど集めたので、夜会に潜入する警備隊員はもっといるだろう。
敷地内を通り、邸の前で馬車が止まる。夜の邸の外には明かりがついており、邸の従者が立っていた。従者が馬車の扉を開け、台を置き、あたしに手を差し出す。馬車を降り、次の馬車から降りてきた紳士のひとりが腕を出してきたので、そのまま添うように腕を組んだ。
ゆっくりと外の石段を上がり、エントランスから邸の中に入った。暖かいホールにはひとが集まり、そこかしこで話に花が咲いていたが、それほど大きな声ではない。壁には肖像画がいくつも飾られており、ホールの広さのために暖炉がふたつもあった。出入口なわけだから、絶えず薪を燃やしていなければ寒くなってしまうのだ。
ホールの向こうの部屋はサロンで、一通り立ち話が終わったひとびとが寛いでいた。使用人たちがワインの入ったグラスを渡したりついだりして回っている。紳士から離れたあたしにも勧めてきたので、ひと口飲む。口当たりはいいが味は甘すぎるか。ホールの左隣も開放されており、大きな風景画のタペストリーが飾られたその部屋でも招待客が談笑している。その部屋とホールとサロンにいる人数を合わせて、だいたい四十人くらいだろうか。時間も遅めに来たので、これ以降それほど客は来ないはずだ。
彼らの夜は長いのか、それから一時間近く経っても動きがなかった。あたしは一緒に来た紳士と話すのも気が引けたので、適当に相手を見つけて会話をはじめた。
「おや、見かけない方のようだが、お住まいはどちらかな?」
燕尾服が少々小さく感じられる白髪頭の紳士は、さりげなく隣に座ったあたしに嫌味なく訊ねてきた。
「モンターキのほうです。母が何度か来ておりましたが、体調が優れませんので、わたくしが代わりに」
モンターキはアレリアの西のほうにある地名で、そこに住む金持ちの地位は高くも低くもない。地位の高い金持ちが住んでいるスヴァンなどの名を出すと、相手の自尊心を傷つけかねない。評判がふつうの具体的な地名を聞き、マスクの下で紳士は警戒を緩めたのか腹を揺らして笑った。
「それはそれは。では、競売のことは聞いていますかな?」
「はい。母から聞いております」
「結構。今日は面白いですぞ。この間は家主を絞め殺す人形が出たが、今日は死者の生前の日々を覗くことができるランプや、瓶詰にされた妖精が出るそうだ。ほかにも興味深いものがいくつかあるが、今日の目玉はなんといっても自分の本当の心を語りだす鏡だろう」
「まあ、鏡ですか?」
あまり大袈裟にならないよう手を添えた口をすこしばかり開ける。紳士が満足そうに頷いた。
「左様。その鏡の前に立つと、鏡に映った自分が本音を話しだすのだそうだ。このような鏡があれば、気に入らない者の心のうちを知って秘密を握れるかもしない。そう考えるだけでわくわくするというものだ」
金持ち同士で日夜張り合っている彼らもまた、立派な他種排斥論支持者だった。そしてもれなくミネルバの町が嫌いである。大昔、ミネルバとアレリアは別の領地だったらしく、どちらかの領主がどちらかの町を奪ったらしい。湖を挟んでいたことで格差意識がどうにも埋まらなかったようだ。これが隣同士の土地だったら、また話も違ってきただろう。
しかしこれでは肝心の少女たちが競売に出されるのかわからずじまいだ。人魚のほかに獣人の混血の娘や、セイレーンの娘が誘拐されたと聞く。いままでよくミネルバに暮らしていたなとあたしは感心していた。もしかしたら近所付き合いはよかったのかもしれない。
紳士に挨拶をして離れ、ホールにつながる扉の近くにある椅子に座った。扇子を広げて、いかにも余裕そうにしながらあたりを観察する。壁は焦げ茶で落ち着いた印象を与え、肖像画が例のごとく飾られている。天井からいくつもの燭台が下がり、蝋燭が煌々と部屋を照らしていた。赤い絨毯は蔦模様が繰り返されており、白い天井と対を成している。明かり取りの窓は夜のためにカーテンが引かれていた。広いサロンの椅子に、ソファーにひとびとが座り、飽きもせずに話を続けている。
と、すこし離れたところで誰かが大きな声で何かを言っていた。それからすぐにあたしの座っている椅子の近くの扉から、ホールにいたひとびとが騒がしく入ってきた。サロンの右隣の部屋から、趣味の悪い紫のジャケットを着た女が出てきたかと思うと手を鳴らした。もちろんこの女もマスクをつけていて素性はわからない。髪の色からして、飾られている肖像画のどれにも当てはまらない。
「お待たせいたしました。それではこれよりはじめたいと思います」
その言葉が言い終わる前にあたしは肩を叩かれた。それが合流した時の合図だとわかり、一生分の期待に胸を膨らませて右に向いた。
「お・ま・た・せ~」
小声の、相手の間延びした語尾が空しく耳にこだまする。あたしの期待は呆気なく崩れ去った。
「彼、いいひとね~。あたしがどうしても参加したいって言ったら、譲ってくれたのよ~」
見た目は確かに紳士の装いだ。しかし仕草が到底合わず、やや内股で、野太い声が嬉しそうに弾んでいる。ふんわりとした茶髪が揺れ、マスクの下の瞳は感動で輝いていた。あたしたちの会話をよそに競売がはじまってしまった。ひとびとの背が邪魔でいま何を競っているのかわからないが、どうやらどこそこの有名な花瓶のようだった。
「ライラちゃん、よさそうなひと見つけてたのね~。あたしも狙っちゃおうかしら」
相手はうふふと口元に手を寄せて笑う。あたしは一瞬だが意識が飛びそうになった。
「ど、どうしてあなたが……」
「やだ、聞いてなかったの? だ・か・ら、代わってもらったのよ~。あたしはこっちで、彼はあっちってわけ」
ここが隠れ家ならあたしは確実に部屋にこもって泣いていた。扇子を持った手がわなわなと震え、あまりのことに言葉が見つからない。
「だめよ、ライラちゃん。折角のお化粧が台無しな顔になってるわ。笑顔よ、笑顔」
女でもない彼からまるで女失格と注意されている最中に次の品物の名前が声高に伝えられた。いわくつきのネックレスだというが、物好きな招待客の手が次々と挙がった。競売人の男が取り仕切り、その手の合図を拾っては数字を言っている。
「あ、そうそう。競売のね、目録っていうの? ちょっと拝借してきちゃった」
彼はジャケットの内ポケットからするりと紙を出し、あたしの前でそれを広げて見せる。
「それでね~、ちょっと不思議に思ったことがあるんだけど、聞いてくれる?」
いちいち確認しないと気が済まない彼の物言いは、彼の丁寧さをより強調させている。しかしそのあとは返事をしてもいないのに続きを話し出すので、いつもどうして訊いてくるのだろうかと思ってしまう。
「誘拐された女の子って四人いるらしいじゃない? でもこの目録を見る限り、女の子が出そうな感じがしないのよ~」
彼の白手袋をつけた指が並んでいる出品名を適当になぞる。目録を見ると、本心を語りだす鏡やよくわからない歴史書などの名前もあった。しかしそこで終わっている。確かに誰も書かれていない。少女のうちのひとりはスリプと同じ〈角を持つ者〉だった。しかし目録には角という字も、ほかの少女たちを示しているような出品名も見当たらなかった。




