第2章・4 「理想の亀裂」(佐藤優希 視点)
【2025年12月29日 ― 月曜日 ― 午前10:00】
【総理大臣官邸 執務室】
佐藤優希は、意見交換会の報告書を持って、桜井の執務室に入った。
「昨日の意見交換会の内容です」
優希が、報告書を机に置いた。
「報酬削減の緩和。居住区制度の見直し。移動申請の簡素化。外国人コミュニティからの主な要望です」
桜井は、報告書を一瞥した。
そして――
閉じた。
「聞いた」桜井が言った。「しかし、変えない」
「え?」
「方針は変えない」桜井が繰り返した。「報酬削減も、登録制度も、予定通り実施する」
優希は、怒りを押し殺した。
「なぜですか? 彼らの生活が――」
「生活は保障している」桜井が遮った。「衣食住は確保している。それ以上を求めるのは、贅沢だ」
「贅沢?」
「そうだ」桜井が言った。「今は非常時だ。全員が我慢している」
「日本人も、配給制度で苦しんでいる。外国人だけ優遇するわけにはいかない」
「優遇を求めているんじゃありません」優希が言った。「対等を求めているんです」
「対等は、結果を出してからだ」
「結果?」
「そうだ」桜井が立ち上がった。「外国人技術者が、本当に使えると証明されれば、待遇を改善する。しかし、まだその段階ではない」
「中東の油田を、アフマドさんが救ったじゃないですか」
「一例だ」桜井が答えた。「統計で見れば、外国人技術者の生産性は日本人より低い」
「それは、環境が悪いからです」
「環境は関係ない。結果だ」
優希は、言葉に詰まった。
「佐藤君」桜井が続けた。「君の気持ちはわかる。しかし、今は感情ではなく、現実を見ろ」
「俺は現実を見ています」優希が言った。「しかし、あなたの現実と、俺の現実は違います」
「ほう」桜井が興味深そうな顔をした。「どう違う?」
「あなたの現実は、数字と統計です」優希が答えた。「俺の現実は、人間です」
桜井が、少し笑った。
「美しい言葉だな。しかし、国は数字で動く」
「人間で動きます」優希が言った。「人間が動かなければ、数字も動かない」
桜井は、優希を見つめた。
「佐藤君、君は本当に面白い男だ」
「面白くありません」
「わかった」桜井が言った。「一つだけ、譲歩する」
「何ですか?」
「緊急の医療受診については、移動申請を不要とする」
「それだけですか?」
「今は、それだけだ」桜井が答えた。「しかし、結果を出せば、もっと改善する。君が言う通り、人間が結果を出せばな」
優希は、深く息を吐いた。
「わかりました」
小さな譲歩。しかし、今は受け入れるしかない。
― ― ―
【同日 午後3:00】
【J-リセット計画本部】
優希が本部に戻ると、早川が深刻な顔で待っていた。
「佐藤さん、問題が起きました」
「何ですか?」
早川が、資料を見せた。
「池袋で、外国人グループによる食料倉庫の襲撃事件が起きました」
「え?」
「昨夜、二十人ほどのグループが、政府の食料配給倉庫に侵入しました」優希が言った。「食料を大量に盗み出しました」
優希は、目を閉じた。
「犯人は?」
「現在、捜査中です」早川が答えた。「しかし、グループの中に、複数の外国人が含まれていることが確認されています」
「全員が外国人ですか?」
「いいえ」早川が答えた。「日本人も含まれています。しかし、主導したのは外国人グループだという証言があります」
優希は、深く息を吸った。
「桜井さんには?」
「すでに報告しました」早川が言った。「桜井総理は――」
早川が、躊躇した。
「何と言いましたか?」
「『だから言ったんだ』と」
優希は、拳を握った。
― ― ―
【同日 午後5:00】
事件は、すぐにニュースになった。
テレビの特別報道。SNSの炎上。
「外国人が食料を盗んだ!」
「やっぱり外国人は危険だ!」
「管理を強化しろ!」
桜井支持者たちの声が、一斉に高まった。
優希は、本部のモニタでニュースを見ていた。
「俺の責任だ――」
優希が、呟いた。
「え?」早川が驚いた。
「外国人の待遇が悪くなった。生活が苦しくなった。だから、犯罪に走った」
「それは――」早川が言った。「あなたのせいではありません」
「しかし」優希が続けた。「俺が桜井の方針を止められなかったせいでもある」
「佐藤さん、自分を責めすぎです」
優希は、頭を振った。
「早川さん、俺は直接、外国人コミュニティに行きます」
「今からですか?」
「はい。リーさんに会います」
― ― ―
【同日 午後7:00】
【新大久保 リーの事務所】
優希が来ると、リーは険しい顔をしていた。
「見ましたか? ニュース」
「はい」
「我々のコミュニティの人間も、含まれていたかもしれない」リーが言った。「確認中です」
「リーさん」優希が言った。「正直に聞かせてください。コミュニティの中に、問題を起こす可能性がある人間は、どれくらいいますか?」
リーは、しばらく沈黙した。
「正直に言います」
「お願いします」
「います」リーが答えた。「報酬が削減されて、生活が苦しくなった人間の中に、追い詰められている人が何人かいます」
「どんな人ですか?」
「若い男が多い」リーが続けた。「母国に家族を残してきた人間もいる。母国に送金していたが、今は送金先もない。生きる目的を失った人間もいる」
