第9章4
2026年4月18日 午前8時00分
**東京・首相官邸**
藤堂誠一郎総理は、執務室で一人、窓の外を見つめていた。
今日、自分の運命が決まる。
不信任案が可決されれば、総理を辞任する。そして、恐らく桜井晋三が次の総理になる。
否決されれば——いや、否決される可能性は低い。
藤堂は、昨夜から何度も票読みをしていた。どう計算しても、賛成票が過半数を超える。
「こんなことになるとは……」
藤堂は、一年前を思い出した。
J-リセットが起きた時、自分は何もできなかった。ただ混乱し、右往左往するだけだった。
そんな時、佐藤優希が現れた。
若く、理想に燃え、不可能を可能にしてきた天才科学者。
「佐藤博士を信じて、良かったのだろうか……」
藤堂は自問した。
原発停止作戦は成功した。油田確保も成功した。日本は、エネルギー危機を乗り越えた。
しかし、その後——統合案は、次々と壁にぶつかった。
治安問題、雇用問題、文化摩擦、そして江戸川の衝突。
「私は……間違っていたのか?」
その時、秘書が部屋に入ってきた。
「総理、佐藤博士がお見えです」
「……通してください」
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**2026年4月18日 午前8時15分**
**首相官邸 執務室**
優希が部屋に入ってきた。
彼の顔には、一週間の疲労が刻まれていた。しかし、目は輝いていた。
「総理、おはようございます」
「おはよう、佐藤博士」藤堂は微笑んだ。「全国行脚、お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
二人は、向かい合って座った。
沈黙が流れた。
やがて、藤堂が口を開いた。
「佐藤博士、正直に聞きます」
「はい」
「私は……正しい選択をしてきたのでしょうか?」
優希は、少し考えてから答えた。
「……分かりません」
「え?」
「正しいかどうかは、俺には分かりません」優希は率直に言った。「ただ、総理は自分が信じる道を選んだ。それだけです」
「しかし、結果は——」
「結果は、まだ出ていません」優希は遮った。
優希は、総理の目を見た。
「総理、今日の採決、どうなると思いますか?」
「……可決されるでしょう」藤堂は正直に答えた。「私は、辞任します」
「そうですか」
「佐藤博士、申し訳ありません」藤堂は頭を下げた。「あなたの理想を、守りきれませんでした」
「総理」優希は首を横に振った。「謝らないでください」
優希は立ち上がった。
「今日、国会で何が起きるか分かりません。でも、俺は最後まで戦います」
「佐藤博士……」
「そして、総理」優希は微笑んだ。「総理が信じてくれたこと、俺は忘れません」
藤堂の目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとうございます」
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**2026年4月18日 午前10時00分**
**東京・国会議事堂 本会議場**
議場は、緊張に包まれていた。
議員たち、報道陣、そして傍聴席の国民——全員が、この瞬間を見守っていた。
議長が立ち上がった。
「これより、内閣不信任案の討論に入ります」
まず、提出者である桜井晋三が演壇に立った。
「議長、そして国民の皆様」
桜井の声は、落ち着いていて力強かった。
「私は、藤堂内閣に対する不信任案を提出しました。理由は明確です——藤堂内閣は、国民を守れなかった」
桜井は、資料を掲げた。
「一年前、J-リセットが起きました。藤堂総理は、佐藤優希博士の統合案を採用しました」
「その結果は?治安の悪化、雇用の不安定化、そして——江戸川の衝突です」
議場がざわめいた。
「52人が傷つきました。日本人と外国人が、路上で殴り合いました。これが、統合案の結果です」
桜井は、一息ついた。
「藤堂総理は、理想を追いました。しかし、現実を見ませんでした」
桜井は、カメラを見た。
「国民の皆様。政治は、理想だけでは動きません。現実を見て、実行可能な政策を取る。それがリーダーの役割です」
桜井は、深く一礼した。
「私は、もし次の総理になれば、現実的な政策を実行します。外国人特別居住区法案、日本文化保護法——これらは、日本を守るための法律です」
