その12 騎士の剣
──母と父の名を唱えれば 竜の顎門が口を開く
その口に入る者 汝 一切の希望を捨てよ
暗闇で迷いしときは 騎士から剣を受け取るべし
剣の次は盾
王妃は愛の証を 汝に見せるだろう──
コーデリアの衝撃的な質問から一夜明け、マテオ達は遺跡の入り口の前に立っていた。
前夜の野営地はそのままにしてある。遺跡の探索にどの程度の時間がかかるか分からないから、もしも長引きそうであれば、入り口に近いこの場所を拠点として一度戻ってくるつもりであった。
『そういうことなら、私がここに残ろう。食料などは置いていくのだろう?』
人間達の相談を聞いていたヴェルデがそう提案してくれた。
「良いのか?」
『ああ。どちらにしろ、私の身体では狭い洞窟内では満足に動けないだろうからな』
「だが、きみはコーデリアの守り役ではないのか?」
そう聞いたファルコに、ヴェルデは言った。
『お前達を信用している。守ってくれるのだろう?』
妖精犬の視線を正面から受け止めたファルコは、真摯な表情で力強く答えた。
「ああ。彼女は俺達で守る。約束する」
それを聞いて満足そうにヴェルデは目を細めた。
一方、パットの方は彼らについていくると言った。彼女は狭い洞窟もあまり気にはならないらしい。
(猫は狭いところが好きだからなぁ……)
そんなどうでもよいことをマテオは考えて、様々な気持ちに翻弄される自身の心を紛らわしていた。
ファルコが見つけた”竜の顎門”とおぼしき岩壁の前に立ったアンジェリカが、確認するように言った。
「ここで、”父と母の名”を唱えるのだな?」
「”母と父の名”だ。順番を間違えるな」
ファルコの言葉にうなずき、一度咳払いをした後、アンジェリカが高らかに唱えた。
「ルクレツィア……トラバウス!」
緊張にマテオの手が知らず汗ばむ。
しかし、何も起こらなかった。竜の顎門は口を開かず、石の壁は何の変哲もないただの崖として、彼らの前に立ちはだかったままだ。
眉をひそめてアンジェリカがファルコの方を見た。マテオの顔にも困惑の表情が広がる。
「ふむ……」
顎に手を当てて少し考えた後、ファルコがアンジェリカに言った。
「次の言葉を試してみてくれ。『ルクレツィア』と、『カルロ』だ」
「カルロ? 誰だそれは?」
アンジェリカが不思議そうに聞いた。
マテオもその名前には聞き覚えがなかった。ルクレツィアやルキウスの物語にそんな名前の人物が出てきただろうか。少なくとも、マテオは知らない。
「後で時間ができたら説明する。とりあえず、父の名は『カルロ』で頼む」
「わかった」
そう頷いて、アンジェリカがもう一度崖の方に目を向けた。
「ルクレツィア……カルロ!」
彼女がそう叫んだ瞬間、目の前の岩壁が眩い光に包まれた。
ただの石の壁に見えた場所に線状の輝きが刻まれる。縦に長い四角形の光に縁取られ、崖に扉の形が現れていた。
言葉を失ったマテオ達の目の前で、その扉が音もなく開いていった。
ファルコが予想したとおり、岩が上方向に滑るように動いて、足下から真っ暗な洞穴が徐々に現れてきた。その様子はまさに、巨大な魔物が大きく口を開いたかのようだった。
「”竜の顎門”か……」
こめかみに小さい汗を光らせながら、アンジェリカが呟いた。
この口の中に入る者は、一切の希望を捨てなければいけない。
遺跡の入り口が完全に開いたところで、彼らは互いに目配せをしてうなずき合った。
「コーデリア」アンジェリカが呼びかける。「本来なら、貴女の役目はここで終わりだ。貴女の身の安全を考えるならば……」
「いいえ、わたしも入るわ」
アンジェリカの言葉が全て終わらぬうちに、コーデリアが決意に満ちた表情で言った。
「ここまで付きあったんだもの。わたしだって中に何があるのか気になるわ」
初対面の時の様子を考えると信じられないほどにはっきりと、真っ直ぐに相手の目を見て言った彼女に、アンジェリカはもう何も言わず、ただ黙って頷き返した。
ファルコを先頭に、彼らは遺跡の中へと足を踏み入れていった。
