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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第四章

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魔女の挨拶 5

 サイラスが言うには、あたしは特別な任務であるらしく、邸内の警備には当たらないようだった。調度品や壁にかけられたタペストリーを見つつ、吹き抜けのホールを通り過ぎ、階段を上がった。

「ここがダイニングで、領主と客は晩餐会中だ」

 上がってすぐ左手側にある扉をサイラスが顎で指した。中の様子は見られないが、先程から使用人と思われる男たちが料理の皿を持って扉を行き来していたので、すぐに扉から離れた場所に移動した。

「会食が終わったら、そのまま二階の応接間か三階の画廊に移動するらしいけど、さっきはじまったばかりだから当分あとだと思う。俺は一階にあるキッチン周辺、ノアさんは二階で警備だってさ」

 サイラスの口ぶりから、あたしは彼らと一緒ではないらしい。

「で、おまえなんだけど」

「キミはこれから、領主の娘さんのお相手だよ」

 不意に後ろから声がかけられる。サイラスは見るからにうんざりした表情で、あたしの後ろを見ていた。一瞬心臓が不自然に跳ね、胸をさすりながらゆっくりと声のほうに振り返る。

「酷い顔してるねぇ、サイラス」

 ギダが楽しそうに笑っている。いまは眼鏡をかけていたが、先程の様子からすると眼鏡がなくてもそれほど支障がないようだ。

「あー、いや、すみません。素直な性質(たち)なんで」

 サイラスは目を逸らし、乾いた笑いを漏らす。

「じゃあな、ツカサ。俺はもう行く。司令官、あとは頼みます。真面目にやってくださいよ」

 あたしの肩に軽く手を置いたあと、サイラスは先程の階段をさっさと下りて行ってしまった。あたしは急に不安になり、眉を寄せながらギダを見た。

「だいじょうぶだって。取って食ったりしないよ」

 ギダはあたしについてくるよう言い、サイラスが下りていった階段を下りた。

「どうして一階に行くの?」

「この邸は変な造りだから、さっき君が見たダイニングを通るのが近道なんだけど、それ以外は一旦一階に下りないと彼女の部屋に行けないんだ」

 先程通ったホールを通り過ぎ、すぐ右手側にある幅の広い石階段を上がった。この邸の外観は左右対称だったが間取りは複雑なようだ。階上に行くための階段がふたつあるのも、建物のその大きさゆえなのだろう。踊り場のところで、右曲がりの狭くて八段くらいしかない階段を上がり、左斜め後ろの扉を通る。すこし広いところに出て、その向こうに扉があった。こうもぐるぐると回っていると、自分がどちらを向いて、建物のどこらへんにいるのかわからなくなる。ギダは扉の前で立ち止まった。

「どうしてあたしが娘さんの相手なの?」

「〈メイト〉が来てるなら、一目見てみたいって言い出しちゃってさ」

 振り向いた彼は、だだをこねる子供を見た時のように、仕方がないという様子だった。

「でも、領主は〈メイト〉が嫌いなんでしょう? それなのにどうして?」

「領主はそうでも、その子供まで同じとは限らないってことさ」

 それもそうだと思った時、ふとあることを思い出した。

「あの、懐中時計とバッジなんだけど……」

「あ、覚えててくれたんだ」

「今日、あなたに会うなんて知らなかったから、持ってきてないの」

「別にいいよ。今度返してくれれば」

「あれって大事なものだった? あのバッジを見せただけで、お店のひと、すぐに協力してくれたから」

「ああ、うん。あれ、警備隊の地方司令官だっていう証明のバッジなんだ。だから失くしたって言ったら、サーシャにめちゃくちゃ怒られてさ。俺の部下なんだけどね」

「ご、ごめんなさい」

 そんなにすごいものを預かっていたとは思いもしなかった。

「謝ることないよ。貸したのは俺だからね。全部俺の責任」

「あとね、鍵、あったの。バッグの中に」

「そりゃそうだよ。俺が入れたんだもん」

「え、いつ?」

「抱き締めた時」

 言われて思い出してしまった。

「サイラスを追い駆けて路地に入ったあと見つけたんだ。ふつうに落ちてたよ。いつ返そうかな~って思ってたんだけど、ふつうに返すのもあれかと思って」

「ふつうに返してほしかった……」

 熱くなった頬を手で押さえると、ギダは楽しそうに笑った。しかしすぐに笑みを引っ込め、ぽつりと言った。

「ノアから聞いた。間が悪い時に来てもらったようで、本当にすまない。この件も、キミのことは隠しておきたかったんだ。こうなることは予想できてたから」

 あたしを肩越しに見てから、彼は扉をノックした。彼は、申し訳なさそうに眉尻を下げていた。そんな顔をしたことに驚いた。どうやら〈メイト〉がミネルバに来ていることを領主の娘に知らせたのは、彼ではないようだ。あたしをアレリアに呼んだ本当の理由はこれだったのかもしれない。

 扉が開き、メイドらしき女とギダが二、三の言葉を交わすと、メイドは中に入るよう扉を大きく開け、身を引いた。あたしは彼のあとに続いて部屋の中へ入った。

 ふつうの部屋にしてはやはり広く、天蓋つきの大きなベッドに、床に置かれている大きな木箱。サイドテーブルやちょっとした棚の上にはおしゃれなオイルランプがいくつも置かれていた。そういえば大きな邸だというのにシャンデリアを見かけない。ただ単に見かけていないだけなのか、それとも夜の光源は、こうしたオイルランプや手持ちの燭台が主戦力なのだろうか。窓枠で九つに区切られた大きな窓がふたつあるほかに、円形のテーブルがある。椅子に座っている少女がこちらを見ていた。

