第十四回 再出発
江戸城御庭番と共に日々を生きる七郎。
彼の心は虚無だ。十数年に及ぶ隠密行の中で心は乾いてしまった。
だが唯一、彼の魂が輝く時がある。それが兵法だ。
父と師から受け継いだ技と魂、更には飯坂長威斎の説いた「兵法とは平和の法なり」という概念――
それを実践するために彼は江戸を守る戦いに身を投じる……
「若、何にしやす?」
物思いにふけっていた七郎に源が注文を取りに来た。ここは源のうどん屋だ。
「ん? あ、ああ、一切の無駄のないものを」
「じゃあ、素うどんでよろしいですかい」
「ではそれで」
という事になったが、運ばれてきたうどんを見つめて、七郎は寂しさを覚えた。
素うどんには刻んだネギがたっぷりと乗せられている。いい味ではあるのだが、ふと店内を見回せば、うどんの上に様々な具が乗せられているのが目に入る。
竹輪やかまぼこ、野菜の天ぷらなどもある。源の店ではうどんとは別に各種の惣菜があるのだ。
これによって客は自分だけの特別なうどんを楽しめる。値は張るが食べる喜びがある。だから客足が増えてきているのかもしれない。
「大事な事は一つだけではないな……」
七郎はうどんをすすりながら苦笑した。彼は洗練された無駄のない一手を追求する。なぜなら武の真髄とは一瞬で敵を倒す事にあるからだ。
だが、それはそれ、これはこれだ。それに気づけただけでも七郎には大事な悟りだ。
「蕎麦切りも頼む」
「へい、まいど」
七郎は蕎麦切りを追加注文した。この時代の蕎麦切りとは、後世の蕎麦の事だ。単に蕎麦だと、丸めた蕎麦がきの事になる。
また蕎麦に含まれる成分には疲労回復の効果があり、それがために肉体労働者に好まれ、江戸では蕎麦が広がったのかもしれない。
かすみの旅芸人一座は驚いた。河原で出会った武士の順三郎が五両以上の大金を持参して、頼み事に来たからだ。
「ど、どうしたの、この金?」
「刀を売った」
順三郎は落ち着いていた。武士の魂といえる刀を質に売り、彼はどうする気なのか。
「俺をここへ置いてくれないか、何でもする」
順三郎はかすみ以下、旅芸人一座の者に深々と頭を下げた。これは彼の新たな一歩だった。




