64
暑気中りには気を付けるようにと紫暗に言うと、城で配られたらしい塩飴を一掴み分握らされる。極彩様も気を付けてくださいね。玄関に立て掛けてあった日傘を桜と肩を並べて入ると、紫暗が私物日傘を桜に渡した。見送られ、蝉の音が全ての余韻を掻き消していく。
「どちらに向かわれるんですか」
「杉染台」
城門を抜け、牛車の停まる駅までの道を歩く。後ろを歩く姿を幾度も確認するのが面倒臭くなり隣を歩かせる。若くして責任ある役職に就いていただけあり情けなさが目立つが動作や立ち振る舞いは婉然としている。偶然拾った者が四季国の王であり、その友人として何不自由なく育てられ、この国でも縹の姪として悠々と暮らしているが実際は桜のほうがずっと高い位にいたのだ。偽りの身分によって、城の若い官吏ではなく、一介の使用人にしてしまった。生業に貴賤はないのだろう。だが本当だろうかと思ってしまう。不言通りのはずれで虚空を見つめる半裸の女や、まだ家族の庇護が必要な年頃の子どもが身を売る光景はただ“逞しい”では片付けられなかった。知らない文化だった。通りがかりに脳天から爪先まで観察され値踏みされる。身を差し出し大金を得る。簡単だと思っていた。
「行ったことあるんですよね」
黙っていた桜が惑った様子で確認する。頷いたものの、問いの真意が読み取れない。
「何もなくないですか?だってあそこは…」
「行ってみれば分かるけど。強制はしない」
立ち止まった桜と距離が空いていく。城の人間だった。それを不本意に追い出されたのだから、納得できないのは分からないでもなかった。処そうとした城を見限っている様子もない。
「もうすぐ牛車が来るから、それまでに決めて」
荒れた肌を数度指の背で擦る。
「杉染台は…前に少し住んでいたんです。行きます」
「例の実家?」
首を振る。訳あって生家とは勘当させられたのだと説明される。詳しいことは語らなかった。淡々として普段どおりの腑抜けた笑みを崩さなかったが桜はあくまで勘当“させられた”と言った。その後に杉染台のとある家に引き取られたらしい。牛車が到着し、御者に杉染台と伝えて乗り込む。狭い車内に円形の面を付けた楕円形の頭部を持つ機械が場所をさらに狭くしていた。それでも席自体はゆとりがあるにもかかわらず桜は身を固くして落ち着きがない。動き始めてから極彩は口を開いた。
「洗朱地区の生き残りに会いに行く」
人好きしそうな垂れ目がちの大きな瞳が見開かれ、無言のまま瞬く。
「許し難いか」
俯かれるだけだった。牛車が揺れ、珊瑚よりは完成しているがまだ発達していく途中の華奢な体躯が揺れる。
「群青殿の世話係の人、亡くなったんですけど、僕の同期なんです」
群青は死なせたと言っていた。折れた右腕に代わり、書類作業をしていた若者。
「起爆役というんですか…、着火役というんですか。何人か必要だったみたいで…。彼もその1人に選ばれたんです……任じたのは群青殿で」
ぼそりぼそりと桜は話し続ける。洗朱地区を歩いたことと、吊られた縄の輪に立つ群青の姿が脳裏を駆け巡った。
「着火してから爆発するまでに洗朱地区を抜け出すなんて、馬や猫でも可能かどうか…分かっていたはずなんですけどね、拒否なんて出来ないんです」
どういう顔をしていのか分からないらしく、困った顔をしてから愛想笑いを浮かべ、直後に哀惜に歪む。
「洗朱にもう人はいないって言うんです。嘘だって分かってるんですけどね。あそこ辞めたから言えるんですけど」
牛が鳴く。旋風を起こす機械が狭い車内で首を回す。