 複雑な柄の絨毯を踏みしめながら進み、ギダが立ち止まったのであたしも立ち止まった。

「キミシア、彼女が〈メイト〉です」

 ギダがそう言ってあたしを紹介した。座っていた少女が勢いよく立ち上がる。

「まあまあ! 本物なのですね!」

 愛嬌のある笑顔が印象的な金髪の少女だった。フリルをふんだんにあしらった赤いドレスを着た少女は、あたしに駆け寄って目を輝かせた。

「本当にお待ちしておりました。お名前はなんというのですか?」

 少女の輝いた目に圧されたが、あたしはなんとか口を開いた。

「如月司、ですけど」

「キサラギツカサ……? まあ……まあ! 聞いたことのないお名前! そのようなお名前、一度も聞いたことがありません。本当に〈メイト〉なんですね。わたし、わたし、感激です!」

 淡い金髪の少女はますます嬉しそうに、あたしを穴が開くほど見つめ、それからあたしの手を取った。

「本当に本物なんですね。ぜひわたしとお友達になっていただけないでしょうか?」

「へ?」

「お話を聴かせていただきたいのです。……えっと」

「ツカサが名前ですよ」

 ギダが助け舟を出した。言葉こそ丁寧だが、彼女には結構気を遣わずに話している。かしこまった様子もない。領主と地方司令官が対等の立場にいることを考えれば、それはそれでふつうなのかもしれない。

「そう、ツカサ様のことを聴かせていただきたいの! お父様はお嫌いなようですが、わたし、書物で〈メイト〉のことを知ってから、ずっと〈メイト〉にお会いしたいと思っていたのです。まったく別のところからひとが来るなんて、こんなにロマンチックなことはありません。お兄様もお姉様も、ここにあなたが来ていると知ったら、きっと驚くわ」

 少女は興奮しきった様子で捲くし立てた。あたしは言葉に詰まった。これが動物園のパンダの気持ちなのかもしれない。

「だめですよ、誰にも言わない約束です」

 澄ましたギダが軽くたしなめた。途端に少女の顔が陰る。

「そうでした。ごめんなさい。わたし、わがままを言ってあなたを連れてきてもらったのです。お父様は〈メイト〉がお嫌いだから、ここに来ていると知ればお怒りになるでしょうし……。前の司令官様だったら絶対に叶えてはくださいませんでした。でも、でもいいわ。わたしはあなたにお会いして、お話が聴ければ満足ですもの」

 そして期待するような眼差しを向けてくる。悪い子ではないが、やや対応に困る。

「悪いけど、話してもらえないかな。そうすれば彼女も満足するから」

 ギダの囁きに背筋がぞわぞわして思わず振り返った。彼はいつのまにか背後に立っており、余裕そうにあたしを見下ろしている。何秒か睨んでみたが様子は変わらない。あたしはゆるゆると諦めの溜め息をつき、観念してキミシアに勧められた椅子に座った。彼女は別の椅子を引きずってくるとあたしの隣に座った。ギダは離れたところの壁に寄りかかって腕を組み、茶髪のメイドは黙って紅茶を淹れはじめた。

 何から話そうか考えたが順序立てて話すのは思いの外難しく、思い浮かんだこと、思い出したことを話すことにした。

 あたしが通っている大学のこと。

 友人のこと。

 住んでいる町のこと。

 季節のこと。

 家族のことだけは話さなかった。

 そろそろ話す内容がなくなってきた頃、部屋の扉がノックされた。メイドが扉を開けるとそこには白の制服を着た警備隊員が立っており、一礼してギダに歩み寄ると、何かを耳打ちした。ギダは顔色を変えると、あたしたちのところへ来た。

「ちょっと用ができたのでここを離れます」

「何かあったのですか?」

 キミシアが不安そうに訊く。あたしも同じ意見だった。

「いいえ、あなたの父上にお呼ばれしただけです。またお小言をもらいに行ってきますよ」

 ギダの冗談にキミシアがクスクスと笑った。それからあたしを見たので、ふつうに見返すと彼は嬉しそうに目を細めた。あたしはその反応の意味がわからず眉をひそめた。

 ギダが出て行ったあとも、あたしは話を続けた。

 十分くらい経っただろうか。興味津々と、あたしの腕に手を置いて話を聴いていたキミシアが、表情を曇らせて何度も瞬きをしだした。

「眠いの?」

「え、いいえ、あの、おかしいです。いつもは、もうすこしだいじょうぶなのですが……」

 と言っている間も体が傾いていって、あたしは慌てて彼女の小さな体を支えた。そして驚いたことに、次には寝息が聞こえてきた。状況が飲み込めず、あたしはメイドに声をかけようとして、やめた。

「動くな」

 あたしは咄嗟に腰の短剣に手を伸ばそうとしたが遅かった。白く光るものを当てられ、心臓が縮こまる。しかし急に目蓋が重たくなった。無理に開けても、焦点が定まるのに時間がかかった。頭の中がふわふわするのはずっと続いている体調不良のせいかと思っていたが、別の理由だった。

 この、いま飲んでいた、紅茶。

 メイドの淹れた、紅茶……。

 座ったまま、意識が遠のくのを感じた。

「どうする。こっちの女は予定にないが」

「いいんじゃない? 〈メイト〉だって言っていたし、その筋に売れば高いわよ、きっと。どうせあの金持ち女のところに行くんだから、運がよければ買ってくれるかもしれないわ」

 耳の外で、まるでアリが喋っているかのように聞こえた。

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