第3章4
十一月二十日。東京・首相官邸。
優希がロシアから帰国して二日。
地球規模の危機は回避され、国民は歓喜に沸いていた。
だが――
優希は、総理大臣室の前で待たされていた。
「佐藤先生、お待たせしました」
秘書官が、ドアを開けた。
「どうぞ」
優希は、中に入った。
部屋には、三人の人物がいた。
藤堂誠一郎総理大臣。六十二歳。温厚な顔立ちだが、疲労の色が濃い。
桜井晋三。腕を組んで、窓際に立っている。
石橋恵子副長官。心配そうに、優希を見ている。
「佐藤君、座りたまえ」
藤堂総理が、椅子を勧めた。
「はい」
優希は、座った。
緊張で、手に汗をかいている。
「まず、言わせてくれ」
藤堂総理は、優希を見た。
「今回の作戦、見事だった。君は、地球を救った」
「......ありがとうございます」
「国民も、君を英雄として称賛している」
藤堂総理は、資料を見せた。
『佐藤優希支持率:78%』
「七割を超える支持率。これは、異例だ」
「恐縮です......」
「だが」
藤堂総理の表情が、曇った。
「問題もある」
「問題......ですか?」
「ああ」
藤堂総理は、桜井を見た。
「桜井大臣、説明してくれ」
「ええ」
桜井は、優希に近づいた。
「佐藤君。君は、私の命令を二度も無視した」
「......」
「一度目は、ロシアへの非公式渡航。二度目は――」
桜井は、資料を机に叩きつけた。
「作戦中、輸送機の通信機器を勝手に分解した」
「あれは、必要だったんです」
「理由は聞いている」桜井は冷たく言った。「だが、結果的に日本との通信が途絶えた。我々は、君が死んだと思った」
「......すみません」
「謝罪で済む問題ではない」
桜井は、藤堂総理を見た。
「総理。佐藤君は、確かに優秀だ。だが、命令系統を無視する。これは、組織として許されない」
藤堂総理は、黙っていた。
「私は、提案します」
桜井は、別の資料を取り出した。
「佐藤君を、J-リセット計画の総責任者から外すべきだ」
「なんですって!?」
優希は、立ち上がった。
「待ってください! 僕は――」
「座りたまえ、佐藤君」
藤堂総理が、手を上げた。
優希は、渋々座った。
「桜井大臣、続けてください」
「ありがとうございます」
桜井は、資料を広げた。
「佐藤君には、科学顧問として残ってもらう。だが、実際の作戦指揮は、別の人間に任せる」
「誰に、ですか?」
石橋副長官が、尋ねた。
「私です」
桜井は、自分を指した。
「私が、J-リセット計画の総責任者になります」
会議室が、静まり返った。
「桜井大臣......」
石橋副長官の声が、震えた。
「それは、あなたの野心ではないですか?」
「野心?」
桜井は、笑った。
「違う。これは、責任感だ」
桜井は、藤堂総理を見た。
「総理。今、我が国は未曾有の危機にあります。そんな時、感情や理想ではなく、冷静な判断が必要です」
「......」
「佐藤君は、優秀だ。だが、感情的すぎる。在日外国人に肩入れしすぎる」
桜井は、別の資料を見せた。
「これを見てください。最新の世論調査です」
スクリーンに、数字が表示される。
『佐藤優希は在日外国人を優遇しすぎていると思いますか?』
そう思う:42%
そうは思わない:38%
わからない:20%
「拮抗しています」
桜井は、資料を指した。
「そして、この数字は徐々に悪化している」
次のグラフ。
先月:35%
今月:42%
「七ポイントの上昇。このままでは、国民の支持を失います」
藤堂総理は、資料を見つめていた。
「佐藤君」
藤堂総理が、口を開いた。
「君の意見を、聞かせてくれ」
優希は、深呼吸をした。
「総理、聞いてください」
優希は、立ち上がった。
「僕は、在日外国人を優遇しているわけではありません」
「では、何だ?」
桜井が、口を挟んだ。
「平等に扱っているんです」
優希は、桜井を見た。
「日本人も、外国人も、能力のある人を選んでいる。それだけです」
「それが、問題なんだ」
桜井は、腕を組んだ。
「国民は、『日本人優先』を望んでいる。それが、現実だ」
「でも、それは間違っています!」
優希は、拳を握った。
「僕たちは、もう『日本人』とか『外国人』とか、区別している場合じゃない。全員が、地球に残された人類なんです」
「理想論だな」
桜井は、冷笑した。
「君の理想は美しい。だが、政治は現実だ」
「現実......」
優希は、歯を食いしばった。
「僕は、現実も見ています。でも、理想を捨てたら――僕たちは、何のために生きているんですか?」
沈黙。
藤堂総理は、窓の外を見ていた。
「......総理」
石橋副長官が、口を開いた。
「私は、佐藤先生を支持します」
「石橋......」
「確かに、佐藤先生は命令を無視することがあります。でも、それは全て正しい判断でした」
石橋は、資料を取り出した。
「原発の作戦、油田の作戦、食料確保、そして今回の特異点。全て、佐藤先生の判断で成功しました」
「結果論だ」
桜井が、反論した。
「失敗していたら、どうなっていた?」
「でも、成功しました」
石橋は、桜井を見た。
「そして、その成功は――佐藤先生が在日外国人と協力したからです」
「......」
「桜井大臣」
石橋の声が、厳しくなった。
「あなたは、『日本人優先』を主張していますが、それで本当に成功できますか?」
「できる」
桜井は、即答した。
「日本人だけでも、十分な人材がいる」
「でも、効率が落ちます」
