その16(終) “海賊”キッド
レオンがワンドを回しながら、オセアンの名を唱えた。
杖から青い光が迸り、海竜の体を包む。
その様子を、ターニャとエレナはただ黙って見守っていた。
光は徐々にその強さを増し、やがてとても正視できないほどに眩く輝き始めた。もはや、その光の中で何が起きているのかを見ることはできない。
やがて輝きを増した光は、大きく弾けて消えた。その光に包まれていたはずの海竜の姿は、もうどこにもなかった。
「キッド……」
ターニャが呟いた。
その視線は先ほどまで海竜がいた場所に向けられている。
竜の姿はもうどこにも見当たらないが、そこには別の姿の者が倒れていた。
薄い青色の質素な服は、オセアンからの施しだろうか。一人の人間が、海竜の代わりに倒れている──。
レオンがキッドに希望を聞いたとき、オセアンに感謝するように一度目を閉じた後、海竜は迷うことなくこう答えたのだ。
『ボクは、人間になりたい!』と。
「いいのか?」
確認するようにレオンが聞いた。
人間になれば、その寿命は百年もない。海竜の永遠に近い寿命とはあまりにも差がある。
だが、キッドの意思は変わらなかった。
『うん、ボクは人間になる。もう仲良くなったヒトたちが、ボクよりも先に逝くところを見たくはないんだ。みんなと一緒に、年を取りながら生きていきたいんだ……』
その視線は、ターニャとエレナの方に向けられていた。
「……わかった」
キッドの意思が固いことを確認したレオンは、そう言ってうなずいた後、ワンドを左に回しながらオセアンの名前を唱えたのだった──。
「キッドぉ!」
海竜の姿に代わって現れた者に、そう叫びかけながらターニャが走り寄っていく。エレナも続いた。
そのターニャの声に気がついたのか、砂の上に倒れていたキッドがパチリと目を開け、ゆっくりと体を起こした。
その姿を目にしたエレナの瞳が、驚愕に見開かれた。
くりくりとした大きな瞳に、快活そうな口。視線を下に向ければ、服ごしにも分かる胸の膨らみとくびれた腰つき──。
二十歳前後の美しい娘が、そこに立っていた。
「キッド……。貴方、メスだったの!?」
女性の姿をしたキッドを見て、思わずエレナはそう言った。
一人称が”ボク”で、名前がキッド。
それでは誰だって、この海竜はオスなのだと思うだろう。
そう思ったからこそ、水浴びのとき彼女はキッドに目隠しをしたのだ。
口調と名前に、完全に騙されていた。
しかし──
と、エレナは思った。
キッドが女性なのだとすれば、ラゴリノの街の吟遊詩人から聞いた、海竜とキャプテン・キッドとの話はその様相が随分と変わってくる。
あの話の中で、キャプテン・キッドは自分が一番大事にしていた宝石を船の舳先の海竜の像に取り付けた。
その時に、彼は海竜にこう言ったのだ。
──キミは物を持ち歩けないからね。代わりに、ここにはめ込んでおくよ。
と。
つまりキャプテン・キッドは、自分の最も大切にしている宝石を彼女に贈ったのだ。
キャプテン・キッドが、彼女の人間としての姿を知っていたのかどうかは分からない。しかし、もしも彼が彼女を一人の女性として見ていたのだとしたら。
それって、もしかして──
「……あのさあ、エレナ。”メス”じゃなくって、”女”って言ってよ。ボクはもう、人間なんだからさぁ」
口を尖らせてそう抗議してくるキッドを、エレナはまじまじと見つめた。
こういう言動をされると、とてもではないが伝説上の人物のロマンス相手だとは思えない。
憮然とした顔になってエレナは言った。
「……だったら、せめてその『ボク』はやめなさい」
「ええっ!? どうしてぇ?」
「どうしても、よ!」
「まあまあ、いいじゃねえか……。ボクッ娘ってのも可愛いぜ? 案外、頭が古くさいんだな、お前」
そう言って割って入ってきたレオンを、エレナがきっと睨みつける。
慌ててターニャは話題を変えようとした。
「ねえねえ、これからキッドはどうするの?」
「それなんだけど……」
ターニャの問いに、少し困ったようにキッドは言った。
「人間にはなれたけど、海神の眷属としての性質は、まだ残ってるみたいなんだ。……あまり海から離れては行動できないと思う」
「そうかぁ……」
残念そうにターニャが言った。それでは、山奥にある彼女の故郷まで一緒に来てもらうことはできそうにない。
「せっかく人間になったんだし、海賊でもやってみようかなあ」
両手を頭の後ろに組みながらそう言った後、キッドはレオンの方を見た。
「ねえ、アンタの船に乗せてくれない? 盗み食いした分、働いて返すからさぁ」
それを聞いたエレナが口を出した。
「ちょっと。この人は海賊じゃないわよ?」
「えっ、そうなの?」キッドが不思議そうな顔をする。「でも、船でいろんな島に行って探検したり、珍しいものを見に行ったりするんでしょ? それって海賊じゃないの?」
彼女にとっての海賊の基準は、あくまでキャプテン・キッドなのだ。
彼の行動は、権力者に楯突いたことを除けば──海賊というよりは海洋冒険者や探検家と言ったほうが近い。ただ、強きを挫き弱きを助けるその姿勢は、確かに侠客にも通じるところはあった。
顎髭を撫でながら、その海の侠客である提督レオンは言った。
「まあ……確かにそういうことをすることもある、けどなあ……」
「でしょ、でしょ? じゃあ、やっぱりアンタの船に乗せてよ!」
嬉しそうにキッドが言う。
「楽しみだなあ──。島に上陸していろんな珍しい動物を見たり、美味しい物を食べたり……島の遺跡に入って、お宝を探したりするのもいいよね?」
その”お宝”という言葉に、ターニャとエレナの耳がぴくりと反応した。
「お宝? 見たい、見た~い!」
「……まあ、犯罪行為をしないのなら……海賊も悪くはないかも知れないわね……」
どこそこの島に古代の遺跡があるらしい。別の島には、昔の海賊が隠した財宝が眠っているらしい──などと、女たちが宝探しの話に沸きはじめる。
半分の人員は船に残して上陸して、船に残るのはやっぱり船長のギムザか、いやいや、やっぱり回復役には同行して欲しい──などというところまで話が進んだところで、思わずレオンは口を挟んでいた。
「おい! まだ、お前らを船に乗せると決めたわけじゃねえぞ! それに、俺は海賊じゃねえ!」
だが、そのレオンの抗議を無視して、女たちはわいわいと話し続ける。
もはや彼女たちがレオンの船に乗って”海賊”をすることは、既成事実となっているようだった。
女三人寄ればかしましい──
その言葉の意味を痛感したレオンは思わず天を仰ぎ、そして海を──そのどこかにいるであろう、海神・オセアンに恨みがましげな目を向けた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
これで、第二話は終幕となります。
次回からは第三話「ローラン人喰い鬼事件」に移ります。
ミステリー風味のシティアドベンチャーとなる予定です。




