その1 城壁の街
タラマカン首長国の首都・ローランには二つの市街地がある。
この街はもともと大河アンタルヤの東の平地に広がっていたのだが、街が大きくなって人口が増加するとともに、貧民街の形成や治安の悪化が問題となってきた。
盗賊ギルドなども幅をきかせるようになり、迷路のような市街地と、拍車する暗黒街化に嫌気が差した時の首長は、五十年程前に大河の西岸に宮殿を移し、その周囲に新たな街の建設をはじめた。
それが、ローラン新市街である。
両市街の間を流れる大河・アンタルヤは大陸でも屈指の河幅を誇り、容易に橋を架けることなどできないから、両市街を行き来するのはもっぱら船となる。
だが、この船には高い税金がかけられ、貧しい庶民が日常的に乗れるようなものではない。
そうやって、貴族や富裕な商人たちの住む新市街に、旧市街に巣くう貧民や盗賊たちが入ってこれないようにしている。
もっとも、このような施策は自分のような下級役人にとっては迷惑でしかないと、リジャールは常々考えている。
大河によって隔てられ、実質的には別の街であるとはいえ、ローラン新市街と旧市街は名目上は一つの街である。当然、そこを管理する役人たちは同一の組織に所属していることになる。
旧市街の下級役人である橋守の家に生まれたリジャールが、新市街の衛兵隊として勤務しているのもそのためだ。
彼はどちらかというと細身な体型であるから、巨大な斧槍を持って鎧兜に身を包み、行き交う者に目を光らせて威圧するような仕事にはあまり向いていない。
それにもかかわらず彼が衛兵隊に推挙されたのは、主に犯罪捜査を担う探索方としての仕事を期待されてのことであった。
もともとは貴族と富裕な商人のために造られた街とはいえ、ローラン新市街に住む者たちが全て金持ちかというと、そうでもない。
貴族だけでは街は成立しえないのだ。
彼らの面倒を見る者、食事を用意する者、それらに必要な道具を作り、その材料を売買する者──。
そしてそのような者たちもまた、日々の食事やそれぞれの生活が必要となる。
貧民街や盗賊ギルドといった犯罪組織は排除されたが、ローラン新市街にはいわゆる庶民も多く住んでおり、その街の様子は他国の市街とあまり変わるところがない。
であれば当然、なかには犯罪に手を染める者も出てくるし、そのような者達を放置すれば、いずれ徒党を組んで大きな組織を作ってしまうかもしれない。
それを未然に防ぐのが、衛兵隊の探索方の役割の一つである。街中で起きた犯罪にただ対処するだけではなく、盗賊ギルドを排除した新市街において、似たような組織の芽を早くに見つけて摘み取るという重要な役目も担っているのだ。
その探索方にリジャールが推挙されたのは、旧市街での彼の橋守としての働きぶりが上役の目にとまったからだった。
ローラン旧市街における橋守は、文字通り橋を守る仕事ではなく、いわば保安官のような役職である。
この街には大河アンタルヤから流れ出る水路が縦横無尽に走り、大小たくさんの橋がある。
橋守は、元はこれらの橋を渡る者から通行料をとって橋の管理をする役目であったが、それがやがて犯罪者やならず者の逃亡や流入を防ぐため、橋を渡る者を監視する役職へと変わっていった。
しかし、橋を渡る者が怪しげかどうかを見極めるためには、周辺の地域にどのような者が暮らしているかを知っておかなければならない。
そこで橋守たちはいつしか橋の周りを歩き回り、そこに住む者たちの生活ぶりを観察するようになった。そして時を経るにつれ、単に見回るだけではなく、そこに住む人々の揉め事の解決や治安を維持するための犯罪捜査をする役へと変化していったのである。
父が早逝したことで若くしてこの役を継いだリジャールは、橋守としてすぐに頭角を現し、その名を町中に轟かせていくことになった。
彼は目端が利いて手先が器用なだけではなく、細身の身体の割に荒事にも強かった。幼馴染みの父親に、ローランに古くから伝わる武術の師範がいたから、幼いころよりその手ほどきを受けていたのだ。
揉め事の仲裁や犯罪行為の摘発だけでなく、地域の暴れ者を叩きのめしたり、町に訪れたならず者を追い返したりしているうちに、いつしか盗賊ギルドの幹部ですら、この若き橋守には一目置くようになっていた。
そんな彼の噂が新市街の衛兵隊長の耳に届き、見所のある若者として探索方に推挙されたのが、二年程前のことである。
それから今日まで、リジャールは一度も故郷の町には戻っていなかった。
多忙であったということも大きいが、加えて衛兵隊の探索方の給金は──橋守時代より増えたとはいえ、それでも大河を渡る船賃を気軽に出せるほどではなかったからだ。
下級とはいえ役人であるリジャールは、この街の同年代の者に比べて特に貧しいというわけではない。
