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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 灰白は緊張していた。胃の辺りが締め上げられるような感覚と疼き。風月王と二公子が帰ってくる。城の中は騒々しく、紫暗は大掃除や宴の準備に駆り出されると朝に言いに来たきり戻ってきていない。竹笛に合わせた音楽が聞こえる。四季国では知らない質の音も混じっていたが聞き慣れた。最初は美しい音色に転寝(うたたね)してしまったこともあったが今は落ち着くどころか焦りが増す。風月王を前に平静を装えるのか。すぐにでも討ってしまいたい。だが浮かんでくる人々。四季国のことを忘れたつもりはない。紅に誓ったことを覚えている。朽葉から与えられた短剣を抱く。熱くなる身体に心地良い。仇を討つと決めた。そのために四季王は崖から突き落とし、紅は濁流から拾い上げ、朽葉から短剣を渡された。

「おい」

 玄関が乱暴に開け放たれる。咄嗟に短剣を隠す。珊瑚だ。無遠慮に入り込み、灰白の前に立つ。

「珊瑚様…どうかしたの」

 不機嫌な顔をして灰白を見下ろしている。

「寝る」

 灰白の真横へ移動し腰を下ろすとそのまま倒れて灰白の脚へ後頭部を置いた。

「え?珊瑚様?」

「俺の部屋掃除入ってんだよ。兄上にうるさいこと言われんのも嫌だし」

 目を閉じている。灰白は近くに積まれた柔らかい生地のタオルを珊瑚の後頭部と脚の間に挟む。

「二公子ってどんなお方なの」

「…大兄上に似てるよ」

「朽葉様に?」

 珊瑚は小さく頷いた。惚れんなよ、と呟かれる。

「似てるってどこが?」

「全部。いいだろ、もうすぐ会えんだから」

 眉根を寄せ、面倒臭さを隠さず寝返りを打って顔を背けられる。色の白い肌。細い首が仇となる女の前に晒されている。華奢な肩と薄い腹。薄暗い部屋の中で窓から入る光に照らされている。珊瑚は常に薄着だった。生地も3番目とはいえ公子とは思えないほど質素だ。二公子もそうなのだろうか。朽葉の上質な衣が草や土で汚れていた光景が鮮明に蘇る。

 珊瑚の身体が呼吸の度に小さく揺れる。あまり身動きを取らなくなり、本当に寝ているのではないかと思った。

「珊瑚様、ここで寝たら身体痛くするよ」

「いいよ、別に」

「夜、宴でしょ。疲れちゃうよ」

 微かだが反応を示す。

「もしかして頭が痛いの?頭痛薬もらって来ようか?」

「別にどうともない。あんたには関係ないじゃん」

 そうだね、と返そうとすると珊瑚はずいと灰白の顔面に迫る。あんたこそ、と普段の不機嫌な表情で普段よりも不満げな声音でそう言った。

「何か変だよ、あんた。腹でも痛む?」

「…変?変かな」

 胃が疼くのは確かだ。だが珊瑚に勘付かれるほど目立った不調はない。

「変っつーか固い」

 珊瑚は灰白の両頬を両手で摘まむ。頬肉を上下に引っ張り、もてあそぶ。珊瑚がそのような子どもがするような悪戯をしてくるとは思わず、だが諌めるのも惜しくなり暫く身を任せていた。

「山吹、結構そういうの気にするから」

 灰白の両頬を放し、珊瑚は背を向けた。

「優しいお兄ちゃんなんだね」

 あのさぁ。珊瑚はそう言ったきり続けない。灰白は、うん?と首を傾げた。だがやはり続けない。促すことはしなかった。気難しい少年だ。

「…山吹が兄だよ」

 灰白は訊き返しそうになり、だがやめてしまった。珊瑚は一度振り返って灰白を見ると、「生まれた順番で言うなら山吹のほうが先」と言った。世間的には俺が兄で、三公子だけど。離れ家に静かに響く。

「もしさ、」

「もし?」

「もし…山吹を粛清するって(めい)が下ったらさ」

 不穏な仮定を躊躇いがちに口にする。様子が変なのは珊瑚のほうだ。灰白はまた、うん、と話を促す。

「逃げてくれよ。山吹連れて」

「山吹様を…?」

「嘘でもいいから、はいって言えよ」

 灰白が即答しないことが気に入らないらしかった。

「どうして急にそんな話になっちゃうの」

「急じゃねーよ。いつも言ってるだろ」

 珊瑚がやたらと周りを警戒する理由は本人がきちんと口にしている。暴力を伴いながら。群青や縹もそれについて手を焼いていた。

「山吹様の意思次第でね」

 灰白は突然、俯いていた珊瑚に腕を回された。首にしがみつかれるが、そこに艶っぽさや下心、悪意や殺意は感じられなかった。容赦のない力加減と預けられた体重に灰白は後ろへ手を着いた。

「珊瑚様?」

 薄い衣服が顔面に当たる。しがみつくように抱き締められている。

「山吹の意思とかよく分かんねーけど、あいつ疑わねーから。あいつ、群青に呼び出されたらきっとあっさり付いて行っちまう」

 それが心配なんだ。頷く感覚が頭の横でする。

「大兄上がいなくなって…俺、もう山吹しか信用できない」

 緊張が伝わってしまう。自身の緊張も伝わってしまっているのではと灰白は後退さろうとするが、珊瑚はさらに強く薄い胸へ灰白を押し付ける。城の洗濯係が使う洗剤の香りと珊瑚自身の香草特有の清涼感の中に潜む果物のような甘い匂い。低い体温がさらにそれを引き立たせる。

「あんたにしか頼めないから」

 うん。短く答える。珊瑚の身体は震えていた。

「俺、あんたに酷いことしたけど、山吹は、」

「分かってるから大丈夫」

 珊瑚は乱暴に灰白から離れた。潤んだ双眸と目が合った瞬間に逸らされる。

「珊瑚様」

「それだけだから」

 離れ家を去っていく。城に、山吹に、生に縛り付けるようなこと言う勝手な若い背が玄関扉の磨り硝子に溶けて消えるまで目が離せなかった。どうしろというのか。だが躊躇いはあれど迷いはない。やらねばならない。でなければ紅は幸せには暮らせない。四季王が自分を生かした意味がない。


 紫暗が離れ家に戻ってくる。掃除や料理の準備が整ったらしかった。紫暗に連れられ、城の隅にある更衣室へ向かう。まずは化粧を施され、髪を結われながら両手の爪の上に筆が乗る。続いて絢爛豪華な衣類を着せられていく。上質で鮮やかな布だった。縹が(あつら)えたものらしい。縹からは何も聞かされていなかった。真っ白な糸の透かし模様の装飾と、箱ひだとも縦ひだとも違う丸みを帯びたまま絞られた装飾が愛らしい。

「極彩様…とても似合ってます!」

 紫暗の輝いた瞳が灰白の爪先から脳天までを何度も往復する。気恥ずかしくなりくすんだ桜色に塗られ赤い小花が描かれた爪を眺めていた。

「縹殿もよろこびますよ」

 ありがとうと照れ臭くなって笑う。着飾るのはいつぶりだろう。これが死装束になるのかと思うと縹には感謝しかなかった。過ぎたものだ。紫暗は嬉しそうだった。

「縹殿、呼びますか?きっと喜びます」

「そんな…わたしには立派過ぎて、着られちゃってる」

「大丈夫ですよ…今すぐにでも見せたいくらいなのに」

 縹には「馬子にも衣装」だと鼻で嗤われそうだ。名に似合う女でいられたなら。だが必要のないことだ。必要なのは仇を討つ力だけ。

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