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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「雄黄」

 極彩は雄黄へと声をかけた。

「風邪らしい。薬は飲んだ。少し寝る。君も気を付けて」

 布団を敷こうとする雄黄を制して極彩は自ら布団を敷いた。

「洗朱の呪いですか?」

「は?」

 布団の脇に寄って雄黄は首を傾げる。洗朱という単語と物騒な言葉に反射に眉間に皺を寄せた。幼い顔が怯える。

「みんなが一気に風邪ひいて、不言(いわぬ)では死んだ人もいるんですって。洗朱地区の呪いだって噂してました」

「呪い、か」

 瓦礫に埋もれた死体や、花も香もない亡骸、狭い空間に身を寄せ合い暮らす者たちをを思い出した。

「随分な被害妄想だな」

「そうですよね。呪いだなんて、怖いです」

「あとは自分で出来るからもう下がれ。手洗い(うがい)を忘れないように」

 雄黄は戸惑いながら小さく拱手して下がった。空咳を何度かした。紅の元に風邪を持ち込みたくなった。布団の柔らかさに沈み、意識が遠退く。身体が熱くなった感じがした。心地良い律動で軽く叩かれている。夢かも知れない。甘酸っぱい香りが干されたばかりの布団の匂いに紛れていた。


―姉さん


 今にも泣き出しそうな声がした。見ていた夢を、夢を見ていたのかさえ思い出せない。頬を擽られる。触れるか触れないかという猫の尾のような柔らかさだった。

―誰にも渡したくない

 毛先の感触がむず痒くなり寝返りをうつ。

―どうして…どうして…姉さん、戻ってきてよ

 大兄上に会いたい…

 人に生まれても(しがらみ)だらけだから

 生きてる人たちの都合の良い解釈だ


ねぇ、あなたはあのお人を生き返らせたいと思わないの?

 生き返らせたいんじゃない。死なないでほしかった



「おはようございます」

 覚えのあるような、ないようなはっきりしない小顔を見て、潰れているに等しい腫瘍のある片目をみて思い出す。

「おはよう…雄黄だったか」

「はい」

 腫瘍の周りは皮膚が裂けるように爛れ、化膿して痛々しい。

「医者には行ったのか」

「流行病が治まるまでは外出は控えるようにと…」

「禁止でないなら、行った方がいい。たとえ禁止でも。一緒に行くのがいい?」

 雄黄は首を振った。常に櫛を通しているような髪が靡く。

「不快でしたら…すぐにでも…」

「医者に行くか」

「いいえ…」

 そうか、と話を終わらせ、立ち上がる。寝間着を脱ぐ。紫暗は苦笑していたが、雄黄はぎょっとして両手で顔を隠して背を向けた。

「ご、極彩様…」

「自由にしたらいい。わたしは好きにする」

 朝支度を済ませ朝食も摂らずに狼狽している新たな世話係を置いて離れ家を出る。地下牢に向かっていくと小肥りの官吏が右往左往していた。水の入った硝子杯が手にした盆の上で揺れている。脱走した珊瑚に手を焼いていたリスに似た中年だった。極彩に気付くと人の好さそうな顔が困惑に染まり、そしてやって来た。

 三公子にお水を届けたいのですが…その…

「わたしが持っていきましょう」

 優柔不断な性分なのか迷いを見せながら中年の官吏から盆を受け取り、地下牢の急な階段を下りた。水面が杯の中で大きく傾く。独居房が並ぶ通路とは反対を行く。懲罰房への道のりは明かりが灯っていた。そうでなくとも通路の窓が大きく明かりが入ってきていた。懲罰房ひとつひとつ確認する。珊瑚は最奥の懲罰房にいた。中心に置かれた寝台に横たわっていた。白衣を着せられていたがところどころ汚れている。大きく開いた胸元から痣や傷が窺えた。紫暗が以前に受けたものと同じ刑罰だがこの少年の場合は期間が長いようだった。深い息遣いが寒い石壁に滲みていく。袖から伸びる細い腕にも痣や拘束の跡がある。三公子が受ける刑罰にしては重いような気がした。治りかけの傷や薄くなった痣も確認できた。数日に渡る処罰で少年を焦がれた望みから放つことが出来るとは思えなかった。何度か締めるか、折ろうとした白い首が目に入る。両手を塞ぐ水を白衣の傍に置く。翡翠から譲られた薬包紙もその脇に出す。罅割れた唇はまさに水分を欲しているようだった。両手が2粒、丸薬を摘まむ。親指に力が入らず、薬はわずかに転がった。