石橋は、データを見せた。
「在日外国人の技術者は、特定分野で日本人より優れています。彼ら抜きでは、作戦の成功率が下がります」
「それでも」
桜井は、譲らなかった。
「国民感情を優先すべきだ」
「国民感情か......」
藤堂総理が、呟いた。
そして――立ち上がった。
「皆、聞いてくれ」
藤堂総理の声が、響いた。
「私は......迷っている」
「総理......」
「桜井大臣の言うことも、一理ある。国民感情は、無視できない」
藤堂総理は、優希を見た。
「でも、佐藤君の理想も、正しいと思う」
「......」
「私は......弱いリーダーだ」
藤堂総理は、自嘲的に笑った。
「消失後、私は何度も判断を誤った。桜井大臣に頼りすぎた」
「総理、そんなことは――」
「いや、事実だ」
藤堂総理は、窓の外を見た。
「私は、もう六十二歳だ。体力も、判断力も衰えている」
「だが」
藤堂総理は、振り返った。
「私には、まだ責任がある。この国を、いや――この地球を導く責任が」
藤堂総理は、優希を見た。
「佐藤君」
「はい」
「君に、一つ質問がある」
「何でしょう?」
「もし」
藤堂総理は、真剣な目で言った。
「もし、国民の大多数が『在日外国人を排除しろ』と言ったら――君は、どうする?」
優希は、息を呑んだ。
「......」
「答えてくれ」
優希は、考えた。
国民の意思。
民主主義。
でも――
「僕は......」
優希は、藤堂総理を見た。
「僕は、それでも在日外国人と協力します」
会議室が、静まり返った。
「なぜだ?」
藤堂総理が、尋ねた。
「なぜ、国民の意思に反してまで?」
「なぜなら」
優希は、拳を握った。
「それが、正しいからです」
優希は、全員を見回した。
「民主主義は大切です。国民の意思も大切です。でも――」
優希の声が、力を帯びた。
「多数決で、人の尊厳を奪うことは許されません」
「在日外国人も、人間です。彼らにも、生きる権利があります。働く権利があります。尊重される権利があります」
「それを」
優希は、藤堂総理を見た。
「多数決で奪うことは――間違っています」
沈黙。
長い、重い沈黙。
そして――
藤堂総理は、微笑んだ。
「......そうか」
藤堂総理は、椅子に座った。
「わかった。決めた」
「総理......」
桜井が、前に出た。
「待ってください。今の発言は――」
「桜井大臣」
藤堂総理は、手を上げた。
「私の決断だ。聞いてくれ」
藤堂総理は、深呼吸をした。
そして――
「佐藤優希君を、J-リセット計画の総責任者として継続する」
「総理!?」
桜井が、叫んだ。
「なぜです!? 国民感情を――」
「国民感情も大切だ」
藤堂総理は、桜井を見た。
「だが、正しいことも大切だ」
「総理......」
「私は、政治家だ。国民の代表だ」
藤堂総理は、立ち上がった。
「だが、それ以前に――私は、人間だ」
藤堂総理は、窓の外を見た。
「人間として、正しいと思うことをする。それが、私の責任だ」
「でも――」
「桜井大臣」
藤堂総理は、桜井を見た。
「あなたの懸念も、理解している。だから、こうしよう」
藤堂総理は、提案した。
「佐藤君は、総責任者として継続。だが、あなたは副責任者として、佐藤君を監督する」
「......」
「そして、重要な決定は、三者協議で行う。佐藤君、あなた、そして私」
藤堂総理は、三人を見回した。
「これなら、バランスが取れる。どうだ?」
桜井は、しばらく黙っていた。
そして――
「......わかりました」
桜井は、渋々頷いた。
「ただし、条件があります」
「何だ?」
「次に佐藤君が命令を無視したら――その時は、即座に解任する」
藤堂総理は、優希を見た。
「佐藤君、受け入れられるか?」
優希は、考えた。
厳しい条件だ。
でも――
「受け入れます」
優希は、頷いた。
「ただし、一つだけ」
「何だ?」
「命令が、明らかに間違っている場合は――意見を言う権利をください」
藤堂総理は、笑った。
「当然だ。それが、君の仕事だ」
「ありがとうございます」
「よし」
藤堂総理は、全員を見回した。
「では、これで決定だ。佐藤君は総責任者継続、桜井大臣は副責任者」
「......了解しました」
桜井は、不満そうに頷いた。
「では、失礼します」
桜井は、会議室を出ていった。
優希は、藤堂総理に深く頭を下げた。
「ありがとうございます、総理」
「礼を言われるようなことはしていない」
藤堂総理は、優希の肩を叩いた。
「君は、正しいことをしている。それを支持するのは、当然だ」
「でも......国民感情は......」
「それは、私の仕事だ」
藤堂総理は、微笑んだ。
「君は、自分の信じる道を進んでくれ。私が、政治的にサポートする」
「......はい」
優希は、目頭が熱くなった。
「頑張ります」
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**同日、午後八時。桜井の執務室。**
桜井晋三は、一人で窓の外を見ていた。
「藤堂......」
桜井は、呟いた。
「お前は、間違っている」
桜井は、机に戻った。
引き出しを開ける。
中には、複数の書類。
『世論操作計画』
『メディア戦略』
『佐藤優希失脚シナリオ』
「まだだ......」
桜井は、書類を見つめた。
「まだ、諦めない」
桜井の目には、執念の炎が燃えていた。
「佐藤優希。お前を――必ず、引きずり降ろす」