魔女の挨拶 4
「おーい」
顔を上げると、サイラスが駆け寄ってきているところだった。
「だいじょうぶかー?」
心配して来てくれたことにほっとしたのも束の間、隣を見たが誰もいない。彼女はどこにいったのだろう。あたしの背中にはまだ彼女の手の感覚が残っている。耳にも、彼女の艶やかな声が残っている。
「どうした? まだ具合悪いのか?」
頭上から本当に気にかけている声が降ってくる。
「もう、だいじょうぶ。ありがと」
「本当か? まだ悪そうに見えるぞ」
「色々考えてたの」
あたしはシャノンに会う前に何を考えていたのか、冷静に思い出していた。
心配しているであろう父と、姉。
帰りたい気持ち。
そして、仲違いをしたアサギ。
黙々と考えていると、サイラスが隣にどっかと座った。
「まあ、なんていうか、いまのおまえの状態がふつうだ。〈メイト〉なんだから色々考えてふつう。悩んでない〈メイト〉がいたら見てみたいね。俺だってミネルバに来た当初は、おまえほどじゃないけどすごい悩んだしな」
「サイラスはミネルバにずっと住んでたわけじゃないの?」
「ああ、別のところから来た」
サイラスは腕を組んだ。
「その前にノアさんに助けられてさ。二年くらい一緒に旅してからミネルバに来たんだ。俺はその時、十歳だった。いまの家が俺を家族に迎えてくれたんだけど、ノアさんはアレリアに行ったから、結構心細かったよ。旅をしていた時もそうだったけど、寂しくて仕方なかったな」
彼の口から寂しいという言葉が出てくるとは、なんとなく意外だった。
「なんでこんな住みにくいところに来ちゃったんだろうな。いま思うと本当に運がない。俺があの時、発作なんて起こさなければな」
「何があったの?」
「俺、昔から病気みたいなものを患っててさ。発作が起きるんだ。それがこの領地に入った時に起きて、それでまあ、ノアさんに迷惑というか、俺たちがミネルバに住むことになったというか」
「どういうこと?」
「発作が起きた時、診療所の場所がわからなかったんだ。町のひとたちに訊こうとしても取り合ってくれなくて。さっき司令官に会っただろ? あのひとがさ、ノアさんに、ここの警備隊に入るなら診療所まで案内するって言ってきて、ノアさんがそれを二つ返事で受けたんだ。だからまあ、こんな、ノアさんが住みにくいところで暮らすはめになって。司令官が、なんであの時あんなこと言ったのか、未だにわからないんだ。何か企んでのことなんだろうけど」
ギダはそんな前から何かを企んでいたのだろうか。掴みどころがないのはその頃からなのだろう。
「確かリアには、ミネルバに来てすぐに会ったんだ。ノアさんは四、五年後くらいにミネルバに帰ってきたよ。リートはもともとミネルバにいてさ。警備隊に入ったら向こう、っていうかいまはここか、アレリアに行ったんだ。実家はミネルバにあるけど」
サイラスは表情を緩めていたが、ふと引き締めた。
「ツカサは、アサギが〈メイト〉なのはもう知ってるんだよな」
あたしは頷いた。サイラスは足元を見た。
「俺が言うのもなんだけど、あいつのこと、許してやってくれないか」
あたしは意識せずに表情を消し、右の掌を握る。
「正直、怖いの」
「会うのが?」
「顔を思い出すだけで怖い。あんなふうに敵意を向けられたこと、なかったから」
あの日のことを思い出すと、鳥肌が立った。痕の残る右の掌を未だ直視できないでいた。
「そうか。まだ早いかもな。そんな時で悪いんだけど、これ、渡しておきたいんだ」
サイラスは、短剣のホルスターがついているベルトを渡してきた。あたしはよくわからないままそれを受け取った。
「あたし、こういうの扱ったことないんだけど……」
「いや、これさ、……あいつのなんだ」
「……え?」
体がびくついた。
「まあまあ、落ち着いて聞いてくれ。これさ、ミネルバに帰って来てから、あいつが俺のところに来たんだ。顔、真っ青にしてさ、『預かってください』って」
聞かされたことに動揺しないよう、あたしはなるべくあの時のことを考えないようにしてこたえた。
「だったら、サイラスがずっと持ってるべきじゃない」
声が小さくなった。悲鳴みたいだ。サイラスはあたしを見ると首を横に振った。
「これは、おまえが持っていたほうがいい気がするんだ。それに、あいつが俺に預けたのは、持っている資格がないって自分で判断したからだ。あいつもわかってる」
あたしは渡されたものの重さを感じていた。
そう。相手もひとだ。
反省をしているのかもしれないし、後悔しているのかもしれない。
憎しみを、深くしているかもしれない。
なんであれ、話してみないことにはわからないことだった。
そろそろ戻ろうとサイラスに促され、一緒に邸の裏口へ戻った。柔らかい光が窓から漏れている。
中に入る手前、あたしは立ち止まり、腰につけたベルトを手で触って確認する。意外と重く、つけることに勇気が必要だった。
だいじょうぶ。いざとなったらわたしも手伝うから。
まぶたの裏に、姉の明るい笑みが浮かぶ。
いまは目の前のことに集中しよう。
彼のことも、家族のことも、いまはお預けだ。




