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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「縹殿…、でも、あの…その…」

「皮肉なものだね。ボクは常に背負わせてばかりだ」

 桜と縹の会話が聞こえ、桜を呼び戻そうとして山吹がしっかりと口を塞ぎ、腹に腕を回し、拘束されているため叶わなかった。

「い、いいえ…自分はそんな…背負うだなんて…」

「そんなことよりもすまなかったね。何の口添えも出来なくて…一度死刑が確定してしまうとね、生きていても復帰は難しいんだ」

 縹はよく話題を逸らす。不満。話しているのは桜だ。だが縹の態度に、山吹の掌が当たる唇を噛む。

「あ、いや…そんな。謝られることなど何も…。命を助けられただけで…」

「彼女のことを頼むよ。もう1人世話係の娘がいるけど…もう知っているかな。城に雇われているから、君ほど一緒に居られるわけではないんだよ」

 咳の音がして、関係のない自身の胸が重苦しくなる。山吹や桜は何を考えてこの咳を聞いているのだろう。

「や、や、やっぱり…極彩様を裏切りたく…ありません……ありません」

「君に教えられた薬草はよく効くね。あれから毎日飲んでるけれど、これでも良くなっているほうなんだ」

 治まりかけた空咳がまた連続する。耳を塞ぎ、叫んでまでも掻き消したくなる。見るからに衰弱した細い縹の身から吐き出されるにはあまりにも惨い収縮。あれから、とはいつからだ。探る。思い当たるとするなら、縄を解いた後か。身辺整理をさせるために城に一時的に戻した。

「喀血だって、前より少なくなっているんだから」

「僭越、で、すけど…、分からないです。縹様が極彩様を大切に思っているのは疑う余地もないのに…」

 縹は軽い咳をしながら慣れた笑い声を上げる。姿は見えないがどういうものなのか容易に想像ができた。

「彼女の気持ちは…多分考えていないんだろうね。彼女が結果的に傷付くと分かった上で、一度大きく裏切ったことだってあるくらいだ。少し複雑な病だと説明するのは簡単だろう。でも、怖いから。怖いんだ、情けないけれど。怖いんだ」

 崩れ落ちそうになり、山吹に支えられながらゆっくりと床へ近付く。聞いていられない。縹と、次はどう顔を合せたらいいのか。

「心配かけても、いいんじゃないですか」

「彼女はボクの意地を立ててくれている。ボクは彼女が気付かないフリをしていることに、甘えているんだよ」

「それが、…お2人のやり方なんですか」

 縹は頷いたのか否か、返事はなかった。極彩は山吹の腕を擦り抜けて走った。待っていたらしい珊瑚に突進し、受け止められる。珊瑚の匂いが鼻の奥へ広がる。

「大丈夫か」

 いつの日かと全く違う態度。変わっていく。季節も少し肌寒かった萌黄の時期から蒸し暑さと日照りにへたばる時期へと移っている。乾燥に粘膜を切らし、寒さに身を擦る月になる頃に珊瑚はどうなっている。縹は。

「…大丈夫って言えよ。平気だって」

 珊瑚の胸の中から掬うように山吹が後ろから頭を抱き、髪を撫でる。

「情けないところをお見せしてしまいました」

 山吹の腕を出て、まだ沁みて痛痒さの残る鼻を小さく鳴らした。山吹に手を繋がれながら離れ家まで導かれる。後方を珊瑚が歩く。寒いほどの室内に2人は上がった。珊瑚は室内を見回し、冷房の付属品をいじったらしく、ピッと軽快な音が鳴る。

