1547年(天文16年)3月上旬、反乱軍、細川晴元の反撃!
細川晴元は芥川城、高槻城を攻略を目指して策を巡らせていました。元々は晴元の所領であり、地形を知り尽くしています。
晴元の間者が芥川城、高槻城に入り込んで準備を整えて味方の軍勢を導きました。
1547年(天文16年)3月上旬
3月6日早朝になると、多数の間者や偵察部隊を派遣した結果、反乱軍、細川晴元の軍勢の様子が判明しました。
細川晴元の軍勢が攻め込んだのは3月5日早朝の事でした。摂津北部、最大の山城、芥川城は城主、能勢頼常の子息が婚礼の為、200名の兵士を山麓の邸宅で警備に当たらせて3月3日と3月4日の二日間に渡る婚儀を行いました。
二日間の宴には隣接する高槻城の城主、入江義継が護衛を引き連れて婚儀に参加していました。
3月5日の早朝には芥川城、高槻城の城主と重役等の関係者は芥川城の山麓の邸宅内にて深い眠り中にいました。
反乱軍の細川晴元は芥川城主、能勢頼常の婚儀の予定を事前に把握して周到に準備していました。
3月4日の夜、丹後国から国境を密かに南下、摂津北部に侵入して幕府の警戒網を潜り抜けて芥川城に接近しました。
3月5日の早朝、芥川城山麓の邸宅を1000の兵力で包囲すると、邸宅周辺を警備する200程の警備兵との戦いが始まりました。
戦いは四半刻(30分)程で反乱軍が邸宅を制圧、芥川城主、能勢頼常、高槻城主、入江義継は生け捕りになり、彼らの一族の多くが捕虜となりました。
その結果を踏まえて、反乱軍は芥川城と高槻城の攻撃を開始した事が判明しました。
宗教勢力の密偵や偵察部隊は芥川城近くの寺院へ逃れた女中や小者を救い出して漸くかき集めた情報で、芥川城も高槻城も今の時点で未だ抵抗していると思われました。
―石清水八幡宮―
―立花義國、立花将広、善法寺政清―
三人は地図を広げながら、次々に集まる情報を照らし合わせていました。
「情報がまだ少ないな…善法寺殿、高槻城の手前、楠葉から淀川の対岸にを渡るのは可能なのかな?」
義國が尋ねました。
「可能ですが、浅瀬の流れが早く、危険が伴います。高槻城を攻撃している反乱軍は水を確保する為に対岸に陣地を構えておりましょう。
敵に気付かれずに対岸に渡るなら1里(4キロ)上流に我が石清水八幡宮が管理している橋本の渡場に船の橋がございます!
此方からは半里(2キロ)の至近距離にあり、対岸へ参るなら安全に渡れます!」
「おぉ?それは良さそうだな?」
「はい、楠葉の上流、1里(4キロ)に木津川、宇治川、桂川の3本の川がが合流して淀川となります。
合流の少し先に橋本の渡場に船の橋を繋ぎ、馬や荷駄が渡れる橋を管理しています。洛内の物流の要の渡場故に軍勢も一気に対岸へ渡れます!
橋本から山崎周辺に渡れば敵に察知されません!」
「おぉ、そうか…山崎?…近くに城があるか?」
義國が前世の記憶から山崎の地名に反応しました。
「はい、天王山の山中に山崎城が築かれております。
城下の西国街道が都に通じている要地にございます。
反乱軍は芥川城と高槻城を攻略したら山崎城を確保して西国街道を通り、都に侵入を図るでしょう。
此方の辺りに軍勢を配置すべきと思います。
立花家の指揮官に託して石清水八幡宮の軍勢1000を用意致します。
橋本の渡場から補給が出来ますから兵糧の心配もありません。立花殿、如何でしょう?
山崎周辺に布陣して芥川城、高槻城の様子を探り、幕府方の山崎城と後方の勝龍寺城に連絡を取り、西国街道を封じるのです。
芥川城と高槻城を直接支援する必要はありません。
山崎周辺を確保するだけでも幕府に恩を売る事が出来ます!」
「おぉ、善法寺殿、成る程!
芥川城、高槻城が陥落しても山崎城と西国街道を封鎖すれば反乱軍を抑えられる!
幕府の軍勢も間も無く動く筈!
叔父上!(立花将広)山崎の西国街道に軍勢を配置して反乱軍の進路を塞ぎましょう!
