木枯らし
アタシんち船橋なんだよね。
そういう彼女をティーダで迎えに行く。
アクセルに載せる足もいつの間にかなまったるい加速感に馴染んでいた。
速度計は100km/hを指し、秋の朝焼けを左手に受けながら薄暗いコンクリートジャングルを眼下に臨む。早朝のソコソコ空いたC2を湾岸線へと向かった。
流行りの音楽に自然と右手がハンドルの上でリズムを刻む。後ろから迫るタクシーを左にかわし、目前の制限速度厳守のトラックを右から追い越す。昔の癖、だろうか。直らないもんだな。そういえばわざわざ船橋に行くのに京葉道路を使わずに湾岸線を使うのも、ある種癖というか、習性のようなものなのだろうか。
新木場から湾岸線に合流する。東京を横断する大動脈のようなこの道も今日は交通量が疎らだ。
本線合流でアクセルを踏み込む。エンジンが小さく唸り速度計は110km/h。正面の朝焼けが眩しい。
葛西の観覧車を過ぎ、線路越しの東京湾を横目に見る。珍しく澄んだ夏の空が頭上に広がっていた。「ディズニーランドコーナー」なんて呼ばれていたなんてことの無い緩い左カーブを曲がり千鳥町。そういえばここのオービスあったんだった。速度計に目が行く。100km/h。まあ、アレを気にするような速度ではないか。
市川JCTを抜け湾岸市川で降りる。357にひしめくトラックの群れを掻い潜り、迷路のような船橋の住宅街に入っていった。初めて行く彼女の家は小洒落た古着屋の向かいだった。携帯で呼び出すと、彼女は直ぐに出た。「え?もう着いたの?!すぐ行く、まってて」とドタバタする彼女に「ごゆっくり〜」と言いながら車外に出てタバコを取り出した。秋の涼しい早朝というのは好きだ。特に珍しく澄んだ今日のような日は。
ふと家の脇の駐車スペースに止まる車に目がいった。カーカバーを被っているが、全高の低いコンパクトな車体から車種はわかる。
「ロードスター…?」
チラッとカバーをめくると丸みを帯びたバンパーが覗く。初期型NAロードスターに間違いなかった。
「お待たせ!もー、着く前に言ってよね!」
「あー、わりぃ」
携帯灰皿にタバコを押し付け立ち上がる
「あれ?言ってなかったっけ?ロスタくん。」
「え、あー…ちょっと気になっちゃって。お父さんの?」
勝手にジロジロ見てしまったのもあり、少しバツが悪い。
「いや?あたしの。」
彼女はなんでもないように即答した。
「え、マジ?初耳なんだけど」
「言ってた気がしたんだけどなあ。大学の時に買ったんだよね。だからもう6年目……かな?元気だよ」
そう言いながら慣れた手つきでカーカバーを取り去る彼女、そして現れた白色のロードスターに少し胸が高まった。
「今日さ、これで行かね?」
「えー、今日は昼間っから呑めると思ったのにー…」
「いや、オレが運転すっから。いや、させてください!神様仏様佳苗様!」
ティーダとの日常に若干辟易していた俺は、気付かぬうちに嘆願していた。自分でも何してるんだろうという気にもなる。
「いいけど、ずっとロスタくんの助手席なんて絶対嫌。あたしも運転する!あー、あたしの地ビールがぁー。くっそー。ちゃんと埋め合わせしないとただじゃおかないぞ……。まあいいや。車退けてて。鍵とってくる。」
地ビールがお預けになって恨めしそうな彼女だったが、しかしどこか上機嫌で楽しそうだった。
「お待たせ。ほら、鍵。」
またドタバタしてる彼女は小さなぬいぐるみの付いたキーの束を投げてよこす。
「キーレスなんてないからね!」
「え、あ、おう…」
僕の返事を聞いているのかいないのか、彼女はドタバタと家に入っていった。
ユーノスロゴのあしらわれた鍵で解錠し、特徴的なドアノブに手をかけロードスターに滑り込む。Nardiのクラシックスポークの奥にアナログ二眼メーターが主張する。やっぱいいなぁ、ロードスター。
キーを捻りイグニッションをON、警告灯全灯。ビーという警告音が耳を刺激する。
"ピー、カードを認識しました。有効期限は"
ETCの音声をよそにさらにキーを捻る
キューキュキュ、ブォン
古典的で機械的な4発エンジンの音ともにロードスターが目を覚ます。
軽めのクラッチを踏み込み1速へ、ハンドブレーキを下ろし、ちょっと吹かして初転がし。アクセルに脚を載せただけでエンジンはレスポンスよく反応する。少しバラけた音が心地よい。
