傍観者の詫び言 3
リアに引っ張られて来た喫茶店の中は広く、楽団員と思われるひとたちがたくさんいた。入ってすぐにカウンターがあり、そこにギダと楽団の団長のジンが立っていた。ギダがいたことには驚いたが、ふたりのことが聞けてよかった。意識の戻らないノアのことは心配だが、あたしにはどうすることもできない。
あたしはリアに呼ばれて店内の一画に行った。そこでさらに驚いた。楽団員であふれ返る店内のテーブル席に、アサギが座っていたのだ。相変わらずのぼさぼさのくせっ毛で、椅子にぽつんと座っている。彼の姿を見てあたしが立ち止まってしまうと、リアがすかさず腕を引っ張った。
「ごめんね、ツカサさん。どうしてもアサギに会わせたかったの。事情は知ってるわ」
恐怖心がわいて、足がそれ以上動きそうになかった。リアも無理に動かそうとするのは諦めたのか、今度はアサギを引っ張ってきた。彼の表情はよくわからないが、暗いようにも見える。あたしの前に立たせると、リアが彼の背中を叩いた。すると彼は顔を上げてあたしを見、すぐに頭を下げた。
「あの……ごめんなさい」
彼の抑揚に乏しい声色から悲痛さを感じ、本当にそう思って言っているのだと思えた。
「アサギがね、あなたと何があったか話してくれたの。それで謝りに行く勇気がないっていうから、ここに連れてきたのよ。まあ彼、もともと楽団に参加するからここには集まる予定だったんだけど」
リアの言葉を、アサギは顔を俯かせながらじっと聞いていた。確かリアのほうがひとつ年下のはずだが、アサギのほうが下に見える。
「えっと、とりあえず、座ろうか」
あたしはそう言わざるを得ず、ひとつの卓を三人で囲んだ。一応この中では年長であるあたしが話を進めるべきだろうか。出し抜けに謝られたとはいえ、どう話をすればいいのだろう。
「ノアさんが」
アサギは唐突に話し出した。
「言っていたんです。あなたと仲良くしてほしいって。でも、どうしてもできませんでした。あなたを見ていると、昔の嫌なことばかり思い出して、どうしてもだめだったんです。だけど、ノアさんが刺されて、サイラスが倒れたって聞いて、なんていうか、あなたに謝らなきゃいけないと思ったんです」
単調に語ってはいるがアサギも参っているようで、何かを抑えるように膝の上で両手を握っていた。くしゃくしゃの前髪に目がほとんど隠れ、落ち込んでいるように見える。
「僕は、どうしたらいいですか。あなたに何をしたらいいですか」
なんとこたえたらいいのかわからずにいると、アサギの隣に座るリアがすかさず言った。
「そんなの簡単よ。自分のしたことをよく反省して、ツカサさんとできる範囲で仲良くすればいいの。ツカサさん、ちょっと手、見せてくれる?」
リアが手を差し出してくるので、あたしは右手を出した。包帯はもう取っていたが、手の状態を見て彼女は顔をしかめた。
「酷いわね。アサギ、これ、本当にあなたがやったの? 女を傷つけるなんて最低の男がすることよ」
「え、ごめんなさい……」
アサギは具合でも悪くなったような声だ。
「謝るんなら、次から仲良くすること。いい?」
「はい……」
「よろしい」
今回のことでふたりの力関係がはっきりとわかってしまった。リアが手を離したので、あたしは手を引っ込めた。
「それでね、ツカサさん。実はわたしからお願いがあって来てもらったの。わたしとしてはこっちが重要っていうか」
首をわずかに傾げてリアの言葉を待つが、どうも嫌な予感がする。
「あなたにね、踊り子をやってもらいたいの」
「むり」
考える間もなくこたえが飛び出した。言ってから表現がストレート過ぎたと慌てた。
「あ、ごめんね。あたし、そういう表に出るの、苦手で」
緊張がいつまで経っても取れないので、表舞台に立つのはかなり苦手だった。
「そう言わないで。もう団長に話してしまったのよ」
「え」
「ね? お願い! 毎日あったかい朝食を届けに行ってあげるし、晩ご飯は招待するから!」
魅力的な条件を出され、あたしは動揺した。いくらこの二日間やるせなく時間を過ごしたといっても、腹は減るのである。家主は不在で、どこに買い物をしに行けばいいのかわからなかったあたしは、家にある最小限の食べ物で空腹を凌いでいた。幸い、その時はあたしに気力がなかったので、それで満足できていた。しかし今日帰ったとして、昼、あるいは夜のご飯は、ない。こんな活気のあふれるところに来て、腹が減らないわけがない。
あたしは迷いに迷った挙句、その条件を呑んだ。リアが諸手を上げて喜んだ。
それからすこしして楽団の練習をはじめるらしく、場所の移動がはじまった。あたしとリアは一緒に連れ立って、日差しの暖かい通りを練習場所まで歩いた。
「実はね、あなたのご飯のことを心配してたの、アサギなの」
驚いたが、確かにと納得できた。警備隊でもないリアが、第七地区警備隊が欠員による業務停止になり、その余波であたしがひとりで過ごしていることなど知らなかったはずだ。帰ってきているというサイラスから聞いたのなら話は別だが。
「さっきの感じを見てると、なんかリアの弟みたいね」
