1547年(天文16年)1月中旬、武蔵国守護府、諸侯会議
古河公方家と前橋上杉家が5年間軍事行動が禁止されました。立花義秀は武蔵国守護府の責務を担い、行動を開始します。
切迫した脅威が無くなり、軍縮を実行して内政を優先する事になりそうです。
1547年(天文16年)1月中旬
1月15日、16日と祝賀行事が続き、1月17日は武蔵国守護府にて立花家と同盟大名家の当主、宿老、大使が召集されて会議が始まりました。
議題は朝廷の勅命に伏して5年間の謹慎を受けた古河公方家と前橋上杉家に対する駐留軍配置に関して負担を軽減する軍縮と、武蔵国内で現時的な騒乱が起きた場合の対処に関する確認事項や政治的な問題が発生した場合の対処に関する確認事項と内政重視の政策転換に関する共同事業の計画等と、大きく4つの課題を協議しました。
議題については諸侯の大使館に事前に通達されており、各諸侯も軍縮には賛成の意思を示し、内政重視の政策転換も好意的に受け止められていました。
立花家と同盟大名家が駐留軍を派遣しているのは6つの地点に及び、駐留軍をほぼ半減して再編を検討しました。
立花家と同盟大名家の負担を考慮して、新たに再編した駐留軍は総勢55000、立花家から43000、同盟大名家から12000の軍勢を配置する事になりました。
川越方面駐留軍14000
総大将、立花義國(嫡男、次期後継者)
立花家12000
青梅三田家1000
滝山大石家1000
こちらの軍勢は古河公方家と前橋上杉家の勢力圏と接し激戦の末に獲得した要衝に配置されました。
川口方面駐留軍12000
総大将、立花義弘(次男)
立花家8000
江戸太田家2000
世田谷吉良家1000
青梅三田家1000
こちら軍勢は古河公方家の勢力圏、岩槻公方家の領地と接しています。
立花家を裏切った岩槻太田家の旧領を古河公方家と立花家が争奪した激戦末に獲得した要衝に配置されました。
秩父方面駐留軍5000
総大将、岡本政國(中老)
立花家3000
青梅三田家1000
滝山大石家1000
こちらの軍勢は前橋上杉家の勢力圏に接する地にあり、前橋上杉家に侵攻されて激戦の末に撃退した要衝に配置されています。
上総国、市原方面駐留軍7000
総大将、奥住利政(宿老)
立花家5000
木更津里見家2000
こちらの軍勢は古河公方家の勢力圏、下総公方家の領地に接し争奪を繰り返す要衝に配置されました。
上総国、茂原方面駐留軍5000
総大将、楢島正臣(中老)
立花家4000
世田谷吉良家1000
こちら軍勢は古河公方家の配下、千葉家の領地に接する要衝に配置されています。
下総国、鎌ヶ谷方面駐留軍12000
総大将、畠山忠國(中老)
立花家11000
江戸太田家1000
こちら軍勢は古河公方家に度々侵攻を受けた激戦の要衝に配置されています。
各方面軍の配置に甲斐国武田家、小田原北条家には他の同盟大名家と違い、同盟の条件が経済的な協力に限られ、軍事的な協力を免除している為、駐留軍の配置に参加していません。
その理由として、甲斐国武田家は現在、信濃国方面で諏訪家、村上家等の強敵と対立しており、軍事的な余裕が無く、小田原北条家は駿河国、遠江国、三河国の太守、今川家と対立している為、同じく軍事的余裕が無い事が理由になっており、同盟大名家の諸公も致し方無しと承認しています。
内政に関しては農地の拡大や街道整備、河川の治水事業について立花家から同盟大名家に資金や技術の提供等について大まかな事が決まり、各同盟大名家と其々個別に協議して支援する事が決まりました。
この協議の中で同盟大名家が特に興味を示したのは立花家が行っている4種類の米の伝統農法に注目が集まりました。それは古代に行われていた日本の伝統的な農法でした。
1、冬季湛水農法、12月に田圃に水を貯めて種籾を均等に散布します。
2、春季湛水農法、3月に田圃に水を貯めて種籾を均等に散布します。
3、再生二期作農法、8月に稲穂の先端を刈取り、11月に再度実った稲穂を刈取ります。
2度目の収穫は5割程度になりますが、良質な米が収穫出来ます。
4、直播農法、水を張らずに畑の土に種籾を均等に散布する方法です。
立花家は4つの伝統農法と通常の苗を植える農法を組み合わせて農民の負担を軽減させる事を目指しています。伝統農法はコツを掴めば雑草が少なく、作業時間が軽減され、空いた時間で他の作物の生産に取り組む事が可能になります。
立花家は農民に多種類生産を奨励している為、彼らは他国の農民より収入が多く、清潔で大きな屋敷に住んでいます。農作物を加工して商店を営み、食事処を経営する富裕な農民に注目が集まり、同盟大名家の諸公達が羨望していました。
「立花殿!同盟大名家は其々領内で食糧事情の改善を図りますが、難しい事情を抱えています!農業技術だけで無く、この機を生かして我ら同盟大名家に立花家の施政の秘訣を伝受願いたいのですが?」
武田晴信が同盟大名家を代表して要請しました。
「委細承知!立花家に協力して頂いた御礼に全て伝受致しましょうぞ!」
立花義秀が要望に応じると表明すると同盟大名家は其々食糧事情の改善に頭を悩ましていただけに安堵する事になりました。
会議は無難に一刻(2時間)程で終わり、3日間の公式行事は夕刻からの宴だけになりました。
立花家は多品種生産を奨励して農民の生活を向上を達成した結果、領民の生活水準は大いに底上げされて、同盟大名家の領民の生活水準を遥かに上回っていました。
府中の町衆の生活や農民の暮らしを探訪した諸公が立花家の施政に興味を示すのは当然の事でした。