日の当たる場所から見たときには、洞穴内はいかにも魔物の口のように黒々として見えた。だが、入ってみると中は完全な暗闇ではない。薄暗くはあるが、壁や天井がほのかに光っていた。
「ヒカリゴケだな」
ファルコが言った。古代遺跡ではままあることらしい。暗いところで物が見えないのは古代人だって同じで、当然、中には明かりが必要となるが、炎は燃料がいるし、魔法の光は常に魔力を供給し続けねばならない。
そこで古代人は、建物の中にヒカリゴケを自生させる技術を確立したのだという。ただ、ルキウスの時代にまでその方法が伝わっていたとは、ファルコも初めて知った。現代ではこの技法は失伝している。
「いずれにしろ、ありがたい。コケの生えているところは、仕掛けのある可能性が低いからな」
隠された継ぎ目や、何かが頻繁に動くところにはコケは生えないのだ。
それでもファルコは一歩進むごとに油断なく床や四方の壁、天井に目を走らせて、異常がないかを慎重に見極めていく。そのため歩調はどうしても遅くなり、入り口から漏れ入る光が見えなくなる頃には、かなりの時間が経過していた。
幸いなことに罠らしい罠はなく、しばらくして一行は通路の幅が少し広くなっている場所に出た。
三つ叉の矛のように、道が三本に別れて延びていた。ヒカリゴケが少ないのか回廊の先は暗く、それぞれの道がどのようになっているのかを見通すことはできない。
「おいでなすった」ファルコが言った。「”暗闇で迷いしときは”だ……」
中が迷路のようになっている──という予測は、既に昨夜の時点でファルコは皆に話していた。
間違った道には罠や守護者が用意されていて、侵入者を排除するようになっている。
逆に、正しい道を進めば危険は少ないはずだ。そのために、古文書に正しい道順が書き記されているのである。
「”騎士から剣を受け取るべし”っすね」
言いながら、マテオは昨夜のことを思い出していた。
──あなたは、アンジェリカさんのことが好きなの?
コーデリアに正面からそう聞かれ、マテオは慌てふためいた。
茹で蛸のように真っ赤に染まった彼の顔が、口には出さずとも質問の答えをコーデリアに知らせたことだろう。
しどろもどろになりながら、マテオは言葉を発していた。
「いや、そのっすね……。好きというか、憧れって感じで……。先輩は自分のことをいつも気にかけてくれていて……その、感謝というか……。傍にいるだけで……太陽のように明るくて……自分はいつも照らされていて……」
だんだんと、自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。
「自分は、いつも先輩に救われていて……。強くて、輝いていて……自分には相応しくないというか……だけど、それでもなんとか先輩の力になりたくてっすね……」
「そうなの……」
マテオの言葉を聞いたコーデリアは少しの間顔を伏せたあと、再び彼の方を見てふっとかすかに笑ってみせた。憂いの表情が、慈愛のまなざしに変わったようにマテオは思った。
「それなら……あの人に格好いいところを見せなくてはね」
彼女は自分よりも年下だろうと思うのに、なぜだか姉か母に諭されているような気分にマテオは陥った。
コーデリアはなにげなく言ったのかもしれないが、彼女の言葉がマテオの胸に深く突き刺さっていた。
今回の旅での自分の役割は、アンジェリカの従者──。
そう自分に言い聞かせてきた彼は、これまで荷物持ち以外には遺跡の探索に何も貢献していない。
森の中を案内してくれたのはコーデリアだし、古文書の謎を解き明かしたのはファルコだ。この二人がいなければ、彼らはいま遺跡の前には立っていない。
それに比べて、自分はこれまでいったい何をしてきたのだろう。荷物を持って歩くだけならば、別にそれがマテオである必要はない。それこそ、テネアの村で力持ちの若者を雇っても事足りる。
もちろん、それは単に彼の力が必要となるような──それこそ、ヒュドラのような魔物との戦闘がこれまで起きていない、というただそれだけのことだ。
コーデリアが期待しているのも、そのような状況になった時のマテオの大剣での奮闘である。