改めて室内を見回す。センターには丸い吹出し口が2つ並び、その間にはハザードとリトラクタブルヘッドライトの操作スイッチが並ぶ。メンテナンス用とメーカーは謳ってはいるが、要するにパカパカ遊ぶ為のスイッチだ。ロードスターオーナー、いや1度でもロードスターに座ったことのある人間で、このスイッチを弄らずにいた人はいないであろう。ご多分に漏れず僕も失敬した。純正は押しボタンだった気がするが、このロードスターはトグルスイッチに置き換わっていた。スイッチを上げるとリトラクタブルヘッドライトがモーターの音を立ててカタンと上がる。そうそう、これだよ。これでこそロードスターだ。目線を下げると1dinオーディオがauxの文字を浮かべ青色に光る。シフトノブは純正。そういえばダッシュボードのひび割れを初めとした内装の傷みが極端に少ない。幌はもちろん破れはないし、新品のように張りがある。5年前に買った新車と言われてもわからないくらいだ。Odoを覗くと11万キロ、年式的には標準的だ。恐らくは1度大きなレストアを敢行したのだろう。彼女の溺愛ぶりがわかる。
「お待たせ!」
ロードスターを舐めまわすように見ていると彼女が息を上げて助手席に滑り込んだ。
「はいこれ」
突きつけられたのはティーダの鍵。
「あれ、いつの間に」
ティーダはいつの間にかロードスターの収まっていた位置に置かれていた。
「あんた待てど暮らせどロスタくんから降りないんだもん、自分で入れちゃったよ」
「あ、ごめん、つい。てかそんな急いで何取りに行ったのさ」
彼女の顔が曇る。言ってしまった…
「あんたが連絡もなく予定より早く来るから化粧出来てないの!察しなさいよ、ぶっ飛ばすぞ?」
「いやぁ、その説は申し訳…」
「いいから早く出して。行きしなに化粧するから」
brrrrrrrooh
ロードスターは朝の船橋に繰り出した。
コクコクと決まるシフトフィール、扱いやすいエンジン、周りの車が巨大化したかのように見える視点。あー、これだ。これでこそスポーツカーだ。
ロードスターは決してサラブレッドという訳ではない。エンジンだってミニバン用の亜種、サイズを鑑みたら特別軽いという訳ではないシャシー。だけど、ドライバーとこれほど近い車はいない。等身大、それがロードスターなのである。
高速の合流で大きく踏んでいく。、
車内に大きめの吸気音が入り込み、腰の辺りに加速Gを感じながらロードスターは速度を上げていく。バラついたエンジン音が少しずつまとまった連続音になってタコメーターは6000回転。まだまだ上がる、6200、6500rpm、3速へシフト、5000rpm、まだ加速は続く、5500、6000rpm、100km/h!この古典的な4発の音を聞きながら、Gを感じながら、シフトを操りながら、感じるロードスターは格別だった。車とひとつになっていく。1mmも感覚とズレない、思い通りに動かせる。等身大だから。こんな車楽しくないわけが無い。
自然と口角は上がっていく。
「楽しそうじゃん」
佳苗がスマートフォンのナビを起動させながら水を差す。
「でもあたし蚊帳の外なんだよね。まったく。眉毛書くの失敗したし。踏むなら言ってよね。」
せっかくのデートだと言うのにゴキゲンなロードスターに反して彼女のご機嫌はナナメである。
いやまあ、全くもって僕のせいなんだが。
都心の渋滞に揉まれながらかれこれ約3時間、僕らはロードスターを走らせた。彼女の好きなアーティストを流してカラオケしたり、仕事の愚痴を言い合いながらの道程は意外とあっという間だった気がする。
"およそ1km先、碓氷軽井沢インターチェンジを左方向、出口です"
"ピンポーン、通行できます"
料金所を出てすぐの信号で止まる。窓を開けると少し肌寒いひんやりした秋風が車内に入ってくる。
「屋根開けようよ」
彼女が提案した。
頭上のロックを外し、ソフトトップを仕舞うと先のひんやりとした空気と少し暖かな秋の日和が僕らを照らす。
「ちょっと寒いね…」
「ね。ヒーターつけよっか。」
佳苗がサッとヒーターを起動させる。肌寒い秋風と暖かなヒーター。これぞオープンカーの醍醐味、コタツモードだ。
「やっば、もうこんな時間。並ばなきゃ売り切れちゃうよ!ほら飛ばせほら!」
佳苗に急かされ運転続行
葉もまばらになった木のトンネルと、先の見えない曲がりくねった峠道。車内に飛び込む冷たい風とロードスターの息遣い。思わずギアを下げた。1.8Lエンジンが吠えたてレスポンスよく加速する。幸い車の通りは少ない。回転が上がってきたところで3速へシフトアップ、緩いコーナーをアクセルオフで抜ける。鼻先はスパッと入り意図したラインと寸分の狂いもない。すぐヘアピン。ヒールトゥで車速とギアを落としてターンイン、エーペックス目指して切り込んでいく。出口が見えたところでアクセルオン、プッシングアンダーもなし、リアが暴れる様子もない。更に踏み込む。迫る少しキツそうなコーナーもブレーキを乗せながら回頭性にものを言わせてクリア。車と呼吸を重ねる。回転を上げるエンジンと高まる胸。自分と1tの鉄の塊がシンクロする。運転が楽しい。久しぶりだ、こんな感覚。
左の直角コーナーが迫る。ブレーキ、シフトダウン、ターンイン、クリップ通過、加速。一連の動作がこれ以上無く気持ちいい。
「あーくっそ…」
目の前に行く手を阻むミニバン。どうやらお楽しみの時間はここまでらしい。
