その13 猫型ゴーレム
ドゴォオォォォンッ!!
アンジェリカに向けて石の拳が振り下ろされる。飛び退いて避けた彼女の足下から、背筋が凍るような炸裂音が響いた。まともにくらっていたら、頭蓋が粉々に砕けていただろう。
「この野郎ッ!!」
そう叫びながら、マテオは背中の大剣を抜き放つと同時に大きく踏み込み、アンジェリカに向けて振り下ろされたゴーレムの腕に渾身の一撃を叩き込んだ。
ガヅゥウウウゥゥゥンッ!
石と金属のぶつかる硬い音が響き、いくつもの石のつぶてが飛び散った。マテオの大剣の一撃を受けたゴーレムの腕に大きな亀裂が入る。だが、完全な破壊には至らない。
(戦鎚か大戦棍を持ってくれば良かった……)
マテオはちらりと後悔した。大剣では刃こぼれを起こしてしまうに違いない。
それでもマテオは、もう一度同じ場所に一撃を加えようと大剣を振り上げた。
『魔力よ、彼の者の剣に宿れ! 鋼で造られし剣を、岩をも切り裂く鋭い刃と化せ!』
斬撃が入る直前、ファルコの声がしてマテオの持つ大剣が魔法の光に包まれた。
ドガァアァァァンッ!
魔力を帯びた巨大な金属の刃がゴーレムの腕に振り下ろされる。渾身の力を込めたマテオの二の腕が大きく盛り上がり、硬い石像の亀裂がみるみると大きく、深くなっていく。
そしてついに、ゴドンッと音がしてゴーレムの腕が床に落ちた。固い石像を割り砕いたマテオの大剣の切っ先も、勢い余って床にぶつかる。
「危ないっ、マテオ!」
大剣を振り切り、一瞬動きを止めたマテオの耳に、コーデリアの悲鳴のような声が聞こえてきた。
片腕を失ってもまだ、ゴーレムは動きを止めてはいなかった。存外に素早い動きで身体の向きを変え、残る腕でマテオに掴みかかろうとしてくる。
『わたしは妖精の森の巫女・コーデリア! 土の精霊、お願い! ゴーレムの動きを止めて! あの人を助けて!』
遺跡の床は人工的に造られたものであったが、そこにわずかに残っていた土の精霊が、悲痛なコーデリアの呼びかけに応えてくれた。
ぐにゃりと石の床が形を変え、ゴーレムの足が沈み込む。足首までめり込んだところで床石は元の姿に戻り、石像の足をがっちりと固定した。
その場から動けず、体の向きも変えられなくなったゴーレムのバランスが崩れる。マテオを狙った太い腕は目標を誤り、身をかがめてよけた彼の体を掴むことはできなかった。
だが、空を切った巨大な石の手は、マテオの肩口をかすめるようにぶつかってはいた。
「ぐっ……!」
激痛にマテオは顔をしかめた。
かすっただけなのに、固い石の弾丸をぶつけられたような衝撃だった。骨にヒビぐらいは入ったかもしれない。
とはいえコーデリアの助けがなければ、今頃彼の腕は巨大な掌に握りつぶされていただろう。
彼女の助力を無駄にしないためにも──痛みに耐えながら柄を握り直して、マテオはゴーレムの胴に横薙ぎに大剣を叩きつけた。
硬く分厚い石の身体は、魔法の力を借りた大剣でも一刀両断とまではさすがにいかない。それでも鍛え抜かれたマテオの豪腕から繰り出された一撃は、表面の石を割り砕いてゴーレムの胴体に深々とめり込んでいた。
もう一撃を加えようとマテオが剣を引いたとき、ゴーレムの頭が動いた。懐に入る形になったマテオに、頭突きを叩き込もうとしている。
咄嗟にマテオは剣を逆さにし、柄頭で岩のような頭を受け止めた。
重たい衝撃が剣を握る両腕に走る。傷ついた右肩がミシミシときしみを上げる。
ゴーレムが、そのままマテオを押し潰そうとするかのように上体をかがめはじめた。
ピシリ、とマテオの右肩から脳天にまで響くような音がした。
骨に入った亀裂が大きくなったのだ。
──このままだと、完全に折れる……。
