1546年(天文15年)11月下旬、別れの宴
立花家と同盟大名家の上洛の旅は10月15日には始まり、当初の予定を上回る日時を過ごしています。
1546年(天文15年)11月下旬
織田信秀、信長親子が古渡城に凱旋した夜は勝利を祝う宴になりました。
織田信秀は立花義秀から様々な経験や知識を吸収する為に酒を酌み交わして語り合いました。
「立花殿、立花家では重臣意外の家臣に知行(土地)では無く、俸禄払いと聞きましたが本当にございますか?」
「如何にも、左様にございます。
先祖代々の重臣と功績があった者、幾つかの一門の血筋には世襲の知行があります。
地域の領主と呼ばれる程の広い土地を所有する者は少数に限られます。
家臣達に与えるのは基本的に役職や任務や年齢に相応しい俸禄を与えます」
「知行の方が楽ではありませんか?」
「そうです、楽ですが、誰も特になりません。
全てを知行にすれば米の収穫次第で収入が変動します。さらに知行地の管理に付随する自然災害、イノシシや鹿等の食害、本業意外に知行地に関わる業務が加わりますから効率が悪くなります。
知行払いは年間数回の分割の米払いになり、支給された米を毎回現金に返還せねばなりません。
分割支給の度に価格が変動して揉める原因になり、やり取りが面倒で仲介業者が介入して不正の温床になり、良い事はありません!」
「なるほど、しかし、俸禄を全て現金にするには銭が足りぬ筈ですが?立花家は大丈夫なのですか?」
「勿論、全て銭払いではありません。
高額紙幣と銭を合わせて支給しています」
「高額紙幣?」
「はい、立花家と大國魂神社が保証する事を印刷した紙幣を発行しています。信用がある故に立花家と同盟大名家の領内で流通しています」
「あぁ、それなら堺の湊で流通していると聞いた事があります!尾張国内では未だ難しいでしょう…」
「高額紙幣は信用が無ければ流通しません。
信用される努力が必要不可欠、それ故に立花家の責任は大きくなりました」
「信用…が肝要…織田家なら熱田神宮の協力があれば将来紙幣を発行出来るかもしれませんな?」
「はい、充分可能性がありますぞ!
西は斎藤家、東は今川家の脅威を跳ね除けた時なら信用が高まるでしょう!」
「斎藤家、今川家、手強いですな…」
酒を酌み交わしながら織田信秀の質問攻めは続きました。
「立花家では足軽等、兵士の採用の在り方は徴用にございますか?」
「徴用と志願制を併用しています。
立花家では3歳から18歳までの男女に身分の隔て無しに無償で教育を与えます。
生きる為の基礎知識や道徳や理念、武芸や社会奉仕する事を学びます。
それ故に質の高い志願兵が多く集まります。
読み書きが出来て善悪の常識を備えた兵士が揃っていたからこそ、立花家が生き残りました」
「えっ?それは凄い!身分を分けずに学ばせる?
それで徴用された兵士や志願兵の部隊配属は如何になさいますか?」
「徴用した兵士も志願兵も基本は各地域の駐屯地に住まわせます。単身寮と家族寮の集合住宅に住まわせます。軍勢を率いる武将には部隊毎に纒めて配属させます。常に配属先の地域に集団で纒めている為に、いざとなれば素早く集結して出発が可能です」
「しかし、それでは農地が人手不足になりませんか?」
「水田や畑には普段から6歳から18歳迄の若者が交代で手伝います。彼らは社会奉仕と農業の大切さを学びます。さらに駐屯地の兵士にも必要に応じて夜間の見回り、害獣対策に常駐させる事もあります」
「なんと!そこまで助け合いが成立しているとは驚きました。農作物の税率は五公五民ですか?」
「立花家は四公六民にしています。
関東の他所の税率は良くて五公五民、六公四民、七公三民もあると聞き及びます。
それ故、噂を聞いて関東各地から立花家に救いを求める流民が絶えません」
「それで流民をどの様に扱いますか?
敵方の間者の可能性も有るでしょう?」
「ぶははは!間者でも構いません。
立花家の領内には流民の受け入れ施設を各地に用意しています。まずは食事と安心して眠れる場所を与えて落ち着かせます。
風呂に入らせて、清潔な下着、衣類を与えて落ち着かせます」
「そんな事までなさるとは驚きました!」
織田信秀の常識からは大きく逸脱した施政に驚きました。
「さらに受け入れた流民の大半は読み書きが出来ません。良質な生活をする為に読み書き、道徳や立花家の領内で暮らす為の知識を学んで貰います」
「なんと?直ぐに働かせないのですか?」
「まぁ急ぎません。長い間悪政に苦しみ、逃散は死罪と知りながら逃げて来たから疲労が溜まっています。
毎日風呂に浸かり、ひと月はゆっくり立花家領内を見学させて、落ち着いてから各々の事情に合わせた仕事を与えます」
「それこそ慈悲深き理想の政治にございましょう。
幕府も立花家に学ぶべきでしょうな。」
「衣食住の不安を無くして民を慈しみ、強き者は弱気を助け、互いを敬い、互いを支え合えば世の中は良くなりましょう。
さて、織田殿、我らは明日、帰国の支度をいたします。明後日、11月30日早朝に熱田湊から旅立ちます。熱田神宮の参拝の案内役をお願いして良かった!
素晴らしい出逢いになりました。
織田殿に感謝致しますぞ!」
「それは寂しくなりますな、聞きたい事は山程有りますから残念でございます!」
まだまだ質問攻めにしたい織田信秀が別れを惜しみました。立花義秀は教え過ぎて織田家が強くなり過ぎる心配をしていました。
話題を切り替えて厠に逃れ、その場を取り繕いました。
しかし、織田家の武将達は立花家や同盟大名家の諸将から立花家躍進の鍵を聞き出すべく質問攻めをしていました。織田信秀は少しでも参考になる事を聞き出すように家臣達に指示していました。
立花義秀が教えたく無い事迄知られてしまった可能性があります。
織田家の勢力が早期に拡大して歴史か大幅に変わる可能性がありました。
厠から戻った立花義秀は大きな声で挨拶をします。
「織田家の皆様に申し上げます!
立花家と同盟大名家の一同は明後日、11月30日早朝に熱田湊から帰国致します!
短い間でしたが、楽しい出逢いになりました。
皆様のご友誼に感謝申し上げます!
それから、織田家の嫡男、信長殿は見事に初陣を飾られ、小田井城攻略に大きく貢献なされました。
御目出度うございます!
さぁ呑みましょうぞ!」
義秀の言葉が伝わり、宴は賑やかに深夜まで続きました。
熱田神宮へ参拝することが、立花家と織田家を良好な関係に繋ぎました。
複雑な気持ちを持つのは史実を知る立花義秀と松千代の二人だけでした。