ただ、ファルコに対する対抗心のようなものが持ち上がっていた彼は、そのように冷静に受け止めることができなかった。
それでマテオは昨晩、ずっと古文書の残りの文章について考え続けたていたのである。
ファルコは、遺跡の中は迷路のようになっているだろうと言っていた。古文書には、その正しい道筋が記してあるのだ、とも。
その言葉をもとに、マテオはずっと夜通し考え続けていたのだ。
”騎士から剣を受け取るべし”という言葉の意味を。
そして思いついたことがあった。
「右の道っすよ」
マテオが言うと、ファルコもアンジェリカも驚いたように彼を見た。
「なぜ、そう思うのだ?」
「こういうことっす」
聞いてきたアンジェリカに、右手で背中の大剣の柄を握る仕草を見せながら、マテオは答えた。
「普通、剣を握るのは右手っす。左利きの方もいますが、そういう人も誰かから剣を受け取る際には、右手で柄を握ります」
実は、アンジェリカがそうなのだ。彼女は左利きである。
その彼女の騎士叙勲式の時、アンジェリカは王から受け取る剣を、作法に則って右手で受け取っていた。自分のことのように誇らしい思いで、ずっと彼女のことを見つめていたから、その光景はマテオの脳裏に焼き付いている。
「なるほど……」
マテオの説明に、自身のことを顧みたのだろうアンジェリカが、納得したように頷いた。コーデリアも目を丸くして彼を見ている。
「この後、”剣の次は盾”と続いているのは、次の分かれ道は左に行け、という意味だと思うんす」
剣と盾──。
この二つの対比がマテオの発想の原点だった。
普段、両手で武器を扱う彼は、盾を持った経験がほとんどない。自分が盾を使うとしたら──と、その仕草を真似ようとして、いつもアンジェリカはどうしているかと想像してみた。
彼女は左利きだから、盾は右手に持っている。自分の場合は彼女と逆になるから──と、そうして盾を持つ手は左手であるということを意識した。
そこから剣は右、盾は左という発想に行き着いたのである。
「さあ、行きましょう」
そう皆を促して、マテオは右の道へと進み始めた。
顎に手を当てて何事かを考えていたファルコが、意気揚々と歩き出したマテオに慌てたように言った。
「待て。迂闊に進むと危ない」
(正しい道なら、罠はないと思うんすけど……)
その言葉を呑み込みながら歩を進めるマテオを追い抜いて、ファルコが先頭に立った。
そのまま右の道を進んでいくと、やがて通路の先に開けた空間が見えてきた。
「部屋があるようっすね」
マテオの足が自然と速くなる。
「だから、待てと言っている」
一度マテオに追い抜かれたファルコが、再び彼の前に立つ。その二人に引っ張られるように、一行はいつの間にか部屋の中に足を踏み入れていた。
薄暗い正方形の空間の中央に、巨大な石像が置かれていた。前足を丸めて座る大きな猫の像だった。
最後尾を歩いていたコーデリアとパットが部屋の中に入ったところで、石像の胸の辺りに青い光が灯った。何か文字のようなものが光っているようだ。
『お前達の名前を言え』
石像の顔の辺りから、声が聞こえてきた。
「名前……?」
マテオは困惑し、ファルコの表情が険しいものに変わった。
「私はアンジェリカ。ヴァロア王国近衛騎士だ!」
男二人が口を開くよりも早く、アンジェリカが前に進み出てそう名乗った。
その彼女に、ファルコが叫ぶように言った。
「違う! これは合い言葉だ! 俺たちが”招かれざる者”かを確認しているんだ!」
ファルコの言葉が終わらぬうちに、石像は動いていた。
丸めていた前足が床から離れ、上半身がゆっくりと起こされる。
二本足で立ち上がったその姿は、巨大な猫と言うより、猫の頭をした巨人のようだった。
それを見たアンジェリカが驚愕したように叫んだ。
「ゴーレムか!?」
遺跡の守護者として有名な、魔力で動く石像である。
猫型ゴーレムは、彼らを侵入者と認定したようであった。右腕を大きく頭上に掲げたかと思うと、岩のような拳がゴーレムの目の前に立つアンジェリカに向けて振り下ろされた。




