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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第四話 妖精の森のコーデリア
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その11 それぞれの想い

 二日目になると、森の中での夜営の準備も少しは手際が良くなってくる。


 手持ち無沙汰の時間も多くなり、一行は焚き火の傍で魔道書を読みふけったり、付近の森を散策したりと、めいめいに時を過ごしはじめた。


 森の木陰に隠れて一人用を足していたマテオは、衣服を整えて焚き火の所に戻りかけたとろこで、ふと木々の向こうから誰かの話し声が聞こえてくることに気がついた。


 ファルコとアンジェリカのようだった。


 また、二人でいるのか──。


 そう考えると、マテオの胸に針で刺されたような痛みが走る。


「ファルコ、お前は変わらないな……」


 そう言うアンジェリカの声が耳に入ってきた。


「そうか? 自分で言うのも何だが、多少は成長していると思うのだが……」


「もちろん、昔よりも頼りになっている。そう意味ではなくてだな……なんというか、自分の好きなものに向けて、真っ直ぐに進む姿が昔と変わらなくて……なんだか羨ましいよ。私は……色々と変わってしまった」


「そうだな……。随分と勇ましくなっていて、少し驚いた」


「そうしなければ、騎士団の中では生きていけなかったからな……」


 アンジェリカの声はいかにも自嘲気味だった。


 マテオは知っている。彼女はずっと、男社会の騎士団で、女だからと舐められたくなくて奮闘していた。


 一方で特別扱いをされるのも嫌で、男装をしているのもそのためだ。女であることを武器にしているとは思われたくないのである。


「だが……変わらないものもあるだろう?」


 そう言ったファルコの声音は優しく、そしてとても温かかだった。こんな声も出せる男だったのかと、マテオは少し驚いていた。


「変わらないもの、か……。ああ、確かにある……」


 アンジェリカの声も少し柔らかいものに変わっていた。


「お前に対するこの想いは……昔と少しも変わらない」


 その彼女の言葉に、マテオの胸がドキリと跳ね上がった。


「ああ、そうだ……」


 ファルコはそう言って頷いたようだった。


「俺達の友情は変わらない。いつまでも、不滅のものだ……」


「友情……。そうか……そう、だな……」


 そこまで聞いたとろで、マテオは二人に気づかれないようにそっとその場を離れた。


 図らずもしてしまった盗み聞きを後悔していた。


 アンジェリカがいまどのような気持ちなのかと考えると、彼の心も張り裂けそうになる。


 大声で叫び出したい気持ちを抑えながら焚き火の所まで戻ると、コーデリアがその傍に腰掛けて暇そうに小枝を弄んでいた。


 マテオが戻って来たことに気がついた彼女は、彼の顔を見ると心配そうに口を開いた。


「……どうしたの? 何かあった?」


 相当にひどい顔をしていたのだろう。


 聞いてはいけない会話を耳にして、アンジェリカとファルコの気持ちを知ってしまった。


 哀しいのか、それとも二人が”そういう関係”ではなかったことが嬉しいのか、自分でもよく分からない。


 ただ一つ確かなのは、


 ──アンジェリカの悲しむ顔は見たくない。


 と、それだけだった。


「別に……普通っすよ?」


 無理に笑顔を作った彼を、コーデリアは「ふうん……」と言って訝しそうに見上げた。


「ねえ……」しばらくして、コーデリアがまた口を開いた。「聞きたいことがあるの」


「なんすか?」


 複雑な心にまだ翻弄されていたマテオだが、それでも努めて明るく答えて、コーデリアの正面に腰掛けた。


 彼が座ったのを見たコーデリアが訊いてくる。


「ルキウスとルクレツィアというのは、どんな人たちだったの?」


「え?」


 思いもしなかった質問に、マテオはすぐには答えられなかった。コーデリアが続けて言った。


「私たちが探している遺跡を造ったのがルキウス王。そのお母さんがルクレツィア。その女の人は、わたしと同じようにこの妖精の森で育った人だった──。でも、私が知っていることはそれぐらいなの」


 妖精たちが語ってくれたお伽話や、彼女が持っている本の中にはルクレツィアやルキウスの物語は入っていなかった。だからコーデリアは、この二人のことをよく知らない。


 明日から本格的に遺跡の中を探索する前に、その遺跡の背景事情や人間関係を知っておきたいのだとコーデリアは言った。


 彼女のその頼みに、マテオは考え考え口を開いて答えた。


「自分もそんなに詳しいわけじゃないっすが……」


 それでも、ルキウスについては国の歴史や吟遊詩人の語る話の登場人物として、一通りの知識はある。その母であるルクレツィアの物語も聞いたことがあった。


 それらを思い出しながら、訥々とマテオは語り出した。


 ヴァロア王国史に汚点として名を残す二人の王、”暴虐王”トラバウスと、その息子である”暴虐王二世”ルキウス。その兄王を倒して、傾きかけた王国を立て直したのが、ルキウスの弟である”救国王”アストルだ。


 このアストルが即位するまでの出世物語は、王都リヴェーラでは古くから庶民に人気の話で、吟遊詩人の歌はもちろん、絵画の題材にも良くされている。王子時代のアストルは金色の魚を紋としており、それが描かれていれば、これはアストルの絵なのだと分かるようになっている。


