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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 長春小通りに下りる頃には本格的に雨が降っていた。長春小通りの建物は低く、高地にある淡香(うすこう)寺が陰となって遠くに見えた。並ぶ八百屋や日用雑貨店の軒下を通りながら屋根のある商店街へ入る。珊瑚がどこへ向かっているのか皆目見当はつかなかった。時間帯にしては人通りが少なく、多くの店が閉まっている。時間や一時的な事情による閉店なのか、経営自体の閉店なのかは分からなかった。開いている店を数えるほうが早いほど、どの店も閉まり、数えられるほどしか出歩いている者はいない。

 珊瑚が、ちょっと待ってろと言って肩に乗った小鳥を灰白の肩に乗せ、足元に鳥籠を置いた。返事を待たず珊瑚の姿は薬屋と思しき店舗に消える。雨天による頭痛だろうと思った。冬前や雨期は灰白も完治した過去の怪我が時折弱く傷んだ。薬屋の両隣の店舗も閉まり、灰白は薄い金属で閉ざされた店の前に避ける。だが人通りがほぼ無いに等しい。薬屋の両隣だけでなく、対面の店もまた閉まっていた。小鳥が肩を跳ねて、のろのろと歩く猫が灰白を見つめていることに気付く。白地に黒と茶が混ざった、少し太った猫。目が合うと立ち止まる。灰白と見つめ合って、それから店を閉ざす金属の板に身体を預ける。小鳥が忙しないため腕を出すと、肩を伝って腕を行ったり来たりした。猫に怯えているのだろうか。逃げはしないのかと思った。少しして買い物を終えた珊瑚が出てくる。頭が痛いのかと問うと、首を振られた。小鳥を自身の肩に戻し、また歩きはじめる。時折振り返って灰白がついて来ているのか確認する。人気(ひとけ)が無いため、屋根が雨に叩かれる音が大きく響いた。

「腹は」

「…ちょっと」

 反応もなく、また鳥籠を渡され、待ってろと言われたためまた珊瑚を待つ。珊瑚は客がいそうにない屋台へ向かった。蒸籠(せいろ)が無数に積まれているが、この通りには人がいなかった。代金を渡し、紙袋を受け取った珊瑚へ近付いていく。珊瑚は灰白が近くに来るまで待っていた。

「弁柄で泊まるか」

 知らない地名を挙げられる。珊瑚はそれを察したのか、堅苦しい町があるんだよ、と簡潔に説明した。薬屋で買ったらしい手持ち型の華奢な雨具に2人で肩を並べる。珊瑚を濡らすわけにもいかず、遠慮がちな隣の肩を抱き寄せ、灰白の片側は雨に打たれた。不言(いわぬ)通りよりずっと暗い道を通り、弁柄地区を表す看板を横目に、雰囲気の変わった通りへ入っていく。高さを均一にされた土蔵造りが荘厳な印象を受けた。わずかにカビ臭さのある雨の匂いに醤油や酒、糠を思わせる香りが混じる。1階は店、2階は住宅らしく2階には照明が点いている建物が多かった。

「ここ」

 珊瑚が立ち止まり、軒下で雨具を閉じる。薄暗い中でも、比較的新しく横に大きな蔵造りのように思えた。促されるまま中へ入る。縦横に組み合わされた細い木材が嵌め込まれた引き戸を開ける。

「いらっしゃい…あっら、琥珀ちゃん!」

 カウンターと呼ばれる付け台によく似た内装の奥にいた人物が入った瞬間にそう言った。

「2人、明日の朝まで」

 珊瑚が遅れて入ってくる。あらやだ、と男性を思わせる声で女性を思わせる喋り方に違和感を覚え灰白は店主らしきその人物を見た。黒く縁取られた大きな瞳に呑まれそうになった。頼もしさを感じる恰幅。縹の髪よりも煌めきの強い淡い色の毛。丸みを帯びた髪型。ぽってりとした椿のような唇。見上げるほど背が高い。

