看板の重さ
「やはりそうだ」
安藤さんはそうつぶやく。
「どうしたんですか?」
PCを覗き込み様子を伺う
「ハイカムにきりかわるタイミングで油圧が不安定になる。これは構造上仕方ないのだが、この出力では不安要素の一つだ。」
「となると…」
「キラーカムだな」
キラーカム、それはVTECの可変バルタイを殺し、ハイリフト側のカムのみのカムシャフトに作り直されたものの事だ。
「バルタイの油圧システムを殺すわけですか」
「そうだ。どのみちローカムには用はないだろう?」
首都高に限っていえば一般車に引っかかってからの加速でローカムを使うことはあるが、スーパーチャージャーのついたこの車であれば問題ないレベルの加速はできる。
「そうですね」
「ついでにカムのプロフィールも変更しよう。可能であればレブリミットも引き上げる。それに合わせてコンピュータもセッティングし直しだ。」
安藤さんは面倒くさそうに言いながら、どこか嬉しそうにS2のヘッドをバラしていく。
「安藤さん、そういえば、この前のテストでわかったのですが、リアのダウンフォースにフロントが負けて、アンダーステアが出るコーナーがありました。」
「わかってる。もうエアロパーツは発注済だ。タイヤも太いものに変えよう。前後265/35/18通しでどうだ。」
「いいですね、行きましょう」
日は暮れてく。
2週間後、所変わって都築PA
ここにもリニューアルを終えたマシンが。RX3からsa22c「RX7」に箱替えされた「本物」だ。
「どうしたんだ?あんだけ気に入ってた3乗り換えるなんて」
「いや別に。気に入ってたわけじゃないさ。」
「こんな時代にあんな時代錯誤甚だしい車乗るなんて、気に入ってでもなけりゃ乗らんだろ。」
「そんなんじゃないさ」
「じゃあ、あの車を選ぶメリットは?」
「軽さ。そしてシンプルさ」
「違うな、それだけじゃあまりに膨大なデメリットをかばいきれないはずだ。」
「…」
「あんたのそれはもはや執着だよ。そしてその執着をいとも簡単に捨てた。どういう風の吹き回しか知らんが、それはあんたに捨てさせる何かができたからだろ?」
「……。」
「世直しのつもりかい?」
フッ
「お見通しってか?」
「さあな。」
「別にそんなたいしたもんじゃあねえよ。」
「じゃあなんだってんだい。」
「看板の重さってのをガキんちょに教えてやるだけさ。」
「ほーう?ずいぶんと肩入れすんじゃねえかよ。」
「そりゃーなあ。」
「まさか、30年前のこと未だに掘り返して来るとはな。」
「なんとでも言え。」
そう言うと早々にSAの中に飲み込まれて行った。
キューキュキュキュヴァイーン
20Bターボが目を覚ます。
別れの挨拶もしないまま、そのSAは走り去った。
「久々に会ったってのに随分やないかい。ったく。」
飲みかけのコーヒーをドリンクホルダーにセットし、助手席にほうってあったステアリングを装着しエンジンをかける。4G63、三菱の名機が荒々しいターボサウンドを轟かせた。ランサーエボリューションVIII、三菱のフラッグシップであり、ラリーシーンの華、ランサーエボリューションシリーズの第3世代8代目だ。エンジンはエボ9のMIVECターボ、タービンはTD06、フルコン制御でアンチラグも入れている。出力は6500回転で500馬力ジャストだ。
ランエボはその道の終点、環八に向けて走り出した。トップギアで、120km/h巡航、この速度域でも街乗りだと思えば結構うるさい。まばらに走るタクシーを追い越し、後ろから来るカッとばしたメルセデスに追い越され、喧騒とは無縁な有料道路を終える。そこから合流するのは羽田方面に行く環状8号線、普段は渋滞の絶えないこの道も、真夜中のこの時間となると話は違う。静まり返った環八にランエボの音がよく響く。少し後ろめたくなるくらいに。時間にして20分くらいだろうか、羽田空港が見えてきた。ここから357号にアクセスすれば直ぐに湾岸線に合流できる。
料金所を抜ければそこは最高速ステージ。馬力とトルクの鎧をまとい、ガソリンを燃やし空気の壁をぶち破る異世界だ。世間の法にしばられず、目に見えない暗黙の了解の元に成り立つアンダーグラウンドな無法地帯。合流帯を加速するランエボはまさに空母からスクランブルする戦闘機そのもの。スピードメーターはあっという間に200km/hに達した。
