番外編 嘘つきの君
side 駒野凜 『凜と花咲き、君思ふ』からこぼれ落ちた短編です。
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私立青葉学園。
全国でも珍しい、男女並学制を採用する、中高一貫のマンモス校だ。
男子部と女子部は市道を挟んで向かい合っており、中空二階に架かった橋でのみ繋がっている。
しかし、この橋は、必要時以外での行き来は禁じられている。
さらに、勉学の妨げになるとして公式には男女の恋愛も禁止。
すなわち、日頃から男女の交流が一切ない特殊な学校である。
例外があるとすれば、その性質から、日常的に男女共同で活動する唯一の部活。
――演劇部である。
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春。
高校三年生への進級を間近に控えた菊田麻美は、五年間ですっかり着慣れたボックスプリーツのスカートの裾を翻して、弾むような足取りで男女の校舎をつなぐ橋――通称鵲橋を渡っていた。
正面の大階段を上ると広いロビーがあり、私立青葉学園が誇る大ホールへと繋がっている。
映画鑑賞や本格的なバレエ公演、それにマンモス校だけに非常に規模が大きな入卒業式が催されるその巨大なホールも、まだ春休みの今日はがらんとしている。
――本来ならば。
「菊田さま、ようこそお越しくださいました。こちら、本日のパンフレットでございます。ただいまお席にご案内させていただきます」
大扉の前で、コンシェルジュのように澄ました顔と丁寧なお辞儀で出迎えてくれたのは、演劇部の後輩であり、次期女子部長の守口みなみだ。
「ああ、ありがとう。今日は、楽しませて貰うよ」
抑えきれない笑みをこぼしながら、鷹揚に頷いた菊田に合わせて、男子部員二人が、恭しく大扉を開けてくれる。
みなみの先導で客席に入場すると、広い観客席の中でも最も見やすいアリーナ席――前から5列目中央にはすでに先客が座っていた。
「やぁ、キクタン。久しぶり。元気だったかい?」
相変わらず嘘くさいほどに爽やかな笑顔を見せたのは、演劇部で五年間を共にした前男子部長――柏木拓人である。
「ああ、おかげさまで元気だよ。カッシー、君も変わらず元気そうで何よりだ」
「はは、そうだね。それに、遂に今日という日を迎えて少し興奮してる……キクタン、君もだろう?」
「うん。それは、もちろん。後輩たちの華々しい門出の舞台だ。すこぶる楽しみで仕方がない」
長年の相棒同士、笑顔で言葉を交わす二人に、みなみは再度丁寧なお辞儀をした。
「それでは、本日はごゆるりとお楽しみください」
「うん。存分に、楽しませて貰うよ」
菊田が応えると、みなみは『姫』とも称されるその美しい顔に、柔らかな笑みを浮かべて立ち去った。彼女の本番は、これからなのだから。
広いホールに観客はたった二人。
なんとも贅沢だが、今日は演劇部伝統の代替わり公演だ。
毎年新入部員も多い演劇部には珍しく、今年三年生になり引退する部員は、菊田と柏木の二人しかいない。ほかの部員たちは、中学二年のときにあったとある騒動で、全員辞めてしまった。
そんな中でも、五年間諦めずに活動してきた二人は、真の意味で相棒だったのだ。
――それも、今日限りだ。
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演目は菊田たちが昨年の文化祭公演で演じた、『眠れる森の美女と野獣』。
菊田が演じた魔女役は、今回はみなみが演じている。そして、柏木が演じた王子――野獣も、別の男子部員に変わっている。
自分たちが魂を込めて熱演した役を、今度は観客として見つめる。
後輩たちの汗と気迫があふれる舞台は、菊田の胸を締め付ける。
演劇という世界に、あこがれだけで飛び込んだ中学一年。
隣に座る柏木を巡る恋愛沙汰で、廃部寸前まで追い込まれた中学二年。
中学部長という責任ある立場を任された中学三年。
初めて本番の舞台に主役の一人として立った高校一年。
高校部長として、部の運営と舞台の成功のために必死で駆け回った高校二年。
思えば、なかなかに波乱万丈な五年間だった。
「ああ、楽しかったな……」
思わず溢れた、菊田の呟き。
「うん。本当に、楽しかった」
柏木も、舞台を見つめたままで応じる。
でも、そんな大切な宝物のような日々も、これで終わりだ。
込み上げてくるものを零したくなくて、菊田はぐっと目元に力を込める。
(せっかくの舞台が、滲んでしまったらもったいない)
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物語はクライマックスを迎えている。
自らの無力を責めることをやめ、目覚めた姫は、祖国が巻き込まれた戦を止めるために奔走する。
傲慢という鎧を脱ぎ捨てた王子は、隣国に攻め込む父王に諫言し、平和と共存の道を探る。
「私たちは、私たちの力で、愛する祖国を守っていきます」
ラストシーンで、互いの手を取り合いながら力強く宣言する姫と王子。
二人に呪いという名の試練を与えた古の魔女が見守る中、物語はお定まりのハッピーエンドを迎え、舞台の幕が降りる。
ぱちぱちぱちぱち
二人きりの観客は、そろって立ち上がり、心を込めた拍手をおくる。
(ああ、終わった。終わってしまった)
抑えきれない興奮と寂しさが、透明な雫となって溢れ出る。
――その瞬間。
「涙が出るほど、本当に、楽しかったね」
そう言って、隣の相棒がすっとハンカチを差し出してくれる。
「ああ、ありがとう。五年間、本当に」
菊田は、万感の思いを込めて呟く。
カーテンコールで、後輩たちが一列に並び、揃って綺麗な礼をする。その姿さえ、愛おしい。
「五年間、諦めなくて良かった。キクタン、君が隣にいてくれて、本当に良かった」
「はは。カッシーこそ。あの時辞めないでくれて、ありがとう。君はずっと、良き相棒だったよ」
「うん。正直もう無理だと思った時もあったけど、辞めなくて良かった。後悔はない。最高だった」
「うん……でも、そうだな」
ふと、思い付いて菊田が嘯く。
「一度くらいは、姫役としてカッシーの隣に立ってみたかったかな」
「……そうなのか?」
「ふ……嘘だよ」
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『嘘つきの君』Fin.




