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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 異動になる日、紫暗は天藍も同行して極彩のもとに挨拶をしに来た。群青と選んだ木箱を渡すと彼女は飛び跳ねん勢いで喜んだ。

「たまにはここにも顔を出して」

「もちろんです。たまにといわず…いつでも」

 2人の会話を天藍は頷いたりしながら笑みを浮かべて聞いている。

「彩ちゃんが会いにきたらいいんだよ」

 祭りの後に興奮した様子で迫ったことなど嘘のように天藍はその件には一切触れず、相変わらずの態度で接した。

「極彩様の手は煩わせられません。自分が会いにいきますから」

 極彩の手を木箱と共に胸に抱き強い口調で言い放つ。天藍には見えず極彩だけに見える可愛らしい顔が鋭いものに変わる。

「短い間だったけれど、ありがとう。お世話になった」

 黒い髪を撫でる。艶やかで軽い手触りだった。彼女の吊り気味の円い目が心地良さそうに細められる。

「こちらこそ、ありがとうございました」

「そのうち新しい世話係の子を回すよ」

 紫暗を抱き寄せると天藍が口を挟んだ。紫暗に握られた手に爪は立てられないが指の腹が減り込んだ。

「ありがとうございまず」

「礼には及ばないよ…これから仲良くしてよ、紫暗ちゃん」

 微笑を浮かべながら天藍は少女の狭い肩に優しく手を置くと、退室を促した。極彩だけにしか見えない彼女の可憐な顔が曇る。朽葉の亡き後は二公子に異動届を出して叶わず、三公子の世話係を務めていたのだから遅れて受理されたのだと思えばいいと言っていた。世話係でしかない少女は天藍に連れられ出て行った。嗅ぎ慣れ、自然と化していた離れ家の断片を纏った淡く柔和な香りが残っていった。怒涛が迫り上がる。空咳がひとつ室内に響く。ふたつ、みっつ。縹のする咳嗽(がいそう)とは異なっていた。乾いた咳が止まらない。城内でよく聞いていたものだ。流行病の兆しがある以上紅の元に向かえない。予定が崩れた。上下左右を見渡してから寝間着に着替える。脱いだ物を畳んでいると背後で小さな音がした。確認する。緑色のあられ餅がひとつ落ちていた。気を取られた瞬間、肩にローブを掛けられる。城内で薫る洗剤の匂い。縹が纏わせる匂い。官吏たちの黒衿のもので生地は鬱金(うっこん)色の鮮やかさを帯びながらも芥子色の渋さも持っている。親しい間柄にこのようなローブを身に着けている者はいない。

「風邪っぴき娘」

「翡翠さん?」

 極彩の後ろから前へ出て、しなやかな長い脚が止まる。隠密行動とは相性が悪げな長身を曲げると落としたあられ餅を拾い宙へ放って口腔で受け取った。

「次にくる“セワガカリ”ってどんな人なんでしょうねぇ。若くて可愛い娘だと監視のし甲斐もあるんですが」

片足に目を凝らしていた極彩は姿勢を低くした翡翠に顔を覗き込まれ視界を阻まれる。

「足はもう大丈夫ですよ?」

 翡翠は嫌そうに言った。間近にある陰険な顔面に上体を引いた。

「それにしても妙な時期に異動したものですねぇ?狙いどおり行ってやったらどうです?まったく。貴人(あてびと)を誑かして、罪な方だ」

 極彩は玄関や大窓を気にながら翡翠を見えづらい場所へと引っ張る。

「縹の姪が自室に見知らぬ男を連れ込んでいたら大変ですか?」

「河始季(せんしき)であれば問題ないかと」

 肩に掛けられたローブを剥がし、軽装の男へ返した。翡翠は肩を竦めるだけで、極彩は構うことをやめて窓を開け放つ。冷たい風が入り込んで髪を揺らす。窓際に座るが翡翠は突っ立たままでいた。