山崎城の幕府軍と連携すれば街道周辺を封鎖出来ます!」
「それで良かろう、俺に任せろ!」
立花将広が声を上げました。
「はい、叔父上にお任せ致します!
立花勢から500を預けます。
石清水八幡宮の軍勢1000を合わせて1500!
宜しくお願い致します!」
「よっしゃ!引き受けた!
さて、善法寺殿、ノコギリと斧、鋤と鍬を用意して頂きたい。
西国街道を封鎖するのに使いたいのだが、用意出来るだろうか?」
「はい、直ぐに用意致します!」
「義國、万が一に芥川城と高槻城が攻略されたら山崎周辺が洛内を守る要だからな、楽しんで参るぞ!」
「はい、叔父上にお任せ致します!」
午前9時頃、立花将広率いる1500の軍勢は橋本の渡場へ向かいました。
石清水八幡宮には本願寺、大徳寺、東福寺、堺衆から続々知らせが入りました。
本願寺は3000の軍勢を高槻城支援に向かわせており、正午辺りに高槻城付近に到達すると判明しました。
大徳寺勢2000と東福寺勢2000は正午までに石清水八幡宮に到着すると連絡が入りました。
堺衆1000は遠方の為、到着は明日の昼頃と判明しました。
―立花義國、善法寺政清―
「善法寺殿、高槻城の救援に向かった本願寺勢を支援する為、淀川の楠葉の河川敷に軍勢を出しましょう。立花家の500、護衛の僧兵の皆さんの500を合わせて合計1000を我が弟、立花義弘に任せて高槻城を攻める反乱軍を牽制します!
如何であろうか?」
「良策にございます。
幕府の援軍到着まで牽制するだけで充分、出来る限り反乱軍と戦うのは避けて、幕府に任せましょう」
善法寺政清の助言を参考に、反乱軍を阻止する作戦が次々に始動しました。
石清水八幡宮から淀川河川敷の楠葉に向けて立花義弘の軍勢1000が出発しました。
「善法寺殿、幕府の援軍が遅いな…
幕府は芥川城、高槻城の城主が反乱軍に捕らわれた事を知らんのか?」
「立花殿、幕府にも事情が有るかもしれません。
此方から北へ2里(8キロ)の地点に勝龍寺城がございます。
二条城から4里弱(14キロ)にあり、此方に大軍が集結してるかもしれません。
物見を走らせましょう!」
善法寺政清が物見の騎兵を勝龍寺方面に向かわせた結果、幕府の軍勢が集結中である事が判明しました。
「立花殿、幕府も反撃の準備をしています。
此方は焦らず、支援に徹しましょう!」
しかし、午前11時過ぎ、高槻城へ支援に向かった本願寺勢から芥川城と高槻城が陥落した事が知らされました。
―立花義國、善法寺政清―
「やられた!なんだか歯がゆいな…
幕府は反乱軍が疲労するのを待っているのか?
それとも、四国の三好一族の援軍を待っているのか?」
「立花殿、反乱軍の疲労を待つ事、四国からの援軍の両方とも、考えられます!
反乱軍は昨日早朝からの戦いで疲れているはず、
攻略した城の後始末と休息の為、本日はこれ以上は動けないでしょう。
夕刻までに味方の配置を考えれば宜しいかと存じます」
「承知した!配置も考えるが、善法寺殿、幕府の状況も知らなければならぬ!
勝龍寺城に我が腹心の東郷信久を遣わして打ち合わせをしたいのだが、案内を頼みたいが宜しいか?」
「畏まりました。案内人を用意致します!」
立花家次期当主、立花義國の腹心、東郷信久が幕府軍の要衝、勝龍寺城に向かいました。
やがて正午までに石清水八幡宮に東福寺勢2000、大徳寺勢2000、さらに帰国の準備に先行させていた立花家の軍勢600が合流しました。
この時点で立花義國の指揮下に凡そ10000の兵力が集まりました。
反乱軍と幕府軍の戦いは立花義國の動きが結果を左右しそうな雰囲気になりました。
反乱軍、細川晴元の軍勢が攻撃二日目に芥川城と高槻城を攻略しました。
明日には山崎方面が戦場になる可能性があります。
このままでは善意で山崎方面に布陣している立花将広の1500の軍勢に危機が迫ります。
明日は果たして…