桜井は、演壇を降りた。
議場に、拍手が起こった。
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**2026年4月18日 午前10時30分**
**国会議事堂 本会議場**
次に、反対討論として、優希が演壇に立った。
優希は議員ではなかったが、特別に発言の機会が与えられた。
「議長、議員の皆様、そして国民の皆様」
優希の声は、少し震えていた。
「私は、佐藤優希と申します。J-リセット計画総責任者として、統合案を提案しました」
優希は、深呼吸した。
「桜井議員の指摘は、正しいです」
議場がざわめいた。
「治安は悪化しました。雇用は不安定になりました。江戸川で、衝突が起きました」
優希は、資料を見た。
「全て、事実です。そして、その責任は——私にあります」
優希は、深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
議場が静まり返った。
優希は、顔を上げた。
「しかし」
優希の目が、鋭くなった。
「失敗したからといって、諦めるべきでしょうか?」
「この一週間、私は全国を回りました。東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、沖縄——そして、見ました」
優希は、傍聴席を見た。
「日本人と外国人が、手を取り合う姿を」
優希は、一歩前に出た。
「最初は、お互いに警戒していました。でも、話し始めると——笑顔になりました。涙を流しました。抱き合いました」
優希の声が、大きくなった。
「人間は、分かり合えるんです!国籍も、民族も、宗教も——全部超えて、分かり合えるんです!」
議場がざわめいた。
「桜井議員は、『現実を見ろ』と言います。その通りです。私も、現実を見ました」
優希は、桜井を見た。
「でも、私が見た現実は、桜井議員とは違います」
優希は、マイクに近づいた。
「私が見た現実は——希望です」
優希は、議場全体を見回した。
「大阪で、襲撃されたハラル食品店の店主が言いました。『私は、まだ日本を信じています』と」
「名古屋で、失業した日本人青年が言いました。『外国人と一緒に、不公平なシステムと戦います』と」
「福岡で、参加者たちが言いました。『私たちは、変われる』と」
優希の目に、涙が浮かんだ。
「これが、私が見た現実です」
優希は、深く息を吸った。
「桜井議員の法案は、確かに『現実的』です。外国人を隔離すれば、衝突は減るでしょう」
「でも」優希は首を横に振った。「それは、問題の先送りです。根本的な解決ではありません」
優希は、拳を握りしめた。
「本当の解決は、お互いを知ることです。理解することです。そして——一緒に生きることです」
優希は、議員たちを見た。
「議員の皆様、お願いします」
優希は、深く頭を下げた。
「藤堂総理を信じてください。そして、統合案を信じてください」
「時間がかかるかもしれません。失敗するかもしれません。でも——」
優希は顔を上げた。
「諦めないでください」
議場に、長い沈黙が流れた。
やがて、一人の議員が立ち上がって拍手した。
次に、また一人。そして、また一人。
徐々に、拍手が広がった。
しかし、半分以上の議員は、座ったままだった。
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**2026年4月18日 午後2時00分**
**国会議事堂 本会議場**
討論が終わり、いよいよ採決の時が来た。
議長が立ち上がった。
「これより、内閣不信任案の採決を行います。賛成の方は、起立をお願いします」
議員たちが、ゆっくりと立ち上がり始めた。
桜井晋三が立った。
彼の派閥の議員たちが、次々と立った。
中立派の議員たちも、何人かが立った。
優希は、傍聴席から息を呑んで見守っていた。
「……多い」
田中健吾が隣で呟いた。
「過半数……超えてるかもしれない」
議員たちの起立が止まった。
議長が、議員たちを数えた。
「起立多数」
優希の心臓が、止まりそうになった。
「よって、本案は——」
議長が、一瞬間を置いた。
「——可決されました」
議場が、どよめいた。
優希は、その場に崩れ落ちそうになった。
負けた。
藤堂総理は、辞任する。
そして、桜井が総理になる。
