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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「二公子だけは生かすって話だったんす。二公子は殺すなって話で。分かったって…もう分かったって…なのになんで…ッ」

 髪を掻き乱して喚く。雑木林に吸い込まれていく。

「なんで滅多刺しになんてされなきゃならなかったんすか…」

 今にも二公子を襲撃しかねない危うさを感じ、極彩は然(さ)りげなく震える男児の肩へ触れた。肩を滑り、腕を掴む。

「なんで…」

 頭を振っているいとこを寄せる。顔面の傷が痛んだ。滅多刺しにされたのだ。あれは幻覚ではない。刺し傷だらけの遺体をこの少年は見たのだ。肉親の無惨な亡骸を。銀灰に触れていなければ傷が存在を主張する。触れることで癒されさえした。

「親父はバカだ。親父ほんと、バカ。デキのいい息子じゃなかったけど、オレっちは…」

 小さくなった身体から両頬を掬い、背伸びをして額を合わせる。薄い膜を張る傷が乾燥しているが健やかな肌に触れた。

「最低だ…言わないつもりだったのに。言ったってどうしようもないの、分かってんのに、」

「この傷は、月白(げっぱく)師匠がわたしから疑いの目を逸らすために最期、付けてくださった。わたしの標(しるべ)だと思う」

 力の抜けた少年の両腕がしっかりと極彩の両腕を握る。まだ思い出せる。先端の研がれた簪が向かってくる瞬間を。あの簪は。先端が研がれていた。誰が研いだ。あの簪は誰の―

 知ってどうするの?

「新しい風月なんて要らない…オレっちはただ…親父と暮らせたらそれで…なのに、」

 もう少しこうしててもいいすか。頭突く勢いで迫る銀灰の願いに頷いた。


 涼しい風に震えた薄着の身体に、引き摺るように離れ家へ連れ込んだ。怯えた仔猫のようにしがみつかれ暫く寄り添っていたが腕の中で突然静かになったと思えば寝息を立てていた。その後少しして部屋にやってきた雄黄はびっくりしていたが縹の知り合いだと適当に答えると特に疑うような素振(そぶ)りもなかった。小さな世話係は何も言わなかったが、問題行動とでも見做(みな)したのか銀灰を剥がし、床に寝転がす。

「ただいま暖房をお付けしますので」

「お…やじ…」

 銀灰は寝言が多かった。歯軋りも少ししている。桜はまるでいないのかと不安になるほど静かだっただけに極彩は苦笑した。

「お父上?」

 雄黄は床に寝る少年へ薄布を掛けながら興味深そうに眺める。

「そのうち分かる」

「布団をお持ちしましょうか」

「いや、ここで待っていて。わたしが持って来よう。君も少し休みなさい」

 雛(ひよこ)を彷彿させる体躯に紫暗でも重そうだった布団一式を運ばせるのは躊躇われた。

「ですが…」

 頼む、と一言残すと小さく首肯した。乾燥のせいか腫瘍付近の肌が荒れていた。布団を取りに向かう途中で蘇芳に会った。極彩を探していたようで、簡素な挨拶をして通り抜けると走り寄ってきた。不安げな表情を晒している。何を求めているのかすぐに察しがついた。

「三公子のことですか」

 先に口を開くと息を切らしながら肯定した。

「そちらをお持ちすればいいですか」

 腕に掛けている毛布と手にしている菓子らしき物品を指す。息を切らしながら再び肯定する。縦長の最中(もなか)だ。包装紙に不言通りでは人気だったと記憶している店名が金字の特殊な書体で記されていた。

 三公子にお渡しください。

「分かりました」

 蘇芳から菓子と厚手の毛布を受け取り、寝具倉庫に伸びる廊下とは違う廊下を辿る。地下牢入り口の前の警備兵2人組が何か言いかけたが互いで解決したらしく、口を噤んで極彩に照明器具を渡してから通す。

地下は外よりも寒かった。足音が大きく響く。珊瑚のいた懲罰房に姿はなく、紅がいる通路とはまた別の懲罰房奥の独居房を探さなければならなかった。数部屋あった。珊瑚は以前と同じように部屋の中心に置かれた寝台に寝ていた。狭いものの一部に床材を敷かれている。紫暗や紅が放られた牢よりも上質な造りをしていた。鍵は掛かっていない。彼は照明を眩しがり目を眇めた。意識はある。しかし起きることも腕で目元を隠そうとすることもない。顔だけが無傷で汚れた白衣の下には痣や傷にまみれている。息が白く渦巻いて昇っていく。