あたしの返答にリアがおかしそうに笑っていると、通りの向こうから少年が走ってきた。
「リア姉!」
少年は嬉しそうな声を上げる。前にハンカチを貸してくれたコーラルだった。
「おはよう、コーラル」
「おはよう。ねえ、踊り子やるって本当?」
「ええ、本当よ。頑張るわ。あ、それとね、彼女もやることになったのよ」
リアがあたしを見ると、コーラルもあたしを見た。すこし顔をしかめている。
「え、だいじょうぶなの?」
心配そうに見られ、あたしはてっきり〈メイト〉だから踊り子をやるのは論外だと、そう言われたのかと思ったが、違った。
「だって、結構難しいよね? 踊り」
「え? そうなの?」
すぐさまリアを見るが、リアは目を合わせない。代わりにコーラルが頷いた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。一週間後なんだよね? だいじょうぶなの?」
「頑張ればだいじょうぶよ! 為せば成る!」
リアに根性論で押し切られた。食の心配を取り除いた代わりに、あたしは別の不安をたくさん抱えるはめになった。
*
日か経ち、練習が終わってリアの家で晩ご飯をご馳走になった。そこではコーラルも一緒で、リアとはよく食卓を囲んでいるようだった。ひとのいいリアのことなので、何か理由があって彼を招待しているのだろう。彼女たちはとても仲が良かった。コーラルはともすると、リアを好きというより懐いているように見えた。
自分の運動神経に鞭を打って、多少のコツを掴みはじめていたが、踊りというのはただ体を動かすのとは違う。音楽に合わせて体をしなやかに動かすので、当初はかなり苦戦した。自分が思ったよりも踊りが下手くそだという事実を受け止めることからはじまり、いま現在ようやくスタート地点に立てた気がした。あと数日で踊りをモノにできるのだろうか。不安しかない。
今日は送っていけないとリアが断ったので、あたしは仕方なしに本部までの道のりを歩いた。道の複雑さに戸惑っていた頃と違い、いまはこうしてひとりでも帰ることができるようになった。しかし誰もいないあの家に帰ると思うと、寂しさがわいてくる。いや、明日もリアが来てくれるのだ。彼女のおかげで余計なことを考えなくなったのは有り難く、体の虚脱感もいまはなかった。
借りたランタンを持って暗い通りを歩いていると、何回かひととすれ違った。ミネルバの住人は寝るのが早いので、この時間にはあまりひとは出歩かない。〈メイト〉と知られるのが嫌だったのでなるべく顔を見ないようにして歩いた。
「あれ、エマ?」
下ばかり見ていたので、止まっていた相手にぶつかりそうになった。ハッとして顔を上げると、背の高い女がそこにいた。鳶色の髪を引っ詰めている。
「あぁ、ツカサだったんだね。人違いをしてしまった」
ライラだった。彼女と会ったのは十日くらい前だっただろうか。宿泊施設の廊下で別れてからライラとは会っていなかったので、まさかこんな偶然があるとは思いもしなかった。
「どうしてここにいるの?」
「まあちょっと野暮用があってね。あなたこそ、こんな夜に出歩いてどうしたんだい?」
ライラは何気なく訊いてくる。
「あー、いまね、演奏会の踊り子をすることになって、それの練習で毎日くたくたなの」
「ああ、それは大変だ。早く帰ったほうがいい」
その言葉を聞いて素直に頷けばいいのに、あたしはなんだか頷けなかった。
「どうかした? もしかして、彼、まだ帰ってないの?」
「知ってるの?」
ライラは何故そのことを知っているのだろう。
「君も知っての通り、職業柄、色々なことを小耳に挟むから。そうか、じゃあいまはひとりで大変だね」
そういえば彼女は盗賊団のお頭だった。すこしだけ怖くなるが、彼女の優しそうな目元を見ているとそんな気がしなくなる。あの時は逃げ腰で情けない感じもしたが、基本的に優しいのだろう。
「あの時怒られてるみたいだったけど、ライラって、ノアさんのこと、苦手なの?」
こちらは何気なく訊いたのだが、相手にはかなり重大なことだったらしい。ライラは一歩、後ずさった。
「え、いや、そういうわけじゃないんだけども……」
またしてもしどろもどろになっている。
「えっと、いや、すごく前に、アレリアで会ってから顔見知りなんだ。でも決して苦手というわけじゃなくて、うん」
「その時から盗賊なんだっけ?」
「え? ああ、そうだよ。それにしても、さっきは驚いたよ。君が知り合いにすごく似てたんだ。暗かったからだけど」
ライラはかなり強引に話題を変えようとしている。これ以上訊くのも可哀想になったので、あたしはその話にのった。
「暗いから似てると思うのも当然だと思うわ。だって、遠くから見たらただの黒い影だもの。背格好さえ似ていれば勘違いしても無理ないし」
あたしがいまランタンを持っていることには触れないでおいた。
「そうだね。彼女もね、君と同じような髪型をしていたから、そのせいかもしれない。もう三年くらい会ってないから、いまどうしてるかな」
ライラは懐かしそうにしていたが、あたしをこれ以上引き留めては悪いと思ったのか、すぐに別れの挨拶をして去っていった。