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**2026年4月18日 午後3時00分**
**首相官邸 記者会見場**
藤堂誠一郎総理が、記者会見を開いた。
「本日、内閣不信任案が可決されました」
藤堂の声は、静かだった。
「これを受け、私は内閣総理大臣を辞任します」
記者たちが、一斉にフラッシュを焚いた。
「一年前、J-リセットという未曾有の事態が起きました。私は、その中で、最善を尽くしたつもりです」
藤堂は、一息ついた。
「しかし、結果として、国民の支持を失いました。これは、私の責任です」
藤堂は、深く頭を下げた。
「国民の皆様、申し訳ありませんでした」
記者が質問した。
「総理、統合案は失敗だったとお考えですか?」
藤堂は、顔を上げた。
「……いいえ」
記者たちが驚いた。
「統合案は、失敗ではありません」藤堂は力強く言った。「まだ、途中です」
藤堂は、カメラを見た。
「佐藤優希博士は、諦めていません。だから、私も諦めません」
藤堂は微笑んだ。
「次の総理が誰になるか分かりません。しかし、統合案の理想は——誰にも消せません」
藤堂は、最後に一礼した。
「ありがとうございました」
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**2026年4月18日 午後5時00分**
**東京・国立エネルギー研究所**
優希は、研究室で一人、呆然としていた。
負けた。
全国を駆け回った。対話集会を開いた。5000人を集めた。
でも、負けた。
「くそ……」
優希は、机に突っ伏した。
その時、扉が開いた。
田中健吾、早川美咲、そして——リー・ジュンホが入ってきた。
「優希」健吾が声をかけた。
「……ごめん」優希は顔を上げずに言った。「俺、負けた」
「負けてない」
「え?」
優希は顔を上げた。
ジュンホが、優希の前に立っていた。
「佐藤博士、あなたは負けていません」
「でも、不信任案は可決された。桜井が総理になる」
「それは、一つの戦いの結果です」ジュンホは言った。「でも、戦争は終わっていません」
ジュンホは、優希の肩に手を置いた。
「佐藤博士、私たちは諦めません」
「でも——」
「国会前の集会、覚えていますか?5000人が集まりました」
ジュンホは微笑んだ。
「全国の対話集会で、何千人もの人が参加しました。日本人と外国人が、手を取り合いました」
「それは、あなたが作った希望です」
ジュンホは、優希の手を握った。
「佐藤博士、諦めないでください」
優希は、ジュンホの目を見た。
そこには、強い決意があった。
「……分かった」
優希は立ち上がった。
「諦めない。絶対に、諦めない」
その時、優希のスマートフォンが鳴った。
知らない番号からだった。
「もしもし?」
「佐藤博士ですか?」
「はい」
「私、田辺と申します。国会議員の」
優希は驚いた。田辺議員——桜井派の重鎮だった。
「はい、存じ上げております」
「実は……お話ししたいことがあります。今から、お会いできませんか?」
「え……はい、大丈夫です」
「では、一時間後、議員会館でお待ちしています」
電話が切れた。
「誰から?」健吾が聞いた。
「田辺議員……桜井派の」
全員が驚いた。
「何の用だろう?」
「分からない……でも、行ってみる」
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**2026年4月18日 午後6時30分**
**国会議員会館 田辺議員の事務所**
優希が到着すると、田辺議員が一人で待っていた。
「佐藤博士、来てくださってありがとうございます」
「こちらこそ」
二人は、向かい合って座った。
田辺は、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「佐藤博士、私は今日、不信任案に賛成票を投じました」
「……存じています」
「しかし」田辺は苦しそうに言った。「後悔しています」
「え?」
「あなたの演説を聞いて……私は、間違ったかもしれないと思いました」
田辺は、窓の外を見た。
「私は、桜井さんを支持してきました。彼の『現実的な政策』に魅力を感じていました」
「でも、あなたの演説を聞いて、気づいたんです」
田辺は、優希を見た。
「現実的な政策だけでは、希望は生まれない、と」
