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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 執務室に着くと、おそらく帰還の宴で挨拶は交わしたかも知れないが覚えていない官吏が適当に何か述べながら別室に移動し経緯を説明する。宝物庫に極彩の指紋は検出されなかったこと、二公子と三公子の部屋から指紋は出たが2人が極彩が来室していたことを話したが疑いはないと話したこと、短剣から二公子と三公子の指紋を採る前に盗み出されたこと、短剣自体の存在も知らなかったこと、城の者の物品ですらなかったこと、縹が知り合いから預かっていたものを姪に渡したと話したこと、短剣は盗品でなかったと結論付けていいことなどを話される。そして要領よく話していた官吏の書類を眺めていた顔が苦渋の表情へと変わり、盗人は短剣を持ち出したまま行方が分からないと続けた。若い官吏が拘束されたのは関係がないのかと問う。捜索が打ち切りになってしまったので、彼は責任を取って打ち首ですね。困った困ったと官吏は脂ぎった額を手巾で拭う。極彩は黙って髪を掻く。処刑の日時を訊ねる。今日なんですよ、観に行かれますか。意外そうに置いてから、西のお堂です、と勿体ぶって答えた。西の堂は初めて城に来た時に上がった所だ。地下の独居房と懲罰房の奥にある粗末な刑場だと思っていた。悪趣味だ。藤黄よろしく叫びそうになったが呑み込み、西の堂へと急ぐ。物好きですな。苦笑されたことにも構わず乱暴に扉を閉める。下回りや官吏、客人への挨拶、雑談、揖礼の間を惜しみ、執務室から離れた西の堂へと駆けて行く。血流が良くなると元の皮膚には戻らなかったが薄い膜を張った傷が疼く。そのため入浴後は紫暗が毎回氷嚢を持ってきていた。

 西の堂には見慣れたローブを着た若者たちが幾人か座っていた。視線の先には膝立ちする件の若い官吏と、抜き身の刀を持った執行人。まだ処されていない。気が張り詰めて、呼吸や思考を制限されるような静まり返った堂内で極彩の吐息が目立った。

「待って」

 近付いていくと進行役と思われる官吏が執行人に抜き身の刀を鞘に戻させる。若い官吏が情けない顔を上げた。荒れた肌は赤みが差しているが蒼白になり顔面が涙と鼻水で光っている。穏和な雰囲気の目が滲んで極彩を捉える。あからさまで飾り気のない感情に()された。純粋な丸裸の弱みに呑まれる。何を言いに来たのか、何をしに来たのか忘れて黙った。零れていく涙を数えながら思考を手繰り寄せ、そうして漸く思い出す。

「死なせるならわたしにくれ」

 進行役と執行人は当惑した。中止すれば彼等も処されるのだろうか。ひとりひとり処していけば、いずれ風月国の処刑人すらも処され、最後に処刑される者を処す者はいなくなるのではないかなどとつまらない妄想が頭の片隅で広がっていく。

「極彩が処刑を中止させたと報告なさい」

 若い官吏の背後に回り縄に指を掛ける。頑丈な芭蕉のような麻のような繊維を幾重も巻いた縄で固く縛られている。擦り切れた繊維が棘のようになり指を刺す。外れそうになく、縄ごと掴んで立たせる。

「つまらないことでいちいち殺す必要もないと、偉い人に伝えて。彼の与り知らないことで、死ねば責任を果たせるって考えは理解に苦しむって」

 若い官吏を突き飛ばしながら歩かせ、容赦なく圧迫する空気がたちこめる堂から出る。真っ直ぐ伸びる廊下の先に杖をつく人影が見えた。若い官吏の縄から手を放し、極彩は1人走った。縹だ。歩行も困難になっている。だが杖を頼りに一歩ずつ進む。足音に気付いたらしく縹は杖の先に集中していた顔を上げた。切れ長の瞳を細めて極彩を見る。

