戦国時代に史実に存在しない立花家が現れたら勢力図が変化してしまった。
戦国時代に立花家が存在した事で、北条家の勢力が史実の半分以下になりました。
『1540年(天文9年)関東の勢力状況』
関東最大勢力→古河公方家、足利晴氏
下野、武蔵、常陸、下総に支配地域を展開、
推定兵力27000
室町幕府から関東の統治を任されていましたが、幕府と度々対立して微妙な状態です。
古河公方家と山内上杉家、扇谷上杉家は従属と離反を繰り返し微妙な関係ながら、結束すれば合計85000の兵力です。
小弓公方家→足利義明
下総、上総の一部を領有
動員兵力推定6000
古河公方家、下総の千葉氏と対立中
安房上総の里見家が支援しています。
史実では1538年(天文7年)第一次国府台の戦いで北条家と戦い、足利義明は戦死、小弓公方家は滅亡するが、この世では延命中です。小弓公方家創立の立役者甲斐武田氏の分家、上総武田家、真理谷家と最大の支援者里見家の対立が難点です。
佐竹氏→佐竹義篤
磐城国南部、常陸北部、下野の一部を領有
動員兵力推定6000
古河公方家、下総の千葉家と対立中
上野国、山内上杉家
関東管領上杉憲正
上野、武蔵北西部を領有
動員兵力推定18000
古河公方家に従属と離反を繰り返ししています。
武蔵国北部、扇谷上杉家→上杉朝定
武蔵北部を領有
動員兵力推定10000
武蔵南部の立花家と領地境で対立中
同族の山内上杉家と対立したり和解したり不安定な存在、古河公方と従属と離反を繰り返しています。
立花家→当主は立花義秀
主人公の祖父、武蔵南部を領有
動員兵力6000
(予備役30000)
安房上総の里見家と同盟
相模北条家と対立中
武蔵北部の扇谷上杉家と対立中
里見家→里見義堯
安房、上総半国を領有
小弓公方家を支援
立花義國に義堯の妹が入嫁
立花家と同盟中
推定兵力6000
北条家、北条氏綱
相模、伊豆、駿河の一部を領有
動員兵力推定9000
武蔵相模の国境エリアで立花家と対立中
武田家、武田信虎、甲斐を領有
動員兵力推定6000
今川家と同盟、北条家と対立中、立花家とは同盟していないが友好関係にあり。
江戸太田家→太田資高
太田道灌の孫、主君扇谷上杉氏に道灌を暗殺されて以来、武蔵扇谷上杉家から半独立状態
武蔵東部、下総の西部を領有
動員兵力推定2000
領地の北側の親族、岩槻太田家と連携
古河公方家寄りの外交姿勢
主家、武蔵扇谷上杉家から半独立状態
岩槻太田家→太田資正
武蔵北東部を領有
動員兵力推定2000
主家、武蔵扇谷上杉家から半独立状態
領地南側の親族、武蔵江戸太田家と連携
古河公方家寄りの外交姿勢
武蔵国世田谷、吉良家→吉良頼貞
世田谷周辺と横浜付近蒔田を領有
動員兵力推定2000
室町幕府、足利家の姻戚
立花家から頼貞に正室が嫁いでいるが、太田家、上杉家、立花家に囲まれて外交的に難しい位置に存在しています。
生き抜く為、関東最大勢力古河公方家寄りの外交を展開中
武蔵国青梅、三田家→三田綱秀
青梅、奥多摩、飯能、入間を領有
動員兵力推定2000
立花家と良好な関係、南側の領主大石家と国境で揉めて対立中
山内上杉家に従属しながら半独立状態
武蔵八王子、滝山大石家→大石定久
八王子北部、あきる野領有
動員兵力推定2000
北側の領主三田家と対立中
山内上杉家に従属しながら半独立状態
立花家とは微妙な外交状態、武蔵扇谷上杉家に接近して三田家、立花家と距離を置く関係。
この時は誰にも見えない糸が繋がっていました。4年後に関東大乱、品川湊の領有権を巡る戦いが発生します。
さらには八王子、滝山城に上野国、上杉家の大軍が侵攻、武蔵北部には扇谷上杉家の大軍が立花家の領内に侵攻する大乱が発生します。そして小田原から北条家の大軍が相模原、町田方面から侵攻します。
立花家は巧みな外交を駆使して古河公方家、上杉家、北条家との戦いを始めます。
第6話完
史実より北条家の勢力が弱くなり、北条家から嫁入りするはずが、関東の大名家の婚姻関係が大幅に変わりました。
立花家と婚姻関係にある大名家の運命が大きく変わる事になりそうです。