「あっらぁ、おたく、琥珀ちゃんの何?」

 両手を振るようにカウンターから出てきた店主は灰白の前に立つ。前髪に触れた。黒く縁取られ、金魚藻のような睫毛を目元に叩き付けながら傷を観察する。

「柘榴ちゃん話聞いてる?」

 聞き慣れない珊瑚の優しい声音。灰白は目の前の男性とも女性とも分からない人物から目を逸らす。

「琥珀ちゃん!4号室が空いてるわ!」

 大きく長い、赤黒いが鮮やかな衣類から鍵を出して珊瑚に放り投げる。難なく受け取り灰白に構わず2階に上がろうとした珊瑚を追おうとして、阻まれた。

「あなた…」

 茱萸(ぐみ)に似た肉付きの良い指が傷口に優しく触れた。

「女の顔は命というケドね、嘘っぱちよ、あんなのは」

 傷の縁をゆっくりなぞられる。

「生まれ持ったそんな命より、その命でどう生きるかを本当の命にしなくちゃ…」

 背筋がぞわぞわとした。くすぐったさと弱い痛み。

白梅(しらうめ)、行くぞ」

 誰を呼んでいるのか、誰かの勘違いしているのか珊瑚は知らない者の名を呼ぶ。珊瑚を、琥珀ちゃんと呼ぶ大柄な人物の肩越しに半目で見られ助けを求める。

「さん、」

白梅(しらうめ)、早く」

 語気を強められ、口を噤む。男とも女とも分からない者も身を引いた。珊瑚を追う。ここが宿屋だと気付いたのは階段を上がって2階を見てからだった。辺りを眺めていると後ろから腕を引かれ、部屋に入らされた。扉を閉め、珊瑚が迫る。

「俺のことは琥珀って呼べ。城に連絡入れられたら…分かるだろ。ま、俺を探していれば、だけど」

 分かったと頷いた。

「お前は白梅(しらうめ)。間違っても本名名乗るなよ、色々面倒なことになりそうだから」

 灰白は口の端を吊り上げた。了承の意と受け取ったらしい。名を与えられるのは何度目だろう。3回目か。

白梅(はくばい)の香りがすんだよな、あんた」

 言われて自身の匂いを嗅ぐ。白梅の香りと思しきものはなかった。俺はあんま好きな匂いじゃないけどね、と言いながら鳥籠をテーブルに置き、荷物を雑に床や寝台に投げる。

「臭かった?」

「別に。臭くはない。ただ好きじゃない。それだけ」

 そう言ってから、風呂先入れば、と続けたため苦笑した。もう一度自身の匂いを嗅ぐ。雨の匂いと珊瑚の匂い、それから城の洗濯係が使っていた洗剤の匂い。少ない荷物から着替えを持って浴室に向かう。着の身着のまま生き延びてしまったいつかの日とは違う。


脱いだ物取りに来たわよ、と珊瑚が入浴している頃に宿の者が入ってきた。入室を許可すると、入って来るやいなや寝台に座り髪を拭く灰白を見下ろす。

「う~ん、やっぱり惜しいのよ。惜しいの。見ちゃったからには」

 近付いて、“ざくろ”と書かれた名札。装飾過多で名札とは言い難かった。灰白の視線など構わず柘榴というこの人物は灰白の傷をまた指でなぞる。湯で沁みたそこが、また沁みる。

「明日の朝までだったかしら?その後時間空けておいてちょうだい」

 柘榴は、でも、と言おうとした唇に傷を遊んでいた指を立てた。

「琥珀ちゃんにはアテクシから言っておくから」

「あの…」

「琥珀ちゃんに鳥以外のお友達がいて良かったわ」

 柘榴は大きな笑みを浮かべた。暑い地域から贈られたのだと言って灰白も見たことがある、仏桑華(ぶっそうげ)を思わせた。

「ちょっと気難しい子でしょう?何かあったら気安く呼んでちょーだい。不言(いわぬ)のピザ屋よりも速く駆け付けるわ。いいわね?」

「はい」 

 抱き寄せられ、豊かな胸へ押し付けられる。女性だろうかと思った。だが腕は固く逞しい。じゃあ脱いだ物持って行くわ、と柘榴は灰白が着ていた珊瑚の服を持ち、浴室に無遠慮に入っていった。


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