そんな彼でも、両市街を行き来する大河を容易に渡ることはできない。故郷に残してきた友人や、愛しい人の顔をちょこっと見に帰ることもかなわない。
だから、ときにリジャールは考えることがある。
──まるで、囚われの身になってしまったようだ、と。
新市街に軟禁されているような気分になってしまうのだ。
彼がそう思う理由は、もう一つある。
新市街を囲む巨大な壁だ。
ローラン新市街は、街全体がぐるりと高く堅牢な壁に取り込まれていた。
タラマカン首長国は、その領土の大半が大河アンタルヤの東側にあり、河の西側にある大きな都市はローラン新市街だけである。
アンタルヤの東岸には肥沃な大地が広がっているが、西側はゴツゴツした岩山と砂漠ばかりで、川沿いの漁村を除けば、古代から人はほとんど住んでこなかった。
タラマカン首長国の西には大国であるヴァロア王国が存在しているが、この地域における国境は曖昧だ。両国ともにこの地を支配する旨みを見いだせないからである。
ヴァロアとタラマカンの明確な国境は、ローラン新市街から大河に沿って南下する街道を河口まで下ったところにあり、ここに両国の関所が設けられていた。
もしもヴァロアがタラマカンに攻め込もうとしたら、陸路であれば西の砂漠や岩山超えを敢行するか、関所を破って街道上を行軍するかしかない。
いずれの場合にも最初に攻め込まれる都市は首都であるローラン新市街であり、だからこの街は、まるで城塞のように周囲を幾重もの頑強な壁で取り囲んでいた。
警備のために壁沿いを歩くとき、高くそびえ立つその城壁を見ながら、リジャールはいつも「籠の鳥になったようだ」と感じてしまう。
外敵を防ぐはずの壁が、まるで彼がこの街から出て行くことを拒んでいるように思えてしまうのだ。
一方で、彼がこの城壁に安心感を覚えていることも、また事実であった。
この壁のおかげで、野獣やならず者は市街の中には入ってこられない。
街の中に住む者の安全は新市街と旧市街とでは雲泥の差があるし、他の開かれた町村のように、市内に入り込んだ魔物や野獣と彼ら衛兵達が大立ち回りをする必要もない。
だからリジャールは、新しく担当することになった事件の目撃者から最初にその話を聞いたとき、容易には信じられない心持ちになった。
困惑しながら、彼はその者に聞き返した。
「食人鬼、ですって……?」
「はい、オーガです」
リジャールにそう言ったのは、騎士風の身なりの若い男だった。リジャールよりも四、五歳は若く見え、まだ少年といっても良い年頃に思える。
「……失礼ですが、これまでにオーガを見たことは?」
「あります。何度か戦いました」
それを聞いたリジャールは、その少年騎士をまじまじと見つめた。
まだ年若く思えるが、彼の言葉が事実なら、かなりの実戦経験を積んでいることになる。あるいは童顔なだけで、実年齢は見た目よりも上なのか。
街の衛兵であるリジャールは、まだオーガを見たことがなかった。
それは、主に荒野や山森に現れる怪物だ。
見た目は人間に似ているが、二メートルを超す巨大な体格をしていて、怖ろしい怪力を持っている。知能は人間より低くて言葉を話すことはないという。
性格は凶暴にして残忍。
肉食で、好んで人間を捕えて食らうオーガは、旅人や辺境の村の者たちから、最も恐れられている怪物の一つだ。
アルフォンスと名乗ったこの少年騎士は、昨晩ローラン新市街で発生した殺人事件の現場で、このオーガを見たと言うのである。
にわかには信じがたい話であった。
荒野や辺境の村ならばともかく、この大きな街のど真ん中に、巨体の人食い鬼が突然に現れるとは──。
例え西の岩山から腹を空かせたオーガが下りてきたのだとしても、周囲をぐるりと高い壁に囲まれたこの街に入り込めるとは、リジャールには思えない。
市街への門は南の街道に続く一カ所と、大河アンタルヤの川岸に向かう東側と二つあるが、そのどちらもリジャールの同僚である衛兵達が四六時中、目を光らせていた。
夜にはこれらの大門は閉じられた上で、さらに何人もの不寝番が置かれる。
門以外の壁の上にも当然、何人もの見張りが昼夜の区別なく周囲に目を光らせているから、巨体の食人鬼が現れれば、その彼らに見咎められないはずはないし、目撃されれば間違いなく即座に報告が上がるだろう。
そうなれば衛兵たちには注意喚起の申し送りが来るし、討伐のための緊急招集もかかる。リジャールの耳にオーガ出現の報が届かないはずはないのだが、そんな話はこれまで一度も聞いたことがなかった。
それなのにアルフォンスは、それが確かにオーガであったと言う。壁外の話ではなく、街中の住宅地に怪物が現れたというのだ。
リジャールの顔に困惑の色が広がった。