 物語の方のパターンは主に二つあって、挙兵したアストル軍が暴虐な領主達の軍を次々と打ち破っていく戦記物と、もう一つはルキウス治世下での王弟・アストルの世直し物語だ。


 後者では、何かのきっかけで悪徳商人の不正や、民を苦しめる貴族の悪行を知ったアストルが、様々な方法で悪者を懲らしめていく。その過程で、毎回のように黒幕として登場するのがルキウス王であった。


 全ての元凶がルキウスであることを察したアストルは、兄である彼に抗議をしに行くのだが、「証拠はあるのか?」といつも惚けられてしまい、それ以上の追及が出来なくなってしまう。


 権力者の悪行を裁く痛快感と同時に、黒幕を倒しきれなかったモヤモヤ感が残り、その欲求不満が戦記物の方で解消される作りになっているのだ。


 そして、この対照的な兄弟の母こそがルクレツィアであった。


 彼女はまだ赤子の時に父につれられてこの森に入り、その父の死後は妖精達に育てられたと伝わっている。


 コーデリアが特に興味を持ったのは、やはりこの部分の話であった。自分とよく似た境遇のルクレツィアの身に起きたことが、彼女には他人事と思えないのだ。


「ルクレツィアも、”妖精の森の巫女”と呼ばれていたの?」


「そうみたいっすね。コーデリアさんと同じです」


 マテオは答える。おそらく、”妖精の森の巫女”と呼ばれた女性の中で、最も著明なのがルクレツィアではないかと思う。


 そして、ある時彼女は森を訪れた王子と出会い、恋に落ちた。この男こそが、後の”暴虐王”トラバウスだ。


「ルクレツィアは、どうしてそんな非道い人が好きになってしまったのかしら?」


「さあ……そのときはカッコよく見えたんすかね?」


 トラバウスの容姿については、はっきりとしたことは伝わっていない。美丈夫であったのかもしれないし、それ程ではなかったのかもしれぬ。


 ただ、王子であるからには身なりは良かっただろう。”馬子にも衣装”で、世間知らずのルクレツィアには、いかにも良い男のように見えたのではないか。


 トラバウスもこの美しい森の乙女にのぼせ上がり、都に連れ帰った彼女を身分の違いを越えて王妃とした。少なくともこの時点では、彼女のことを本気で愛していたのである。


 だが、第一子・ルキウスが産まれた頃から、トラバウスの愛は徐々にルクレツィアから離れていった。


 王となって酒池肉林の毎日を過ごしていた彼は、やがて妻よりも若い娘と不倫を繰り返すようになり、ついには愛人の求めに応じて、第二子を妊娠していたルクレツィアを離縁。宮殿から放逐した──。


「ほんと、胸糞悪い話っすよね」


 マテオの鼻息が荒くなり、コーデリアは哀しそうに目を伏せた。


「それから……ルクレツィアはどうなったの?」


「さあ……」マテオは首をひねった。「自分も良くは知らないっすけど……お腹の中の子供はなんとか産んで、その子が後に”救国王”アストルになったとか……」


 宮殿を追い出されて以降のルクレツィアの名は、史書にはまったくと言っていいほど出てこない。表舞台から完全に姿を消したのだ。


 彼女の息子である”救国王”アストルは貧民から王国の兵士となり、やがて頭角を現していく過程で王子であると判明したというから、ルクレツィアは貧しい生活の中で彼を産んだという説が一般的だ。


 妖精の森出身で身寄りのない彼女は、トラバウスに見捨てられたら、もう他に頼る者も、故郷というべき里もない。身重の女一人で、相当に苦しい生活であっただろうことは容易に想像がつく。


 だから、彼女はおそらくアストルを産んですぐに亡くなったのではないか、というのが巷間の認識である。彼女を”悲劇の王妃”と呼ぶ者も多かった。


「そう……」


 マテオの話を聞いたコーデリアの表情に翳りがさした。


 目尻の垂れた顔立ちの彼女には、憂いの表情がよく似合う。まるで哀しみの女神のようだ──。


 そう思ってしまいながらも、マテオは彼女にそんな顔をさせてしまったことを申し訳なく感じた。なんだかヴェルデとパットの視線が痛い。


 沈黙が場を支配し、ふとコーデリアが森の方に目を向けた。


「アンジェリカさんとファルコ、遅いわね……」


 コーデリアはなにげなく言ったのだろうが、先程聞いてしまった会話を思い出したマテオの気分は、途端に暗く沈んだものに変わった。


「あの二人は仲がいいの?」


 世間話のようにコーデリアが訊いてきた。


「いい……んでしょうね。魔術学院の同期だそうっす」


 アンジェリカは騎士になる前、一年だけ魔術学院に在籍していた。そこでファルコと知り合ったのだ。


「そうなの……」


 そう言ってしばらく森の方を見ていたコーデリアが、またマテオの方に視線を戻した。傾きかけた日の光と、先程起こした焚き火の明かりが彼女の顔に微妙な陰影を落とす。


「ねえ、マテオ……」


 芸術品のように整った顔で真っ直ぐに彼の方を見ながら、コーデリアは口を開いた。


「あなたは、アンジェリカさんのことが好きなの?」


 焚き火の暖かさと、荒野に吹く風の冷たさが同時にマテオを襲って、彼は思わず身震いをした。

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