「ヒロシ、考えたことあるか?俺らがあんだけ憧れた200キロって、ちょっと速い街乗りみたいな感覚で出せるんだぜ」
アクセルから足を離すと、ブースト計の針はストンと落ちる。段々と1台の化け物がただのセダンになっていく。
1960年6月、俺はこの世に生を受けた。東京はオリンピックに湧き、この首都高ができた。1967年、俺が7歳の時、この日本に「スーパーカー」と呼べるような車が誕生した。もちろん、その時代にスーパーカーなんて言葉は存在しない。そんな言葉が出来たのはそれから十年くらいあとのことだ。ともあれ、日本の技術の結晶のような車が誕生したわけだ。
トヨタ2000GT、俺達の憧れだった。1988ccの自然吸気直列6気筒ツインカムエンジン、6600回転で150馬力を捻りだし、最高速は210km/hを発揮。しかし、当時俺は7歳、こんな呪文みたいな言葉何一つわからなかった。でもこれだけはわかったんだ。
「ごっつかっこええ」
と。当時は車でさえやっと普及しだした頃だ。大阪から東京に越してきた我が家にも親父が借金はたいて買ってきたパブリカが6歳位の時にやってきて、よく横に乗せてもらった。そのパブリカこそが俺にとっての唯一の車だった。たった40馬力がこれ以上なく力強く思えた俺に150馬力なんて、ましてや40キロが日常の俺に210キロなんてどんな世界なのかわからなかった。
この2000GTの登場から日本車のスピードは一気に加速する。ハコスカ、RX3、S30Z、エスハチが登場し、日本のレース界は外車に楯突く形で大きく盛り上がった。よく幼なじみのヒロシと自転車でレースごっこして遊んだもんだ。あいつのお気に入りはRX3、俺のお気に入りはハコスカ。口でエンジン音真似しながら爆走した下町が忘れようにも鮮明に今でも思い出せる。俺は運動が苦手だったから、レースごっこはいつもヒロシが勝った。いや数回俺が勝ったかもしれない。だが毎日十何回とやってるレースだ。でも負け続けても、近所のじいさんにゲンコツ食らっても俺はレースごっこを辞める気にはならなかった。俺はその時からスピードに魅せられていたのかもしれない。
あぁいけない、こんなどうでもいいこと思い出してたらいつの間にか辰巳JCTじゃないか。
俺は待ち合わせがあって辰巳を目指していた。明け方のそこは、この時間にしては空いていて、いつもは所狭しと並んでいる駐車場は、まばらに空いているところすらあった。
「お隣失礼しまっせ〜」
バックギアを入れたのはISーFとS2000との間に空いた1枠だった。どうやら待ち合わせの相手はまだ来ていないらしい。
一服するかね。
ポケットからタバコとジッポを取り出し車から出る。フルバケから這い出して外の空気に晒されたとき、ふと目の前のS2000に目がいった。
「なんやこれ、ごっつ気合い入っとるやん。」
張り出したオーバーフェンダー、トランクを封印して付けられたドライカーボンでできたハードトップとGTウィング、耐久レースに使われるような最新のエアロパーツ、それもよく見ると細部を変更してあるワンオフ品。それだけじゃない、18インチのホイールから見えるのは4pot化された焼きの入ったフロントキャリパーと大口径ブレーキローター、マフラーはセンター出しに変更されているためおそらくこれもワンオフ品。いや、それだけに留まりそうにないな。ロールバー、インパネまでワンオフかそれに近いようなことをしている。
「ごっつ気合い入っとるどころの騒ぎとちゃうわ…こんなんほとんどレースカーや…居てる場所がおかしいねん」
prrrr…prrrr…
そんな独り言を言っていたか言っていなかったかはわからないが、少なくともそんなことを考えながらコーヒーを啜っていたら突然にポケットの携帯が鳴った。
「はいもしもし、お世話になります橋本です。」
「あーもしもし、橋本さん?藤本です。ごめんなさいね、遅れちゃって、もうすぐ着きますんで、お待ち頂いてよろしいですか?」
「いえいえとんでもないです、お待ちしております」
「すみません、ほんと。後ほどお会いしましょう、失礼します」
「いやほんとにとんでもないです、お待ちしてますんで、失礼します」
なんとも社交辞令な電話が終わった。藤本さん、いや藤本社長。うちのお得意様のレーシングチームの代表だ。金曜の夜にわざわざ待ち合わせているのは今後の打ち合わせとご相談だそうで。
そうそう、彼もまたR狩りの餌食になった1人だ。