「君は…」

 杖の持ち手に置かれた手の甲には刺青のような痣が広がっている。一度その手に自身の手を重ねてから、引っ込めてしまった。縹は穏やかに苦笑する。

「縹さん」

「君か」

 顔を覗き込まれる。眼球にも禍々しい斑紋が見えた。だらりと垂らされた前髪で隠れていたが顔半分にも紋様に似た痣が伸びている。

「…縹さん」

 問いたいことはあったがまとまらず、口に出せず、結局言えたのはそれだけだった。

「どうしたのかな」

 ふふ、と余裕ぶった穏やかな笑い。この身には何も起きていないのだと主張している。質量ばかりの無味無臭が喉に留まっている。

「また、迷惑を掛けてしまいます」

「またっていうのはどういうこと。君がボクに迷惑を掛けたことなんて、ただの一度もないだろうに」

 極彩は若い官吏へ手招きする。その間に縹は小さく咳をした。

「処されるはずだった者を、わたしが貰い受けることにしました」

「好きにするといいよ。むしろ…よくやってくれたね。使用人の申請はボクからしておくよ」

 やってきた官吏に縹は「姪を頼むよ」と肩へ手が伸ばされたが大きく外して指先が触れるだけだった。

「縹さんは、どちらへ」

「処刑は結構手続きだの事後処理だの面倒だからさ」

 詳しくは答えず杖ががゆっくりと床を探り、西の堂へ進んで行く。不言通りで以前見かけた老翁よりも覚束ない足取り。遠ざかっていくのをただ待った。傍で忙しなく影が動く。

「あなた名前は」

 桜です。怯えた様子でそう名乗った。

「あの、縹様、おひとりにしてよろしいんですか」

 床に薄く落ちた影が忙しないのは縹をちらちらと見ているせいだった。極彩は唇を噛む。

「西の堂、引き戸だし大丈夫じゃない」

 桜の両腕を拘束する縄を掴みながら進むよう促す。

「あ、あの縹様は…」

「何も言うな。余計なことを喋るな」

 すみません、途中まで言いかけて口を噤む。急かしながら離れ家へ連れ帰ると紫暗は桜を気にした様子だったが何も問うことなく、存在していないも同然に掃除や洗濯物の片付けを続行した。縄を断てる刃物を探し、真っ先に短剣を思い浮かべたが現在こうなっているのはそもそもその短剣が無いせいだ。

「紫暗、ごめんね。何か、刃物とか借りてきてくれる」

「ただちに」

 紫暗は作業をやめ、離れ家を出て行った。桜はきょろきょろと室内を見回している。好奇心というよりは警戒のようだったため咎めることはしなかった。

 紫暗が持って来たのは大きな枝切り鋏だった。桜の顔が凍て付く。紫暗が桜の身体を押さえ付け、極彩は桜の背に足の裏を当て刃と刃の間に縄を挟む。縄は切れなかった。暴れる桜を紫暗が強い力で押さえ込み、地道に細い繊維を少しずつ切っていく。縛り上げた者に桜ごと突き返したくなる苛立ち。結んだのなら解き方も知っているだろうと嫌味のひとつでも投げたくなる。極彩の苛立ちを察したのか紫暗が「冷房をかけますね」と言って一度桜を放し、天井の隅に備え付けられた機械を、小さな操縦器で点けた。思ったより時間がかかったが縄が切れ、桜の鬱血し擦り切れた手首を揉み込む。

「あとは好きにして」

 桜は手首を気にしながら座り込み、沈んだ顔をする。

「実家にでも帰ったら」

「え…いや、あの…僕、実家帰れないので…」

 洗朱の生まれなのか。だが洗朱の生まれだとしたら官吏にはなれないのでは。悪いことを言ったかもしれないと思ったが謝ることはしなかった。

「わたしのところにいる?叔父上は申請すると言っていたけど…、結局ここにいられるの?」

「僕は、群青殿の御姿を近くで拝見出来るなら…」

「群青殿?」

「尊敬しているんです」

 性を売る店から出てきた酒臭い姿。店の娘と勘違いされた抱擁と告白。夜更けに軋ませる下手な弦楽器の接待。考えるだけで罪悪感が湧き、無理矢理脳内から拭い去る。枝切り鋏を返しに行こうとしていた紫暗が桜を顰めっ面で凝視している。紫暗もまた群青に気触(かぶ)れている傾向があった。紫暗の肩に手を置くと円い瞳が愛想を取戻し、枝切り鋏を返しに出ていった。

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