立花義秀、波乱の歴史に想いを馳せる
主人公の祖父、立花義秀が立花家の歴史を回想します。
立花家の波乱の歴史は、苦難の歴史を乗り越えて戦国時代を迎えました。
『時空を超えて親子三代転生した結果、史実を変えて戦国時代武蔵国、府中に戦国大名立花家が成立している1540年(天文9年)に至る歴史』
―府中城―
―立花義秀、側近―
立花家には大國魂の大神様と源義家公の願い通りに孫の松千代も無事転生しており、これからが楽しみな状況になりました。
立花義秀は側近に手伝わせて立花家が創立された永保4年(1084年)頃から記録された家歴を調べ直していました。
「親子三代揃い立花家が存在してる事は半ば目的は達成されているかもしれぬ…
家歴には後三年の役の奥州遠征の準備の為、武蔵府中に滞在中の源義家公が大國魂神社の大宮司一族、猿渡家の娘と出逢い、翌年二人の間に男児誕生と記録がある…」
立花義秀は自分に言い聞かせながら呟きます。
「家歴によると後三年の役から凱旋した源義家公は永保四年(1084年)に生まれた男子を自身の三男と認知して朝廷から立花姓を賜り、立花家初代、立花義輝が誕生、大國魂神社の守護を託され、菊の家紋、紋章の使用が許可され、源義家公所有の領地から、府中、国分寺、小金井、三鷹、調布等の領地を相続したと記録されている…府中を中心に多摩地域の広い範囲を相続していたのだ…」
側近が幾つもの古い記録が記された書類を丁寧に並べて義秀の作業を手伝いました。
「うむむ、この頃の事が後々足利家との権威争いになるのだが、源義家公の三男は立花家の家祖、足利家は義家公の孫の義康が家祖で源氏の権威論争になるのだが、朝廷から賜る官位で室町幕府将軍継承者意外の足利家の男子は全て、立花家の家督継承者より官位が下であるのが、証拠とも言える。
足利家は絶対に認めないだろうがな…」
「立花家初代、立花義輝の元服の時に正五位下左近衛少将任官、さらに八王子、石川牧の開設と管理を託され、同時に周囲の日野郷、八王子に領地が下賜されている。
この頃に帝、近衛家と九条家の荘園の監理を任されている。そうか、この時から朝廷と深い絆が出来たのだな?」
「大化元年(645年)から大國魂神社が武蔵国府の神事、祭事全てと品川湊の経営を委託されていたのだが、大國魂神社大宮司猿渡家より立花義輝に嫡男誕生の祝いとして品川湊の警護を託され、やがて経営に参加する事を許されたとある。
これだ!この時から伊勢、薩摩、奥州、蝦夷地との交易の始まりなのだ!
やがて何度も府中や大半の領地を失った時も挽回する軍資金があったのはこれが決め手だったのだ!」
「平清盛に領地を半分取られ、府中から離れた。やがて源頼朝の挙兵に従い領地を回復するが執権北条氏にまたまた府中を奪われた!」
「鎌倉幕府軍と久米川、分倍河原、関戸の戦いに勝利、鎌倉攻略に功績あり、府中及び領地を回復、さらに足利尊氏を支え各地を転戦した功績を朝廷から評価され、九代、立花義久に武蔵守護代、従四位下左近衛中将任官とあるぞ!
これは、我ら親子と孫の3代以外に何人もの立花家のご先祖様が歴史を変える任務に着いたに違いない!」
「ふー!
なんと浮き沈み激しい立花家…
しっかりせねばならんな…
何人のご先祖様が任務に携わったのかわからぬが、我ら親子3代が大役を任された事に全力で立ち向かうぞ!」
側近は独り言を呟く義秀の言葉を聞きながら書類の整理を手伝いました。
立花家は先祖代々皇室、近衛家、九条家の荘園を管理して毎年、年貢を奉納、献上品、献上金を納めています。
朝廷の財政は立花家に支えられて健全であり、幕府は管領細川晴元と将軍足利義晴が対立して内部崩壊状態にありました。
この事が朝廷と幕府の力関係に大きく影響します。
朝廷の権威は保たれ、幕府の権威は失墜、地方の守護大名、守護代、地頭等は幕府の命令に従わず、戦乱の世を招く事になりました。
第5話完
立花家の記録を遡り、立花家の歴史を辿ると自分達以外にも歴史を変える任務を果たしたご先祖様の存在を確信しました。
義秀は駅伝の襷の如く立花家の未来を切り開く決意をしました。