 殺したら、いいじゃない

空いた両手が勝手に動く。日に当たらない肌に掌の皮膚が吸い付いた。しかし指に力が入らない。

「珊瑚様」

 薄い瞼が微かに動く。

「水をお飲みください」

 起きて。でないと。起きて。早く。指が震える。睫毛が上がる。咄嗟に丸薬を掴み、その手を引っ込めた。

「あ、…あんた…」

 嗄れた声で極彩のほうへ首を曲げる。

「水です、ご自分で飲めますか」

 青褪めている少年は痛みに表情を歪め、細い腕を支えに少しずつ起きる。発光しているのかと見紛うほど白い手が血が固まったばかりの額に触れる。頭が痛いらしかった。水の杯を渡す。

「では、行きます」

「待っ…て」

 珊瑚は空咳をして水を飲む。口の端から零れ白衣の色を変えた。飲んだそばから咳を繰り返す。

「いかがなされました」

「…ありがとう」

「水を運んだのはわたしではありません」

 何度か咳払いをして小さく唸った。

蘇芳(すおう)だろ。俺のコト気に掛けてくれんの、あの人くらいだし」

 喉を庇い大きく上下する白い首の隆起。陶器のような肌に指を立てられたならこの華奢な公子はどうなってしまうのだろう。

「いや、山吹とあんたもいるな」

 黙っている極彩に、珊瑚は苦々しく笑った。内面からの笞刑(ちけい)の如く咳に身をのたうたせている。肩で呼吸をしていた。

「蘇芳にありがとうと伝えておいてくれ」

「はい」

 咳は続く。洗朱の呪い。呪いだろうか。紅の様子を見にいきながら考えていた。

 紅は極彩の編んだ肩掛に包まっていた。柵の外から朝餉を摂れたのかを確かめた。

「朝ごはん、食べられた?」

 首肯する。そして左手で肩掛を押さえながら紅は柵に隔てられた極彩へ近付こうとした。

「ごめんね。暫く傍には寄れないの。風邪移しちゃうから」

 歩みが止まり、聞き分けよく頷いた。寂しいのか。寒いのか。罪悪感に襲われた。ここから連れ出したい。城内の流行病が治まったら。

「また来るからね」

 小さな顎が3度目に頷くのを見て城内へと戻った。リスに似た小肥りの中年官吏はまだ地下牢前を徘徊していた。小難しい表情を緩め、極彩に珊瑚の様子を事細かに訊ねた。問われたこと全てに答えると、その者は頭を抱えた。手酷い罰だとは思っていたようだが確信に変わると重くのしかかったらしい。小さい頃から看てきたものですから、と言って震えながら礼を述べた。

「蘇芳殿というのは、」

 (わたくし)でございます。

「珊瑚様も、蘇芳殿に感謝の念を述べていらっしゃいました」

 蘇芳という官吏は顔面のくしゃりと歪めた。

 三公子は感受性豊かな繊細な子なのでございます。

「そのようですね」

 何かの間違いなんです、何かの…

「蘇芳殿。斯様(かよう)な場所でお喋りとは随分と仕事がお早いようですな」

 蘇芳が戦慄(わなな)く。咳でもそういった質でもなく、経年独特の嗄れた声は藤黄だ。

と、藤黄殿…

「貴嬢もご一緒ですか」

 極彩には揖礼し、そして片膝を着いたまま組まれた両腕の奥から蘇芳へ鋭い眼差しを戻す。

 さ、三公子のことが…心配で…

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