「ごくさい、あにうえ…ごくさいあにうえ…」

「兄上とのこと聞いたんだよ。縹に訊こうと思ったけど、あの調子だから」

 冷風の威力を弱めた珊瑚は山吹の隣に座る。ここで返事を求められるのか。

「どのように」

「山吹との婚約は破談にして、兄上があんたを娶るって」

「やまぶき、こむぎ…」

 珊瑚の眉間の皺が深まり、反対に山吹は揚々としている。すでに断定として伝わっているらしい。

「まだ決まったわけでは、」

「決まったも同然だったけど。温厚そう見えて、あの人結構強引だから」

「さんご!」

 山吹が珊瑚の膝を軽く叩く。玄関扉が控えめに開いた音がしたがまた閉まる。

「入って」

 紫暗か桜だろう。もう一度玄関扉の音がして、桜が縮こまりながら姿を現す。山吹と珊瑚に拱手すると2人は桜を観察しはじめた。拱手したままの桜は不安げだ。

「…いいよ」

 珊瑚に許され腕を下げる。傍に呼ぶと極彩の斜め後ろに控える。珊瑚の不愉快そうな顔が桜を追っていたが極彩へと相手を変えると薄れていった。

「わたしの中ではまだ決まっておりません」

「でもあの人の中ではもう決まってる。是非を確かめに来たんじゃない。覚悟を決めろって言いに来た」

 珊瑚はまた桜を見る。

「そっちの飼い猫さんにも関係ない話じゃない。あの人が本当にあんたを娶るなら、可愛がってる猫がいるなんて多分赦さないと思うし」

 山吹の肩を叩き、2人は離れ家を出て行く。また訂正する機会を失った。

「御主人…?」

「―とすると、お前はまた居場所を失くすな」

 紫暗は続投できるだろう。だが桜はそうもいかない。縹が面倒を看るにせよ、その縹がいつまで。

「御主人」

「暑気中りはもう大丈夫なの」

 桜はきょとんとしていた。問いの意味をすぐに理解出来なかったらしく、一呼吸二呼吸遅れて、遅れた分を取り戻しているのか数度頷いた。布団は畳まれ、投げたタオルもその上に掛けられていた。顔色も良い。

「御主人は、もういいんですか。随分疲れていたようですが」

「ありがとう。ローブ、返しておく」

 返却も出来ず使うこともなくなった薄い生地のローブはこの季節の寝具にはちょうどよかった。桜は極彩をじっと見た。何か言葉を発しそうで、それが恐ろしかった。何を言われるのか。おそらく知っていること。だが共有してはいけないことのはずだ。言われてしまえば楽だった。薄暗く埃っぽい部屋で頭を下げ、陳謝する姿が蘇る。秘さなければならない。知らないと突き通さねば。そんはずはないと突っ撥ねなければ。不甲斐なさが背負わせてしまった。選択を迫られたのは自身だけではなかった。忘れていた呪いの言葉。情を捨てきれないのは互いだった。


 夕暮れに紫暗が戻り、縹から預かったと手紙を渡された。大きな封筒に小さな封筒と2つに折られた1枚の文。穀紙に細字の癖が強い達筆。簡潔な内容で、同封した手紙を杉染台の者に渡してほしいというものだった。それから桜の立場が危ぶまれるになら杉染台に預けるようにと纏められている。暇潰しに書庫から借りてきた本を開きながら寝ている桜を一瞥して文を折る。縹の察知の早さと気の回りようにある種の切なさと不安が込み上がる。呆れた様子の紫暗に、昼間は体調不良だったのだと説明すると苦笑された。珊瑚は桜の立場がもとは打ち首に処されるだった元城の官吏として生き長らえていることが気に入らないのか、快く思っていないらしいのが今日分かった。だが紫暗もまた桜に複雑な態度を取る。

「叔父上の調子はどうだった?」

「それが自分も人伝てに預かったので、縹殿とは会っていないんです」

 寝具と化し、部屋の隅に畳まれた布団に掛けられたローブを桜に掛けながら紫暗はそう説明する。おそらく他意はないのだろう。咳で会話を邪魔されるのが厄介であるとか、おそらくはそういう理由で手紙という手段を用いたのだ。分かっているが、あれこれと雑多な妄想が膨らむ。ひとつひとう論破や納得をさせる隙もない。

「明日は出掛ける。桜も連れて行くから、留守番を頼みたい」

「はい」

 話しているうちに鈍い音をたてて桜の手から本が滑り落ちる。大きな瞳が開く。紫暗の普段は朗らかな眉が小さく動く。

「す、すみませ…紫暗先輩…僕…」

「明日は極彩様と出掛ける予定だそうですよ」

「え…あ、そうなんですか。ありがとうございます」

 情けない笑み。縹と話していた時の、繊細の中にあった芯の強さは消え失せている。

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