「ねえ。」
ふと我に返るととても不機嫌な声が聞こえてくる。
「あんた今日誰とデートしてんの?あたし?ロスタ君?どっち?」
「いや、それはお前…お前だろ……」
「その割にあたしがいっくら喋りかけても全部シカトしてくれたけど?」
「いやそれは…」
「まあいいけど。ハイオク満タン、奢りね。」
「え?ロードスターってレギュラーだろ?!」
「こんだけかっ飛ばしたんだからハイオクくらい奢ってもらわないと。ね?」
僕に選択権は無いらしい。
「左様ですか……」
「まあでも、運転は上手かったよ。思ったより。」
社交辞令だろうか。それでも彼女の顔は楽しそうだった。
秋の渋滞を避け売り切れ直前のパンをガメて軽井沢をあとにする。秋空の浅間山をひたすら西へ屋根を開けひた走る。お目当てなんて特にない。彼女とそしてロードスターと過ごす時間が楽しかった。なんて事ない直線も、曲がりくねった山道も、間の悪い信号待ちだって貴重で楽しい時間だった。本当は高速を使えば早いのに、もっとハンドルを切っていたくて、シフトノブを握りたくて、そして楽しそうな彼女といたくて用もない山道を走った。
「白井くん」
不意に彼女が切り出す
「車、好きなんでしょ」
隠すつもりはなかったが、とめどなく後ろめたい気持ちが溢れてくる。
「こういう車、持ってたことないの?」
水中にいるような感覚。耳から聞こえる音は不鮮明にくぐもって、身体は圧迫されているのに浮ついている。思考は回らない。
別に特段タブーな事を聞かれている訳では無い。
至って普通の会話だ。僕はただ「Yes」と答えればいいだけ。
ただ奥歯に何か詰まっているかのように、そのたった1単語が出てこない。
「白井くん?」
顔が曇っていたのだろう、彼女が怪訝な顔で表情を伺ってくる
「あ、あぁ…まあね」
もっと上手く取り繕えばいいのに、口をついて出たのはこんな歯切れの悪い返し文句だった。
「な、なんか聞いちゃいけなかったかな?」
それはそれは気まずい雰囲気が流れる。
「いや、そんなことは無いけどさ」
俺ってこんな口下手だったろうか。まるで5年くらい会話したことの無い人間の様になっている。
「なんか…ごめん」
ついに謝らせてしまった。最悪だ。
「俺…スカイライン乗ってたんだよね」
ここに来てまだ隠そうとする自分に嫌気がさす。
「無理に喋らなくても」
「いいんだ。別に墓まで持ってくつもりは無かったし。」
彼女の配慮を遮って続ける。
「何年か前、スカイラインで首都高走ってたんだよね。自分で言うのもナンだけど、結構速かったんだ。」
おおよそデート中にする話では無い。そんなことは百も承知である。
「そんでさ、友達とつるんで地方から来た遠征組相手に首都高代表、みたいなツラして防衛戦とかやってたのよ。」
「へぇ〜、楽しそうじゃん」
彼女の口元も少し緩んだ。
「でもさ」
光があれば影があり、山もあれば谷があるものである。
世の中そう出来ているものだ。ここからは影と谷の話。
少し申し訳なくなる。
「死んじまったんだよ、その友達。」
ずっと吐き出せなかったひた隠した過去。
ずっと車から距離を置くことで、自分の過去と決別することだけで押し殺したトラウマを、今、吐き出した。
「事故……ってこと…?」
いや、押し付けたのかもしれない。
「そう。」
言葉につまる
「別にあいつの死で誰かを責めたいわけじゃない。誰かのせいってわけでもない。ただ…」
胸の中でぐちゃぐちゃになった感情を少しずつ…引っこ抜くよな感覚だ。
「ただ…怖かったんだ。」
「ほんの数分前…車に乗り込む時はあいつが死ぬなんて思いもしなかった。またコーヒー飲んで大黒解散して……その日常をこなすはずだったのに。」
車を停めた。運転なんてしてる余裕はなかった。目の前がクラクラして真っ直ぐ走ることすらままならない。
「次は自分だと…?」
彼女がエスコートするように付け足した。
僕は……頷くだけだった…。
「きっと運がなかっただけだよ。ヤザワ君の」
……えっ…?
「今…なんて……?」
「え…?だからその人の悪運が尽きただけってこと」
「いや…ヤザワのこと……」
ヤザワの名前を出した時、確かに彼女はしくじったことに気づいたらしい。
「え?いや…違うの」
目の前が遠ざかる。なぜ…?最初から知っていたのか?全部演技なのか?どこから?いつから?復讐…?
オーバーロード。今の頭の中を言い表すのならばそれが適切だろう。そしてオーバーロードしたPCよろしく僕の頭の機能も止まっていく。意識があるのかないのか、自分よ視界は本物なのか。 全てが虚無に消えていく。
東京都の会社員"矢沢健一"さんが全身に火傷を負い、今朝病院で死亡が確認されました
今朝病院で死亡が確認されました
病院で死亡が確認
病院
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