優希は、その言葉を重く受け止めた。
「そういう人たちへの支援は、できますか?」
「難しい」リーが答えた。「コミュニティ自体が、余裕がない」
「では」優希が言った。「政府として、支援できることを考えます」
「しかし」リーが優希を見た。「今回の事件で、桜井は管理を強化するでしょう。支援どころか、締め付けが増える」
「止めます」優希が断言した。
「止められますか?」
「止めます」優希が繰り返した。「必ず」
リーは、優希の目を見た。
疲れている。追い詰められている。
しかし、目の奥に、まだ火が残っていた。
「わかりました」リーが言った。「信じます。しかし、佐藤さん――」
「何ですか?」
「一つ、教えてください」
「はい」
「あなたは」リーが言った。「今でも、『全人類で協力』できると信じていますか?」
優希は、少し考えてから答えた。
「信じています」
「今日の事件の後でも?」
「はい」優希が答えた。「しかし――」
優希が続けた。
「全員が善人ではない、ということも、わかりました」
「それは当たり前のことです」リーが言った。「日本人でも、外国人でも」
「はい」優希が頷いた。「だから、俺は考え方を少し変えました」
「どう変えたんですか?」
「『全人類で協力』ではなく」優希が言った。「『協力できる人間が、できる限り協力する』です」
リーが、少し驚いた顔をした。
「それは――後退ではないですか?」
「後退かもしれません」優希が答えた。「しかし、現実です」
リーは、優希を見つめた。
そして――
「成長しましたね、佐藤さん」
「え?」
「最初のあなたは」リーが微笑んだ。「理想しか見えていなかった。しかし、今は現実も見えている」
優希は、苦笑した。
「痛い経験が、多すぎましたから」
― ― ―
【2025年12月30日 ― 火曜日 ― 午前9:00】
【総理大臣官邸 執務室】
翌朝、優希は桜井に呼ばれた。
「昨夜の事件について、話したい」
桜井が、机に手を組んで座っていた。
「はい」
「私は言った通りだ」桜井が言った。「外国人の管理を、強化する必要がある」
「どう強化するんですか?」
「夜間外出禁止令を出す」桜井が答えた。「外国人の夜間移動を制限する」
優希は、即座に反論した。
「それは、人権侵害です」
「非常時だ」桜井が答えた。「已むを得ない」
「夜間外出禁止は、犯罪者だけに適用すべきです」優希が言った。「全員に適用するのは、不当です」
「感情論だ」
「感情ではありません」優希が続けた。「現実論です。夜間外出禁止を出せば、外国人は日本政府への信頼を完全に失います。そして、ワンさんが言っていた『行動』が起きます」
「行動?」桜井が目を細めた。「反乱か?」
「わかりません」優希が答えた。「しかし、可能性はあります」
桜井は、しばらく沈黙した。
「では」桜井が言った。「代替案はあるか?」
優希は、準備していた案を出した。
「犯罪リスクの高い個人を、個別に特定して管理する。全員への一律制限ではなく、個人への対応です」
「どうやって特定する?」
「コミュニティのリーダーたちと協力します」優希が答えた。「リーさんやワンさんは、問題のある人間を把握しています。彼らと連携すれば、効率的に対応できます」
桜井が、考えた。
「コミュニティに、自治を任せるということか?」
「はい。限定的な自治です」
「しかし、それは外国人に権限を与えることになる」
「逆です」優希が言った。「コミュニティに責任を持たせることで、彼らが自律的に問題を抑制します」
桜井は、長い沈黙の後――
「わかった」桜井が言った。「試してみろ。ただし、三ヶ月だ」
「また三ヶ月ですね」優希が苦笑した。
「三ヶ月で結果が出なければ、夜間外出禁止令を出す」
「わかりました」
― ― ―
【同日 午後4:00】
【J-リセット計画本部】
優希は、本部に戻った。
早川が、待っていた。
「どうでしたか?」
「夜間外出禁止令は、三ヶ月猶予をもらいました」優希が答えた。「その代わり、コミュニティ自治を試みます」
「コミュニティ自治?」
「リーさんやワンさんに、問題のある人間の特定と管理を委ねます」優希が説明した。「彼らが責任を持って、コミュニティを自律的に管理する」
早川が、考えた。
「それは――リーさんたちに負担をかけることになりますが」
「わかっています」優希が頷いた。「しかし、それしかない」
「桜井総理は、本当に三ヶ月待つでしょうか?」
「わかりません」優希が正直に答えた。「しかし、今は信じるしかない」
早川が、優希を見た。
「佐藤さん、無理していませんか?」
「無理しています」優希が微笑んだ。「しかし、止まれません」
早川が、小さく笑った。
「相変わらずですね」
「はい」
優希は、窓の外を見た。
東京の冬の景色。
明日は、大晦日。
J-リセットから、二ヶ月半が経過した。
エネルギーは、少し安定した。
食料も、少しずつ増えている。
しかし――
人間の問題は、解決していない。
「理想と現実」
優希が、呟いた。
「その間で、俺はまだ戦っている」
「そして」優希が続けた。「これからも、戦い続ける」
窓の外に、冬の空が広がっていた。
寒く、暗い空。
しかし――
その向こうには、必ず春が来る。
優希は、そう信じていた。




