嵐の前の静けさ
**東京都心・柚希の自宅リビング**
午後の陽射しが大きな窓から差し込む広々とした空間。
高級家具が配置されたその一角で、ひとりの中年男が床にしゃがみこんでいた。
「……何してるの、叔父さん?」
キッチンから戻ってきた高校生の少女――柚希が呆れたような目を向ける。
彼女の視線の先には、黒いTシャツと作業用ズボン姿のヨシオがいた。
「ん? 大掃除だよ」
「嘘つき。玄関の大理石を爪楊枝で擦ってるだけじゃない」
「いやぁ〜これが結構難しくてねぇ。表面の汚れだけじゃなくて奥まで……」
「もういいわよ!」
柚希が麦茶のコップを差し出し遮る。
「ちょっと休みなさいよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
国立競技場での一件からちょうど1年。
元ホームレスのヨシオは今はこの豪邸で“居候”という微妙な立場にいた。
(まさか俺みたいなのが国会議員一家に住まわせてもらう日が来るとはなぁ……)
麦茶を啜りながら天井を見上げる。
リビングの壁には巨大な液晶テレビが埋め込まれており、臨時ニュース速報のテロップが流れていた。
【宇津木雅也議員・総裁選出馬を正式表明】
「パパが出馬するなんて急すぎるのよね」
柚希が隣に腰を下ろす。
セーラー服の裾から伸びる脚が眩しい。
「まぁそういうこともあるだろ」
ヨシオは平静を装いつつ内心焦っていた。
(俺だって昨日知ったばかりなのに……)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その夜。
高層マンション最上階の部屋で三人が向かい合う夕食の場。
お祝いの高級寿司店の特上にぎりが食卓に並ぶ。
「父さん……本当に選挙戦を戦う気なの?」
柚希の声には不安が滲んでいた。
「無論だ」雅也がフォークを置く。
政治家としての鋭い眼光がヨシオを貫く。「国のために必要な決断だよ」
「……俺としては」ヨシオが恐る恐る口を開く。
「雅也さんに負担がかかることは避けたいんだけどなぁ」
「ヨシオ君」雅也がゆっくりと名を呼んだ。
「今のあなたが私のことを慮る必要はありません」
「え?」
「もうただの居候ではない。我が家の家族なんだから」
その言葉にヨシオが息を呑む。
隣の柚希も頬を赤らめて黙り込んでしまう。
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