「あっても治安が悪くなるだけだって言うんです。でも僕は、あそこから小さな子どもたちが出入りしているの、見てるんです。どうにか紛れて弁柄とか長春でひっそり働いてるの、知ってるんです。嫌がらせみたいに通報も来ました。本当に洗朱の人だってことは、僕の担当した中にはなかったんですけど」
網目状の格子を付けられた機械が桜と極彩を往復する。前髪が傷痕を擽った。
「でも逆らえないんです。怖いんです。下っ端は逃げることも赦されないんです、辞めることも。住めないようにされるんですよ、家族ごと。……そう聞いているんです」
紫暗から借りた日傘の柄を力強く握っている。見えていなかった城の暗部。おそらく何も見えてはいない。
「彼は下回りだったから、まさか死ぬなんて思いませんでした。下回りなら安全だと、思ってたのにな…」
桜はぐいと目元を腕で拭った。強制的に吹く風が細い毛を躍らせる。
「上昇志向の強い群青殿が降格処分を希望するくらいですから、尋常事じゃないんだなって思ったんですけど、その時はまだ分かってなくて。群青殿ことやっぱ尊敬してるんですけど、でもなんで彼を助けてくれなかったんだっていう思いもあって。」
ぎこちない微笑が段々と崩れてまた繕われる。繕われたそばから崩れていく。
「桜」
「はい…」
「わたしの周りは素直じゃなくて、大事なこと言わなくて、すぐに感情隠そうとして空回りして、わたしも言いたいことはいつも言えないから、お前は泣きたい時に泣いて。言いたいことは言って」
決壊を見て、視界から外す。
「友達だったんです。一緒に…群青殿の政策に親助げられでさ、じゃあ恩返しようっで。ンでも僕だけ仕事も出来ねくせに官吏ンなって、それでも彼は世話係としで、僕は直接の部下としで頑張ろなっで」
両手を覆い鼻を啜りながら声を震わせて咽ぶ。極彩は目の前の機械と睨み合う。だがそれは慰めを帯びて桜に興味を示し、また戻ってきては極彩を挑発的に流し見る。
「洗朱に行ぐ前に、ちょっとだけ話して、結局全部知っだのは終わっだ後で。まさかあれが最期の会話になるなんてさ。査古聿食べて言っでさ、何の贅沢でもないのになんで…群青殿に頼まれだら、断れね。断れるわけね。」
嗚咽を聞き、目を瞑る。風に吹かれ、到着を待つ。連れて来たのは間違いだったか。深夜に軋んで響いた弦楽器の音を思い出していた。
「よくある話でず。群青殿はいっぱい斬っだ。朽葉様も斬っだ。二公子だっていっぱい斬っだ。よくある話でず。国が良ぐなるには誰かが我慢するんでず。でもそれは僕じゃなかっだだけなんでず」
「…そう」
喋るのを止め、泣き疲れて静かになる。ぼうっとし始めた桜の口に紫暗からもらった塩飴の包み紙を剥いて放り込む。それから少しして牛車は杉染台に着く。桜は目元を腫らし、ぐったりしている。
「このまま帰る?」
「…いいえ、行きます」
立ち上がる気配が無かったためそう問えば口内の飴を鳴らしてから重そうに腰を上げた。運賃を払い御者に礼を言っている間、桜は杉染台を視界に入れながらもやはりぼうっとしていた。背を叩く。
「ずっとこうなの?」
「国の援助を打ち切られて、移住したんです、みんな。僕も」
洗朱が焼き払われた後に閉め切られた長春小通りや弁柄地区の商店街は一時的なものだった。だがここは違う。
「多分そのうちここも…さすがに爆破はないと思いますが。このまま建物を使うか、または取り壊しになるんじゃないですかね」
進んで行くと桜は走り出して、閉まった店舗の前で屈みこむ。茶葉の専門店と思しき看板と黄ばんで濁った硝子の奥に見える内装。柵が下ろされ近付けない。桜は柵にしがみついて中を覗いた。
「ここで待つ?」
聞こえているのかいないのか。
「行きます」
柵から手を放し立ち上がる。力強い返事だった。