柄を握る右手の力が徐々に抜けていく。
マテオの額に脂汗が浮かんだ。
「すまぬ、待たせた!」
そのとき、背後からアンジェリカの声が聞こえてきた。
そちらを見る余裕などもうなかったマテオだが、彼女がこちらに突進してくる気配は感じとっていた。
剛力のマテオの大剣とは違い、アンジェリカの騎士剣ではゴーレムの固い石の体を破壊することは難しい。
マテオからは見えなかったが、このとき彼女の持つ剣は白い光に包まれていた。マテオがゴーレムの相手をしている間に、ファルコがありったけの魔力を剣にこめていたのだ。
「アンジェリカ! 胸の文字だ! 最初の一字を狙え!」
ファルコが叫んだ。
腰の脇に構えた騎士剣を、アンジェリカがマテオの身体を避けるようにひねりながら突き出す。
その切っ先は、ファルコの指示通り石像の胸の文字に向けられていた。ゴーレムが動く直前に青く輝いた、あの古代文字の列だ。
マテオの体のすぐ傍をアンジェリカの白い剣が通過した。
その剣の先端が、ゴーレムの胸にある文字列の先頭に狙い違わず命中する。
ビギィイィィィンッ!!
剣先の当たった文字を中心に、ゴーレムの胸に無数のヒビが走った。
砕け散った細かな石の破片がマテオの顔まで飛んできて、彼は思わず目を閉じていた。
柄頭に感じるゴーレムの頭の重みが急速に抜けていく。
ようやく開いたマテオの目に、ゴーレムの胸が深々と抉られている光景が飛び込んできた。そこに刻まれていた文字列の先頭の一字があった部分に穴が穿たれ、もうそこに書いてあった文字は見ることができない。かろうじて残された他の文字の光も消えていた。
おずおずと剣の柄をゴーレムの頭から離してみたが、石像が動くことはもうなかった。お辞儀をするように頭を垂れた格好で完全にその動きを止めている。遺跡の守護者は、もはや猫の頭をしたただの巨人の石像に変わっていた。
「ゴーレムは、石像に魔力をこめた文字を刻むことで動かしている」
どこか疲れたような顔で、ファルコが解説してくれた。
「古代語で”真理”を意味するその言葉は、先頭の一文字を消すと意味が変わるんだ」
その意味とは、”死”である。
先頭の文字が消えることで、古代語の単語の意味が変わるのだ。魔法で与えられたゴーレムのかりそめの命は、新たな単語の命令に従って消滅し、ただの石像に戻るのである。
「……助かったっす」
動かなくなったゴーレムの懐から抜け出して、マテオはファルコとアンジェリカに頭を下げた。
「いや……。きみが時間を稼いでくれたおかげで、アンジェリカの剣に魔力をこめることができた」
ファルコの疲労感の理由はそれだった。大量の魔力を費やしたのだ。
もう一度マテオが礼を述べようとしたとき、勝いの昂揚で忘れかけていた右肩の負傷部位に激痛が走った。
「痛っ……!」
肩を押さえて顔をしかめるマテオのところに、コーデリアが駆け寄ってきた。
「大丈夫っ!?」
マテオの右肩に手を触れ、しばらく目を閉じた後、彼女は言った。
「やっぱり、骨が折れているみたい……」
生命の精霊がそう教えてくれたのだ。
コーデリアの口から、骨折を伝えてくれた生命の精霊に語りかける祝詞の声が聞こえはじめた。
『わたしの名前はコーデリア、妖精の森の巫女よ。生命の精霊、怪我を教えてくれてありがとう。あなたのことはよく知っているわ。ずっとこの人の中にいたでしょう? わたしは、いつも見ていたもの……。ねえ、生命の精霊。あなたに一つお願いがあるの。もう少しだけ頑張って、この人の怪我を治してあげて欲しいの。この人が痛みに苦しむところを、わたしは見たくないから……』