優希は、黙って聞いていた。
「佐藤博士、私は……もう一度、あなたの理想を信じたい」
「田辺さん……」
「しかし、今の私には力がありません。不信任案は可決されました。桜井さんが、次の総理になるでしょう」
田辺は、優希に資料を渡した。
「これは……?」
「桜井さんの計画書です」
優希は、資料を開いた。
そこには、『外国人特別居住区法案』の詳細が書かれていた。
そして——もう一つの計画が。
『佐藤優希失脚計画・最終段階』
優希の顔が、強張った。
「これは……」
「桜井さんは、あなたを完全に排除しようとしています」田辺は言った。「総理になった後、あなたをJ-リセット計画から外す。そして、統合案を完全に廃止する」
優希は、資料を握りしめた。
「なぜ、これを?」
「私は……間違いを正したいんです」田辺は真剣な目で言った。「佐藤博士、戦ってください」
「戦う?どうやって?不信任案は可決されたんですよ」
「まだ、桜井さんが総理に指名されたわけではありません」田辺は言った。「総理指名選挙まで、一週間あります」
「でも、桜井さんが選ばれるのは確実では——」
「確実ではありません」田辺は首を横に振った。「もし、国民の声が大きくなれば、議員たちの心も変わるかもしれない」
田辺は立ち上がった。
「佐藤博士、もう一度、国民に訴えてください。あなたの理想を」
優希は、田辺の目を見た。
「……分かりました」
優希は立ち上がった。
「もう一度、戦います」
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**2026年4月18日 午後9時00分**
**東京・国立エネルギー研究所**
優希は、健吾、美咲、ジュンホ、そして主要メンバーを集めていた。
「みんな、聞いてくれ」
優希は、ホワイトボードに書き始めた。
「一週間後、総理指名選挙がある。桜井が総理になる可能性が高い」
「でも」優希は振り返った。「まだチャンスはある」
「どうやって?」健吾が聞いた。
「国民の声を、もっと大きくする」優希は答えた。「署名運動、SNS拡散、そして——」
優希は、大きく書いた。
『10万人集会』
「10万人!?」全員が驚いた。
「そうだ」優希は頷いた。「一週間後、国会前に10万人を集める」
「無茶だろ!」健吾が叫んだ。「前回が5000人だったんだぞ!」
「でも、やるしかない」優希は譲らなかった。
ジュンホが口を開いた。
「……やりましょう」
「ジュンホさん?」
「在日外国人コミュニティ、総動員します」ジュンホは決意を込めて言った。「34万人全員に呼びかけます」
グエン・ティ・ランが立ち上がった。
「私も協力します。看護師ネットワークで拡散します」
カルロス・サントスも立ち上がった。
「工場労働者たちにも声をかける」
次々と、メンバーが協力を申し出た。
早川美咲が言った。
「私、政府内の協力者に連絡する。まだ、統合案を信じている人たちがいるはず」
田中健吾も立ち上がった。
「俺、SNSで拡散しまくる。#10万人で未来を変える、ってハッシュタグ作る」
優希は、みんなの顔を見た。
「……ありがとう」
優希の目に、涙が浮かんだ。
「俺、一人じゃないんだな」
「当たり前だろ」健吾が笑った。「俺たち、仲間じゃねーか」
全員が、優希の周りに集まった。
「よし」優希は拳を握りしめた。「最後の戦いだ」
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**2026年4月18日 午後11時00分**
**永田町 桜井晋三の執務室**
桜井は、ニュースで藤堂総理の辞任会見を見ていた。
「統合案は失敗ではない、か」桜井は冷笑した。「往生際が悪いな」
部下が報告に来た。
「桜井先生、総理指名選挙、確実に勝てます」
「当然だ」
「しかし……佐藤優希が、また動き始めたようです」
「ほう」桜井は興味を示した。
「10万人集会を計画しているとか」
「10万人?」桜井は笑った。「無理だな。前回が5000人だったのに」
桜井は立ち上がった。
「泳がせておけ。どうせ、失敗する」
桜井は、窓から夜景を見た。
「一週間後、私が総理になる。そして、日本は新しい時代に入る」
桜井の目は、冷たく光っていた。
しかし、彼はまだ知らなかった。
優希の諦めない心が、どれだけ大きな力を持っているかを——




