1546年(天文15年)11月下旬〜12月上旬、遂に帰国、芹ヶ谷城に到着!
10月15日に横浜湊から出発した立花家と同盟大名家の船団はひと月半の旅路が終わり、ようやく帰国します。
1546年(天文15年)11月下旬〜12月上旬
11月30日早朝、立花家と同盟大名家の諸将達が帰国の時を迎えました。松千代と立花義秀は織田信長、信秀親子の見送りを受けて出発します。
「織田殿、お世話になりました。又いつの日か逢える時を楽しみにしております!」
「立花殿、お元気で、御身を大切に!又逢いましょう!」
立花義秀と織田信秀が挨拶を交わしました。
「信長兄様!遊んでくれて、ありがとう!
お元気で!又逢いましょう!」
「松ちび!元気でな!何時でも遊びに来い!
今度は馬遊びをするぞ!さらばだ!」
松千代と信長も少し寂しく別れの挨拶を交わしました。
桟橋から船に乗り、松千代と立花義秀は手を振り別れを惜しみました。
「信長兄様ぁー!ありがとー!」
「松ちびー!元気でなー!」
信長と松千代が叫びました。
堀川を下り、川幅が広がり、河口から伊勢湾に向います。松千代と義秀の二人は信長、信秀親子が見えなくなるまで船尾から手を振りました。
「お爺、信長親子と親しくなっちゃったね…」
「あぁ、やってしまった!
織田信秀殿があんなに良い人柄だとは思わなかった…
歴史では余り知られていないが、頭脳明晰、他人の気持ちを推し量り、先手を打てる人物だな…陪臣ながら大軍を託されて美濃国の斎藤家、駿河国の、今川家の大軍と何度も戦い、しぶとく生き抜いて、今は尾張国を統一する程の勢いになったからな…我らが少し手伝ってしまったな…」
「信秀殿が尾張国を統一してしまうと、史実と大幅に変わってしまうよ…
史実では信長殿が18歳の時に信秀殿が急死するから…お爺!史実通りなら6年後だよ!」
「そうか…6年後か…早いよな…複雑だな…惜しい人物なんだがな…」
「お爺、逢って良かったのか?悪かったのか?
神様のお導きと思えば開き直れるよ!」
「そうだな、来年から織田家の津島湊、熱田湊に臨時便を出して交易が始まるから情報は掴める、運命を受け入れて前に進むぞ!
それにしても松千代は信長殿に随分と気に入られたなぁ?」
「お爺、織田信長様だよ!戦国時代のヒーロー何だから憧れの人物なんだから夢みたいに楽しかったよ!
もう嬉しくて嬉しくて、感激してるよ!」
「ぶはははは!そうだな、凄い体験だよな?
俺は織田信秀殿が凄い武将だと感じたぞ!
上洛して良かった!」
船は伊勢湾に入りました。知多半島を左に見ながら南下します。やがて知多半島の先に渥美半島が現れ、太平洋を流れる黒潮の流れに乗り、東に向いました。
「お爺、帰りの船はなんだか早いよ!」
「早いだろう!東へ流れる黒潮の流れに乗り、更に大型の帆に風を捕らえたから早くなるんだぞぉ!」
「凄ぉーい!」
松千代は祖父、義秀ど一緒に船の左手に見える今川家の領地の風景を眺めながら素朴な会話の時間を楽しみました。
お昼には握り飯か配られ、食べながら景色を堪能します。時折見える城を眺め、三河国を過ぎて遠江国に入ると富士山が見えました。
海の色が深い青から深い緑に変わりました。
「わぁー!海の色が変わって綺麗!
わぁー!富士山だー!雪景色で綺麗だー!」
などとはしゃいでいましたが、松千代はいつの間にか疲れて眠りました。
「松千代!伊豆半島が見えたぞ!」
祖父の声に松千代が目を覚まします。
「おぉ!伊豆半島だー!富士山も綺麗だよ!
後少しだね?」
「予定通り、夕刻には下田湊へ着くぞ!
ほら、松千代、見てみろ!イルカの群れが平行して泳いでいるぞ!」
「お爺!イルカだー!ヒャッハー!」
「松千代、伊豆半島周辺は鯨がたくさん居るから出逢うかも知れんぞ!」
「鯨見たーい!」
松千代は目を凝らして鯨を探しますが、なかなか見つかりませんでした。
やがて伊豆半島の南端、石廊崎の当たりを過ぎると進路を北東に取りました。
更に進むと海の色は深い青に変わり、下田湾が見え始めました。
海流が緩やかになり、それを好む鯨が姿を表しました。
「松千代!鯨だ!下田湾の入り口当たりに魚が集まるから鯨が集まってるぞ!