「つれないですね」

 喉の違和感を払拭するため咳をしていると、長身の人影が上から落ちた。見上げる。黙っていれば穏健な印象を受ける優男が愉快げに笑っている。革手袋に顎を掴まれる。空いたほうの手を覆う黒い革の手袋を口で外すと、長い指に挟まれた丸薬を口へと押し込まれた。大玉な葡萄ほどもあり、舌で拒むも口元を覆われる。

「苦い飴玉です。我慢してください?」

 吐き出すことは出来ず、唾液が糖衣を溶かしていく。苦みが少しずつ広がり、濃くなっていく。丸呑みできる大きさでもないため噛む以外にはなかった。

「他の人からこんなことされたら抵抗なさってくださいね?まぁワタクシがそんな真似させませんけどねぇ」

 苦さに顔を顰める。体内に取り込んで差し支えのないものかと、噛むことを躊躇する。

「風邪薬です。不穏な咳していたでしょう?貴女に寝込まれると暇なんです」

 寺はいいんですか。上手く喋れなかった。下品ですよ、と愉快な顔をが不快を露わにした。渋い顔を向けていると笑われる。

「信用されてませんねぇ。試しにワタクシが飲みましょうか…貴女の口からですけどね?」

 噛み砕く。想像よりも軟らかかった。表面をよく磨かれた泥団子を噛んでいるような感じがあった。薬草のような強い苦味を恐れて慌てて嚥下した。翡翠の片眉が上がる。冗談ですよ、と唇に指が這う。挑発に乗ってしまったことに胡散臭い男を睨む。

「こんな風邪薬で効くんですか」

「こんな…?随分と苦かったようですがねぇ」

「最近の流行病が治るのなら、大した苦味では」

 翡翠の手に掌を引かれる。彼は丸薬を3つまとめた薬包紙を渡した。白い指を折りこみ、しっかりと握らせる。

「とんだお人好しだ。いいですか、空咳だけなら1粒、発熱があるなら2粒…その後は…彼はまだそこまでは進行していませんでしたね?」

「ただ興味があっただけです」

 返そうとするも、翡翠は受け取れそうな手を引っ込めた。

「またまた…」

 極彩は翡翠に手を預けたまま黙る。

「城内がまた騒がしくなるのも一興(いっきょう)ですが、病身の叔父が身綺麗にして1日中座りっ放しで2日も3日も喪に服すのも容易じゃありませんから…ねぇ?」

「どういう…」

 翡翠の瞳が素早く泳いだ。唇に指を立てられ、言葉を止めた。目の前で黒鳥が飛び立つ。

「極彩様」

 高い声が入室を求める。許可すると引戸が高らかに軋んだ。小さな体躯が入ってくる。顔も見ず、窓の奥を眺めていた。

「あの…」

「特に頼むこともない。その辺で休んでいて」

「しょ、承知いたしました…」

 拳が掌を打つ音がする。不慣れな拱手だった。秋の風が吹き込み、世話係は嚔(くさめ)をした。

「寒かったか。すまない」

 遠くを見ながら窓を閉める。まだどこからか視ているのだろうか。紫暗と同じかさらに小さい身体が遠慮がちに部屋の隅で座っていた。

「名は」

「雄黄(ゆうおう)と申します。極彩様の世話係としてこれからよろしくお願いします」

「よろしく頼むよ」

 雄黄と名乗った新しい世話係は姿勢を低くして伏せた。縹よりは濃いもののそれでも薄い茶髪がさらさらと揺れた。幼いながら美しい顔立ちをしていたが、片目に大きな腫瘍があった。眼球が腫瘍そのものになっているようで眼窩から出ていた。周辺の肌も傷になっている。おそらくその目は見えていないだろう。視線に気付いたらしく隻眼の世話係は愛想笑いを浮かべた。

「お見苦しくてすみません、明日からは、その…」

「いや。悪化するだろう。そのままで構わないよ。じろじろ見てすまなかった」

 謝ると髪が川のせせらぎのように鳴った。

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