第18話 高一 十一月 『俯く』
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――文化祭一日目、夕方。
「え……売れた……?」
「はい!受験のお守りに欲しいって言ってくれて。菫先輩のチャーム、絶対ご利益あるから、私嬉しくって!」
満面の笑顔でそう言ったのは、今年入部した中学一年の野末香菜実だ。菫にとっては念願の、小物班の後輩でもある。
けれどその瞬間、菫は彼女の言葉をうまく飲み込むことができなかった。
「え、でも、あれは……」
なんと言っていいかわからず言い淀む先輩の様子に、香菜実はまだ気がついていない。
そのどこかいびつな空気に、近くで翌日用の体験キットを並べていた凜が気付き、近寄ってくる。
「菫?何かあった?」
「凜……」
言葉を探して押し黙った菫の様子に異変を感じ、凜は表情を曇らせて傍らの後輩に向き直った。
「野末、何があったの?」
「あの、菫先輩が最後に作ってたスミレの花の上をハチが飛んでるモチーフのチャームが、売れましたって言っただけなんですけど……」
おずおずと告げた後輩の言葉を聞いた瞬間、凜の表情が抜け落ちる。
「……は?」
「ダメ……でしたか……?」
「ダメに決まってるじゃん!だってあれは菫の……!」
いつも明るくて優しい先輩の、常とは異なる様子に、香菜実は本格的に顔色を失う。
「え……え……」
激昂する親友と、小さく震えている後輩の顔を見た瞬間、菫は一度きゅっと唇をかみしめて言った。
「凜、いいよ。大丈夫」
「大丈夫ったってっ!」
「香菜実ちゃん、あのチャームは、値札がついてなかったよね」
菫は努めて優しい声を作り上げて、後輩の顔を覗き込んだ。
「はい……だから私、どうしたらいいか分からなくて……。困っていたら、工芸部の佐々木先輩が、1000円で良いんじゃないって言ってくれて……」
「佐々木のやつ……!ちょっと私文句言ってくる!」
今にも男子校舎に突撃しそうな様子の親友の腕を、菫はぎゅっと抱きしめた。
「凜、本当に大丈夫だから。香菜実ちゃんも。1000円で全然問題ないよ。あれは値札をつけてなかったから、困っただろうなって思っただけ」
「菫……本当にいいの?」
「いいの。凜、ありがとう」
まだ不安げにしている後輩と、不自然なくらいに冷静な親友を見比べてから、凜はふぅーっと長く息を吐いた。
「わかった。野末、ごめんね。びっくりさせた」
「いえ、あの、私……」
「夕方のシフトでお客さんが少ないと思ったけど、大変だったよね。お疲れ様。明日もあるから、そろそろ帰ろう。
――ほら中学生たち!下校するよ!明日も8時集合ね!」
「「「はい!」」」
まだ少し不安そうな様子だが、香菜実はぺこりと小さく頭を下げる。そして、後ろ髪を引かれながら、遠巻きにしていた同学年の子たちの輪に戻っていった。
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夜。
パジャマに着替えたベッドのうえで、菫は高校に進学して、やっと手に入れたスマートフォンを両手で握りしめ、膝を抱えていた。
画面には、同じくパジャマに着替えた凜が、いつもどおり丁寧にスキンケアをしている様子が、映し出されている。
「それで、菫は本当に大丈夫なの?」
「もう、いいよ……」
「そりゃ、後輩の前で怒っちゃった私の態度は良くなかったよ。でもさ、あのチャーム、売るつもりなかったんでしょ?非売品の札、貼ってたよね?」
「なんかね、知らない間に札が取れてどっかに行っちゃってたみたい……照れくさいからってみんなにちゃんと説明してなかった、私が悪いよ」
静かな声でそうつぶやいた親友の様子を、凜は額に化粧水を浸したコットンを貼りながら、画面越しにちらりと伺う。
「無理、してない?」
「わかんない。昼間先輩たちを見たからかな、なんかもう、いいやって思ったの。あのチャームは、なくなったほうが良かったんだよ」
自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる菫の顔は、おろした髪の毛の影に隠れて画面越しではよく見えない。それをもどかしく思いながら、凜は慎重に言葉を探した。
「私は、すごく綺麗だと思ったよ、あのチャーム。スミレの花びらが繊細に重なってて。あのクマバチも、丸くて愛嬌があって……あんな小さいレジンの中に、菫の気持ちが丁寧に折り重なっていたの、私にはわかったよ。レイヤーアートってすごいなって思ったもん。深いなぁって、涙出そうだった」
「ありがとう。凜にそう言ってもらえるのは、嬉しいよ」
「あれを選んで買っていった誰かさんは、めちゃめちゃ見る目あるよね。そもそも高校生の文化祭で1000円の作品なんて、そうそう売れるもんじゃないし」
「そうだね、だいじにしてくれれば、もうそれでいいよ」
「ねぇ菫、私の前では無理しなくていいよ。後輩の前では優しくてかっこいい先輩、ちゃんとやってたんだから」
「ありがと、凜」
相変わらず菫はうつむいたままだ。大事な親友の気持ちをすくい上げることができず、凜の心は無力感でいっぱいになる。
「とりあえず菫、明日は寝坊しな」
「えぇ?」
「朝の準備、工作室に来なくていいよ。明日はどうせ布もの班が当番だし。二年の先輩たちにも、私からうまく言っておくから」
「でも……」
「良いから。明日は優等生の菫はおやすみ。佐々木は私が懲らしめておくし。任せて」
「ちょ……それはしなくていいよ。ホントにやめて。香菜実ちゃんが気にするよ」
焦って顔を上げた菫の頬は、乾いていた。
「わかった。じゃあ、かわいい後輩に免じて佐々木には執行猶予をつけるとして……ホントに明日の朝は無理しないで」
「……わかった。そうさせてもらう」
「うん。だから、明日はどんな顔して学校に来ても、良いからね」
「ん……ありがとう。おやすみ」
「うん。おやすみ」
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