ほら、跳ねたぞ!」
下田湾の入り口に三頭の鯨が次々に跳ねました。
「お爺、鯨だー!凄ぉーい!」
「ぶははは!鯨に歓迎されたぞ!」
義秀の言葉に周囲の兵士達が帰国した事を実感しました。伊豆半島は同盟大名北条家の領地であり、立花家の支援で下田湊が大型船が停泊出来る湊になりました。立花家の領地、伊豆七島の島々に定期航路が設けられ、生活必需品を届けて島々の特産品の買い入れる交易をしています。
下田湊は立花家と同盟大名家の商船が上方に向かう中継基地として重要な役目を果たしていました。
立花家と同盟大名家の船団は夕刻前に下田湊に到着しました。立花家と同盟大名家の諸将と兵士達も自分達の勢力圏に到着した安堵しました。
伊豆半島下田の山と海の美しい風景に夕日が映えます。
立花家と同盟大名家の諸将は風呂に入り旅の疲れを癒し、北条家が用意した宴の持て成しを受けました。
サザエ、ウニ、アジ、サバ、キス、キハダマグロ、カワハギ、ヤリイカ、伊勢海老、真鯛、クロムツの焼き魚、刺身の盛り合わせに鯨の煮付などの豪華な海鮮料理が提供されて、上洛の思い出話しが盛り上がり、宴は深夜まで続きました。
12月1日、早朝、大半が二日酔いの立花家、同盟大名家の諸将は互いに挨拶を交わして、其々の向かう目的地に別れて出発しました。
―横浜湊―
立花家、猿渡家、青梅三田家、滝山大石家、秩父藤田家、甲斐武田家
―六郷湊(多摩川河口)―
世田谷吉良家
―品川湊―
江戸太田家
―松戸湊―
船橋高城家
―木更津湊―
房総里見家
―小田原湊―
北条家
下田湊から其々が夕刻迄に到着出来る距離にありました。横浜湊へ進んだ立花家と諸侯の船は午後14時頃に到着、その日は横浜湊へ宿泊、翌12月2日、八王子街道から西へ進み、5里(20キロ)先の町田方面に向い、昨年完成した芹ヶ谷城へ到着しました。
この辺りは2年前に北条氏康が20000余の大軍を率いて立花家の領内に侵攻した激戦地になりました。
この時に立花家の軍勢30000余を率いた立花将広が巧みに戦い、北条家の軍勢を座間方面に撃退、北条家の脅威を跳ね除けました。
芹ヶ谷山に建てられた本丸御殿からは相模原、鴨居、座間、鶴間方面までが見渡せる位置にあり、北条家の領地からも芹ヶ谷城の本丸御殿の存在がはっきり見える位置にありました。
諸将を本丸御殿最上階に招き、立花将広が2年前の激戦の様子を語りました。
「2年前は滝山城の戦いで、関東管領、前橋上杉家の軍勢を撃退した直後で、決して余裕など無い状況にありました。あの時、多数の予備役の志願兵が集まり、窮地を脱する事が出来ました。
負けていたら、北条家の軍勢が府中城を攻め落して立花家は滅亡したでしょう」
戦いの様子を真剣に聞いていた武田家の武田信繁、小山田信有は次々に質問を発して立花将広は的確に当時の様子を語りました。
「あの時、北条氏康の懸念は小田原城の背後を脅かす駿河国、今川家の存在にありました。
当時は立花家から今川家に背後を脅かす依頼をしており、北条家側に背後から今川家が軍勢を動かすとの噂を撒いていたのが、幸いしました。
北条家は背後の不安の為に和議に応じて立花家は窮地を逃れました!」
「将広お爺!カッコいいー!」
松千代が立花将広に声を掛けました。
「ぶははは!酒も強いが戦も強いのだぞ!」
松千代に乗せられて立花将広は2年前の戦い方を解説し始め、諸将は熱心に聞き入りました。
30000の軍勢を率いた指揮官の話しは補給や各部隊への支持の出し方や緻密な駆け引きを学ぶ絶好の機会になりました。
和議成立後に武蔵国、相模国の両家の国境を地帯を流れる境川、相模川から分水して農業用水事業が始まり、周辺の開拓事業の計画を明かして諸将の興味を惹く話しが続きました。
その日の夕餉は毎日の豪華な食事と異なり、胃を休める為、摩り下ろし大根のお粥と漬物だけの質素な食事になりました。
「腹に染みるぞ!」
「旨いぞ!」
「出汁が良いぞ!」
などと諸将から満足の声が聞こえました。
長旅で疲れた胃に優しい食事に諸将は満足した夜になりました。
上洛の旅立ちからひと月半、ようやく立花家の領内に戻りました。
明日には府中城に到着します。




