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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「とうに時間は過ぎているんですけど?」

「土壇場で行く気が削がれたんです」

「それで()()かすんですか?感心しませんねぇ」

 極彩は肩を竦める。何か掠める音がして、背後間近に気配を感じた。翡翠が立っていた。何食わぬ顔で極彩を見下ろしている。城内でも監視されているのだと実感しただけで驚きはなかった。

「叔父の顔に泥を塗りたくるわけですねぇ。泥沼に親父の顔面を押さえつける、最高ですよ。反抗期かぁ、いいなぁ」

 翡翠が極彩の座っている横にやって来ると、小さく空気の抜ける音がする。2つの石に向けて酒瓶を傾けていた。石は色を濃くし、土が濡れる。翡翠を見た。翡翠もおどけた表情で極彩の顔面を迎える。

「知ってるんですか」

「知りませんよ。でも知人が親しそうにしているお墓を見たからには…ねぇ?」

 淡香寺で見た時よりも、桜の父親から救われた時よりも軽装をしていた。帰還の宴で見た紅と師の装束にも似ている。

「この墓の主は良い答えを与えてくださるんですか」

「…急に、どうしてあんな仇みたいな人と出歩かなきゃならないんだろうと思ったんです」

「なかなか不安定でいらっしゃいますねぇ?難儀な性分だ」

 崩れ落ちるように翡翠は横に座った。後方に両腕をつき、寛いだ様子に目を丸くした。

「こんなくだらないことで、いいんですか。雇い主に怒られはしないんですか」

 赤い塗装が施された縁の眼鏡の奥で切れ長の目元が細まった。

貴女(あなた)のほうが怒りっぽいくらいですからねぇ、大したことじゃありませんね」

 酒瓶の残りを(あお)る。仕事中のはずだ。

河始季(せんしき)

「改まってどうしたんです。お酒も入れたことですし、今は副業の話はよしてください」

 宗教家を呼んだが、呼ぶだけ呼んで黙っていると、胡散臭い宗教家は「気持ち悪いですねぇ」と呟いた。

「どうしたらいいんでしょう、わたしは」

「漠然とし過ぎですよ。人々はどうして言語を発達させたかからお話しましょうか。………しませんよ?そんな話を聞くより先にまず貴女はやることがあるでしょうに。予定にあったことを捻じ曲げて、どうしたらいいもクソもありますか?」

 大袈裟な溜息を聞かせられ、陰険さを付け加えて答えを返される。

「ワタクシの仕事が増えるようなくだらない計画なら止めますがねぇ?過激派活動を予定しているなら一旦保留です。それともなんです?そういうおつもりだったんですか?あの哀れな待ちぼうけの茶坊主と?」

 軽蔑を隠そうともせず極彩を見たまま親指で後方を指差す。

「面と向かって言ったら決着しますよ。侮蔑すればいいじゃないですか?貴女の立場で。彼の立場を。この大量殺戮野郎のろくでなしって。おっしゃったらどうですか?君達汚れ役の襤褸雑巾は過激派を取り締まるのが役目だろうって?爆発四散して焼け爛れ黒焦げの死体の上で食む禄は絶品ですか、と」