「蘇芳殿から菓子と毛布です。水は足りますか」

 狭い室内を見回す。水の半分ほど入った杯があった。

「わり…」

 深く落ち着いた息遣いで安堵したように目を閉じる。厚手の毛布を血の気の失せた身体に被せた。長い白衣が開(はだ)けた痣だらけの真っ白い足首には枷が嵌まっていた。鎖が寝台の下へ伸びていく。小刻みな震えが伝わり、微かに金属がぶつかっている。

「珊瑚様?」

「…俺は、処される…?」

「分かりません」

 弱々しい問いを冷たく突き放す。だが本当に何も聞かされていない。紫暗が言うには、「二公子は三公子を許さない」ということだったが、どう許さないのか、詳しくは聞いていない。珊瑚は反応を見せない。眠ったのかと思った。

「処されるさ…。いつだ…」

「何も聞かされておりません」

 過呼吸にも似た息遣いが白い渦になり消えていく。

「あの跳ね回ってた鳥が、もういない……俺は、あの感じを、大兄上から学んだのに…」

 掠れた声も白い渦になる。広がり消え、闇に呑まれていった。

「あの鳥の生涯(じんせい)、なんだったんだろ…」

 吃逆とそう変わりのない笑い声を上げ、だがそれもごくごく短かい間だった。

「助命嘆願はします」

「いい…」

 もういいから。聞き返すところだった。

 ほら、こう言ってるんだし、さ?

 照明器具の重さを確かめる。両手が寂しがっていた。かたかたと震える。寒さのせいだ。囚われの三公子は極彩のことなどすでにどうでもよいらしく、胸を上下させては穏やかに息をし、時折咳が混じった。

「大兄上のところ、行く?」

 返事はない。何を訊いているのか極彩自身も分からなかった。両手が肌を求めている。肉感を。骨張った。細く。真っ白な。照明器具を握り締め、片手は衣類を握り、目的を思い出すと寝具倉庫に急ぐ。雄黄が待っているはずだ。銀灰はまだ寝ているだろうか。「洗朱の呪い」に蝕まれた城内から布団一式を離れ家に運ぶ。銀灰を起こすと、寝てしまったことにひどく落ち込んだ。

「ごめん」

「泊まっていく?」

 銀灰は項垂れたまま首を振った。目元が赤く腫れていた。

「縹サンにちょっと会ったら帰るっす。あんま遅いとみんな心配するし」

 髪を掻いて面を上げると変わらない笑顔があった。だがどこか固い。痛みを訴えてさえいる。

「疲れない?」

 手の甲で柔らかく頬に触れた。もう笑うしか出来ないどこかの意地っ張りとは違うはずだ。

「もう癖みたいなもんっすから」

 笑みが消え、眉が落ちた瞬間に、脳裏に蘇った光景。青々とした木々の木漏れ日と潺(せせらぎ)。小枝を踏む音と。縹が彼を傍に置きたかった理由が、すっと頭に入ってきた。

「お袋が可哀想だったからさ。笑ってればもう深入りされない。責めたくなかったんすよ、つまんねぇカオしてさ……でも中身がなきゃ笑ってたって…仕方ないっすね」

 吹っ切れた顔で大きく溜息を吐いて首を逸らし天井を仰ぐ。

「銀灰くんの笑顔は眩しいから、きっと救われてる人はいるんだろうけれど…それだけにしか興味がないわけじゃない」

 静かにしていた雄黄は両手を口元に当て、銀灰は父親譲りの吊り目をぱちくりさせていた。顔を赤く染め、顔が熱くなっちゃうっすよと呟いた。

「熱?」

「もぉ、白梅ちゃぁん」

 流行病のこともあり、深刻に眉を顰めた彼女に銀灰は呻く。

「雄黄、彼を頼んでいいかな」

「は、はい!」

「入浴くらいしていったら」

 世話係の大きな返事に圧されたらしかった。

「じゃ、じゃあお言葉に甘えるっすよ」

 雄黄は銀灰と極彩を不思議そうに、そして無遠慮に見遣ってから頼まれた相手を案内する。

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