祝詞が終わると共に、マテオの感じる痛みが徐々にだが弱くなっていった。生命の精霊が、コーデリアの呼びかけに応えてもうひと頑張りし始めたのだ。
そのことを確認して目を開けたコーデリアは、マテオを見上げると申し訳なさそうな顔をして言った。
「ごめんなさい。わたしの祈りでは、すぐに傷を治してあげることはできないの……」
彼女の祈祷は、光の神の神官達が使う治癒の祈りとは違うのだ。
奇跡を起こして傷を癒やすのではなく、あくまで生命の精霊に頼んでマテオの体に備わる治癒力を一時的に上げてもらっただけにすぎない。
痛みを和らげ、怪我の治りを早くすることはできても、神官たちの魔法のように即座に傷を完治させることはできないのである。
それでもマテオの右肩の痛みは、さほど気にならない程度まで弱くなっていた。
「いや、だいぶ楽になったっすよ。感謝するっす」
素直な気持ちを述べたマテオは、コーデリアの両目に涙が溢れていることに気がついて少し慌てた。
「コ……コーデリアさん?」
ポロポロと涙のこぼれる顔をマテオの胸に押しつけながら、彼女は言った。
「怖かった……。わたしの心臓も止まるかと思った……」
「……すんません。怖い思いをさせてしまって……」
怪我の痛みが引くとともにマテオの頭の血の気も引いて、冷静な思考が戻ってきた。
「自分は間違っていたんすね……。それで先輩を危険に晒し、コーデリアさんに怖い思いをさせてしまった……」
正しい道であれば、危険な障害があるわけはない。右側の道が正しいとする彼の説は誤りだったのだ。
「いや……」
悔恨に顔を歪ませるマテオに、ファルコが言った。
「きみ一人の責任ではない。俺も、きみの説を聞いたときには妥当な考えだと思った」
ファルコの表情はいつものように乏しかったが、それでもマテオを気遣う彼の心は伝わってきた。
「それに、もしかしたら完全に間違いではないのかもしれない」
そう言って、ファルコは親指を立てて背後を指し示した。顔を上げてマテオはそちらを見る。
それまではゴーレムの身体に隠れて気がつかなかったが、奥の壁に一枚の扉があった。
「ここに配置されていたのが、死の罠ではなくゴーレムであったのは、あの扉を守るためではなかったかと思う。だから、合い言葉を聞いてきたんだ」
「合い言葉?」
そういえば、先程もファルコはそのようなことを言っていた。
「あのゴーレムは、名前を聞いてきただろう? あそこで正しく名乗っていれば、ゴーレムが襲ってくることはなかったんだろう」
「……すまん。つい、普通に答えてしまった」
アンジェリカがばつの悪そうな顔をした。
「無理もないことだとは思うがな」
彼女に頷きかけながら、ファルコが言った。
「だが、遺跡探索にはこういうことがあるんだ。だから、これからは慎重な行動を心がけてくれ」
専門家であるファルコの指示や注意も、きちんと守らねばならない。
「ああ、肝に命じるよ」
「すいません、次からは気をつけるっす」
アンジェリカとマテオがもう一度頭を下げた。
「ああ……」少し表情を緩めて頷いた後、思い出したようにファルコは言った。「ところで、マテオの腕は折れていると言っていたな?」
そう聞かれて、コーデリアがこくりと頷く。
「固定しておいた方が良くはないか?」
「そうなんだけど……」
コーデリアが困ったような顔になる。一人暮らしの彼女は、誰かの怪我の手当てに慣れていないのだ。
「私がやろう。騎士団で応急手当のやり方は教わっている」
「せ……先輩がっすか?」
慌てふためくマテオに、アンジェリカが訊いた。
「なんだ、私では不満か?」
「そ……そういう意味では……」
頬を赤くするマテオに不思議そうな目を向けた後、アンジェリカは荷物から包帯を取り出しはじめた。