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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「叔父上はどうしてる?」

「念のため、極彩様がお見えになるまでは別室にて仕事の引き継ぎをしていただいております」

 止まることも振り返ることもない。

「…叔父上は人質ってこと」

 群青は、はい、と言った。

「残念」

 縛られた両手首を見つめていた。

「まずは傷の治療をしていただきます」

 医務室前で群青が止まった。灰白は群青を追い越す。両脇の兵に腕を掴まれ止められる。逃亡する気はない。足を止める。どこに向かうのかもそもそも分かっていない。

「必要ない」

 待つのは拷問か。どれほど痛いのだろう。耐えられるだろうか。耐えなければならない。師は耐えたのだ。紅は自ら迎えたのだ。無抵抗な身体に何本も突き刺さる刃。舞衣装に掴む小さな手。白く光って、少しずつ動いていく。冬毛の(てん)が如き髪が揺らめいて、床に落ち、血の海に染まっていく。短剣にかかる体重。思い出すな、思い出すなと自身を叱咤する。足元が崩れ落ちるような、膝から力が抜けるような感覚に陥りそうで、だが意思に反し頭の中でつい先ほどの出来事が鮮明に繰り返されていく。何度も何度も師が刺され、死んでいく。何度も何度も紅が腹に短剣を受け入れていく。手の骨に伝わった紅の腹を刺した震動がまだこの手首に残っている。

「極彩様…」

「大した傷じゃないから」

 やはり何としてでも自決すべきだったか。何が待つのだろう。群青に殺されるのか。何のためこの城で生活したのだろう。

「しかし…」

 面倒になり灰白は口を閉ざす。両手首が震える。柔らかい布とはいえ、強く縛られたまま上げているせいだ。無言でいると、群青が、分かりましたと折れてまた進みはじめる。また人通りの多い廊下に出て、群青が立ち止まる。止まりきれず背中にぶつかりそうなったが脇の兵に掴まれ止まる。

「群青殿、ちょっと待ってください!」

 聞き慣れた声がする。安心した。縹と違い、城を歩き回れてはいるようだ。顔を上げることなく手首に巻き付く布を見つめる。

「極彩様を疑うのは間違っています!」

「極彩様の無実を証明するためでもある。理解なさい」

 群青はまた進もうとした。だが止まる。灰白もまた進もうとして、腰部に重みがかかる。手首の布を見つめたまま進もうとする。脚の温もり。膝に当たる柔らかい感触。

「極彩様…っ」

 群青が一度振り向いて、何か伝言をお願いしますか、と言って、灰白は口を開いた。

「叔父上に、ご迷惑をお掛けしますと」

 脇の兵が歩行の妨げとなる者を除ける。紫暗ちゃん、群青殿も仕事だから。紫暗ちゃん、大丈夫?背後から聞こえる下回りたちの会話が遠くなっていく。通ったことのない廊下を歩く。ここもまたタオルやローブを積んでいたり、食事を運ぶ下回りが行き交う。

「極彩様」

 大きな扉の前で群青は振り返って止まり、当惑したように視線を床に這わせ、灰白を呼ぶ。何。応答する。

「群青!」

 背後から怒鳴り声がした。群青が素早く顔を上げる。珊瑚の声だった。

「三公子…」

「いい加減にしろよ!」

 廊下にいた者たちの視線が一点に集まっていた。地団駄を踏むように灰白と兵を追い抜き、珊瑚は群青を殴る。懐かしいと思った。ここでの生活は長くないというのに。

「お前は!目の前で人が死んじまって!ぐさぐさ刺されて!おまけに顔に傷負った人間に!それがすることかよ!」

 珊瑚は群青を殴り倒し、馬乗りになって白い拳を振り上げる。灰白は手首の拘束を眺めていた。懐かしいと思った。群青が珊瑚について自ら語りはじめた日のことを。脇に立っていた兵が灰白から目を離し止めようとして躊躇する。抵抗すれば死罪だ。厳しい地にいたのだ。目の前の暴力をやっと目に映し、瞼を閉ざす。

「お前は!なんでなんだよ!鬼!人でなし!命令されて手前は手ぇ汚してねぇつもりか!」

 心を鬼にしろと、仇を討ちを決めた時に縹は言った。鬼にはなれなかった。鬼になれるだろうか。情を捨てろと言われたはずだ。何度失敗した。

「犬のクセに!汚れ役しかもらえないならとっとと辞めろ!」

 襟を掴まれ上体を起こされ、群青はそのまま拳を受け入れる。鼻血が出て、口角を切っていた。

「目の前で!人が死んで!お前は!慣れてるかも知れねーけど!こいつは!」

 珊瑚に身を任せ、首がぐったりと後ろへ倒れる。喉が正面に照らされる。鼻血が顎から滴り、前開きの襯衣(しんい)を汚す。頭の中を叩き割って出てくる、数時間ほどしか経っていない真新しい記憶。視界が大きく揺れる。放っておいた傷が痛み顔を顰める。

「似てたんだとよ!似てただけだった!お前は!何も思わないのか!そんなやつを目の前で刺し殺されたやつの気持ち!」

 足音が聞こえる。珊瑚の拳が止まる。山吹とその世話係だ。世話係は群青と群青に乗る珊瑚、そして両手を拘束された灰白を見比べた。山吹は珊瑚をぽかぽかと叩き始める。珊瑚は困惑した面持ちで後退った。群青と珊瑚が離れたことで、為す(すべ)なく見ていることしか出来なかった下回りたちが群青の鼻血を拭き取り衣類を直している。鼻血で汚れたローブも脱がされていた。群青は身を起こすことなく膝を着き、深々と頭を下げる。灰白は黙って見下ろしていた。珊瑚は山吹に壁に押し付けられ抗議するように叩かれている。

「さんご!やまぶき、かみなり!さんご!」

 山吹の腕は周りの者から止められるが、振り切って珊瑚を叩き続ける。

「申し訳ございませんでした」

 群青を黙って見下ろす。

「わたくしの早計でございました」

 吊るされた右腕が床に寝、左腕だけで身を支えている。青紫の上着も官吏のローブもない薄い襯衣(しんい)だけの群青は細かった。

「無礼千万なことと、謹んでお詫びを申し上げます」

 額を床に着け、深く伏せたまま動かない群青に踵を返す。腕の拘束は解かれないまま。兵が追おうとして群青が制した声が聞こえた。行くあてはない。帰る場所は奪われていた。1人廊下を戻っていく。どこに足が向かっているのかも分からない。よく見知った廊下を選んでいく。


―どっか、行こうか


 珊瑚の突然の提案。紅はどうなる。紅は生きているのか。


―どっか、行こうか


 仇の国の公子と。襲われた国のことも、死んだ師のことも、生死も分からない紅のことも、共謀している縹のことも忘れて。


―どっか、行こうか


 積み上げられた木椅子でできた要塞の横を通り、様々なことがあった扉の前に座る。花緑青(はなろくしょう)のことをちらりと思い出して振り切る。どこかへ行こう。全て放り出して。何も無かったけれど、ここにも何も無い。おそらくこれからも。ただ失うだけ。もしくはもう失った。


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