 愉快そうに罵倒の言葉を紡いでいく翡翠に反発が生まれていく。

「同じようなことを以前言ったような気がします。効きませんでしたよ、そんなのじゃ…それに…否定もしないで真正面から肯定するんです、あの人」

「強敵ですねぇ……あれ?疚しいんですかぁ?」

 顔を背けると、背けた先に翡翠は回っていた。

「貴女の本質を尊重したって、ワタクシは何ら問題は無いと思いますがねぇ…今のところは」

 眼前に翡翠が迫り、腰を掴まれると身体が浮いた。安定しない足元に身体が強張る。

「何するんです、下ろしてください」

「世話の焼ける。いいですか?ワタクシが任されているのは貴女の監視と護衛で、貴女のご機嫌取りと日程管理ではありませんからね?ご自分を律してください」

 肩に担ぎ上げられ、極彩は背を反らす。翡翠の固い背中を何度も叩く。

「どこに連れて行くんです」

「お仕置きですよ」

 地を蹴り、飛ぶような動きと速さに身動きは封じられ、視界は揺さぶられる。気分が悪くなり、目を瞑るも頭の中が混ざるような不快感があった。翡翠の背丈は男性の平均ほどかそれより高いが俊敏な足取りに酔う。離れ家に転がり込むような、しかし身を沈めるような流れで入り、床に下ろされたが前後不覚のまま眩暈に任せて寝転ぶ。翡翠は玄関に放置していた平たい箱を運んできた。胡散臭い宗教家は深呼吸している極彩を半目で伺う。

「最悪です」

 極彩の感想など聞きもせず、翡翠は箱を開く。布製と見紛う包み紙を慎重に捲る。その手つきが嘘のように、乱暴に中の物を掴み出す。浴衣だ。濃過ぎない紺色に白く点々とした絞り。夏の夜空が爆ぜたような紫や青が滲んだ背景で、淡い色みが散り、白抜きに金魚が入っていた。寝ている極彩のほうへ近寄り、衣類に手を掛けた。

「自分で着ますか。俺に脱がされますか」

河始季(せんしき)?」

「だから今はそう呼ぶなと。河教(せんきょう)の教えが泣きますよ。こんな状況じゃぁねぇ?」

 冗談の通じない空気に極彩は手を掛けられた箇所を押さえる。

「もう帰りましたよ、きっと」

「…最低な女になるな」

 低い声は怒気を孕んでいる。脅迫のようで、そこまでこの監視役に言われる筋合いは見当たらなかった。力強い眼差しは有無を言わせず、自身で脱がないのならば脱がすと訴えている。

「あの男がどんな輩だろうと約束を取り付けたのは貴女だ…!忘れるな」

 そのまま放られるのかと思えば翡翠は、ゆっくりと脱ぐ極彩の手を上から握って急かした。身包みを剥がされ、箱に入っていた下着を羽織らされる。もたもたと紐を結ぶんでいると、まだ途中だというのに浴衣を投げられた。怠惰、怠慢を赦さず、中途半端な手を叩き落とされ、翡翠の節くれだった指が下着の紐を解いて、ひとつひとつ結び直す。極彩の頭に被せられた浴衣を手繰り寄せ、袖を通させ、裾を摘まむ。

「翡翠さん」

 極彩の背丈に合わせ身を屈めていた翡翠は無言で顔を上げる。端折りを整える骨張った手は止めず。極彩の言葉を待っている。言うことはなかった。それを察したのか再び浴衣の着付けに集中する。細かい調整をしながら衣紋(えもん)が抜かれ、首が涼しくなった。結い上げていない髪を鬱陶しそうに除けられる。

「適当に結い上げますよ?貴女が素直に従えば先にやれたのに」

 慣れていないのかおそるおそる男の手が巻かれた毛先を集め、側頭部で毛束を掴まれる。不機嫌そうに眉根を寄せ、横髪や前髪の量を頻りに気にしていた。

「全く世話のかかる」

 薄い唇に鈴の付いた髪紐を食む監視役の男の手櫛は撫でているように心地よかった。大輪の花飾りを結び目に挿すと、再び細かく浴衣を直され、最後に明るく強い黄の帯を締めた。複数ある中から選ばれた朱色の飾り紐がよく映えた。終わりましたよ、と耳打ちされ背中を突き飛ばされた。一歩出た足元に美しい下駄が揃えて置いてある。鼻緒は淡い紫色をしていた。

「翡翠さん」

 振り向くと一瞬にして姿を消していた。ありがとう。誰もいなくなった室内に一言残し、破った約束の場所に急いだ。

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